伯母が、英国から一時帰国した学生時代のお友だちを囲んで会食するというので、
付き添いとして都心のホテルに出かけた。歩行のおぼつかない伯母のために、
私は車椅子係である。大したことはない仕事だと思っていたのだが、けっこう
忙しい半日となってしまった。
ホテルの玄関でタクシーから降りた伯母を出迎え、車椅子に乗せて集合場所の
ロビーへ向かう。全部で7名、肘掛け椅子を車座にして、まずは再会の
ごあいさつだ。話の花が咲いてすっかり寛ぎモード。ランチはどうなったの、
とヤキモキする私。「お食事はどこにしますか」と水を向け、ようやく、隣接
する同系列ホテルのレストランで食事と決まった。
杖をつく人、歩行補助車にすがって歩く人、そして車椅子の伯母・・ホテルの
日本庭園を、大名行列よろしく老婦人の団体がソロソロと進んで行く。細い道が
渋滞してしまったが、紳士淑女のホテル客の皆さん、文句も言わずに待って下さる。
中華レストランの円卓に全員が落ち着き、料理の注文。これが大変。ちっとも
決まらない。仕方ないので、一人一人の希望を確認してはウェイトレスさんに
取り次ぐことに。私と同様、付き添いで参加した娘さん二人と協力してテーブルの
回りを飛び回った。
料理を待つ間、聞くともなく耳に入って来る会話は、すっかり学生時代に戻った
ようで楽しそう。机を並べて同じ時を過ごした仲間同士のつながりって、いいもの
だなあ。こうして集まれるということは、少なくとも脳みそは元気だからこそ。
私もちょっとだけあやかりたいと思った。85歳の年齢までは望まないけどね。
さて、支払いの段になり、再び「若い者三人」が円卓の回りを走り回って集金。
コートを手渡し、忘れ物の有無をチェック、ホテルの玄関まで誘導し、無事に
お別れすることが出来てホッとしました。パックツアーの添乗員さんの大変さが、
ほんの少し分かったような気がするかも。

男性Aさんは、しばしばコーチの指示を無視する。ウォーミングアップでクロスのストロークと言われているのに、かたくなにストレートを打ち続ける。フォーメーションの練習をする際、コーチが生徒のポジションを説明するが、聞いちゃいない。いざ始める段になってから他の生徒に「僕はどこに行けばいいの?」
女性Bさんは、
私にとって初めての公開レッスン(発表会)が終わった。
とにかくびっくりの連続だった。今の先生に習い始めて
まだ1年も経っていないから、今回は見学でいいと思って
いたのだが、先生はーーー
「いつもやってるレッスンを人の前でやるというだけの
こと。特別なことは何もないよ。全員出るね」
そして、本当にその通りだった。
本日参加する生徒は16名。それを初級、中級、上級の
3つのグループに分ける。私はもちろん初級。第一部では、
ステージの上に椅子を3列に並べて全員が一緒に「劉天華
の練習曲」を演奏した。初級グループは11番くらいまでしか
習っていないので、自分の出来るところまで演奏すればいい
のだ。
次は、易しい楽曲を全員のアンサンブルで演奏。『エーデル
ワイス』『紅葉』『八月桂花遍開』『楊柳青』・・・私が演奏出来る
のは『紅葉』まで。それでも、日頃はひとりで緊張しながらやって
いる演奏が、16名の合奏ですばらしい響きになるのを実感して
嬉しい。
第二部は、上級クラスレッスン生の合奏とソロ演奏。さすがに
素晴らしい! 中学生の女の子、高校生の男の子、5、60代の
女性も。何年練習したら、こんな演奏が出来るようになるのだろう。
いやいや多くは望まない。難曲が弾けなくてもいい。納得できる
音色で、中国の美しい楽曲を素敵に演奏すること、それが私の
目標なのだから。
一部二部を通して、演奏の区切りごとに指導と講評をビシビシ
発する先生。まさに、教室でのレッスンの拡大版がこのホールで
繰り広げられている感じだった。会場からは、二胡の練習方法に
ついての質問も飛び出したりして、ひと味もふた味も違う「発表会」
になりました。
フロアのあちこちには白い目隠し布が天井から下がり、さながら工事現場だ。商品の暫定的な置き場が日替わりで動くから、店員さんだって、どこに何があるのか分かってない。お客と一緒に商品探しの旅に出る始末だ。積み上げられた段ボール箱の中から、お客自身がパン粉だの春雨だのをゴソゴソ引っ張り出してレジへ持って行くに至っては、何だかフリーマーケットの様相を呈していた。でも、文句ひとつ言わないお客さんたち、このスーパーを愛しているのね。
その大移動がようやく終わり、すっきりとした店内に新しく出現したのが、何とセルフレジスターだった。お客が自分で商品のバーコードを読み取り機に通し、機械にお金を入れて支払うというシステム。

なるほど、かなりの合理化だなあ。数は減ったが有人レジスターもあるので、どっちが早いだろうかと目算しつつ、並ぶ列を決めるのである。私はこういうの大好きだから早速やってみた。機械にバーコードを読み取らせるのって慣れないとけっこう難しい。もたもたするレジの新人さんに、心の中で「もっとテキパキやってよね」などと悪態をつくのはやめよう、と密かに思った。
「公開レッスン」の日が近づいてきた。どんな風にやるのか
イメージがつかめないので、けっこう不安。いわゆる「発表会」
ではないらしい。レベルごとに別れて、日頃やっている練習曲
や楽曲を演奏するのだが、レッスンの延長といった形になる
ようだ。
あくまでも「レッスン」であるから、入場は申し込み制だ。たぶん、
現在二胡をやっている人とか、これからやってみようと思って
いる人に向けてのイベントになるのだろう。
14日の金曜日が、公開レッスンの前の最後の練習日だった
のだが、そこで先生ーーーー
「べに丸さん、時間あるなら、もう一回レッスン日をとりましょう」
「ヒマはいっぱいありますから、大丈夫ですけど」
「練習曲と、この2曲をもう少しやった方がいいね。公開レッスン
ではみんなと合わせるからピッチがずれると悲しい」
私、まだ全然だめだもんなあ。「1週間、死にものぐるいで練習
しないとだめですね」と思わずつぶやいた。先生はちょっと苦笑い。
「死にものぐるいじゃなくてもいいよ。普通に練習して下さい。
ガンバッテネ」
はい! 分かりました。がんばりますから。自信ないけど・・・
でも、何となく心配になったのよね。念のために私の「注文履歴」という項目を調べてみたら・・やっぱりっ! 何とおんなじ本を2冊注文済みだった。一ヶ月前に1冊、さらにその一ヶ月前に1冊、そして今日また1冊頼んじゃったから全部で3冊だ~
「予約注文」というシステムが曲者。既に発行されている本なら注文して2,3日で届くので、こんなトラブルは起こりようもないんだけど、首を長くして待っている作品だったから、その本の情報を見るたびについ何度も注文してしまったというわけだ。
すでに家にあるのと同じ本を、忘れてもう一度買っちゃったという失敗は、けっこうやってる人いるんじゃないかと思うけど、まだ世に出てもいない本を3冊も買ってしまうなんて・・・まぬけにも程があります。
ひとつはプリントゴッコの印刷に使う消耗品。メーカーが機械本体の製造を打ち切ってしまったので、必要な消耗品を扱う店が極端に少なくなってしまったのだ。近所の文房具店をハシゴして、ようやく一軒の店で見つけたが、来年はもっと入手困難になるんだろうなあ。私の年賀状はプリントゴッコで作るから、ほんと困ってしまう。
絵の具は別にして、最低これだけは絶対必要

もうひとつの探し物は家計簿。本屋さんへ行くと、使い易い工夫をされた新しい家計簿がいろいろ出ているけれど、私が求めるのは「婦人之友社」で出している家計簿のみ。でも、これも時代遅れになってきているのだろうか。店頭で見つからないので店員さんに尋ねると「うちでは扱ってないので取り寄せになります」と言われたり「えーと、ちょっと待って下さい。あ~、注文から漏れてましたね」と言われたり、さんざん。
結婚以来ずーっとこの家計簿だから、今さら
他のタイプに変えるというのもねぇ

以下、ストーリーの核心に触れる部分あり。
「ヒロインが別れた夫を殺してしまったのは、殺人というよりは
過剰防衛ではないの? すぐに自首したとしたら十分情状酌量
の余地があったはず」
「だとすると、石神があそこまで犠牲を払ってヒロイン母娘を守
る意味が果たしてあったのだろうか」
「母娘を容疑の外に置くために、石神は罪もない他人の命を奪わ
なくてはならなかった。結果として、母と娘はいっそう苦しむ
ことになってしまったのだから」
映画の最後でようやく自首出来なかった理由が明かされ、半分くらいはうなづくことが出来たけれど。もちろん、この映画は法律的にどうこうと理屈をつける種類の作品でないことは分かっている。でも、容疑者Xがなぜそこまで献身するのかという、肝心の大前提が弱すぎるんじゃないかなあ、と私には思えたのだ。
実は、原作を読んだ時にはそんなこと考えもしなかった。石神と湯川の知恵較べが面白くて、ドキドキしながら読み進んだのだった。これは謎解きミステリーだからと割り切っていたからかもしれない。映画は、ストーリーと同時に役者の演技が観客を引っ張って行く。その人物たちの行動に納得することが出来ないと、感情移入もうまくいかないってことかもね。








