礼拝宣教 マルコ14章66-72節 レントⅣ
このシモン・ペトロが主イエスを否んだ時の出来事はペトロ本人だけが知るものであったはずです。そう考えると後の使徒となったペトロが主イエスの証人として自身の体験を包み隠さず語り伝えていったのだろうと想像いたします。それは他のマタイ、ルカ、ヨハネと、4つの福音書すべてに記載されることとなりました。ペトロの裏切りと失態の体験はそれだけ初代教会に深い示唆を与えるものであったということでしょう。なぜなら初代教会も又、激しい迫害を経験しなければならなかったからです。私たちも又、昨今の社会状況の急激な変化に戸惑い、惑う弱さを抱えるものであります。又、時にペトロのように私たちも罪を犯し、自らの不甲斐なさにいたたまれなくなることがあるかも知れません。今日はこのところから今も私たちを慰め、励ます救いのメッセージを聴いてまいりましょう。
さて、先週の聖書の箇所には、主イエスが弟子たちに「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われると、真っ先に筆頭格の弟子シモン・ペトロが「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と答えたとありました。
すると主イエスは「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」とおっしゃいます。それを聞いたペトロは「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と、言い張ったのでした。
この時のペトロは心から純粋にそのように思い、心に嘘偽りはなかったでしょう。けれども主イエスは、そのペトロの決意も荒波に呑まれるような状況に置かれた時には、いかに弱く、もろいものであるかをすでにご存じであられたのです。
その晩、主イエスはイスカリオテのユダに裏切られ祭司長、律法学者、長老たちに引き渡され、捕えられて大祭司のもとに連行されるのです。
その時、14章50節に「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてまった」と記されています。他の弟子たちもペトロ同様、私たちはイエスさまから離れない、と言っていたのです。ルカ福音書22章には、そういう中「ペトロは遠く離れて従った」(54節)と記されています。ペトロの主イエスに従って行きたいとの思いは細々ながら保たれます。
本日の箇所はそこからであります。
そうして、シモン・ペトロが大祭司廷の中庭で様子を伺っていた時、そこに大祭司仕える女中の一人が来て、そのペトロをじっと見つめて言います。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」
ペトロはさぞかしその言葉にドキッとしたことでしょう。慌ててそれを打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からない、見当もつかない」と言って出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。
すると、この女中はペトロを見て、周りにいる人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言い出します。ペトロは、再び打ち消します。
しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言います。「確かに、お前は、あの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」
その言葉にはガリラヤのなまりがあるため見抜かれてしまうのです。
ヨハネ福音書18章には、主イエスが捕縛される時に、捕えに来た大祭司の手下の耳をペトロが切り落とした時、主イエスが剣を納めよと言って、その耳を元どおりにお癒しになられたのですが。ペトロから耳を切られた者の身内がその人々の中におり、その人が「園であの男(イエス)と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか」と、ペトロに問いただすのです。まあ目撃した本人がいたわけですから、ペトロは否定しようもないことであったはずです。それにも拘わらず、ペトロは再び打ち消して、イエスさまとの関係を否認します。
さらにペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。イエスさまが予告なさった通りでした。
ほんの数時間前に、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と、イエスさまに言い張ったペトロはどこにいってしまったのでしょうか。彼は忠誠心をもってどこまでもイエスさまについて行くと決意を表わしていたのです。ところが、実際に自分が窮地に追い込まれてしまうと、そういう思いはどこかへ吹っ飛んでしまい、自分を守ることしか考えられなくなってしまうのです。
その頃、主イエスは大祭司のもとに連行され、ユダヤの最高法院で尋問を受けておられました。そこで、自分をおとしめようとする人々に囲まれる中、主イエスは御自分の身を守る言葉を語ろうとはせず、唯、神から受けた言うべき真理のみ口になさるのです。
窮地に追い込まれる中で言うべきことを言え得なかったペトロと、権力者の前にあっても唯、天の御神の御心のみを明言なさったイエスさまのお姿が対照的に浮かびあがってきます。
自分の身を守ることしかない弱さをさらす外なかったペトロ。人の情熱や感情から来る正義感や忠誠心は如何にもろいものであるかを、見せつけられる思いがします。
けれども、それは決して人ごととは言えません。あの、キリシタン迫害の「沈黙」という小説を書いた作家の遠藤周作さんが、知り合いの神父さんと食事をしていた時、「もし、あなたが踏み絵を前にしたらどうするか」と尋ねたそうです。するとその神父さんは顔色を変え、「いや、わからん。そんなことはその時になってみなければわからない」と言ったそうです。
そのような状況に万が一直面することになったらどうするか?
きっぱりと、「私は大丈夫」「絶対どこまでもついて行ける」と言って実行に移せる人が果たしてどのくらいいるでしょうか。私は九州に住んでいたので、その「沈黙」の舞台となった長崎の島原、五島、熊本の天草を訪れた折、あまりに激しい迫害の恐ろしさに暗たんたる思いがしましたけれど。そういう中で心ならずも踏み絵を踏んだ人たちの心の痛みはいかばかりであったでしょう。今日のペトロの姿と重なります。
では、そのようなペトロに、又、自らの弱さに嘆き悲しむ者に対して、主は、おまえはダメだ、救いようがやつだなと、おっしゃっているでしょうか。
否、主はそんなペトロの弱さ、不甲斐なさをすべてお見通し、ご存じの上で、なおも関わり続け、愛し通されたのです。時が来ればそのことに気づくために主イエスはあえてペトロの離反を予告していたのです。
それについては、ヨハネ福音書16章4節に、「これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである」とあるとおりです。
ペトロにとってその時とは、正に主イエスがおっしゃったとおりの、「鶏が二度目に鳴いた」その時でした。
ペトロは「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と主イエスが言われたその言葉を思い出して、いきなり泣き出し」ました。
自分のことを分っていたのにお見捨てにならず、愛しくださっていた主の愛が胸に迫ってしかたなかったのだと思います。
自己保身のために三度もご自身を否んでしまうようなペトロのために祈り続け、愛し抜かれた主イエス。
ルカ福音書では、ペトロの離反の予告に際して、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたが立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(22・3)とおっしゃっています。
それは、主がペトロをお見捨てになるようなことはない、ということであり、そこから立ち帰って生きよ、という愛と励ましのエールであったのです。ペトロはこの主の愛に如何に応えて、新しく生きたことしょうか。
コリントの信徒の手紙Ⅱ、7章10節にはこのように書かれています。
「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさ
せ、世の悲しみは死をもたらします。」
イスカリオテのユダの悲しみは彼自身に死をもたらしました。彼は自分を責め、主イエスを責め、運命を呪ってしまい、悔い改めて神に立ち帰ることができなかったのです。
ペトロはこの出来事をとおして、自分自身の弱さと情けなさを思い知らされますが。同時に、そんな不甲斐ない自分を知っていながら、愛し、執り成して祈ってくださる主イエスの憐みをまさに体験するのです。それは主イエスのことを思えば思うほどペトロには相当痛く、苦い出来事でありました。しかし、彼はこの主イエスの深い憐みによって「救いに通じる悔い改め」、ギリシャ語で「メタノイア」、方向転換して、主のもとに立ち帰り、救われるのです。そうして、主イエスが執り成し祈られたように、ペトロは立ち直り、兄弟たちを力づける者となって、キリストの証し人として立てられていくのです。
人の決意や熱心がいかにもろく、崩れやすいものか。ペトロの姿は決して他人事として見ることはできません。しかしペトロは主イエスの愛に立ち返って生きた。
今日も主は、私たちに「立ち帰って生きよ」と招き、「待って」おられます。私たちも又、「憐み、待ち給う主イエス」に立ち帰りつつ、主の愛に生きる者に新しく造り変えていただきましょう。