日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

十戒~命と平和への道しるべ

2015-08-30 13:07:03 | メッセージ
礼拝宣教 出エジプト記20:1-17

本日は第五週なのでさんび&あかしの礼拝として捧げておりますが、今回はギデオン協会のKさんより、そのお働きをとおしてのお証を伺うことができましたありがとうございます。この一冊の書物、福音の持つ力って人の人生を一変させる大きいものですよね。ギデオン協会がその貴い橋渡しのお役を担っておられることに感謝し、主の祝福と労いをお祈り致します。

本日はその命の「御言葉」十戒から、「命と平和への道しるべ」と題し、主の言葉に聞いていきたいと思います。

十戒を初めて読まれた方の中は、「父母を敬え」以外の9つの戒めすべてが「~してはならない」と言う様な否定的な禁止命令であることから、人を拘束し何か自由を奪うような堅苦しい印象を持たれる方も少なくないのではないでしょうか。
しかし神さまはこれらの十の戒めを授けるに当って、2節でイスラエルの民に次のように語られていることに注目したいと思います。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」
神さまはイスラエルの民に対して、「わたしは奴隷の家からあなたを導き出して自由にした。わたしはあなたの神である」と宣言しておられるのです。エジプトの国ではファラオ(王)が主(神)のように崇められていく中、イスラエルの民は自由を奪われ、ただ奴隷のように拘束され、苦役を負わされるほかなかったのであります。
その彼らの叫びを聞かれた真の神さまは、その奴隷の家からイスラエルの民を解放し、導き出し、自由の身とされたのです。それは同時に彼らが「神の宝の民」として選ばれたことを意味していました。単に助け出された、救われたというのではないのですね。

「わたしはあなたを奴隷の家から導き出した神である」とおっしゃる神さまの宣言をベースに語られるこの十の戒めは、自由の身とされた民がもはや奴隷のようにではなく自由を得た者として歩んでいくための道しるべとなるものであったのです。言い換えますなら、自由の身とされたイスラエルの民が再び奴隷の家、すなわち世の力に心奪われ滅びゆくような状態に逆戻りしないために、神さまはこの十の戒めの言葉をお与えになったのですね。自由というのはありがたいものです。けれどもその自由であることが時に放縦ざんまいと勘違いをし、結果的に個人や共同体の崩壊につながるということが起こり得るのです。神さまは御自身の宝の民とされた彼らが自由とともに平安(平和)を得て生きるためにこの十戒を強い意志と熱愛をもって告げられたのでありましょう。

さて、その十の戒め言葉ですが。大きく前半の4の戒めと後半の6つの戒めに分別することができます。読んでお分かりのとおり、前半の4つの戒めは、「真の神さまを第一とする」ということであります。わたしと神さまとの一対一の縦の関係がまず確立されるように告げられています。これはよくキリスト者は十字架にたとえ、縦の線は神と人の関係、神さまと私の関係を表すものだと言ったりするのですが。
それに続く後半の6つの戒めは、「人と人との横の関係」、両親や隣人に対する態度について告げられたものです。これは十字架でいうところの横木、人と人の横の関係であります。十の戒めの言葉が十の文字のごとく「縦」と「横」によって成っているというのも不思議に思えますけれども。

今日礼拝の始りの招詞でマタイ22章の箇所が読まれました。もう一度そこをお読みします。37-40節「イエスは言われた。『心を尽くし精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
イエスさまは十戒にはじまる律法全体を「あなたの神を愛する」ことと「隣人をあなた自身のように愛する」この2つの愛に要約されました。
十の戒めの言葉はそのように、人を縛り拘束するようなものではなく、奴隷の身から自由の身とされた神の民が、神を第一とし、隣人や他者を自分のように愛するところに個人の、さらに共同体全体の祝福と平安が伴うのであります。

8月は平和月間として特に平和を覚えての礼拝をこれまで捧げてまいりました。
この戒めにあるように「神でないものを神としてあがめる」ことは偶像崇拝であり、それは神さまがお与えになる平安・平和から人を引き離す罠となります。世の富や地位や名誉、はたまたどんな素晴らしい人物であってもそれを神として崇める時、人はやがて本来与えられた祝福を見出す事ができなくなっていきます。国々も同様に、経済力や軍事力などをあたかも国を守る力として絶対化すると、ひいては数値の変動に踊らされたり、国々の信頼関係を損ない平和が揺るがされることになるのではないでしょうか。
原発は絶対安全だという神話が3・11によって崩壊しました。にも拘らず原発の絶対的必要性を支持する意見が押し通され川内原発が再稼働されました。核のゴミはたまる一方です。日米同盟が国の安全を保障するという神話が平和を脅かそうとしています。かつて日本はこうした偶像崇拝をもって侵略戦争をひき起こし、内外において多くの尊い命が奪われていったのです。
偶像崇拝は神と人との関係の崩壊でありますが、それは人と人の関係の崩壊に連動するのです。殺し、姦淫、盗み、隣人に関しての偽証、隣人の家を欲し、むさぼる行為。その究極的かたちが戦争でありましょう。

先日新聞の「声」の欄に、次のような投稿がありました。             
「安部首相の戦後70年談話を仕事先の香港で聞いた。反応が気になり、香港の地元新聞を手に、そこに住む中国の友人たちに感想を聞いた。安部首相の「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」という言葉に朝日新聞の世論調査で63%が「共感する」としたこの部分について、友人たちは何よりも傷ついたと語った。日本人の立場からすれば、子孫に歴史の負担をかけたくないということかもしれない。しかし逆の立場からすれば、「もう過去のこと。謝り続けることは終わりにしたい」と、切り捨てられたような気持になると、彼らは言っていた。中国の友人たちの話を聞きながら、深い苦しみを受けた全ての人々の心に、逃げずに寄り添える自分でありたい。」そう願ったとこの方は綴っておられます。

この投稿を読みながら、私はイエスさまが律法について「自分のように隣人を愛する」こと、とおっしゃった御言葉が思い出されたのです。
相手の人の足を踏んでいる本人はその相手の痛みについて鈍感です。自分が逆に踏まれて初めてその痛みを知る。痛い目にあわないと踏みつけている相手の痛みはなかなか分からないと言うのが悲しいかな私たちではないでしょうか。
日本がかつて経験した痛みや傷は、戦争によって傷つけてきた他者への気づきにつながり、平和のかけがえのない尊さを共有していく力へと変えられていくと思うのであります。日本国憲法、特に憲法9条を読みますとほんとうにそれは、この十戒の「殺してはならない」と根を一つにしている尊い命のメッセージだと思わされます。

十戒。この神の戒めは決して人を拘束し縛って自由を奪うためのものではありません。
逆に、人が真に解放され、自由に生きる道、平和と平安を得る道が指し示されているのです。

イエスさまは、律法についてこうもおっしゃっています。
「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイ7・11-12)

この「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたは人にしなさい」という事の中には当然、「人にしてもらいたくないと思うことは何でも、あなたがたはしてはならない」ということも含まれています。イエスさまは十戒からなる律法の本質はそこにあるのだということをお示しになるんですね。

今日の十の戒めは、救いに与り自由にされたあなたは「~してはならない」、否、その尊い恵みを知るあなたは「そうしないであろう」という神さまの願いともいえるメッセージが集約されているのです。ここには新約の時代に生きる私たちにも共通の、罪の奴隷からキリストによって自由の身とされた者のあゆむべき道が示されています。そのことを今日はしっかりと心に留め、キリストにある平和を造り出す者として歩んでまいりたいと願います。

最後にガラテヤの信徒への手紙より御言葉を読んで宣教を閉じます。
「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされているからです。」(ガラテヤ5:13-14)

お祈りをいたします。
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導かれて

2015-08-25 10:19:30 | メッセージ
あかし   M・I 2015年8月

まず、私がクリスチャンになったときのことからお話ししたいと思います。
1995年の4月、私が小学2年生のとき、沖縄でバプテスマを受けました。
当時は母と一緒に、もともと通っていた首里バプテスト教会から離れ、色々な教会で礼拝に参加していた時期でした。その後家庭集会を開く時期も経ましたが、高校生まで、教会とつながりがない時期がありました。
バプテスマを受けたのは、両親ともクリスチャンだった家庭で育った私にとって、当然のことのように思えましたし、子どもなりに自分の意思で、いいことだろうと思って選んだことでした。
しかしまだまだ友達と遊びたい盛りだった私にとって、「毎週きちんと教会に行って神様のお話を聞く」ということの大切さを分かっていなかったように思います。

①沖縄を出てからの教会生活
高校卒業後に沖縄を初めて離れ、東京の花小金井にある教会に1年間通いました。小さな教会で皆さんがとてもよくして下さり、初めて親元を離れて少し心細かった私にとって、とても安心できる場所でした。
学校の課題にひいひい言いながらも、体調が悪くない限り礼拝に参加することができました。
しかし翌年イギリスに留学してからは、バプテスト教会が近くにないから、全て英語での礼拝に参加する勇気がないから、などと色々な理由をつけて再び教会から遠ざかってしまいました。
卒業後、帰国し、沖縄に戻ってきた私に神様は希望に合った仕事を備えて下さり、キリスト教系の病院で働くことになりました。
そこでは職員礼拝の時間もあったのですが、土曜日が安息日のセブンスデーアドベンチスト系列だったので、日曜日にお休みが取れるのは月に一回でした。
このころから、もっとちゃんと毎週教会に行く時間が取れたらな、と自分から思うようになりました。

②大阪に来てから
この大阪バプテスト教会に来たのは、首里教会で藤沢先生に頂いた大阪のバプテスト教会の一覧がきっかけでした。
一覧から比較的近くのバプテスト教会を調べているうち、ブログで拝見した先生のお話が目にとまり、直接お話を聞いてみたいと思ったのでした。
最初の予定では、1ヶ月ほど色々な教会を回ってみて通うところを決めようと思っていたのですが、この教会に実際来てみて、雰囲気の良さに「この教会だ!」と感じたのを覚えています。
11月に大阪に来たきっかけは就職でしたが、残念ながら早々に最初の職場を3月に離れなければいけなくなり、4月に転職先が決まるまで、しばらく私にとってしんどい時期でした。
私自身考えがまとまらない中、誰かに相談したりする余裕もなかった時、毎週日曜日に教会に行くことで平常心を保てていたと思います。
今まで教会に通ったり、それが途切れたりを何度も繰り返して神様はその度悲しい思いをされたのではないかと思いますが、何度でも私のことを待っていて下さいました。
たびたび教会を離れることがあったにもかかわらず、それでも戻ってこれたのは、クリスチャンである両親がいつも祈りに覚えていてくれたからだと思います。二人とも決して無理に教会に連れて行くようなことはしませんでしたが、いつも私が教会に帰り、神様とつながっていられるようにと祈ってくれていたこと、神様がしたように、あくまで私が自分から教会との繋がりを求められるよう、強要せずに待ってくれていたことに感謝しています。
大阪に来て、礼拝の拠点をすぐに定めることができたのは、両親を始め首里バプテスト教会の方たちが覚えて祈ってくださり、それに神様が応えて下さった結果だったんだなと思います。
転職活動を始めたころに、以前つけていた感謝日記を再開させました。「今日は安く食材が手に入りました、感謝します」といった風に書いていくものです。すると仕事が無いときでもご飯が食べられる、生きていけているということに始まり、毎日どれだけの恵みを神様から受けているか改めて知る事ができました。
それと同時に、毎日神様に生かされていること、与えられていることをどれだけ当然のように思っていたかも気付かされました。
また、礼拝の中でも「神様、今はまだどの方向に進むべきかも分かりませんが、どうぞ御心に叶うような道にお導き下さい」とだけ祈りました。すると神様はすぐに応えて下さり、思っていたより早く転職先を決める事ができました。
神様は乗り越えられない試練は与えないといいますが、その言葉を思い出しながら、神様がついているのだからきっとどうにかなる!という思いで過ごした1ヶ月間でしたが、無事乗り切れたとき本当に嬉しかったし、誇らしい気持ちでした。
今の職場は、補修業といって家や家具などのキズを直すという、前から興味のあった業種ですが、始めてみると前の職場で感じていたような「このやり方でいいのだろうか」といった迷いを持つことなく取り組むことができ、自分に合っているなと感じることができ、毎日楽しいです。
本当に自分に合う仕事なのか、やっていて楽しい仕事なのかといことは、実際働いてみないと分かり得ないところです。そんなところも神様にはちゃんと分かっていて、まさに礼拝のなかで出てきた詩篇139篇16節の「私の日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。」という言葉通り、いつも私の事を気にかけ、私以上に私の事を知ってくれているんだと実感しました。
また6月のワーシップソングだった「もう思い煩わないで」という曲の、神様にすべて任せて、あとは心配せずにいればいいんだよ、というメッセージにも励まされました。
一本道ではないですが、今回のことを通して、すべては神様が私をよりよい道に導こうとしてくれてのことなんだなと感じることができました。

③「これから」
この教会で教会員として関わっていく中で、私にできることは何だろうと考えたとき真っ先に頭に浮かんだのは、毎週のように訪ねていらっしゃる海外から来た方たちのことでした。
私が留学した頃、「教会は行ってみたいけど、きっとメッセージも分からないし、教会の方たちと話も通じるか不安だなぁ」と考えてしまい教会に行けなかったことを思い出し、神様は私にそんな人を少しでも減らすお手伝いをして欲しいのではないかと思い至りました。
幸い私が留学していた頃と違って、今は多くの人がスマートフォン等を持ち歩いているので、発信した情報をうんと見つけてもらいやすくなりました。先程もお話しした通り、私もこの教会に通う事になったのも先生のブログがきっかけです。
教会を必要としている人が神様に導かれること、そしてこの教会にたどり着いたとき、日本語が分からなくても礼拝に参加できること。
それらがスムーズにいくよう、まだまだできることは沢山あるはずなので、神様に微力ではありますが私の力を使って頂けたらと考えています。

最後に、この教会に初めて来たときから歓迎して下さり、知り合って日の浅い私のこともいつも気にかけて下さる教会の皆さんに、改めて感謝いたします。まだまだ至らないところの多い私ですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。

母が私に聖書を贈ってくれたときにも添えられていたこの聖句を引用し、結びとしたいと思います。
「安心して行かれるがよい、主は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる。」
士師記 18章6節
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人の不信と神の信実

2015-08-16 16:56:40 | メッセージ
礼拝宣教  出エジプト記17:1-7

本日は韓国教会の少年少女たちが来訪してくださり、先程特別賛美をしてくださいました。カムサハムニダ。夕方にはもう一グループの少年少女が合流し、総勢25名くらいで賛美の夕べ(ゴスペルタイム)がもたれます。私は今から20年前初めて韓国を訪れたのですが、日本の侵略のより引き起こされたいたましい過去の歴史にも拘わらず、その時韓国の教会は主にある友として暖かく迎えて下さいました。今日はこうして若い方々が日韓のかけ橋として来会下さったことに心から感謝しております。

本日は出エジプト記17章1-7節より御言葉を聞いていきたいと思います。

①オアシスに水がない!
イスラエルの民はツィン(シン)の荒れ野を出発して荒れ野とシナイの山の間にあるレフィデムに宿営します。この地はシナイ半島最大のオアシスであったようです。荒れ野の厳しい旅を続けてきた民は、ここに行けば水があると期待していたことでしょう。
ところが、彼らはそのオアシスに飲み水がないことを知るのです。非常に失望した民は、「我々に飲み水を与えよ」とモーセと争ったとあります。
モーセは「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか」と言って、今まで必要を備えて下さった神への信頼を促すのであります。しかし彼らはのどが渇いてしかたがなかったので、さらに「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか」とモーセに不平をぶつけるのです。
水は食物にもまさって命に直結します。のどの渇きはその不安と相まって耐え難いものがあったのでしょう。彼らにとってオアシスに水がないというのは考えられない事でした。それだけにショックも大きかったのです。
私たちも日常においてこれほどの死活問題とまでいかなくても、時にはこの「レフィディム」の体験をすることがありはしないでしょうか。あそこまで行けば何とかなると思っていたのに、実際そこに着くと想像していた事とは大きく違い、がっかりしたというような経験。又、計画を立て懸命に努力し至った結果が、自分の思っていた事とは程遠いものだったという経験。レフィディムでの民がそうだったように期待が外れてしまった時というのは、その期待が大きければ大きいほど本当にがっかりしますし、悔しさを通り越してやり場のない怒りのようなものさえ感じてしまうものです。イスラエルの民はその抑え難い感情をモーセにぶつけます。「信じて従って来たのになぜなのか。何のためにここまで来たのか。」それが民の心情でした。

②主の導きと試み
ところで、本日の箇所を読むときにまず押さえておかなければいけないことが1節冒頭に記されています。それは「主の命令により」という言葉です。つまり、「主が」、イスラエルの民の信仰を試すためにこのレフィデムに導かれた、ということなのですね。神さまが試みのために導かれた。それは福音書に記されたイエスさまの荒野の試みの記述を彷彿とさせます。主イエスは宣教活動を開始する前に、「神の霊が」荒れ野に導かれ、サタンの試みに遭われたのですね。主イエスを試みの荒野に導かれたのはサタンではなく、神の霊でした。そこで、イエスさまは神の子として幾度も試みに遭われますが、どこまでも神の言葉に忠実に従っていく信仰を貫かれ、サタンに勝利されました。いえ、正確に言えば、神さまの試みに信仰によって勝利なさったということであります。
話を戻しますが、このレフィディムに導かれたイスラエルの民はどうしたかといいますと、彼らはモーセと争い、非難し不平をぶつけるのですね。彼らのモーセに対する攻撃と非難、それは実は主に対する不信そのものであったのです。

一方、民からひどい言葉を浴びせられたモーセはどうだったでしょう。
4節には、モーセが「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と主に叫んだとあります。

この時モーセがどれだけ民の不平不満や非難に悩み苦しんだかが読み取れます。
しかし、彼は不信を抱いて自分を激しく非難する者たちに対して、カーッと感情をむきだしにして怒り、言い返すようなことは決してしませんでした。彼はその時「主に叫んだ」とあります。これは切実に嘆願の祈りを主にささげたということです。自分の弱さや力の無さを主にさらし、主にのみ依り頼んでいくそれは信仰の祈りでありました。

私も時に理解に苦しむような電話や手紙が来ることがあります。教会のHPにもぎらぎらとした挑戦的なメールが送られてくることがあります。それらを読みながら「なぜ、こんな言い方をするのか」と、正直怒りの念にかられることもあります。けれども、そこで感情的になって即座に返答をしないことにしています。冷静に一度心静めてみると、あの時感情のおもむくままに応じなくてよかった、と思うことが多いのです。挑戦的な言葉にのり、怒りにまかせて瞬時に反応することこそ、サタンの思うツボなのです。後で後悔するということが往々にしてあるものです。そういう時に、まず主の御前に心静めてみることはやはり肝要ですね。
モーセが「主に叫んだ」というのは、自分に向かって来る挑戦的な言葉や非難に対して応戦するのではなく、主と向き直って切実に祈った、ということです。困難と危機に直面したモーセの避けどころは主ご自身であられたのですね。
韓国の祈祷会では、「主よー」「主よー」と主の名を呼んで祈る教会が多いです。苦難の時にも主を避けどころとしつつ、常に主に向き直って主の名を呼ぶように祈り続けてこられた事が、今日も続く韓国の教会の祝福の源なのではないかと思います。

③ホレブの岩
さて、モーセの切実な祈りに対して、主は「ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる」と言われた、とあります。

主はモーセの祈りに耳を傾け、その祈りに答えてくださいました。
ホレブとはシナイ半島の南端にある山脈で、レフィデムのオアシスと距離的にそう離れていなかったと考えられます。出エジプト記3章には「神の山ホレブ」と記されています。そこはかつてモーセが主と出会ったあの「燃え尽きない柴」の体験をした場所であったのです。モーセはかつてここで「イスラエルの民の苦しみをつぶさに見、その叫び声を聞き、痛みを知り」、救い出すと約束される主なる神さまと出会い、「出エジプトのために行きなさい」と召命(ミッションステーツメント)を受けたのです。ホレブはまさに彼にとって主との出会いと召命の原点となった地であるのです。
本日の箇所で主はモーセを再びそのホレブへと招かれ、「わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ」とおっしゃるわけですが。それはかつて主がモーセに「あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える」(出エジプト3章12節)とおっしゃったその約束の成就と見ることもできるでしょう。民の不信にも拘わらず、約束を必ず成就なさる神さまの信実をそこに見る思いがいたします。

さらに、この「わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ」とおっしゃった、「前に立つ」とは、「~に仕える」という時に用いる表現です。主の前に立つといえば、それは主にお仕えするという意味なんですね。ところが、ここでは「主がモーセの前に立つ」といわれるのです。つまり、何と主がモーセに「仕える」とおっしゃっているのです。
ですから、主がモーセに「わたしが立つホレブの岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる」というのは、「わたしが仕える者として立つから、この岩を打ちなさい」と、あたかも主が民のために御自身を差し出されて、「打て」と言われているように聞こえるんですね。「そのようにしてそこから水を飲みなさい」とおっしゃっているように思えてくるのであります。このように読む時、私はあの旧約聖書のイザヤ書53章の「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」という御言葉がそこに重なって見えてくるのです。使徒パウロも又、コリントの信徒への手紙一、10章のところで「このホレブの岩こそキリストだった」と述べております。さらにヨハネ4章14節で、主イエスは「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり永遠の命に至る水がわき出る」とおっしゃいました。それはまさに、主イエスご自身が人の罪、不信によって神を試みるような者のために自ら打たれ、その打たれた傷によって、私たちを真に人を生かす命の水を与えてくださったのであります。

④人の不信と神の信実
さて、「モーセはイスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。彼はその場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イエスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである」と述べられています。

最初に申しあげましたが、今日のお話の発端は「水のあるべき所に水がない」というところから起こりました。当然あるべき所に水がない、生活さらに命の保証も得られないというショックや驚き、落胆や失望は彼らにとってあまりにも大きかったのです。彼らが口にした不平不満は「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」という不信でありました。
私たちもまたイスラエルの民と同様の思いを抱くものであります。しかし、いつまでもそこで試み争い続けるのなら、その所は不信の地マサとメリバとして何も変わりません。主は民の不信にも拘わらず、モーセの叫ぶ祈りを聞かれ、モーセに「わたしが立つホレブの岩を杖で打つように」とお命じになり、「岩からほとばしる水で民の渇きを満たして」くださったのです。
そこにはもちろんモーセの主への信仰の祈りがありました。けれども、そこにはまず何よりも、主ご自身が不信な民のために仕える者のようになられ、打たれ、傷みを負われ、民は命の水を得たのだと言う事に気づかされます。主は人の不信が逆巻くマサとメリバの地において、信実の愛を示して下さいました。
私たちは日常において、不平不満やつぶやきの絶えないマサとメリバの地に留まることのないように、神を試みる者となることのないように心がけたいものです。主は私たちが日夜に叫び求める祈りをお聞きくださり、私たちの避けどころとなってくださいます。この主に依り頼みつつ、主の御力と御業を仰いで歩んでまいりましょう。

最後に御言葉を読んで本日の宣教を閉じます。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」           
               ヨハネ7章37-38節
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秋季特別集会のご案内

2015-08-14 10:26:28 | イベント

講 師  工藤(くどう) 信夫(のぶお) 先生 

日 時  2015年9月20日(日)

①特別礼拝 宣教「人間の強さと弱さ」
午前10:30-12:00  ※自由献金があります。

②特別講演 演題「人生の秋」
 午後2:00-3:30 ※ネパール地震他募金有。

①②いずれも入場・聴講(ちょうこう)無料。
ご講演は著書「心で見る世界」(聖文舎)「人生の秋を生きる」(いのちのことば社)参考図書。

【講師プロフィール】
1945年、秋田県に生まれる。弘前大学、大阪大学において精神医学を学ぶ。
米国南メソジスト大学及びベイラ―大学医学部に留学。淀川キリスト教病院精神科医長、ルーテル学院大学社会福祉学科教授を経て、現在、平安女学院大学名誉教授。医学博士。
著書「人を知り人を生かす」「魂のカルテ」「よりよい人間関係をめざして」「生きること学ぶこと」「人生を支え導くもの」(以上、いのちのことば社)他多数

この度、医学博士で精神科医でもいらっしゃる工藤信夫先生をお迎えし、多数の著書の中から 「心で見る世界」(聖文舎)、「人生の秋」(いのちのことば社)を参考図書としてご講演をいただく運びとなりました。
この貴重な機会に、地域の皆さまと福音的気づきや励ましを分ち合う事が出来ますなら幸いです。    

  
主催・会場 日本バプテスト大阪教会

大阪市天王寺区茶臼山町1番17号 電話06(6771)3865

(J   R)天王寺駅、公園口より徒歩5分。
(地 下 鉄)御堂筋線、谷町線6番出口から徒歩5分 

 駐車場はございませんので公共の交通機関でお越し下さい。
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必要な分だけ集めよ

2015-08-09 15:21:53 | メッセージ
礼拝宣教 出エジプト記16:16-36

本日8月9日は長崎に米国の原子爆弾が投下されてから70年を迎えました。長崎市長の平和宣言は、核兵器のみならず、あらゆる武力行使を拒否する固い決意が表明されるということで、参議院において審議中である安全保障関連法案に対する懸念と警告としてなされると、注目されています。歴史の証言の中からも、2度と過ちを繰り返さないために、その教訓をしっかり聞きとっていかなければなりません。戦争による被害とともに、加害者とならざるを得なかった人たちの苦悩、さらに近隣アジア諸国に対する侵略の実態に対してどう向き合うか。殊さら問われるこの8月であります。かつてペシャワールの会の中村哲さんは、米国のアフガニスタンへの空爆やイラク戦争に日本政府が後方支援するのは、日本と中東諸国とがこれまで長く培い築いてきた親密な関係にとって、「百害有って一利無し」とおっしゃいました。あの空爆や戦争によって何が残ったでしょうか。かえって世界の情勢は混乱し、もたらされた憎悪と貧困がテロの温床となって、その脅威が核散していきました。当時の日本政府がアフガニスタンへの空爆に、さらにイラク戦争に賛同を表し、後方支援を行うことによって、それまで草の根レベルで築かれてきた中東の人たちとの信頼関係は中村先生の預言どおり大きく損なわれていったのです。目下国会で審議中の安全保障関連法案によって日本はさらにアジアや中東諸国の不信と憎悪を招くことになるでしょう。再び戦争行為によって被害者、加害者が生み出されることがないように、かつて尊い命が犠牲になったとの教訓を蔑ろにし、平和への願いが踏みにじられることがないように、祈り願うばかりです。イエス・キリストは言われました。「剣をとる者は剣で滅びる。」武力で平和は築けないというのは真理であります。

先週は出エジプト記16章の前半から「試み、備えたもう神」というテーマで、御言葉を聞いていきました。そこには荒れ野を旅するイスラエルの民のため、天からのパンを降らせ、肉を送って備え養って下さる神さまの恵みと憐れみが記されていました。神は、民が不平不満ばかりを口にしたにも拘らず、彼らの飢えと渇きを満たされます。
彼らは無から有を生じさせ、養って下さる神の恵みを体験するのでありますが。神さまはさらに、本日の箇所では彼らがこの出来事を通して「神の宝の民」とされていくようにと、民を試みられるのです。
それは4節にあるように「彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す」そのことで、12節に記されているとおり、「わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる」ためでした。
先週も申しあげましたが。申命記8章に次の御言葉がございます。
「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」(8・3b)「それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。」(8・16)

世の糧は生きて行くうえで必要なものでありますが。それだけでは人は幸福にはなれないのです。人を生かし、支え、育んでいく神の言葉が不可欠なのです。そしてその天からのパン、主の口から出る霊の糧をほんとうに噛みしめることができるのは、順調にすべてが整っている時ではなく、むしろ荒れ野を行くような試練の時なのですね。
神さまの命の糧、御言葉に聞き、従っていくこと。その信仰をとおして真の幸福を得ることができる、と聖書は語っているのです。

では具体的に、本日は16章16節以降の後半から「必要な分だけ集めよ」という御言葉をもとにメッセージを聞いていきたいと思います。

まず16節に主の言葉がこう記されています。
「あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。」

この主のお言葉に対して民はどう行動したでしょうか?
17節には「イスラエルの人々はそのとおりにした」とあります。
その一方で、「ある者は多くを集め、ある者は少なく集めた」と記されています。多分中にはついつい多く集めてしまった人。逆に家族の分としては足りなかったという人もいたのでしょう。ところが、天幕に戻って量ってみると、どちらもそれぞれに必要な、一人当り一オメルという量になり、余ることも不足することもなかったというんですね。

皆さまの中にもそういう信仰の体験をお持ちの方がいらっしゃるのではないでしょうか。何か升で量ったようにピッタリという体験。たとえば今日の支出がかさんで心配していたのに不思議と必要がピッタリ満たされた。どうせならもう少し多めだといいなと思うのですがなぜかピッタリ。私はしばしばそれを感じるんですね。礼拝も、ああ今日はお休みの人が多いことを知り心配して祈っていると不思議と神さまは人を送ってくださるんですね。神さまは備えて下さったんだ、と思うことがしばしばあります。

さて、又19節では、モーセが彼らに、「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」と言いますが、彼らはモーセに聞き従わず、何人かがその一部を翌朝まで残しておいたところ、虫が付いて臭くなった(腐った)ので、モーセは彼らに向かって怒った」と記されています。
翌朝まで残しておいたというのは、一日に必要な分だけでなく、予備として次の日の分までとっておいたということです。なぜ彼らはそうしたのでしょうか。彼らが特別欲深かったからでしょうか。いいえそう単純には言い切れないと思うのです。そこには、今日は集められても明日はどうなるかは分からないという不安や危機感があったから、そうしたのではないでしょうか。
翻って私たちは何に保証を得ようとしているでしょう。問われるところです。
私の、又家族のために必要な1オメルを集めるだけでは心もとなく、さらに集めようとし、蓄え、倉に入れ、保険にかける。家の冷蔵庫にはもういつから入っているか分からないような食品類がごっそりあるのに、更にその中にまた詰め込んでいき、結局腐らせてしまうという経験、ないですか。私もあります。どこか詰めこんでいることで安心を得たような思いになるんですね。でも、その安心はしばらくしたら又不安に変わってしまうのです。
 聖書は、神さまが「一日に必要な分を集めよ」とおっしゃるとおりに、行うか否かを、試しておられるのです。この主の言葉に聞き従うか否か。神さまは食糧をはじめ、私たちの必要をご存じであり、その必要を備え、満たしてくださるお方なのです。この神さまの存在を知り、依り頼んで生きるところに、私たちの真の平安があります。

さて、今日の箇所で興味深いのは「安息日」についての記述であります。
モーセが命じたとおり、民は6日目になると一日に必要な分の二倍の量を集め、7日目の安息日に備えて焼いたり煮たりして7日目の安息日に備え蓄えました。それは主が彼らにお与えになった休息の日、主の聖なる安息日であり、民が心と体を休め、主に捧げる日となるためでした。そして彼らが安息日に備え集めておいたものは臭くならず、虫も付かなかったというのです。
このエピソードは、私たちが安息日のために備える姿勢について物語ります。
おそらくエジプトで奴隷のように働かされていた民は、毎日来る日も来る日も休まることがなかったでしょう。しかし、神さまはその彼らに休息を得ることのできる1日をくださったのです。「安息の日に荒れ野に出ても何もとれなかった」というのは、その日が彼らにとって必要不可欠なものである、ということを表しているように思います。
それは、あらゆる労働や仕事からの解放、休息をとるべき必然を象徴します。主の安息日は、主がイスラエルの民に下さった恵みの賜物なのです。それは私たちも同様です。
私たちはその日を、主の日として記念し、礼拝をささげています。天地万物の造り主、命の必要を満たして下さる神さま。そして、すべての捕われと支配から解き放ち、深い愛によって救いの御業を実現して下さった主を賛美し、礼拝を捧げます。
今や安息の主はたえず、私たちと共にいて下さり、日毎御言葉のマナ、霊の糧を与えてくださいますが。この週に一度の主日において、ともに御言葉を味わい、主の恵みを分ち合う時は、格別であり、主の平安に満たされます。

最後に、荒れ野においてイスラエルの民を生かし、養ったマナの一部(一日に必要な分の糧)を壺に保存して、子子孫孫にまでこの神さまの御業を語り継いでいったということが記されていますね。
このマナは、私どもにとりましては主の晩餐のときに頂く、主イエスが十字架で、私たちの罪を裁いて贖うために、主イエスご自身が裂かれた体を現わす「パン」と、流された血を現わす「杯」に重なって見えてきます。そこには、罪深い私たちを決して見捨てず、尊い自分の命を引き換えに差し出し、人の罪の裁きを受け、贖い、救い出して神の子どもとしてくださった計りしれない神さまの愛と慈しみが顕わされているのです。
いつも自然のままでいたら世の力によって神さまから遠く離れていく私たちでありますけれども。イエス・キリストという天からの朽ちることのないマナによって、私たちは今日も生かされ、養われているのです。このことを忘れないで歩んでいきたいと思います。

最後に御言葉を読んで宣教を閉じます。
「むなしいもの、偽りの言葉を わたしから遠ざけてください。
 貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで
 わたしを養ってください。」箴言30章8節
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試み、備えて下さる神

2015-08-02 14:05:49 | メッセージ
 主日礼拝宣教  出エジプト記16:1-15

先週は水曜日の午前の祈祷会をIさん宅を開放していただき家庭集会として持たれましたが。そこに礼拝や祈祷会に来られるのが困難になられたYさんとお連れ合いもご一緒に集われて、ともに御言葉に聞き祈るひと時が与えられました。一緒に持たれた愛餐の時には、普段あまり食べ物を口にされなくなったということですが、久しぶりの皆さんとの祈祷会がよほどうれしかったのか、「美味しい」と言ってよく召しあがっておられました。主にあって祈り合い支え合いながらつながっている交わりの素晴らしさに、唯主に感謝でありました。
また、本日はMさんから転入会のお証しを伺いました。主のお導きとお支えがいつもあったということ。そしてご両親をはじめ、教会の方々の祈りと支えが背後にあったということを聞くことができ、たいへん励まされました。ともに喜びを分かち合えるって素敵なことですね。どうか主のからだにつらなり、益々ともに主をほめたたえつつ、ともに福音の証し人とされてまいりましょう。

さて、本日の宣教は出エジプト記16章からですが。今週は1~15節迄の前半部分の箇所から、来週は16~36節迄の後半部分の箇所から、2週に亘ってこの16章から御言葉を聞いていきます。

本日は「試み、備えたもう神」という題をつけさせていただきました。
イスラエルの民がエジプトを出てから1カ月余りが経ちました。彼らはエリム(オアシス)を出て、葦の海のほとりに宿営し、そこからシンの荒れ野へと導かれていきます。ここにきて彼らがエジプトを出た折に持参していた食糧は底をつき、空腹と先の見えない苛立ちからモーセとアロンに向かって不平をぶつけます。

実はあの小羊の血の犠牲による出エジプト後、イスラエルの民がモーセに向かって不平不満を口にするのはこれが3度目でした。1度目は葦の海にエジプト軍が彼らを追ってきた時、彼らは「荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましだと言ったではありませんか」とモーセに叫びます。海が割れそこを渡りその危機から逃れると彼らは主を畏れ、ほめたたえ、又その指導者モーセを信じたとありますが。しかしそのわずか3日後、またも民はモーセに不平をぶつけます。荒れ野で水を得られず、やっと見つけた水が苦くて飲めなかったからです。「モーセが主に向かって叫ぶと、主は一本の木を示され、その気を投げ込むと水は甘くなり飲用できるようになったとあります。そして今日の記事であります。
イスラエルの民全体は、これまで過ぎ越しの出来事によって「いのちを贖われ」「捕われの地から連れ出され」「葦の海から救い出され」「雲と火の柱によって守られ導かれた」体験をし、水の必要が満たされる経験をしますが。ここで彼らはまた同じように不平をいうのですね。
イスラエルの全会衆はこうモーセとアロンに向かって不平を述べ立てます。
3節「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」。
ここで彼らは、エジプトで過ごしていた頃の方がもっとよかった、とうそぶいています。「肉のたくさん入った鍋の前に座り」又「パンを腹いっぱいに食べられた」というのは事実ではありません。パロの強制労働の厳しい政策のもとで、彼らは十分に食べることなど許されず重い労役に喘ぎ苦しんだのであります。肉鍋の料理なんぞは当時のエジプト人の中でも、特別な階級層にしか味わうことができませんでした。彼らはエジプトでの過去の生活をいかにも美化して、「あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」と、指導者のモーセとアロンを責め立てるのであります。
ここでイスラエルの全会衆はモーセとアロンにそう言うのですが、実は7、8節を読むと、それが主に向けて述べられたものであることがわかります。

過酷な荒れ野での旅路はよほど厳しく大変なことだったのでしょう。乳飲み子、子どもたち、高齢の人たち、さらに病人や体の不自由な人たちもいたでしょう。又、家畜を率いながらの大移動です。日中は炎天下、深夜や早朝は冷え込みの厳しい荒れ野で野宿生活をし、わずかな水や食料で飢え渇きをしのぎながら、来る日も来る日も旅を続ける。私どもには想像もつかない過酷な道のりであったことでしょう。そう思えば、イスラエルの民が不平を言い出すその気持ちも分かる気がいたします。
ただ、ここを読んでみますと、ここには「不平を言った」とは書かれているのですが、彼らが「主に向かって祈った」心合わせて「主に切に願った」などとは一言も書かれていないんですね。その信仰の思いよりも、肉の弱さ、不平不満の方が大きく膨らみを増していた、ということでしょう。

さあ主は、このイスラエルの民全会衆の不平に対してどうお答えになったでしょうか。
主の導きと恵みへの感謝を早くも忘れ、不平不満をぶつけ、逆らう民。しかしそのような民に対して、主は裁きをくだし滅ぼすようなことはされませんでした。否むしろ神は、その民に対して裁きの代わりに恵みの糧を天より下されるのであります。
この時、イスラエルの民は神の御前にまだほんの生まれたての赤ん坊のようでした。ほんとうの意味で「神の宝の民」とされていくには、まだ幾つもの試みを経る必要があるのです。赤ん坊がお腹がすけば泣き、のどが渇けば泣き、おむつがぬれれば泣くように、分別なく不平をまくしたてるイスラエルの民を、主は子を見守る親のように受け入れ、慈しみと恵みをもってお答えになるのですね。
この天からのパン、マナについて、聖書考古学がご専門であられた関谷定夫先生はそのご著書の中で、「砂漠の平地一面にマナギョウリュウと呼ばれる一種のタマリスクの植物林があり、この木の小枝の先に貝殻虫が寄生し、新陳代謝のバランスのために栄養となる樹液を吸い、取り過ぎた過剰炭水化物が排泄され、それが夜中の冷気に触れて固形化し、朝早く地に落ちる。これがマナの正体で、甘くておいしいもので、遊牧民の貴重な食料とされている」と解説されております。聖書にはマナを粉にしてパン菓子のように焼いたり、煮たりしたとありますが、一度食べてみたいですね。マナは荒唐無稽なものではなく、天地万物の造り主なる神からの贈りものなのですね。それから40年間、マナはカナンの地につく日迄欠かすことなく毎日与えられたのです。神の慈しみと恵みは止むことがなかったのです。神が必要を満たしてくださらなければ、彼らは荒れ野で皆滅んだことでしょう。
このように神が天から食糧を降らせられたのは、彼らの飢えを解決するためであったことはいうまでもありません。神は民の必要を備えて下さり、その命を守られるのです。

しかし、ここにはそれだけではないある目的があったのです。それが本日のメッセージの要です。
4節で、主は「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す」と言われた、とあります。
 神さまは弱く不平不満を言って逆らうイスラエルの民を見捨てることなく、かえって慈しまれ、その民の命を守り養われます。神さま恵みは無条件に注がれます。けれども、そこではたして彼らが、そのゆたかな恵みに気づくことができるか、あるいはできないかは、神さまのお言葉に信頼し、その指示どおり、すなわち御心に適って生きるか否か。神さまはその信仰を試しておられるのです。

この出エジプト記の記述を総括するように記された次の申命記8章2節以降に次のような御言葉がございます。
「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」。

今日のメッセージは、この申命記8章の御言葉にすべてが示されているのです。
私たちは主の祈りにおいて、「試みに遭わせず悪より救い出したまえ、と祈るわけですが。それでも時に思いがけない試練に見舞われることもあるでしょう。けれどもそんな時にこそ、主は近くにおられ、人の心に目を注いでおられるのです。御言葉の糧を与え、人がそれをもってどう生きていくかを注視しておられる。知ろうとしておられるのです。
「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」。この御言葉を今日胸に刻みたいと思います。

さて、天からのパン(マナ)とさらにうずらという神からのプレゼントを前に、モーセとアロンは神の命令どおり、イスラエルの全会衆を主の前に集めたとあります。それは不平を聞いてくださった神にそれぞれが立ち返る悔改めの礼拝を意味しているように思えます。そうした夕方に「うずらが飛んで来て」イスラエルの民が食べる肉となり、翌朝にはマナがパンとなって、すべての人が食べて満腹したというのですね。

その箇所から知らされることは、私どもの生活の糧について「主がすべての主権をもっておられる」ということであります。しかし私たちはなかなかそのように思い、信じることができないものです。計算しライフプランを立て、保険をかけて貯蓄してもなお不安がぬぐえない今の時代、そのような人が多いのではないでしょうか。
主イエスは、マタイ6:33―34でこのようにおっしゃっています。
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。
試練の時、欠乏をおぼえるその時に、主は近くにおられます。私たちが主を第1とし、主の言葉に信頼して従っていく時に、私どものすべての必要は満たされていくのであります。それは生ける主の御言葉の体験であり、信仰の経験です。主の御言葉に信頼し、従うことによって私たちもそれぞれに、主は生きておられる。導き支えてくださっておられるという体験がおありでしょう。自身の、兄弟姉妹の証しの中に私たちは「その事実」を見出すことができるでしょう。

最後に、10節のところでイスラエルの全会衆に、「主の栄光が雲の中に現わされた」とあります。その栄光は時を経て、神の御独り子イエス・キリストが人間のからだを身にまとって来られる時までは、雲に覆われており、人の目には見ることが出来なかったのです。それはこのイエス・キリストが「命のパン」として天から降ってその栄光を現わされる時まで、完全な形では現わされませんでした。しかし、「時が満ち、神の国は近づいた」「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」なのであります。

今日の箇所にありますように、私たちの人生は荒れ野の旅路のように、その日常において様々な問題や悩み苦しみはございます。しかし、その試練の中においても命の必要を満たしてくださる神さまに信頼し、従っていく中で、神さまの計り知れないご愛と恵み、そのご計画を体験することができるのです。そのためには、まず主の御前に集い、恵みの主に立ち返って生きる、そのことが大切です。週に一度でも足りません。毎日のように不平不満、罪にまみえてしまう私たちであります。魂は霊の糧を必要とし命の水を慕い求めて渇きます。
主イエスは言われました。
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
                                          (ヨハネ福音書6章35節)


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