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今日も人生はライフ

60代主婦の日常はけっこうビジー。

時を超えて

2017年07月19日 | 義母ユキコさん

もう10数年前になるだろうか。夫の母ユキコさんの在宅介護に悪戦苦闘
する日々を日記に綴り、ホームページに載せていた時期
がある。

すでにユキコさんは亡くなったし、日記自体もはるか昔に更新しなくなっては
いたのだが、そのホームページは動きを止めたまま未だに
ネット上に存在
しているのである。消すに消せない私の歴史の一部
って感じかなあ。

そんなサイトに、ごくたまーにだけれど相互リンクをしたいという
申し込みを
もらうことがあってちょっと驚く。先日もそういう趣旨の
メールが届き、それを
きっかけに久々『べに丸介護日記』にアクセス
してみた。

リンクのページには、懐かしいサイト名が並んでいる。私と同様にお姑さんの
介護に明け暮れる日々の喜怒哀楽を綴ったいくつかのホームページ。

ほとんどは、消えているか更新が止まっているかのどちらかなんだけど。

何しろ10年は経っているんだものね。

互いの日記を読み、時にコメントを交わし合う 「介護の同志」だった。
みんな、どうしているだろう。きっと元気に暮らしているわよね。

 

 

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消せない日記

2015年11月05日 | 義母ユキコさん

毎年11月になると「21style」から更新手続きの案内が届く。
もう1年たったのかと少し驚きながら、郵便局から1年分の使用料
2400円を送金する。

すでに11回目の更新だ。11年前、ホームページビルダーで作った
ささやかなホームページ『べに丸介護日記』に、このレンタル日記を
くっつけて使い始めたのだった。

夫の母ユキコさんを在宅で介護する日々。隙あらば逃げ出したいと
いう
後ろ向きの気持ちを抱えつつ、毒気満々の心情を書き綴った。
いわば私のうっぷん晴らしの場所だったのだと思う。

書き込みはとっくの昔に止めてしまっているのだが、契約を解除して
消滅させる決断はまだできない。辛かったり、悲しかったり、怒って
いたりした当時の私の姿を、なかったことにはしたくないのかもしれ
ないね。

 

 


写真を探す

2012年02月03日 | 義母ユキコさん

ユキコさんの葬儀に遺影として使う写真を探す。

夫を含めて4人の子供がいるのだが、結局我が家のアルバムの中に
もっとも多くのユキコさんが存在するということが分かった。娘のおかげ
である。誕生日、雛祭り、クリスマス…子供のいる
家庭で繰り返される
様々な行事の席には、常に義父母の姿があった。

働く母親である私に代わって幼い時期の娘を育ててくれたと言っても
過言では
ない。保育園の送迎はすっかりお任せだったし、小学校入学
当時はいつも娘の帰宅を出迎えてくれた。たった一人の内孫である彼女が
ユキコさんにとって小さな楽しみになっていただろうか。

 

小学校入学式の朝。 


ユキコさん逝く

2012年02月01日 | 義母ユキコさん

デパートの食品売り場をウロウロしているところにその連絡は入った。

  「午後2時50分 医師が死亡を確認しました。僕は今
   病院へむかってます」

夫からのメールだ。

ユキコさん、やっと大往生できたんだね。強靭過ぎる心臓の持ち主だったユキコさん。
チューブから流し込まれる栄養で命をつなぎ、朦朧とした覚醒と不規則な眠りとを
繰り返すだけの日々。この一年は、ただひたすら楽になってほしいと病院に通いながら
いつも思っていた。お墓の
草取りに行くたび義父に頼んだ。
ユキコさんを早く迎えに来てあげて。

結局 義父が差し伸べたかもしれない手を振り払い、実に実に頑張りぬいて義母は
天寿を全うしたのでした。97歳の誕生日にはわずかに2カ月届かなかったけれどね。


途中の報告はいらない

2012年01月30日 | 義母ユキコさん

ユキコさんの容体は、一時の危ないところからほんの少し上向いて、
そのまま落ち着いている。もちろん予断を許さない状況は変わって
いないから、夫と兄弟姉妹たちの見守り態勢は続くのだが。

そんなわけだから、携帯電話にメールが入って来るとドキッとするのだ。
恐る恐る開いてみると------

 「その後状況は変わりません」 とか
 「予断は許さないけど落ち着いてます」 とか

病院にいる夫からの経過報告。ついに私は宣言した。

 「様子が変わらないのならメールしないで。開くたんびに
  ドキドキするんだからね。むしろ何も連絡のないことが
  良い知らせです」

私って、薄情かなあ。


アルコールフリーの活躍

2012年01月29日 | 義母ユキコさん

夫の母親ユキコさんの容体が良くない。もっとも、主治医から 「この2,3日が
山です」 と言われたのはもう1週間以上前のことだから、山はとっくに超えて
しまって低空飛行ながら落ち着いているのだとは思うけど。

ただ、いつ病院から呼び出しが来てもおかしくない状況は変わらないので、夫と
その兄弟姉妹たちは交代で病院に詰めている。

そして、変わったのは夕食時の飲み物だ。夫はアルコールフリーのビール
テイスト飲料を飲むようになった。そう、いつ何どき車を運転して病院へ駆け
つけることになるか分からないからね。これまで何度も何度も不死鳥のごとく
復活し、蘇ってきたユキコさんではあるけれど、今回ばかりは難しいようだ。

それにしても、まず回復は望めない、というより現実的な死期が近いと宣告
された身内の死を、今日なのか明日なのかと待たなくてはならないというのは
何とも
切ないことだ。


夫、色々飲み比べているところらしい。




目と鼻の先

2011年12月05日 | 義母ユキコさん

ユキコさん関係の書類を、市役所の地域支援課へ送っておいてと
夫から頼まれたので、ポストへ投函しに行った。

我が家から一番近いポストは、歩いて1分ほどのところにある特定
郵便局の前。そのポストの前で一瞬考える。その郵便局が面して
いる道路を渡った反対側が 実は市役所なのである。

 

ポストから集配されて本局へいったん集められ、そこから配達という
手順を踏むよりは、私がその道路をテクテク渡ってじかに役所の窓口
へ持って行った方が絶対早い。

そこを敢えて郵便で送るという遠回りな手段に苦笑しつつ、そうは
言っても役所の階段をえっちらおっちら上って行き、窓口で延々待た
されて……そういうのはやっぱりめんどくさい。結局、手の中の封書は
郵便局行きとなりました。


そうだ、自転車があったよ

2011年03月18日 | 義母ユキコさん

ユキコさんの病院へ行くための電車が、ようやく使える程度に走り始めた。
といっても30分に一本というダイヤ進行。最悪、行きと帰りで1時間待ちを
覚悟だなあと思って出かけたら、本当にホームでしっかり1時間待つことに
なってしまった。冬戻りの冷たい風が身にしみた。

電車を使うととにかくものすごい遠回りをすることになるのよねぇ。でも、空に
なる寸前の箪笥にユキコさんのパジャマをぎっしり補充することが出来てひと
安心である。

その話を聞いた夫は 「駅でそんなに待つのはやだ。だったら自転車で行って
みるよ」 と言い出した。幸いきょうは比較的暖かい。しっかり着こむと、勇んで
出発していった。

片道11キロというのは大した距離ではないけれど、丘のてっぺんにある病院
なので、自転車を押して歩かなければならない道もある。ゆっくりこいで50分
くらいかかったとのこと。途中で足がつりそうになって焦ったらしいが、天候さえ
よければ自転車でも行けるということが実証出来て、ちょっと嬉しい。


ユキコさん、95歳の春

2010年04月14日 | 義母ユキコさん

ユキコさんが入院している病院では、毎月その誕生月の患者さんの
ために小さなお誕生会を開いてくれる。4月はユキコさんの月。
春の花々が飾られたホールに、同じ病棟の4月生まれの人たちが6名、
家族と共に集まった。


ひとりひとりの名前と近況が紹介され、スタッフやそれぞれの家族たちが
 「おめでとう!」と盛大に拍手。もっとも、肝心の本人たちは、いまいち
ピンと来てないかも。認知症の患者さんばっかりだからねぇ。

95歳になるユキコさんは最高齢だ。続いて88歳、84歳…皆さんご長寿。
だが、中に50代後半の女性が二人いたのには、いささか衝撃を受けた。
しかも数年前から入院している、というではないか。その若さで認知症…
辛すぎる…つい家族の心情を思ってしまう。


  *************


スタッフの皆さんがハンドベルの演奏を披露
して下さった ♪は~るのうら~ら~のす~
み~だがわ~♪



  

ブーケを抱いたユキコさんと一緒に記念撮影




「母は母のままで」

2009年10月10日 | 義母ユキコさん
新聞の投稿欄に、こんな内容の文章が載っていた。

   91歳9か月で亡くなった母。亡くなる2日前まで
   普通に食事をし、意識もしっかりとしていた。最後
   まで在宅での介護を受け、眠るように息を引き取っ
   た…

いま人々が望み、でも必ずしも叶わない死の形とは、たぶんこういう
ものなんだろうなあ。そして、私が胸を突かれたのは結びの一文。

   「母は母のままで、旅立って行きました」

子どもは、親が以前の親ではなくなるという事態に、どんな気持ちで
対峙したらよいのだろう。夫は口には決して出さないけれど、本当は
ユキコさんの姿を見るのが辛くてたまらないに違いない。

鼻に通された管から栄養を注入してもらい、喉に開けられた穴からタン
を吸引してもらう。言葉はとっくに失い、子供たちのこともわからない。
さまよう視線の先にはおそらく何も映っていない。眠りと覚醒とをただ
ユラユラと繰り返す…

早く楽にしてあげたい、いや、生きていてくれるだけでいい。相反する
思いに引き裂かれながら、夫は病院へ通い続けているのだろうか。



ユキコさん、祝94歳!

2009年05月10日 | 義母ユキコさん

4月19日、ユキコさん94歳の誕生日。本人には全く自覚がないので、
回りの者がせっせと盛り上げるしかないんだけどね。病院のお誕生会で
撮ってもらった写真のカードと、グラスに挿したお花が素敵。


   ***************


きのう病院へ行ったら、5月がお誕生日のおじいさんの写真を、介護士
さんが必死で撮影中。

  「○○さま、目を開けて下さい! お写真を撮りますよ」

でも、車椅子の彼はなかなか目を開けない。開けようとしているらしい
のだが、自分のまぶたが自由にならない。「頑張って!」と声援を送る
介護士さん、看護師さんたち。

  「○○さまの前に美人がたくさん来てますよ」

これには笑った。だめ押しは以下のセリフーーー

  「あ~、だめだわ~。ますますギュッとつぶっちゃった」



救急車の中で

2008年12月19日 | 義母ユキコさん

気管切開手術が終わって2週間が経ち、経過は良好。義母ユキコさんは
元の療養型病院へ戻れることになった。ユキコさんを運ぶ救急車には
夫が同乗し、荷物を自動車に積んで自宅を出発した私が、再入院する病院
へ一足先に向かうという段取り。

病院のロビーで待つこと30分、予定の時間ぴったりにユキコさんと夫を
乗せた救急車が到着した。サイレンを鳴らしっ放しで走り、裏道を上手に
選び、普通なら50分かかるところをわずか20分で走って来たとか。
さすが救急車だ~。

秘密の話を打ち明けるかのような口調で夫がーーーーー

  「救急車の中で、無線の緊急連絡が入って来たんだよね。乗用車
   の衝突事故だって。運転者の女性は意識あり、呼吸は正常、と
   か言ってるんだけど、年齢があなたと同じだったから、まさか
   とは思ったけど、ここへ着くまでドキドキだった」

  「あり得ないことじゃないものね」  

  「たぶん、現場に近いところを空で走っている救急車がいたら、
   その無線を聞いて駆けつけるってこともあるんだろうね。
   いやぁ、生々しかった」

時と場合が一致して、登場人物の性別・年齢までが同じ。とても他人事
とは思えなかった。こっちがどんなに慎重に運転していたとしても、巻き
込まれ事故に出会ってしまう可能性はゼロじゃないものねぇ。

それはともかく、住み慣れた「古巣」に戻って来ることが出来て、まずは
ホッとしています。


ユキコさん復活

2008年12月14日 | 義母ユキコさん

人工呼吸器をつけっ放しにしておくわけにはいかず、さりとて外して
しまうことも出来ず、残された選択肢は「気管切開」の手術のみ。
ユキコさんは、呼吸器科のある総合病院へ緊急入院することになった。

間もなく94歳になる老人が手術? 相当の高リスクだと私たちは思って
いたのだが、転院先の執刀医師は淡々と説明してくれた。

  「熱はさがっているし問題ないでしょう。局部麻酔で
   4、50分あれば終わります」

えっ、そんなに簡単なの、と拍子抜けする私たち。ユキコさんのベッドは
ナースセンターに隣接するHCU(準集中治療室)にあるのだが、手術は
そのベッドの上で出来ると聞いてさらにびっくり。


手術の翌日、恐る恐る病院へ出かける。ユキコさんの喉には小さなパイプ
が装着され、人工呼吸器につながっていた。呼吸器が口から喉に移った
だけなのかなあ、と少し不安。でも、その3日後行ってみると、もはや人工
呼吸器の力を借りずにユキコさんは自力で息をしていた。医術の凄さも
さることながら、恐るべし・・・ユキコさんの復活力・・・なのでありました。



ユキコさんの今

2008年12月03日 | 義母ユキコさん

夜中の電話は、義母ユキコさんが入院している病院からだった。
夫と義弟が駆けつけた時には、
当面の危機は脱したところだったが
予断を許さない状況。人工呼吸器が装着され、介護病棟から
医療
病棟へ移された。


人工呼吸器を長期間つけておくわけにはいかないので、呼吸が回復
しない場合は気管切開が
必要とのこと。しかし、入院中の病院には
専門医がいないため転院しなくてはならない。そもそも、
94歳になろう
というユキコさんが手術に耐えられるのかどうかという大きな問題が
横たわる。
38度を越す熱が続き肺炎の恐れもあるわけで、まずは
そちらを何とかしくては手術どころの
話ではないし。

ユキコさんが鼻からの管で栄養を摂り始めたのは、今から数えて3年と
8ヶ月前。これはなかなか
大したことで、ユキコさん本当に頑張っている
のだ。転院を繰り返し7つ目にもなる現在の療養型
病院は、まずまず
ケアが行き届いている。この場所で、ユキコさんの静かな暮らしが最後
まで続く
といいなあと思っていたが、やはりそうは問屋が卸さなかった。

ユキコさんは、大きな機械から伸びる人工呼吸器のチューブを口から
挿入されて眠っている。
強制的に呼吸させられているかのように見える
その姿に、思わず「人間の尊厳」という言葉が
頭をよぎる。ユキコさん
自身の意思を確認出来ないもどかしさの中、夫を含めた子どもたちは、

その都度良いと思うことを選択してきたはずなのだが・・。そして今
ふたたび、何か選ばなく
てはならない。


ユキコさん、93歳

2008年04月23日 | 義母ユキコさん

義母のユキコさんが93歳の誕生日を迎えた。介護療養型ベッド
のある現在の病院に入院してから、
まもなく2年の年月が経とうと
している。いろんなところを転々として、実に7つ目にしてようやく
落ち着く
ことが出来た病院だ。リハビリと行き届いたケアのお陰で
それなりに元気なユキコさん。


もはや実の子供達をさえ認識することは出来ず、言葉も出ないし
意思の疎通も計れない。見方によっては
「鼻から栄養を流し込まれ、
ただ呼吸しているに過ぎない」と後ろ向きに考える人もいるかもしれ
ないね。
でも、やっぱりそれは違うと思う。

人の話し声や動きに向かって視線を動かし、手を握れば握り返して
来る。くしゃみだってするし、時々は
声も発する。ユキコさんの命の
底力はすごいんです。