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日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

人生の海の嵐に

2012-04-29 14:50:51 | メッセージ
宣教 使徒言行録27章1~44節 

人生はよく船の航路にたとえられますが。私たち一人ひとりにそれぞれの人生行路というものがあるでしょう。その旅路はいくつもの港を経由しながら順風満帆日々もあれば、時に予期せぬ嵐に遭い、荒波にもてあそばれるかのごとく思えることもあるかも知れません。その時私は何を頼りに、又何を指針としていけばよいのか?神さまは聖書という羅針盤を私たちに与えていて下さいます。今日も御言葉から生きるべき人生の行路を尋ねてまいりましょう。

本日の箇所はパウロたちを乗せた船が暴風に襲われ、難破し、マルタ島に打ち上げられていくという実にスリリングで、波乱に満ちた出来事が記されています。使徒パウロは3度の伝道旅行の後、エルサレムで捕えられ、船でローマに護送されることになります。このローマを目指して出港した船は一般の都市に寄港していたことから、民間の船舶であったようで、それも暴風にあった時には276人が乗っていたとありますこと
からかなり大きな船であったようです。船長や船員をはじめ、多くの一般の乗客もいたのでしょう。これにローマに護送される囚人たちと兵隊たちが加わります。この囚人たちの中にキリストの福音を伝えるがゆえに捕えられたパウロやアリスタルコ、又名前は時に記されていませんが、この使徒言行録の執筆者であるルカがいました。それ以外にも複数の他の犯罪人たち、中には死刑に処せられるためだけにローマに護送される重犯罪人たちもいたのでしょう。実にローマに向けて船出したその船には、このように多様な人たちが乗船していたのです。

この27章を読みますと、そのように様々な人々の中にあってキリスト者として生きるパウロたち信仰者の姿勢と働きに焦点があてられていることがわかります。そこにはキリスト者が荒波の中でどう生きるのか、そしてその生き方が周りの人に及ぼす影響についても記されています。彼らはこの時囚人としてそこにいたのですが、その命の危機ともいえる事態にさらされながらも、彼らの態度は何と自由なのでしょうか。恐怖に囚われてただ慌てふためき、乗客を見捨てて逃げ出そうとする船員たちや囚人たちの逃亡を恐れて皆殺しにしようとした兵隊たちの姿と、それは対照的でした。もちろんパウロたちに全く不安や恐れがなかったとは思えません。けれども、彼らはその厳しい状況の中におかれても、十字
架の苦難と死から復活された主を信じ、その主に望みをかけ、キリスト者としてその状況を生き抜いたのです。彼らは暴風の中で主の御声に聞いていました。そして聞いた言葉に信頼していたのです。
 私たちの人生を押し流そうとするような大波、先の見えないような暴風の中で、どう生きるか。その時私たちの信仰がほんとうの意味で問われます。蓄えられた御言葉、主の御業を見るには忍耐と祈りも又必要でしょう。そこに同じく乗船している兄弟姉妹の存在が助けとなります。励まし合いと祈り合う中で、互いに力づけられつつ、人生の行路を渡っていきたいものです。

ここに記されたパウロらの働きと行動でありますが。それは祈りと聖霊の導きのもとでなされていったことがわかります。彼らは22節「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」25節「皆さん、元気を出しなさい。わたし
は神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」と、自分たちに命の危機が迫っていたにも拘らず、乗船している一人ひとりを励まし、アドバイスをして元気づけます。これはただ人情や気力だけで出来ることではありません。そこには、主が必ずや共におられる、という平安が彼らのうちにあったからこそ、発することのできたメッセージと言えましょう。
 使徒パウロはコリントの信徒に宛てた第二の手紙の冒頭でこう記しています。「神はあらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」
主にゆるされ、生かされ、愛されているその慰めの体験が、隣人への執り成しの祈りや励まし、アドバイスとして発せられていったことを、心に留めたいと思います。

さて、パウロは「わたしに告げられたことは、その通りになる」と語っていますが。それは、具体的に「乗船する276人の誰一人として命を失う者はない」ということでした。主の約束の言葉を確信したパウロは、その約束が実現されるため行動します。
彼はまず、人々の間に立ち、神さまからの希望のメッセージを伝えます。又、船員たちが船から小舟を海に降ろし乗りこんで逃げようとした時、百人隊長や兵士たちに向かって、31節「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたたちは助からない」と、警告を発しました。もし、この後の航海に船員たちが不在となれば、誰も命の保証はなかったでしょう。「誰一人として命を失う者はいない。」それは276人がそろって力を合わせて生き延びるということでありました。
また、パウロは乗船する人々に対し、「どうぞ、何か食べてください。生き延びるために必要なのです」と言って、一同に食事をさせ、元気づけました。不安の中でも、顔と顔を合わせながら食事をするという行為は、人に生きる力を起こさせた事でしょう。ここにも「誰一人として命を失う者がない」との主の約束に、応えて生きるパウロの姿があります。

毎年1月から2月にかけて釜キリスト教協友会が計画し行われる路上生活者への越冬夜回り活動に、私も参加させてもらっていますが。そこでの合言葉が「路上で一人も凍死者(命を失う者)を出さない」というものなのです。パウロが天使のみ告げを聞いて一同に語った「誰一人として命を失う者がない」との言葉とそれが、私に重なって響いてまいりました。厳冬のための凍死、又アルコール中毒でそのまま路上で命を失うことなど、主の御心ではない。きっとそうです。

さて、このパウロが天使から聞き、一同に語った「誰一人として命を失う者はないのです」との御言葉の確信は、船の難破という事態によって、大きく揺さぶられることになります。
船尾が激しい波で壊れ出した時でした。兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、全員を殺そうと計ったのです。ほんとうに緊張した状況です。
 ところがそこに、百人隊長が出てきて「この計画を思いとどまらせた」というのです。
それは囚人の一人であった「パウロを助けたいと思った」からだと記されています。
この百人隊長は、暴風に襲われた時に、パウロがその事態にも翻弄されることなく神の言葉に聞き従い、確信をもって指示や行動し、又乗船する人たちを励まし、力づけていった姿をずっと心に留めていたのでしょう。そのパウロのうちに息づく神の霊、命への熱い思い、生きる希みを持って皆を励まし元気づけていったその姿に、心動かされたのではないでしょうか。
かくして、百人隊長は、「泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令し」、276人全員が無事に上陸したとあります。
このようなかたちで、神さまのご計画は「そのとおりになった」、というのであります。
想像しますに、最後の一人が陸に上がったことには276人のうちに立場を超えた強い絆が生まれたのではないでしょうか。

この聖書の記事は、嵐に遭遇した船の中という非常に厳しい状況下にあって、神の御心に生きるキリスト者が、主の御声に聞いて行動した。そのことを通して人々の間に互いに信じ合う関係、又生きることへの希望と信頼が生まれていった。そのような物語であるといえるでしょう。
しかしここには、さらなる神さまからの大きな福音のメッセージが秘められているのではないでしょうか。ヨハネ3章16節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ここには神さまの大いなる御業、十字架の苦難と死を通してもたらされた救いの完成を読みとることができます。
私たちはこの大阪教会といういわば福音の船に同船しているのです。ここに新来会者、求道者の方、あるいは私たちのそれぞれの家族、友人が同船してこられることもあるでしょう。実に多様な人たちがこの船に乗って来られ、主はその誰一人としてその命が損なわれることがないように切に願っておられる、ということです。
私たちも人生の海の嵐のような事態に遭遇し、押し流されるばかりになるということがあるかもしれませんが。そこで、しかし究極には神さまの御手のうちにおかれているのだという確信と信頼をもって、主のご計画に参与する器とされてまいりましょう。
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自由と解放の賛歌

2012-04-22 16:37:06 | メッセージ
宣教 使徒言行録16章6~34節

① 断念と自由
本日は使徒言行録16章より「賛美による力と解放」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。この箇所はいわゆるパウロの第二回伝道旅行についての記事でありますが。この旅を通してイエスさまの福音が小アジアを越え、ローマのマケドニア地方にまで伝えられることになったということであります。そこへ至る道のりは、不思議な主の導きとしか言いようのないものでした。6節にパウロらはアジア州で御言葉を語る事を、聖霊から禁じられたとあります。それで彼らとしては止む無くフリギア・ガラテヤ地方を通っていきます。ところがその途中のビティニア州に入ろうとしたところ、イエスの霊がそれを許さなかった、というのです。それでまたも止む無くミシア地方を通ってトロアスに行くのでありますが。つまりそれは、パウロが頭に描いていた当初の計画が、全く思う通りに運ばなかったということです。そこには、まあ環境や気候の問題、あるいは健康上の問題もあったかも知れませんが。ともかく「聖霊とイエスの霊によって」、パウロらが最善と思っていた計画が一度ならず二度までも閉ざされてしまうのです。
しかしパウロは辿り着いたトロアスの地で、その夜マケドニア人が立って「マケド二ア州にわたって来て、わたしたちを助けて下さい」と願う幻を見るのであります。それで、すぐにマケドニアに向けて出発するのでありますが。パウロはそこで、実にこのマケドニアで福音を伝えることが、神さまのご計画であると確信するに至るのです。
 
私たちはよかれと思って様々な計画を立て、実行しようとします。ところが、しばしば私たちの計画と神さまの計画が異なることがあるのです。神さまが最善の結果をもたらすために私たち人間の計画した道を閉ざされ、新たな道備えをなさる、ということがあります。道を閉ざされると人間の側は非常に困るわけですが。時を経て振り返った時に、初めて「これは神さまのご計画だったのか」と気づかされる。そういったご経験をみなさまもお持ちなのではないでしょうか。今日のこのパウロでありますが、彼は異邦人伝道に使命観を持ち、この旅を計画しました。ところが、彼の願っていた道は阻まれてしまいます。
彼なら多少の困難や妨害があっても、それを乗り越え遂行する意思の強さを持ち合わせていたでしょう。それを実現するためなら忍耐強く何日でも待ったでしょうし、問題解決のために尽力したことでしょう。彼は自由にそうすることができたのです。
しかし、あえてそうしなかったのは、彼が祈りのうちに常に主の御心を尋ねつつ、行動する人であったからです。その祈りの中で聖霊ご自身が禁じられているようだと思った時に、パウロは自分の計画を放棄し、神のご計画に従う道を選んだのです。それがパウロの自由でした。
普通、自由と言いますと、自分の思いどおりにできるとか、人に左右されないという意味です。が、パウロの自由は、主の思いのまま自分が用いられていくところにありました。そしてそれは、たとえ状況や現状が変わろうが、それに囚われない、又自分の思いや考えによる計画は持っていても、それに囚われない。そういった自由であったということであります。主がなしてくださる事、主が導かれることにどこまでも信頼をし、望みをおいて歩む、それこそが彼の人生の指針でした。

② フィリピでの福音伝道
さて、そのような導きを経てマケドニアのフィリピでは紫布を商う婦人ルデアとその家族が救われるなど、フィリピでの福音伝道は功を奏していきます。
ところが、占いの霊にとりつかれた女奴隷が彼らの後を追っかけてきては、「この人たちはいと高き神の僕でみなさんに、救いの道を宣べ伝えているのです」と叫んでまわり、そういうことを幾日も繰り返すので、さすがにパウロもたまりかね、彼女にとりついている悪霊に命令し、追い出しました。
そうしたところが、この女奴隷を所有していた主人たちは、金もうけの望みがなくなったことを知り、パウロとシラスを捕え、役人に引き渡すために広場に引き立てていってしまうのです。そしてパウロとシラスを、ローマ市民に違法な風習を宣伝している不穏な外国人として訴え、群衆も二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、下役に命じて鞭で何度も打たせ、足かせをはめて一番奥の牢に入れて、看守に厳重に見張らせたというのです。まあ、パウロとシラスにはとんだ災難であります。
牢の中で、二人は足かせをはめられたまま身動きがとれないような状態でした。身体は腫れあがり傷みながら、これから一体どうなるのかと、不安がなかったといえば嘘になるでしょう。けれども、それにもかかわらず彼らはそこで賛美の歌をうたい神に祈っていたというのです。主に従い望みをおく彼らは、真夜中のような状況の中で、牢の一番奥の月の光さえ届かないような現状の中で、なお賛美の歌をうたい、依り頼む神に祈り続けていくのであります。そしてその賛歌は牢の中にいた他の囚人たちにも響き渡りました。囚人たちは彼ら二人の賛美のうたに聞き入っていた、と記されています。
二人は確かに足かせをはめられ身動きが取れず不自由な状態であったわけですが。その魂は実に自由であり、解放されていました。権力も何者も彼らのその自由を奪うことは出来ません。その彼らの賛歌が囚われの身であった囚人たちの魂にしみわたっていきました。霊的な賛美の歌は、実に人々の魂深くにまでしみわたり、慰めと勇気を与え、時に厳粛な響きをもって御神の存在を指し示すのであります。

さて、そのような賛美と祈りの中で、突然を大地震が起って、牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまう、という驚くべきことが起こります。
目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとします。彼は囚人が逃げた責めを自分の命で償おうとしたのです。すると、そこにパウロが現れて「自害してはいけない。わたしたちはみなここにいる」と大声で叫ぶ声を聞くのです。看守は、明りをもって来させて牢の中に飛び込み事実を確かめると、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏しました。パウロとシラス、さらに他の囚人たちまでも、逃亡する者は誰もいなかった。その機会と自由があったにも拘わらず、彼らは逃げ出さなかったのです。逃亡しないという自由を選んだのです。
聖書には、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8章32節)
「主の霊のおられるところに自由がある」(Ⅱコリント3章17節)と記されています。

現代に生きる私たちは、この日本において自由に考え、自由に発言し、行動することができます。しかしほんとうの自由を知る人、その自由に生きる人は、どれくらいいるといえるでしょうか。真理の御霊はほんとうの自由というものを私たちに教え、与えてくださいます。

ところで、この看守はこの出来事をとおして、驚きと共に神への畏れの念を抱いたのではなかったでしょうか。恐らくこの看守も地震の前、パウロやシラスたちが神にささげる賛歌を聞いていたでしょう。でもその時点では、まだその示すところを知るよしもなかったでありましょう。が、こうして地震の後の状況を通して、それは又パウロとシラス、他の囚人たちの態度を通して、「生ける真の神はおられる」と、そういう聖なる畏れ、悔い改めへと招かれるのであります。この獄中からの賛歌を通して、看守は真の自由と解放の人生を知るのであります。
看守はそのパウロとシラスに言います。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」。囚人たちは逃亡しなかったのですから、もう彼は責任をとる必要はなかったのです。けれども、自分の魂の救いがほんとうに必要であることに気づくのです。
二人は彼に答えます。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。
この「主イエスを信じなさい」の意味するところは、「イエス・キリストをあなたのまことの主人としてお迎えし、あなたの人生をこのお方にゆだねなさい」ということです。真の生ける神、そしてイエス・キリストの救いの福音を、彼はどういう思いで聞いたことでありましょう。又、二人は「あなたの家族も救われます」と言っていますが。その救いの福音は個人に留まるのではなく、その家族にまで、祝福をもたらすものとなったということです。先に登場しました紫布を商う婦人リディアもそうでした。彼女を通して、その家族にも福音が伝えられ、さらにフィリピの人々へと救いのみ業が広がっていきました。キリストの救いの福音は、個人的な出来事ではありますが、その家族や地域の共同体や社会にまで影響を及ぼす力を秘めているのです。

③ 最後に
このフィリピでの宣教において、前半のリディアとその家族に救いがもたらされていく出来事などは、まあパウロとシラスにとっても計画どおり、願い通りのことであったでしょう。しかしそれとは逆に、自分たちの思いもよらない出来事や災難に遭遇するというような事態が生じます。それも同じフィリピでの宣教においてでありました。投獄され監禁状態となった時、まさに伝道はそこで終わったか思えますが、全くそうではなかったのです。彼らは暗い牢にあって、賛美を歌い、神に祈りをささげ続けました。まさに福音はこの真夜中の牢獄の中で光を放ち、御救いが起こされていったのです。「時がよくても悪くても御言葉を伝えなさい」と、聖書のお言葉がありますが。このような困難な中で、イエスさまの福音が力強く証しされ、まったく思いもよらぬ仕方で、看守とその家族が主を信じ、救われていくのです。
 まさにそれは、主の霊の自由なお働きによるものであります。私たちも人間的に苦しくて、しんどい状況におかれる時があります。しかし、なお十字架と復活の主は、そのあなたと共におられるのです。この主に、いかなるときも賛美の歌と祈りをささげる、自由と解放の賛歌を歌いつつ、共に歩みゆく者とされてまいりましょう。
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聖霊の力と働き

2012-04-15 11:43:23 | メッセージ
宣教 使徒言行録13章1節~12節 

本日は使徒言行録13章1~12節より、「聖霊の力と働き」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。
この13章は、シリア州のアンティオキア教会から世界宣教が始められた箇所であります。
そしてその働きのためにバルナバとサウロが立てられ、派遣されるのであります。これがいわゆる使徒パウロの第一回目の宣教旅行になるのですが。聖書の後ろの付録7に、その旅の行程図が記されていますのでご参照くださればと思います。本日の箇所はキプロス島における宣教で、その東部サラミスと西部パフォスでの記事であります。

まず、この二人を世界宣教に送り出す母体となったアンティオキア教会のことでありますが。本日の記事以前に、8章でフィリポがエチオピアの高官にイエスの福音を伝え、彼がバプテスマを受けたこと、又10章でペトロが百人隊長コルネリウスとその家族に福音を伝え、聖霊が降り、異邦人にも聖霊が降って救いが起こされていくという出来事がありましたが、まだ国や人種を越えたキリスト教会は存在していませんでした。その頃ユダヤでの迫害によってフィニキア、キプロス、アンティオキアにまで散らされたキリストの信者たちがいたのですが、彼らはその逃れの地において福音を伝え、救い主を信じる異邦人たちの数が多くなっていったのです。やがてエルサレム教会は聖霊と信仰に満ちたバルナバをアンティオキアに派遣するのでありますが、彼はタルソスでサウロ(後にローマ名でパウロ)を見つけ出し、二人はアンティオキア教会で丸一年多くの人を教えたと、使徒言行録11章に記されてあります。
本日の箇所13章冒頭に、「アンティオキア教会にはバルナバ、ニゲル(ラテン語:皮膚が黒い意)と呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた」とあります。バルナバはキプロス島出身、シメオンは二グロの名が示すとおりアフリカ出身、キレネのルキオはエジプト出身、マナエンはヘロデ王と一緒に育った者、そしてサウロは小アジアの出身と、ほんとうに様々な国や立場を越えた人たちが預言をなし、教えて、アンティオキア教会が形成されていたことが分かります。その中でバルナバとサウロは特に教会の中心的なリーダーであったのです。

さて、その5人のリーダーたちが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当らせるために」と、告げたというのです。礼拝し、断食していたということですから、彼らは何がしか新たな宣教のビジョンを切に願っていたのかも知れません。そこで彼らが祈っている中に聖霊は新しい計画をお告げになるのです。
けれどもどうでしょうか。バルナバとサウロはアンティオキア教会にとって中心的なリーダーであり、教会のこれからのために大切な役割を果たしていくはずの存在です。他のリーダーたちもいたわけですし、人間的に思えば二人には大きく成長するアンティオキア教会に留まって欲しかったに違いありません。しかし、ここで「聖霊が告げた」とあるように、人間の思いや考えによるのではなく、聖霊がバルナバとサウロが選び出したのです。それは何か彼ら二人の自分が行きたいと立候補してなったということではなく、神のご計画が二人をキプロス、小アジア、ローマ・ギリシャ世界に福音を伝える使者として選び、送り出したのであります。これから一体教会はどうなるのか?リーダーたちに痛手や不安の思いが少なからずあったのではないでしょうか。けれども、「彼らは、断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」とあるように、主の御手の働きに自分たちを委ねました。
こうしてアンティオキア教会は福音の使者を送り出す世界宣教の拠点となっていったのです。それは、派遣した教会も又、派遣される二人のために祈り、支え続ける尊い働きに召されたという事でした。バルナバやサウロはそういう背後からの祈りと支えによって主の働きをなすことができたのであります。そういった派遣する側と派遣される側の霊的なつながりを通して、益々豊かに主の福音がもたらされ、分かち合われていったのであります。

先日、ルワンダでミッションボランティアとして尊いお働きをなさっておられる佐々木さんご夫妻から、お礼状が連れ合いに届きました。それも連れ合いが「ルワンダに送った手紙はどうなったのかなぁ」とベランダで洗濯物を干していた時に思い起こしたその後に、丁度ルワンダからの郵便物が届いたというのです。それは昨年関西地方連合社会委員会主催で行われた平和祈祷集会の時に、子どもたちが平和の願いをこめたタペストリーを作ってルワンダに送った、その返事の手紙でした。うれしいお礼の言葉と共に、現地の少年少女たちが贈られたタペストリーを持って写っている写真がそこに入っていました。それを私も見せてもらった時、何かとっても心豊かにされましたね。ルワンダという遠い国のお働きなのに、それが何かとっても身近な事がらとして改めて感じられました。
わたしたちの地方連合や連盟の諸教会、又、神学校や世界宣教の事柄に関心を寄せ、その働きのために祈り、覚えることを通して、さらにさらに信仰の視野が広がり、豊かにされていく、そういう出会いや発見は真に素敵な主のみ恵ではないでしょうか。

またちょっと話がとびますが。歌人の穂村弘さんという方が新聞のコラムに「幸福を感じていますか」という問いに対して、次のこのような事を書かれていました。「先日、新幹線に乗ってスマートフォンでインターネットを見ようとしたらつながらなかった。「変だな」って思ったらトンネルの中でした。出るまでたった十数秒だったけれど、自分がものすごくイライラしているのが分かり、我ながら異様な感じがしたんです。だってトンネルを掘るのはすごく時間がかかるでしょう。新幹線を通すのだって、ネットを世界につなげるのだって、時間がかかった。僕はそのどれにも参加していないのに、「お客様」として、その膨大な時間の成果を自由に使えるわけです。新幹線の快適な席でコーヒーを飲みながら、ちっちゃなスマートフォンで世界中の情報を見ようとしている。夢のような状態のはずなのに全然幸福だと思っていなくて、これってすごいことだと思いました。お客様は無限にサービスされて当たり前だという感覚がいつの間にか細胞まで浸透している。そうすると、どんなに便利でも神様よりは不便だよな、となって、どこまでいっても満たされない。・・・中略・・・僕はもうお客様を降りたいという感覚です。」
わたしたちは主の福音が手元に届けられたことに喜びと幸せを感じているでしょうか。その恵みを当然受ける権利があるかのように、どこまでいっても満たされない人になってはいないでしょうか?連れ合いはルワンダまで船便の切手代僅か200数十円でタペストリーを送ったそうですが、それがきちんと遠いアフリカのルワンダにまでちゃんと届いたということに、私は改めて感動しました。今ならエアメールだと数日で届きますが。飛行機がなかった時代など考えられないことです。船便であれば、一体どれだけの人の労力と時間が費やされて、幾つもの海を渡り、大陸を渡り、国境を越え、人々の手を介してルワンダの現地に届けられていったことかと、思いますとやっぱり感動してしまいます。
わたしたちに主の福音が届けられるために払われてきた数知れぬ祈りと労力。献げられた犠牲、時間、お金。何よりもイエス・キリストがその命さえささげてくださった。その上に今の私の救いが、主にある平安がある。ほんとうに心から感謝したいと思います。

さて、今日のところはもう一つ「キプロスでの宣教活動」が記されています。
この地は銅山で有名だったことから銅という意味の「キプロス」と名付けられたそうです。
聖霊によって送り出されたバルナバとサウロはセレウキアの港からキプロス島に向け船出し、キプロス島東部の町サラミスに着きます。キプロスはバルナバが生まれ育った故郷でもありました。又、ユダヤの地で迫害にあって逃れて来たユダヤ人キリスト者たちが多く住んでいました。彼らはヨハネを助手にしてその地にあるユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせて廻りました。それから島全体を巡って西部の町パフォスまで行ったのです。キプロスは東西176キロ、南北80キロの大きさの島だそうですので、それを多分徒歩で廻ったことでしょうから、相当な時間を要したはずです。今なら車、交通機関もあるでしょう、数時間あれば島全体を巡ることもできるでしょう。が、しかし歩いて廻ることで、車では決して見ることのできない光景、出会いをバルナバやサウロら一行は経験したのではないかと想像します。大阪市内を知るのに環状線で一周すれば景色もそれなりに見えて便利です。車で要所を観光することもできるでしょう。そしてお好み焼きや串カツを食べれば大阪がわかったかと言えば、ちゃぁいます。やっぱり、そこでいろんな人との出会いがあって、いわば自分の足で歩いて初めて見えてくるもの、得るものがあるでしょう。
キプロスの島全体を歩きながら巡った彼らは、そういう出会いの中で福音を伝え、神の言葉を伝えていったのです。わたしたちは伝道という時に集会を開くとか、講師を招くとか、イベントをするとか考えます。それはよいのですが、まず日常の中で心をオープンにして、いろんな人と出会い、接し、話したり、食事を共にする、そんな出会いの中で、聖霊はすでにお働きくださっているのです。
また、彼らはユダヤ人の会堂において神の言葉を語ったといいます。神を礼拝するその所で一行は主の救いのみ業を日毎に告げ知らせていたのです。現代社会にあって日々追われるように仕事や生活しているわたしたちも、こうして主を礼拝する場にあって週ごとにキリストの救いの御言葉を戴き、主の愛と恵みを確認する。だからこそ霊的な信仰が保たれていくわけで、こうして礼拝の場に集ってゆっくり、じっくりと身をおいて福音の言葉を聞く時は欠かせないのであります。そうして改めて日々の日常の中に生きて働いてくださる主の臨在、くすしきみ業を見せて頂くことができるのです。

聖書に戻りますが、西部の中心地パフォスでバルナバとサウル一行はユダヤ人の魔術師、バルイエスという偽預言者に出会います。これは8節の魔術師エリマと同一人物と見てよいでしょう。彼は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明なキプロスの総督と交際していました。魔術師といえば如何にもまゆつば者、あやしげで得体の知れない者なわけですが。総督ともつき合いがあったように、社会的地位や権力とも結びついていたのです。それは総督の政治や行政、また人々の生活にも影響を及ぼしていたのでしょう。
彼は神の名を巧みにかたりながら、「主のまっすぐな道をゆがめ、人を真の神(信仰)から遠ざけようとしていた」というのです。この魔術師のその力と働き、それは何もこの時代に限ったことではありません。今日の時代にあってもこれと同様な力と働きが社会的な地位や権力、又利権と結びついて、人々の命や生活に影響を及ぼし、まっすぐな道をゆがめ、人を間化するような事態が起こっているといえないでしょうか。政治権力によって教育を統一化していく大阪市教育基本条例は「思想信条の自由」を侵し、人権を蔑ろにする魔術的な力と働きです。日本の学校には在日韓国朝鮮人の子孫たちも共に学んでいます。日本の侵略戦争の旗印と賛歌であった日ノ丸・君が代を、どうして掲げ・賛美することができるでしょうか。日本人としてかつての侵略戦争の歴史をきちんと学んだがゆえに、起立せず、歌わないで、在日の子どもたちの思いに寄り添おうとする教員たちを、どうして懲戒免職することができるのでしょうか。又、政治権力と電力会社の利権とが結びついた原子力行政の闇の部分も然りです。如何にそれが天地創造の神の恵みを損なわせ、人の道を曲げる力と働きであったかということを今さらながら深く考えさせられます。この大阪に住む私自身も原発によって電気を需要してきた者ですが、原発安全神話やこういった国の原発力行政に対して何ら関心もよせず、知ることせず、ぬくぬくと冷暖房を気兼ねなく使用し過ごしてきたことに対し、悔い改めを迫られています。

さて、「総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした」とあります。彼は賢明な人物であったようで、自ら権力や地位は確保しても、その魂の深いところに満たされたもの、幸福感をきっと得ることはなかったのでありましょう。バルイエスも所詮まやかしものでありますから、ほんとうに魂を満たす平安を総督に与えることはなかったのであります。世には占いや呪い、お守りやお祓いなど魔術めいたものがあふれていますが。そんなもので人は真の平安を得る事ができるのでしょうか。それは反って不安を煽り、神の与えたもうまっすぐな道をゆがめて真の平安から人を遠ざけるだけです。
まあそういうことで、総督はバルナバとサウロを招いて神の言葉を聞こうとします。そうなると魔術師エリマも、この二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけるため躍起になります。
すると、「サウロは聖霊に満たされ、『主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう』と魔術師に神の言葉を語る」と、たちまちその通りになったというのです。それはまさにパウロの力ではなく聖霊の力と働きによるものでした。聖霊がお働きになられる時、そこに大きな救いのみ業が起こされます。「総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った」。まやかしの言葉は力を失い、神の栄光が顕わされます。

最後になりますが、祈祷会で「サウロはちょっと厳し過ぎるんじゃないか。目が見えなくなるなんて」というご意見がありました。確かにそれは審きの言葉に聞こえるかもしれません。実はそれを口にするサウロ自身キリストへの迫害をしていた時、同様の言葉を聞き三日間光を失いました。しかし、復活の主はそのサウロを断罪することはなさいませんでした。逆にご自身を示され、悔いる彼の思いを救いの喜びで満たして、福音を伝える使徒に生まれ変わらせたのです。サウロは主の大いなる赦しを、身にひしひしと感じたことでしょう。それはまさに目からうろこの体験であったことでしょう。
サウロが魔術師エルマに、かつての的外れの生き方をしていた自分の姿と重ねたかどうかは分かりません。けれど、糾弾や断罪の裁きの言葉ではなく、「やがて時が来ると見えるようになる」という希望の予告を、聖霊がサウロをして語っておられるということです。つまり、エルマの的外れな生き方が悔い改めと主の救いを受けることで、新しく生まれ変わる時が来ることを願いながら、語られた言葉であるのです。

今日の時代にあっても人の罪をとおして悪魔的な力が働き、神ならざるものを神とするような、主のまっすぐな道をゆがめようとする力が働いています。その力や働きに対して、聖霊の力と働きを求めて、懸命に祈り続けなければなりません。
本日の箇所には3度「聖霊」の働きが記されております。一つは、「聖霊が告げた」。聖霊は単なる働きや機能ではなく、人格を持って働きになられるお方です。二つ目は、「聖霊によって送り出された」。バルナバとサウロの背後には教会の祈りと支えがありました。聖霊は教会の交わりと祈りをとおして働かれるのです。三つ目は、「パウロは聖霊に満たされた」。聖霊は主の福音に生き、その恵みを伝え、分かち合おうとする者を豊かに満たし、お用いになります。今も変わることなく生きておられる主のすばらしい「聖霊の力と働き」を、わたしたちも知り、今日もそれを経験することができるのです。主の福音の豊かな拡がりを、真心込めて、求めてまいりましょう。
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復活の希望

2012-04-08 16:07:39 | メッセージ
イースター宣教  ルカ23章55節~24章12節 

イースターおめでとうございます。
イースターはイエス・キリストの復活を記念する祝日であります。日本ではクリスマスのように盛大に祝われておりませんが、世界の23億人ともいわれるクリスチャンがクリスマスと並ぶ最大級の祝祭として多くの国々で祝われております。私どもは毎日曜に礼拝をいたしますが、それはイエス・キリストの復活が日曜の朝に起こったことから、その日を記念して礼拝を捧げているということです。ですから毎週日曜ごとの主日礼拝がイースターであるといってもよいでしょう。
今年のイースター礼拝は教会歴で4月8日ということですが。このイースターの日付は実は毎年異なっています。クリスマスなら毎年12月25日を軸にその前の日曜がクリスマス礼拝と決まっていますが。イースターは紀元325年にローマのキリスト教会公会議で、その年の3月21日(春分の日)から最初の満月(大潮)にあたる日曜日にすると取り決められたということです。それからずっとそれに従って決められてきたというのです。ですからイースターは一番早くて3月21日ですが、遅ければ3月21日から一カ月先にもなるのですね。今年は春が来るのが随分遅くなりましたが、丁度桜満開の中で、「主イエスが復活された記念の日」にふさわしく迎えることができました。
私どもの人生も時として長い冬のように感じられる状況におかれることもございます。けれども必ず時が来れば桜の花が咲き、穏やかで暖かい日が巡ってくる。イースターは「復活の希望」を呼び覚ましてくれる主の力強い励ましを頂く日でもあるのです。

そういうことで、本日は「復活の希望」と題し、御言葉を聴いていきたと思います。
まず23章55節~56節で「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後をついて行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ」とあります。

この婦人たちは弟子たちと共にガリラヤからずっとイエスさまに従って来た人たちです。彼女らはイエスさまが十字架刑によって息を引き取られる最期を、遠くに立って見ていました。アリマタヤのヨセフというユダヤの議員であり、神の国を待ち望んでいたとされる人物が、イエスさまの遺体を引き取って丁重にお墓に葬るのですが。婦人たちはその後について行き、この納められる有様を見届けました。そして、イエスさまの遺体に塗るための香料と香油を家に帰って準備したのであります。
この「イエスさまの十字架と復活」の肝心な時、そこにイエスの弟子たちの姿はありません。彼らに代わってそこにいたのは、イエスさまを慕ってやまなかった婦人たちでありました。彼女たちこそが、最初の主イエスの復活の証人であり、それを宣べ伝えた人たちであったのです。
さて、ユダヤの人々にとって安息日は金曜の日没から始まります。その間、歩く距離や行動も規制されていましたので、婦人たちは安息日が明けた日曜の夜明け前のまだ薄暗い時分に準備しておいた香油をもって、イエスさまの遺体が埋葬された墓に向うのであります。
「おくり人」という映画でよく知られるようになりましたが、日本でも亡くなった人の身体をきれいにしてあげて、女性ならお化粧をして丁寧に旅立つ準備を施してさし上げるという風習がございますが。この婦人たちはイエスさまが息を引き取られて3日も経っていましたけれど、香料をそのお体に塗るためにやって来たのでした。

私はここのところで「準備しておいた香料をもって」のこの「準備していた」という言葉が心に留まりました。イエスさまのために自分たちの成し得る最善の準備をしていた。それは彼女たちがどれほどイエスさまを慕っていたか、という思いの表れと言えるでしょう。
同様に「神の国を待ち望んでいた」アリマタヤのヨセフもそうでした。彼は議員という立場でしたが、その身分をも投げ打つ覚悟で勇気をもってピラトに、「十字架刑に処せられたイエスの遺体を渡してくれるように願い出て」許可を得るのです。彼もまた丁重にイエスさまを葬るための準備をなし、その遺体をまだ誰も葬られたことのない岩に掘られた墓に納めたのです。
婦人たちもこのヨセフも主イエスの愛と恵みを知る人たちでした。真理を喜び、神の国を待ち望んでいました。彼らが主イエスのためになしたことは世間からすれば理解不能な事であったかも知れません。けれどもそこに真心がこもっていました。感謝と愛が溢れていました。主の御前に礼拝する。主に奉仕やささげものをなす。心を込めて最善の準備を行う。きっとそれらの人々の思いを通して、主の栄光の御業が現わされることになるのであります。

さて、その婦人たちが墓に着くと、2節-3節「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった」のいうのです。
何ということでしょうか。ここ一週間婦人たちは予想もしなかった出来事にでくわしてきたわけですが、この奇妙な出来事にはさすがに驚き恐れたに違いありません。彼女たちは確かに墓に納められたイエスさまのご遺体を見届けたのでありますが、それが墓にないのであります。どれ程混乱をきたしたことでありましょう。まさしく想定外の状況です。しかし本当にそれは、彼女らにとって全く意味不明の出来事だったのでしょうか?
いいえ、実はイエスさまは捕えられるずっと以前から二度、三度と、御自分が「必ず多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活なさる」との告知をなさっておられたのであります。けれども、愛するイエスさまが無残な死を遂げ、墓に葬られる様を目の当たりにした時、もはや復活の約束の言葉はどこかへ吹っ飛び、脳裏に浮かぶことさえなかったでありましょう。
私たちはどうでしょうか。思いもよらない出来事に混乱したり、心配や不安で心が揺れ動く。頭をもたげるような重たい状況に気持ちが沈み、折れそうになる。自分の意志だけではどうしようもないそんな時があるのではないでしょうか。人間である以上私たちも又、途方に暮れることがあるのです。
そのように途方に暮れている婦人たちに輝く衣を着た二人の人がそばに現れます。恐れて地に顔を伏せる彼女たちに二人は次のように言います。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」。この二人は主の天使であったとみてよいでしょう。天使は「あの方は復活なさったのだ」と明言いたします。そして「ここにはおられない」。つまり、もう死者の中にはおられないのだ、と言うのです。唖然とする婦人たちに天使はなおも続けます。「あの方が、まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」。

8節「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した」と記されています。
天使がイエスさまのお話になったことを思い出すように促したこと。それによって婦人たちが「イエスさまの言葉を思い出した」ということに重要な意義があります。
確かに、この婦人たちは弟子たちと共にガリラヤからずっとイエスさまに従う中で、幾度もご自身の受難の予告と復活について聴かされていたのです。けれどもその時はまだ成就していませんでしたから、そのお言葉の真意が理解できませんでした。御言葉は受難と死を経、三日目に主イエスが復活なさることによって成就したのです。そこで初めて婦人たちはイエスさまのお言葉を思い出し、イエスさまがかつておっしゃったとおり、真に「復活なさった」と、確信するのです。しかしそれは肉眼で復活されたイエスさまを見ることではなく、霊の目でもって復活された主イエスを確認するということです。
復活後エマオ途上の弟子たちに現れなさった時もそうでした。主は彼らと一緒に歩いていかれますが、弟子たちはそれが主イエスだと分かりません。ところが主イエスと一緒に食事の席についた時、パンを裂いて渡された時に、目の前におられる方が主イエスだと分かった。その瞬間もはや彼らの目にイエスさまの姿は見えなくなります。彼らは主が道で話しておられたことを思い出し、霊の目が開かれて、イエスさまが復活されたことを知ったのであります。
実はこのようなことは、御言葉に聴き従って生きる私たちも経験していることです。
先に述べましたような状況に陥って途方に暮れている時。自分の側からではなく、向こう側からの、それが兄弟姉妹を通して御言葉を示されたり、思い起こしされていく中で、「ああ、主は生きておられる。主は共にいてくださる」と、霊の目が開かれる。救いの希望に与る。主イエスが復活なさった最初の日から初代教会の人々をはじめ、代々の教会とキリスト者、そして今日の私どもも又、そのようにして霊の目が開かれ復活の主を仰ぎ見ることができるのであります。
ここ大阪教会では、祈祷会での聖書のみ言葉の分かち合い、また礼拝宣教後の応答のときが持たれています。聖書の御言葉や礼拝宣教をただ一方的に聴くだけでなく、それを共に分かち合うということは大変豊かなことです。御言葉はそれを聴いた時、当座はそれ程心に響いてこなかったとしても、いろんな人とそれを分かち合う中で、又様々な日常の関わりの中で、先ほども言いましたが、「ああ、あの時の御言葉は、主がこういう事を私に示すためであったのか」と、後になって気づかされ、力づけられ、望みを与えられ、「ああ、こういう形で主はご計画されていたのだ」と、後になってハッとさせられるということを、私たちは幾度となく体験してきたのではないでしょうか。
ですから、御言葉を読むこと。聴くことは本当に大切なことです。御言葉を聴かなかったなら思い出すことはないのです。思い出すためには、日々御言葉に聴き、御言葉を私たちのうちに蓄えておく必要があります。それはどんなに豊かな事、大きな恵みと力になるでしょう。まさに神の民として歩む道を教え、私たちに命を得させるのです。私たちが日頃から御言葉に慣れ親しむことは、霊の目でもって主のご計画や御業を知ることになり、又主の御心を生きる指針ともなるのです。

さて、この婦人たちは9節「墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた」とあります。
死者の中にイエスさまを捜していた婦人たちでありましたが。今や、彼女たちは墓を後に復活の主イエスを宣べ伝える福音の伝達者に変えられるのであります。しかし、それを聞いた「弟子たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」というのです。それはこの時代の女性たちへの偏見や差別といった風潮が社会にあったのかも知れません。しかし、たとえそれが男性から伝え聞いたものであったとしても、弟子たちが信用できたかどうか分かりません。問題は彼らの霊の目が、いまだ開かれていなかったという点にあります。この女性たちも数時間前まではやはりそうでした。けれども彼女らは、「イエスさまが十字架につけられ、三日目に復活なさった」との主の天使の宣言と共に、御言葉の真実を霊の目でもって確信するに至ったのです。それはまさに、絶望と悲嘆から復活の主に全身全霊を傾けて生きる人生への方向転換であります。
復活なさったイエスさまは、お約束なさったように私たちに今日この日もご聖霊を送り、今も生きておられます。そして信じる者に、そのお姿に与る復活の約束を与え続けていてくださいます。主イエスを信じて生きる者は、たとえ地上でのあゆみに終わりが来たとしても、主の復活のお姿に共に与らせて戴く希望があります。その希望を伝え、共に分かち合うべく祈り、御言葉に聴き従って歩んでまいりましょう。
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祈りは聴かれている

2012-04-01 14:39:44 | メッセージ
宣教 使徒言行録12章1~17節 

受難週を迎えました。主イエスの十字架の苦難と死を今週は特に偲びつつ、イースターに向け、備えてまいりましょう。

①「受難週を迎えて」
本日は、使徒言行録12章より「祈りは聴かれている」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。先週読みましたように、福音は使徒たちや迫害によって各地に散らされた人々を通して人種を超え、多くの人にもたらされていきました。
一方エルサレムでは、1節以降「ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕えようとした」というのであります。
イエスが十字架で処刑され、弟子たちの集団も消滅したと思いきや、復活と聖霊降臨後、主イエスの教えと力強い福音宣教の業が繰り広げられていきます。自分たちこそ正当だと称するユダヤ教徒らは、こうした初代教会とその使徒や信徒たちを恐れ、自分たちの立ち所を揺るがしかねない危険因子だと排除しようとしていたのです。
このヘロデ王は、ヘロデ・アグリッパ一世といってヘロデ大王の孫にあたります。アグリッパ王は、ユダヤの民衆心理をテコにして確固な地位と支持を得るために、ヨハネの兄弟ヤコブを処刑するのです。そしてそれが、ユダヤ民衆に「喜ばれた」ことを知るや、使徒ペトロをも捕え、処刑しようと企てるのであります。それは除酵祭の時期であったと付け加えられていますが。イエスさまが捕えられ、裁かれて、十字架刑へ引き渡された時期と同じ、除酵祭(過越し祭)の時期であったと、伝えます。
かつてイスラエルの民がエジプトで奴隷の状態にあった時、彼らを神の民として召し出し、解放したもう出エジプト(エクソドス)。神が小羊の血が塗られた民の家を災いから守り、救い出されたその大いなる恵みを思い起こし、心に刻んでいくそういう時期に、イエスさまの十字架の出来事も、このヤコブの殉教とペトロの捕縛の事件も起こったというのです。今まさに私たちは受難週を迎えましたが。この時、罪と世の力に囚われ、その奴隷のように生きていた私たちに、解放を与えるために尊い犠牲の血が流されたことを、忘れるわけにはまいりません。

②「教会の祈りと主の天使の救出」
さて、4節で「ヘロデはペトロを捕えて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監禁させた」。さらに6節で「ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた」とあります。
見張りの番兵が16人もつけられ、四人一組で、牢内に二人、さらに牢の外に二人が配備され、その見張りが昼夜四交替でなされていたというのは驚きです。これはペトロが如何に厳重かつ徹底的に監視されていたかということが強調されているわけですが。しかし、その厳重かつ徹底した監視下におかれていたペトロの無事を何よりも願って、4節「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」というのであります。この教会の祈りは、牢屋から救出されたペトロがヨハネの母マリアの家に行った時も、12節「大勢の人が集まって祈っていた」とありますように、ペトロのために熱心な祈りが神にささげ続けられていた、ということです。

そのような中で、7節以降に記されていますとおり、主の天使いがペトロを牢から救い出すのであります。その救出の場面でありますが、主の天使がペトロのわき腹をつついて起こし、ペトロが天使の言うとおり「急いで起き上がると」、どうしたことか鎖が彼の手から外れ落ちます。また天使の「帯を締め、履物を履き」「上着を着て、ついて来なさい」との言葉に従うと、どうやって牢を通り抜けたのでしょうか、「第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いた」というのですね。何か映画を観ているような感じですが。神の介入の御手は大胆、かつ速やかになされます。「ペトロは幻を見ているのだと思った」とありますが。彼は主の天使が去ってから、初めて「我に返ります」。そこで自分が経験したことの意味に気がつくのです。「今初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」。
主の救いとはそういうものです。主の御言葉に聴いて従っていく。幻を追うようなことですが、主に従っていく。そうしてふと我に返ってみた時、「確かに主は私と共におられた、私を導き、救い出して下さったのだ」と、確信するに至っていくのです。

さて、12節「こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた」と記されています。
ペトロがまっすぐそこへ向かったのは、その奇跡的な救出が、教会の祈りに対する神の答えであったことを、暗示しています。ペトロの見えないところで、又知らないところで、ずっと彼のために熱心な祈りが神にささげられていました。過酷な状況の中にあったペトロでしたが、彼は教会の祈りによって主に執り成され、守られていたのです。

③「祈りは聴かれている」
本日の箇所はこれで終ってもよいと思うでありますが、そうではありません。
ペトロがヨハネの母マリアの家の戸を叩くと、ロデという女中がペトロの声を聞き、喜びのあまり門を開けもしないまま中に駆け込み、人々にペトロが門の前に立っていることを告げます。しかし、家の中で祈っていた人々はロデの言うことを信じようとしません。彼女がなお言い張ると、彼らは彼女が「ペトロを守る天使でも幻で見たのだろうか」と言い出して、なかなか信じようとしないのです。その間ペトロはマリアの家の門の戸を叩き続けているわけですが、、、、。
まあ、ペトロが囚われていた牢の厳重かつ分厚い門はひとりでに開きましたが。このマリアの家の門は簡単には開かないという、何ともユーモラスな光景でありますね。
マリアの家に集まった信徒らは「ペトロを牢から救出してくださるように」と、熱心な祈りを神にささげていたのですが。ペトロが救い出されたことを信じることができませんでした。彼らは確かに祈っていたのです。けれども、神がこうも現実に答えくださるとは思いもしなかったのかも知れません。又、ペトロの前にはヤコブが捕えられ処刑されるというショッキングな出来事があったばかりでした。彼らの内に悲観的な思いが広がっていたのかも知れません。そういった事は私たちの中にも起こって来ることがあるでしょう。
あの時は祈ったけどだめだった。思い通りにいかなかった。そういった経験に囚われると、祈りつつも期待を持つことを恐れ、逆に神は聴いて下さるのだろうかと試み、懐疑心さえ起こって来ます。
マルコによる福音書11章24節で、イエスさまは「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」と言われています。信じて疑わず、あの山へ海の中へ入れと言えば、その通りになるとまで言われました。しかし、すべての山がそう簡単に海の中へ入ってしまえば大変です。そこに神の最善のご計画と時があるということへの信頼が必要なのです。思い通りに行かないことに囚われてはいけません。あきらめず祈り続けることです。神さまだけが本当に必要なものや最善のかたち、又タイミングを知っておられることに信頼しましょう。私たちはこの神さまに期待をし、大胆に祈っていいのです。それは大きな希望であります。

先ほど、O姉より証しを戴きました。本当に神さまの大きな恵みと力を新に知ることができ、心から主の御名を崇めます。私の息子の鼻の腫瘍のかたまりがひとりでに取れて落ちた時もそうでした。神さまは私たちがあきらめず期待を持って祈り続ける時、その祈りに答えてくださるお方であることを、実体験させてくださるのです。「祈りは聴かれているのです」。
もっともっと私たちは主に祈ることに対して貪欲になり、信じ、期待していこうではありませんか。主がおしみなく与えてくださるすばらしい恵みと力とを証しする者とされてまいりましょう。主はそのことを通して、私たちと教会をさらに祝福してくださいます。
祈ること、執り成しの祈りもそうですが、それは「エネルギーがいる、労力がいること」と、ある方がおっしゃっていました。ほんとうに忍耐を要すことでもあります。けれども、そこで必要なのは「主の愛を信頼して祈る信仰」であります。主の愛をもって「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じて祈る」。そのことです。
主は私たちの力や思いを超えたお方です。この主に信頼と希望をおくのです。主に期待して祈る。祈り合うその時すでに、主の御手は働いています。今日はペトロが世の力に捕えられ、窮地に追い込まれていた中、教会の兄弟姉妹が心合わせて執り成し祈り、主の御手によって救い出される話でありました。主にある兄弟姉妹、教会に与えられた本当にすばらしい祈りの力、それは幾重にも閉ざされた状況さえ打ち破り、解き放つ天の力であります。そこに確かに主が共におられるのです。

最後に、本日のヤコブの殉教やペトロの捕縛の記事から考えさせられますのは、今日の時代も世界のいたるところで正しい者が迫害を受けている現実であります。真理と平和を待ち望み、築こうとする人たちを抑圧し、小さくされた人、弱い立場におかれた人たちが排除される現実です。
イエスさまは、「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を知らせるためである」(ルカ4章18節)と、イザヤ書の言葉を引用され、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(同21節)と、ご自身のことについてこのようにおっしゃいました。
初代教会の人々は、その主イエスの教えに従い、解放と救いの福音を語り伝えていったがゆえに排斥され、弾圧を受け、捕えられました。
時代は移りましたが。私たちも又、主を信じ、従い行く、福音に生きようと努めるがゆえにこの地上にあって様々な闘いがあり、課題を覚えています。そういう中にあって、主の御声に聴きつつ、祈っていくとき、キリストの平和、御国の到来と解放の御業をもたらす福音の使者とされるのです。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ7章7節)と、主イエスは言われました。
教会の祈りは重い牢の戸さえ開きます。世の権力や支配からの解放を与えます。「祈りは聴かれています」。主は昨日も今日も変わることがありません。生きておられます。信頼と期待をもって共に祈り合い、主の御言に聴き従う私たちとされてまいりましょう。
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