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今日も人生はライフ

60代主婦の日常はけっこうビジー。

電話はちょっと苦手だけど

2017年10月26日 | 音訳(点訳)

先日、音訳サークルのメンバーに電話をかけたときのことだ。 
そういえば…と気がついた。

かけた電話には必ずしも本人が出るとは限らなくて、お子さんだったり
お連れ合いだったりするわけだけど、どういうわけか彼らの第一声が
いつもとっても
フレンドリーなのだ。そのことに今さらながら気がついた
というわけ。

メンバーの誰に電話をかけても、音訳の…と名乗ると、

  「あ、音訳の方ですね。いつも大変ですね」

  「音訳のお仲間ですか。お世話になっています」

こんな風に応対してくれる。ああ、家族の中で音訳ボランティアの活動は
しっかり認知されているんだ、理解されているんだなあと安堵するのである。

電話をかけるのが超苦手な私、ちょっとした拒否反応でダメージを受け
ちゃうけど、ほんのわずかでも
受容的な態度に出会うと、ものすご~く
嬉しくなるのです。



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投票所で

2017年10月22日 | 暮らし

衆議院議員総選挙の投票に行った。今回の投票所は新築まもない
「市民ホール」だ。

大雨の中、投票に向かうのであろう人たちがホールの入り口から
次々と中へ入っていく。ひときわにぎやかで、かつ華やかな若い
女性の一団が
すぐ前を歩いている。私も彼女たちに続いて受付
の列に並んだ。

この人たちは連れ立ってきたのかなあ。こんな天候なのに誘い合って
投票に来たのね、えらいなあ。

その時、パタパタという足音が近づき、後ろから声をかけられた。

  「申し訳ありません。投票に来られたんですよね。
  投票受付はこちらなんです」

選管スタッフとおぼしき女性だった。私が整理券を手に持っていたので
知らせに来てくれたのだろう。えっ! じゃあ、この列はいったい何?

  「今日はこのホールでダンスの発表会があるようでして」

そうだったのか、ロビーの左側はその受付。投票の受付は右側の方
だったのね。
急いで方向転換だ。危うく発表会の受付に投票整理券
なんか出すところ
だった。恥ずかしッ。

だが、おっちょこちょいおばさんは私だけではなかった。こちらは投票
受付場所に並んじゃった発表会目当てのお客さん。「あら~、ここ
じゃ
なかったの?」と言いながら走り去っていきました。

  
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仕事じゃないんだけどなあ

2017年10月20日 | 音訳(点訳)

地元の音訳ボランティア活動が妙に立て込んできて、少し焦っている。
ただでさえ人員不足なのに、家族の事情や本人の体調不良で活動を
休まざるを得ないメンバーが続出。

病気知らずの元気者は、当然その穴埋めに駆り出される。年間予定で
決まっている文芸誌や新聞コラムの吹き込みも、私のスケ
ジュールは
10月11月に集中しているものだから、息つく暇もない。

今日の録音も、Yさんの代わりだ。Yさんは編集作業にも熟達している
ベテランメンバー。その代わりなど務まるわけもなく、私の参加は単なる
数合わせみたいなものなんだけどね。

   「べに丸さん、早く編集作業ができるようになってね。
  貴重な戦力なんだから」

というリーダーの言葉が、嬉しいような重荷のような…

   **********

趣味の延長で始めた音訳を、私の意識はそのまんまで楽しいから続けて
いる。でも、やっぱり趣味とボランティア活動は違うのだろう。やっても やら
なくても自由。放り出したところで誰も困らない。常に自分の中だけで完結
させてOK、という趣味の世界とは一線を
画す必要があるのだ。

音訳ボランティアには責任が伴う。レベルアップを目指す努力だって求め
られる。
分かってはいるけれど、つい自分に向かって問いかけるのだ。

  「仕事じゃないんだけどなあ。そんなに頑張ってまで、
  あなたはやりたいと思ってる?

 


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45万円!

2017年10月16日 | 暮らし

友人の娘さんが犬を飼うことにしたという。

コーイケルホンディエ、一度では覚えられない犬種名だ。オランダ産の
希少犬種なのだそうで、そのお値段を聞いた私は、はしたなくも「ヒェ~」と
奇声を
発してしまった。

日本にはブリーダーの数も少なく、入手するのは大変だったのだとか。

友人が言う。

  「今の時代、里親を求めている犬がたくさんいるのに、
  何でまたそんな大金を出して買うという選択をしたのって
  よっぽど言いたかったけど、娘夫婦が考えて決めたこと
  だから私は黙ってたの」

犬を飼うことにした理由が、何年もの努力の末に子どもを諦めた、その代わり
だというのを知って、何も言えなかったのだ。

娘さんは、子犬を迎えるにあたって仕事をやめることにしたという。片時も
目を離せない仔犬、家を無人にして留守番させるわけには行かないからと。
我が子同然の気持ちで育てていこうとしているんだね。

それにしても、45万円かぁ…… 

 


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食器洗い

2017年10月15日 | 

夫が完全リタイアをしてから、早いもので2年の月日が経った。
空間的にも心理的にも、あまりかさばらない人だから、家に居られても
うっとうしいことはない。

唯一めんどうなのは、昼ご飯を毎日必ず用意しなくてはならないという
ことだけ。私ひとりだったら昼食はホント適当、抜いちゃったって平気
なのだが、夫が在宅しているとそういうわけにもいかなくて。

そして今、つくづく思う。この2年間、私が、世に言う「夫原病」になること
もなくここまで来られた理由のひとつは、一日3回、食事の後片付けが
夫の役割と決まっているからだろうなって。

生きるためには食べなくちゃならないから、仕方なく食事の支度をする
というレベルの、実に後ろ向きの主婦生活を
送っている私である。

だが、作るところまでが私の仕事で、後片付けは他の人がやってくれる
と決まって
いれば何とか頑張れる。食べたら食べっぱなしで「あとは
お願い」、でさっさと席を立てるっていうのは
、かなり楽ちんなことだと
実感しているのです。

 
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教え方いろいろ

2017年10月13日 | 音訳(点訳)

前回の講座では、録音専用機「DR-1」の操作方法をマンツーマンで
教わった。そして、次の回の講座に出席した私たち生徒はこっそり
情報交換をするわけである。

  Aさん曰く「私が習ったインストラクターは教え方が上手
  だったし、優しかったわよ。今はこの程度で十分って
  言ってくれた」

  Bさんはさんざんだったらしい。担当のインストラクターは
  終始ピリピリ。一寸刻みにダメ出しをされて気持ちがボロ
  ボロになったとか。


  Cさんを担当したインストラクターは、時間切れになると
  「あとは一人でやってね」と丸投げ。根性マンのCさんは、
  別の日にセンターへ出直して自力で課題を仕上げた。

インストラクターを務めてくれた方たちは、それぞれベテランかつ
能力のある音訳者ばかりのはず。でも、右も左も分からない新米に
ゼロから教えるというのは、また別の話なのだと思う。
というか、先生役に対する向き不向きってぜったいあるわよね。

とはいえ、時間を割いてのボランティア指導である。文句を言っては
罰が当たる。本当にありがたいことなのだ。

    *************

そんなこんながあったけど、受講生は頑張った。仕上がった課題は
どの人のも、初めてマイクに向かって吹き込んだとは思えないほどの
出来栄えでした、とこれは講師の先生の言。

このメンバーなら、きっと全員が最後までめげることなく完走するに
違いない。



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予防接種

2017年10月11日 | 暮らし

予防接種をするために、近所の内科に予約を取った。変な言い方だけど
とても繁盛している病院で、
年中混んでいる。

予約時間の17時ぴったりに到着すると、受付の横の電光掲示板が、診察
の進み具合を
知らせていた。

  「ただいま、16時15分予約の方を診療中です」

45分遅れかぁ。

かかりつけの歯科医院は、15分の中に4人の患者を入れている。予約時間
に行けば、ほとんど待つことはない。この内科はいったい何人詰め込んでいる
んだろ。
45分遅れって、予約の意味がないんじゃないかい、とこっそりつぶやく。

いやいや、予約体制を取っているから、この程度の待ち時間で済んでいるの
かも。待合室の患者たちの表情に、イライラやウンザリは見て取れないものね。

   **********

この医院は評判が良いのである。初老の医師は、患者の訴えをしっかり聞いて
くれるし、質問には丁寧にこたえてくれる。もちろん診たても確かだから、これだけ
たくさんの患者がやってくるのだろう。

実は私、迷ったのだ。決まりきった予防接種をしてもらうだけなんだから、閑古鳥
が鳴いているヤブのお医者さんでもいいかなって。ただ、そんな医者がどこに
いるのかが分からない。仕方なく、近くて評判が良くて、いつも混んでいるこの
病院に来るしかなかったというわけです。

 


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ポップガード

2017年10月10日 | 音訳(点訳)

音訳ボランティア養成講座で、なくてもいいけどあるといいかも という
道具のことを教わった。その名は「ポップガード」。

パピプペポとかバビブベボなど、破裂音(ポップ)の風がマイクに当たって
ノイズとして録音されてしまうのを防ぐためのものである。

こんな感じに、口元とマイクの間をさえぎるように設置する


自分の録音音声を聞くたびに気になっていたのだ。「バッ 」や「フッ」などの
息の音
がかなり耳障りであるということに。今月は市の広報を録音する当番
当たっているから、さっそく使ってみよう。どれくらいの効果があるのかなあ。

楽しみです。

 


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発表会の季節

2017年10月08日 | 二胡

発表会の季節である。私の皮切りは、こたにじゅん二胡教室

演奏順は、たぶん今年もくじ引きで決めたのだと思われる。
難曲と中くらいの曲と易しい曲が順不同で演奏される意外性が、この
発表会の楽しさだ。


多くの発表会では、プログラムの進行と共に奏者のレベルも演奏する曲の
難易度もどんどん上がっていくが、この教室はそのパターンからはずれる。

だから、”緊張”と”ほのぼの”とのバランスがとてもいいのだ。

   ********

こたにじゅんさんは、二胡奏者としてのキャリアは浅いが、その世界観は
きっぱりしている。ひたすら内へ向かっていこうとする自分と、外の世界とを
紡ぎ合うツールが二胡なのだと話す。

日本のポップスを二胡で表現し、オリジナル曲を通して二胡の可能性を
深めていきたい…とも。

若い生徒さんが多いと感じたけれど、こたにさんのこういう姿勢が若者の
共感を呼ぶのかもしれないなあ。

 


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デジタル録音機 DR-1

2017年10月05日 | 音訳(点訳)

音訳講座の今日の中身は 「DR-1」というデジタル録音専用機の操作を
学ぶ
実技だった。録音室に入り、マンツーマン体制で指導してもらう。
機械のセッティング、最適な録音、さまざまな訂正方法、ページ付けや
セクション分け…習うことはたくさんある。

最初の最初から順序立てて、必要なオペレーションをしっかりと教えて
もらえたから、多少
かじっていた私にとっても すごく役に立つ授業だった。

地元サークルで初めてDR-1を使ったときは、先輩会員から機械を渡され、
こう言われただけ。

    はい、これで録音してきてね。使い方はマニュアルを
    読めばわかるでしょ

聞けば、代々の会員もそんな感じで、四苦
八苦しながら自力でマスター
していったというのだから、みんな大した
根性の持ち主だと思う。

    *********

ちなみに、この「DR-1」という録音機だが、メーカーが製造中止を決めた
ため、にわかに品不足となっている。時代はパソコンダイレクト録音へと
移りつつ
あるとはいえ、使い勝手が良い上に音質もクリアな「DR-1」は
まだまだ手放せないのですが。

 
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お見事

2017年10月03日 | 暮らし

乗り込んだ車両は、シートが全て畳まれていた。
少しでも車内を広くして、できるだけたくさんの乗客を詰め込もうと
いう通勤ラッシュ対策である。

だが、時刻はすでに9時30分。ラッシュのピークは過ぎており車内は
ガラガラだった。おしりをのっけて寄りかかるのにちょうど良いシートが
ほぼ全員に
行き渡るくらいの乗車率だ。

だが、私の隣りの若い女性だけは逆向き、つまり窓に向かって立って
いた。畳まれたシートの上に
大きめのバッグをドンと置き、化粧に没頭
しているのだ。

これがなかなか
具合がよさそう。膝の上よりシートの方が安定感はあるし、
しっかり
寄りかかれるし。 何より他の乗客に背を向けているわけだから、
じろじろ
見られることもない。

やがて30分がたち10時になると「シートを下ろしてください」という車内
放送が流れた。
寄りかかっていた人々は座面を倒してそのまま座席に
納まるという仕組み。もちろん
隣りの彼女も、おもむろに化粧道具をバッグ
にしまって着席する。そう、この30分間、片時も手を休めることなく、
ひたすら顔の手直しに全力投球していたのを、私はずっと横目で見ていた
のよ。

毎朝この車両を選んで乗るのが彼女の習慣なんじゃないかなあ。人目を
気にせずメイクに専念できるし、時間が来れば座れるし
良いことづくめ。
お見事です。

 


ほんの気持ち

2017年10月02日 | 母と伯母

探し物をしていたら、机の引き出しからポチ袋がたくさん出て来た。
亡くなった母からもらったものなのだが、いつのまにこんなに貯まって
いたのだろう。

父亡き後、ひとり暮らしを30年間がんばった母。私と妹は、折に触れ
母を訪ね、日常の用事を片付けたり、おしゃべりをしたり。年に一度は
一緒に旅行もした。

母は私たちに会うたび

  「来てくれてありがとうね。これ、お小遣いよ」

とポチ袋を差し出す。いいおとなが今さらお駄賃をもらってもなぁと
思いながらも、
やっぱり嬉しかった。お金が、というより母からお小遣い
をもらうという行為が何だか懐かしかったのかもしれない。

ザクザクと出て来たポチ袋、中身はそっくりそのまま手つかずである。
けっこうな金額になっている。

だが、今となってはとうてい使う気持ちになれない。なぜなのだろう。
嬉しかったり楽しかったり寂しかったり、その時々の母の思いが
こもった
お金だから…

そう、きっとそうに違いない。

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