地元の音訳サークルで、私は会計補助の仕事をしている。会計と
いっても、メインの大変な仕事は、頭脳明晰で数字に強いYさんが
引き受けてくれているから、私のやることはほとんどないんだけど。
それでも、間もなく約束の2年間が過ぎ、晴れてお役目を返上する
時期が近づいてきたことにホッとしている。ところが、ここへ来て
何やら雲行きが怪しくなってきたのである。
リーダーが言うことには、
「来年度の会長は、Yさんにお願いしたいと思っている
んだけど、どうかしら」
役員改選を前にして、候補者の当たりをつけておくのは恒例のこと
らしい。確かにYさんは適任だわ、とひそかにうなずく。だが、
リーダーの次の言葉にひっくり返りそうになった。
「それで、会計はべに丸さんが引き継いでくれると
助かるのよね。2年間Yさんと一緒にやってきたん
だし」
ひぇ~、それは無理です。会計の仕事なんてさっぱり分かりません
から。この2年間は、単なるヘルプの使いっ走りにすぎなかったん
ですってば!
事態はどう動いていくのだろう。恐ろしい。
お読みいただいてありがとうございます。自分のための覚え書き
として書いている文章なのですけれど、どなたかの参考にして
いただけるならとても嬉しい。
朗読と音訳は少し異なるもののようですが、共通する部分もありそうです。
朗読をやりながら、音訳ボランティアに参加している仲間もいますしね。
あらいぐまさんは、今は朗読ボランティア、あるいは音訳ボランティアを
始められたのかしら(*^-^*)
べに丸さんが、どうしてこのボランティアを始められたのか知りたくて、今日は音訳・点訳ボランティアの最初の部分を読ませていただきました。
私はガイドの仕事は嫌ではないのですが、翌日の疲れはひどく、頭痛になってしまうこともあり、私には向いていないのかと思ってしまいます。
それで月に4回ほどにおさえています(仕事だと、こういう要求ができるのです。まあ需要と供給のバランスでしょうね)どうも盲導犬が足りなくて、じゃあ人間を使ったほうが早いんじゃない?とできた制度のように私は勝手に思っています。
点訳・音訳をボランティアでやっている方は本当にすごいと思います。
私は、点訳のような専門を要するものを仕事にして報酬を払うべきではないかと思っています。
ガイドヘルパーをやっていらっしゃるのですか。翌日の疲れがひどい
というのはすごくわかります。視覚障害者の移動を支援する仕事って
神経を使いますよね。月に4回でもきついのではないかと思うくらい。
資格取得も大変だったことでしょう。
点訳も音訳も私にとっては趣味の延長のようなものなのです。
人間関係が少し苦手なので、ある意味孤独の中で作業することの
多い点訳や音訳は、私向きのボランティア活動かなあと思って
いるんですよ。
私が疲れることを「すごくわかります」といってくださって とても嬉しいです。
私は 最近 ツイッターで視覚障害者の方の方のつぶやきを見ていますが
(みなさん ツイッターを使いこなしているのもすごいのです)
今日は ある利用者さんはガイドが言った言葉に
「とても嫌だった」と書いているのを見つけて
私も 不用意に言った言葉が 実は視覚障害者さんを傷つけているとか
どこに地雷があるかわからないなーとか 思っているところです。
P.S.
削除ありがとうございました。
視覚障害者の方が自身の思いを吐露している ”つぶやき”は、
きれいごとではない本音を知ることのできる貴重な機会ですね。
>私も 不用意に言った言葉が 実は視覚障害者さんを傷つけて
>いるとか
そう、私もこれが怖い。ただでさえ人づきあいが下手な人間なので
ガイドヘルパーの仕事は私には務まらないだろうなあって思います。
アパートの隣の部屋から赤ちゃんのなき声が聞こえる。
隣人との関係が良好であれば「あれ どうしたのかな?」お腹がすいているのかな・・と思い
隣人と交流がなければ「うるさいなー こんな時間に何やってんだ」とイライラする。
一般的に そんなふうに言われていますよね。
Cさんの隣人は若い男性ですが サラリーマンではないようです。
交流がないので ドアの開閉の音で判断していますが 毎朝ドアの音がするわけではないとCさんは言います。
隣人が見えない不安。どんなひとかわからない。
講習で視覚障害者の心理学という項目がありましたが
私のような素人は 下手に共感すると一緒に不安になってしまいそうで怖いのです。