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今日も人生はライフ

60代主婦の日常はけっこうビジー。

母の声

2025年05月21日 | 母と伯母

毎年この季節、妹と弟そして私の三人で、母と伯母が埋葬されている
神奈川県にあるお墓を訪れることにしている。だからなのだと思うが、
使わなくなった古い携帯電話の中に母の声が残っていたことを、ふと
思い出した。

引っ張り出してきて充電したら「留守電メモ機能」が辛うじて復活した。
私に電話をかけてきた母の声だけが聞こえる。

  「今日、来られない?」
  「今どこなの? ああ、それじゃあダメね」
  「何時なら大丈夫? 5時くらいに来てほしいんだけど」
  「ちょっと相談があって」

私は何て返事をしているのだろう。どこかへ向かって歩いている途中で
「今はだめ」とつっけんどんに答えているのかも知れない。母の落胆
した様子が窺えて少し悲しかった。

  ********

ちなみに、私の声はうんざりする程残ることだろう。何しろパソコンの
中に音訳データが山のようにあるのだから。 

 


95歳の伯母、逝く

2019年02月26日 | 母と伯母

午前10時、ホームの看護師さんから電話。昨日から食事だけでなく
薬ものどを通らなくなったとのこと。「少し早まるかもしれません」
という言葉が、時間単位のペースで現実のものになるとは、私は
もちろんプロ
にすら予想外のことだった。

同じ日の午後2時、呼吸が止まっているという連絡を受け、取るもの
も取り敢えずうちを飛び出した。とはいっても、伯母の暮らす老人
ホームまでは2時間かかるのである。

  電車に揺られながら考えていた。おばさま、よくがんばった。
  95歳は
天寿だと思う。きっと私の母が喜んで迎えてくれるで
  しょうから、天国で
姉妹仲良く語り合うといいね。

   *********

後見人として、やることがたくさんある。おまけに庭の白梅は満開…
すなわち苦手な夏の姿が見え隠れしはじめたということ。思わず
ため息の出る季節だ。

少し早いが、しばし店じまい。



食事介助

2019年02月10日 | 母と伯母

伯母のホームを訪問。昼食の真っ最中だった。いつものテーブル
ではなく、ミニキッチン脇の小テーブルに介護士さんと一緒だった。
食事の介助を受けていたのである。

前回訪ねた時には、まだ自分でスプーンを握っていたのだが……
1週間ほど前から全介助になったとのこと。同じテーブルについて
いる他の二人は静かに食べさせてもらっている。伯母だけがやたら
うるさい。

  「腰が痛い」 
  「部屋へ帰りたい」
  「横になりたい」

この3つをエンドレスに繰り返している。それでも、合い間には口を
ぱっくりと開けてスプーンを運んでもらっているから食べる意思は
あるんだね。介護士さんは「さあ、もう少し食べましょ。お部屋は
今掃除中なの。食べ終わったら帰りましょうね。次はこれがいいかな」
相手をしながら手際よく食べ物を伯母の口に入れる。

認知症ではないが、思考力が低下しているのは事実で、我慢もでき
なくなっているから、自分の思いをひたすら繰り返す伯母である。

    *********

この日は、ホームの訪問医師との面談があった。「衰弱といっても
よい状態になっている。切迫しているわけではないが、予想できない
死亡の
可能性も覚悟してほしい」という話。

95歳という年齢なりの自然な状態、つまり老衰病ということかなあ。
枯れ尽きて命を終えることができるのは幸せなのだと思いたい。でも、
そこへたどり着くために90年以上も生きなくてはならないとしたら、
けっこう辛い。


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裁判員

2018年12月05日 | 母と伯母

伯母宛ての郵便物をチェックしていたら、最高裁判所からの
ちょっと厚みのある封書を見つけた。そう、他でもない裁判員の
候補者名簿に登録されたという通知である。

「おばさま、当たっちゃいましたねぇ」とちょっとドキドキ。

もっとも、今の段階では候補者名簿に載りましたというだけのこと。
書類の中身は「調査票」で、辞退の意思の有無などを事前に調べる
ものだった。伯母の場合は、年齢を理由に堂々の辞退。

他には、裁判員を経験済み、重病である、まだ学生なので、育児や
介護の担い手なので……などなど辞退できる理由が挙げられていた。

候補者は毎年、20歳以上の選挙権を持つ国民の中からクジで
選ばれる。辞退をせず、選任手続きに出席し、最終的に裁判員に選ば
れるのは1万3500人に一人程度、確率にして0.01%だそうだ。

この制度が始まったのは平成21年。裁判員裁判第1号で裁判員を
務めた人たちが、記者会見に応じていたのを思い出す。もう9年が
経ったんだ。ひょっとしたら私も?という当時の緊張感はすっかり
薄れ、
裁判員に選ばれることなど一生ないんじゃないかなと感じ
始めて
いた。

だが、今回の伯母のことで、やっぱり他人事ではないぞと考えを
改めたところです。


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その理由

2018年05月14日 | 母と伯母

老人ホームを訪ねるたびに、伯母が決まって口にすることば。

  「忙しいでしょうに遠いところを来てくれてありがとう。
   私は子育ての苦労なんか何もしなかったのに、あなたの
   お母さんの代わりに、私の方がお世話になっちゃっ

   申し訳ないわねぇ」

いいえ、いいえ、母は最期まで伯母さまのことを気にかけて
いました。
だから、こうしてお訪ねするのは亡くなった母のため
でもある
んですよ。

私の答えはいつも同じ。本音である。そして、この本音はなんとも
他人行儀なものだなあと後ろめたく思う。
裏を返すと、私や妹が
伯母を訪ねるのは言わば仕事なのだ
。母の遺言を実行するという
義務を果たし、母の思いを裏切りたくない一心で通っている。

そんな気持ちを抱えているからなのか。

ホームでの伯母の暮らしが快適であるようにと願い、そのために
心を砕きはするけれど、抜きがたい仕事意識、埋めようのない
気持ちの距離に 時々疲れてしまうのだ。
   


「毎日」はない

2018年01月11日 | 母と伯母

今日は伯母のホームへの定期訪問。その帰り際、玄関ロビーで
70代くらいのご夫婦に話しかけられた。

   「毎日いらしてるんですか」

とーんでもないです、何せ遠いので、とつい言い訳口調になる。
毎日来られるご家族もいらっしゃるのかしら。ビックリついでに
尋ねてみた。

   「そういう方もいらっしゃるらしいですよ。私たちも
    遠いのでなかなか来られないんですけどね。
    神戸から
なもので」

ぅわ~、遠さのレベルが桁違いだぁ。ここは神奈川県の有料老人
ホームである。神戸からだったら2泊3日でもおかしくない国内
旅行並みの移動になるではないか。千葉県なんて遠いうちに入ら
ない
かも。

そして、ふと考えた。

仮に、伯母のいる老人ホームがとても近くにあったとしたら、私と
妹は毎日のように訪ねるだろうか。いや、たぶんどんなに近くても
毎日は行かないだろうな。伯母も決してそれを望まないに違いない。

伯母と姪との距離って、やっぱり微妙なのである。


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ほんの気持ち

2017年10月02日 | 母と伯母

探し物をしていたら、机の引き出しからポチ袋がたくさん出て来た。
亡くなった母からもらったものなのだが、いつのまにこんなに貯まって
いたのだろう。

父亡き後、ひとり暮らしを30年間がんばった母。私と妹は、折に触れ
母を訪ね、日常の用事を片付けたり、おしゃべりをしたり。年に一度は
一緒に旅行もした。

母は私たちに会うたび

  「来てくれてありがとうね。これ、お小遣いよ」

とポチ袋を差し出す。いいおとなが今さらお駄賃をもらってもなぁと
思いながらも、
やっぱり嬉しかった。お金が、というより母からお小遣い
をもらうという行為が何だか懐かしかったのかもしれない。

ザクザクと出て来たポチ袋、中身はそっくりそのまま手つかずである。
けっこうな金額になっている。

だが、今となってはとうてい使う気持ちになれない。なぜなのだろう。
嬉しかったり楽しかったり寂しかったり、その時々の母の思いが
こもった
お金だから…

そう、きっとそうに違いない。

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介護保険の更新

2017年05月24日 | 母と伯母

伯母の入居する有料老人ホームから介護保険の申請書類が届いた。
2年に1回の更新時期が近づいたので、保証人の私が書類を作成して
役所の窓口へ持って行かなくてはならないらしい。

「めんどくさいよ~」というのが本音だが、やるべきことはさっさと済ませる
というのが私の方式である。伯母の住民票のある土地へ、書類を持って
出かけたのが昨日のことだった。

だが、役所の窓口で いきなりのノックアウト。

   「介護保険証の有効期限が7月31日なので、更新申請の
   受付はその60日前以降、つまり6月1日からなんですよね。
   申し訳ないのですが、本日受理するわけには行かないんです」

担当のおじさんが済まなそうに説明してくれた。
ぅわ~、やってしまった。早ければいいってもんじゃないのね。日を
改めて
再度2時間の距離を出直せってこと? 自分の勇み足を棚に
上げ、
思わず恨みがましい目でおじさんを見る。

   「遠いですよねぇ。では郵送で結構ですから、6月に
   なったら
送ってください」

本来、郵送でも良いものなのか、それとも特例扱いなのかは分から
ないが
、やれ助かったというのが、その時の私の心境。切手を貼ら
なくてもよい
役所宛ての封筒をもらい、しおしおと帰路についた私
でした。

無駄足って、ものすごく疲れます。

 




伯母のリクエスト

2017年05月04日 | 母と伯母

伯母が入居している有料老人ホームの担当ケアマネージャーさんから
電話である。

   「実は伯母さまからお言伝がありまして。次回おいでになるとき
    本を持ってきてほしいそうで…」

   「はい、そのつもりです。いつも見繕って何冊か持参しますので」

   「実はリクエストが…。『ツバキ文具店』をお願いとのことです」

小川糸の作品だ。NHKでドラマ化の真っ最中。我が家でも夫婦で
毎週楽しみに視聴している。だが、テレビは一切観ることのない伯母が
このタイトルをどこで知ったのだろう。

あ、とすぐに気がついた。新聞に紹介されていたんじゃないかな。購読
契約をしている
新聞を、すみからすみまで読む、というのが日課の伯母
である。あらすじを読んで面白そうだと感じたのに
違いない。

伯母の方からタイトルが指定されるなんてめったにないことだから、
私も張り切ってさっそくネットで注文した。まだ文庫にはなっていない
ので重たいハード
カバーになるけれど仕方がない。93歳の伯母に
とっては読みたい時が手に
入れるとき---だものね。

ちなみに、市の図書館の貸し出し予約人数は157人! 人気図書なんだ~

    *****************

後日談である。

   「伯母さま、お待たせ。ご所望の『ツバキ文具店』持ってきましたよ!」

   「え? 何? そんな本頼んでないけど」

オ~イ、それはないよ~。せめて 「あら、頼んでたっけ? 忘れてたわ」 ぐらいは
言ってほしかったです。



 

 

 


訪問医

2017年03月11日 | 母と伯母

伯母が入居している有料老人ホームでは、複数のクリニックと訪問
診療契約をしている。その中で、定期的に伯母を診て
くれている
O医師とは、伯母の部屋で何度か会ったことがあり、まあ
面識のある
間柄だ。


先日のこと、Oクリニックとの訪問診療契約を終了するという書面が
ホームから届き、その内容に驚いた。入院加療中であったO医師が
亡くなったというではないか。

妹にそのことを知らせ「医者の不養生っていうけどねぇ」と互いに
しみじみとしてしまった。声の大きな、恰幅のいい先生だったなあ、
などと
思い出しながら、改めてホームからの書面を読み直した。

そして、気がつくのである。O先生、亡くなったんじゃなかった!
「入院加療中」まではホント。そのあとに、亡くなったというフレーズを
私ったら勝手にでっちあげてしまったのだ。うっかりにも程があるよ~。

大急ぎで、妹に訂正のメール。O先生、申し訳ない。全快を祈って
いますから。

こういうおっちょこちょい、実は初めてではありません。凝りない私。

 


復活の伯母 Ⅱ

2017年02月22日 | 母と伯母

伯母のホームを訪ねた。私の目には以前の元気が戻ってきている
ように感じられる。退院直後の刻み食は、不味いと
言ってほとんど
食べなかったらしいが、普通食になってからは食欲が
出てきていると
いうしね。

美味しいものが食べたい。デパートから送ってね。ちょっとしたお菓子も
常備しておきたいからお願いよ。ハイハイ、承知しました。

ベッドから車椅子に移ると言うので、私の首に両腕を回させ、ヨイショと
持ち上げ移乗させた。伯母さま、ひょっとして軽くなった? 以前に較べて
ラク~に抱き上げることができたからアラッと思う。

それもそのはず、帰り際、ケアマネさんから聞いて納得である。

  「入院前と比べて体重が5キロ少なくなられたんですよ」

5キロ減ったのかぁ、軽かったはずだ。病院では一ヶ月近く点滴だけ
だったんだものね。でも、食べること---まあ美味しいもの限定かもしれ
ないけど---への意欲が戻ってきているから、すぐに増えることでしょう。

退院のとき医師から言われた「次はないですよ」の言葉、伯母に限っては
外れたような気がする。


「次はない」と言われても

2017年01月30日 | 母と伯母

一ヶ月の入院を経て「治癒に近い状態」となった伯母、ようやく退院である。
「退院したら、私どこへ帰るの?」と不安げではあったけれど、戻ってしまえば
大勢のスタッフやお友だちに迎えられて上機嫌。

伯母のホッとした表情を見て、まずはめでたいと思った。

さて、退院に先立って主治医から受けた説明が、喉の小骨のように引っか
かって
いる。

  「かなり危ない状態から、今回は何とか引き上げましたが、
  次はないかもしれません。肺炎と心不全はいずれ繰り返す
  でしょうし、そうなったときにまた、入院して強い治療をする
  というのは年齢的に見ても無理だと思われます…

  ご本人にとっても、つらい思いをさせるよりは看取りの方向で
  考えるのがいいのでは。その辺り、ホームとよく相談してください」

症状が再発したとして、今回と同様に救急搬送、入院という方法を選ぶのか、
それとも、苦しい症状を緩和する処置が取れるならホームにとどまった方が
いいのか、という選択の問題なのだろう。

幸い、伯母が入居しているホームは、医療的な処置を行うことが可能な施設。
住み慣れた場所でストレスなく最期のときを過ごせるなら…と思わなくもないん
だけどねぇ。

その見極めをいったい誰がつけたらいいんだろう。 イチかバチか本人に
訊いてみるという手もあるけど…うーん。


ああ、娘

2017年01月25日 | 母と伯母

伯母の病院へ面会に行き、休憩ラウンジで一息ついていた。

隣りのテーブルにいるのは、入院患者であろう かなり高齢の車椅子の
女性と、その面会人らしい中年の女性。

  「困ったねぇ、こんなになっちゃって。どうしたらいいんだろう」

  「………」

  「困ったねぇ。どうしよう。あなたに面倒見てもらうしかないよね」

  「………」

しきりに不安を訴える車椅子に乗った白髪の女性。それを不機嫌な表情の
まま聞き流している相手の女性。やがて、いささか切れ気味に投げ返された
言葉は--------

  「仕方ないでしょ! こうなっちゃったんだから。グダグダ言わない!」

ああ、実の娘さんなんだと納得である。こんな態度を取るのはヘルパーさん
ではない。お嫁さんでもないだろう。娘だからこそ、うんざりもできるし悪態も
つけるのよね。そして、娘なればこそ、一生懸命に母親を支えるに違ないのだ。

   **********

母との日々が蘇る。わがままだなあと思うことがいくつもあったし、言い争い
になることも一度ならず。それでも、母のためなら できることは何でもやろう
と心に決めていたあの頃。

今、伯母のことであれこれ動きながらも仕事意識が抜けない。「頑張って
いるのは『お姉さんを
お願い』というお母さんの遺言があるからなんだよ」
と心の中でつぶやく。


 

 

 


ローテーション

2017年01月04日 | 母と伯母

新年が明けて3日目は、弟が伯母を見舞ってくれた。

その前日 「三日にあなたが行ってくれたら、私は五日か六日に行けば
いいから助かるわ」とメールを送ったら

   「同じ日でもいいんじゃない? 病院で落ち合って食事でもどう」

と言われた。うーん、それはちょっと。先はまだ長そうだからなあ。面会は
質より量で
いきたいところなのだ。毎日は無理としても、妹とローテーション
を組んで
2,3日おきには顔を出せるように段取りを考えているからね。
妹は2時間半、私は2時間かけて行くんだってこと、弟が忘れているわけ
では
ないと思うんだけど。 

まあね、この温度差は仕方のないことではある。伯母の実妹である私たちの
母が、くれぐれも
よろしくねと伯母を託したのは、息子ではなく2人の娘たち
だったのだから。

母は一人息子である弟をいちばん可愛がっていたけれど、実働面で頼るのは
私と妹だった。「持つべきものはやっぱり娘でしょ」と言ったら、微妙な顔をして
いたけど。

伯母は不死鳥のごとく蘇り、元気に(というのも変だけど)入院生活を送って
いる。妹と私の病院通いはまだしばらく続く……。

 


復活の伯母

2016年12月29日 | 母と伯母

入院3日目の伯母を妹が見舞ってくれた。

  「しっかり目覚めていたわよ。新聞を読みたいって
  言うから売店で買ってきた」

これにはかなり驚いた。最初の二日間はひたすら眠り続ける姿だった
ので、このまま逝ってしまうのではないかと恐ろしかった。

医師の説明も悲観的だったのだ。心不全から来る胸水の溜りや全身の
むくみが
ひどく、こんな状態でよく生きていられるというほど切迫して
いる と言われた。
そして 「中心静脈カテーテルによる治療」がすぐにも
必要と、同意書にサインを求められた。

それが功を奏したのだろうか。3日目にして復活の兆しである。
やっぱり伯母は強運の人なのだ。受けた治療がストレートに効果を
発揮する幸せな体質なんだろうな、きっと。

あきれ顔の妹によれば、

   「伯母さまったら、看護師さんに『新聞を取れないかしら』って
   頼んだらしいわよ。『だめだって言われちゃった』ですって」

活字なしではいられない人なのよね、と笑い合った。このまま快復への
道を進んで行ってくれたらと願う。