日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻頭言

2008-08-31 08:04:15 | メッセージ
「夏季休暇を戴いて」

8月18日~26日迄、夏季休暇を戴き北九州と福岡の実家に家族で帰省させて戴いた。まず教会のみなさまにリフレッシュの機会を与えて戴いたことに感謝します。
19日~20日は久山療育園(重症心身障害児施設)ワークキャンプに部分参加して、天神での街頭募金、また久山の入所されている方々とのふれあいの時を持った。今年のワークキャンプには延べ78名の参加者があり、久山療育園が新しく建って私は初めての参加だったので、その広さ、空間のスペース、入所されておられる各お部屋の明るさやプライベート空間など工夫がこらされているのに驚きを覚えた。9月23日の開園祭では「献堂式」が催される予定。
22日は友人の牧師を鳥栖教会に訪ねた。この日は私の恩師である久留米荒木教会の元牧師より「退任記念授業の補講」と題し、41年という永い牧会の足跡を辿りつつ、主のみ手の業を確認する授業を友人と一緒に聴講した。その日は鳥栖教会に一泊して、ゆっくりと話が出来た。
24日は前任地の篠栗教会の礼拝に出席した。突然行きましたので驚かれた方も多かったようですが、みなさんお元気そうで、笑顔で迎えて戴きとても嬉しかった。篠栗教会は教会堂の老朽化が深刻化し、会堂建築委員会が立ちあがったばかりとか。祈りに覚えたい。
そんなこんなで、夏季休暇もあっという間に過ぎた感もないが、ほんとゆっくりと家族でリフレッシュさせて戴いた。9月からまた諸行事が目白押し、主と共にあゆみ、主の福音を共々に喜んでいきたい。(シモン)
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巻頭言

2008-08-27 14:43:57 | メッセージ
「モンスター・ペアレント」 M・Y

モンスターとは怪物ということです。怪物のような親が学校にお越しになって自分の子供が原因で起こした「問題行動」の責任は自分の家庭ではなく学校にある、とまくし立ててくる親の事を指します。私は現場で37年間、貴重な経験をさせてもらった者です。
応用問題が起こると、学年担任が集まって一緒に善後策を練るのです。手に負えない深刻なものや、一過性のものもあります。生活指導上の厄介な問題には家庭訪問をして親御さんとお話をすることになります。その事で、教師が「登校拒否」で休職あるいは辞職した同僚仲間がいました。一例を申しますと、父親は弁護士をしておられたのですが、専門はまさに「登校拒否」を手がけている方でした。ご自分の専門分野であるのに、自分の娘が登校拒否になるなんて、父親は夢にも思わなかったし、自分の職業柄からプライドが許さない。所謂、モンスター父親です。世の中というのは、甘いものや辛いものが混在しています。現実とは厳しいものなのです。その、登校拒否をした生徒は、残念ながらついに学校をやめて田舎の学校に転校しました。田舎に住んでおられるお父さんの親元で娘は親と離れて、自分のやった行動を振り返る時間をもちました。また、親の有難味も味わったのです。そのところから彼女は再出発しました。自分さがしの旅をして暖かい祖父母の家庭で自分の存在を見つけたのです。ロシア文学の作家トルストイの作品で「アンナ・カレーニナ」の最初の言葉は次のことばではじまっている。「幸福な家庭はすべてよく似かよったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。」
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巻頭言

2008-08-17 07:44:41 | イベント
 「こども&おとなの8・15平和祈祷集会」

今回は「教会は平和を造れるのか?~戦時下のキリスト教とわたしたち~」とのテーマで講師に永井満先生(日本自由メソヂスト教団岩屋教会牧師)を迎えて行われた。こども&おとな合わせて58名が集った。講演ではまず戦後に出されたキリスト教諸教団・団体7つ(日本基督教団、日本基督改革派、日本バプテスト連盟、日本基督教会、日本バプテスト同盟、日本ナザレン教団、日本福音ルーテル教会、日本キリスト協議会、沖縄バプテスト連盟、日本福音キリスト教会連合)の戦責告白が簡潔に紹介され、その中で最も早い「第二次大戦下における日本基督教団の戦責についての告白」でも、敗戦後20年もかかって出された、なぜそのように遅れたのかという切り口から本論に入った。そこには、戦争という時代の中に生きた先達でないと分からない苦悩、苦痛があった。あの時代に生きていたら戦争反対と抵抗することもできない現実があり、しかたなかったなどの複雑な体験者の思いがあったとも説明。しかしその大きな問題は、最初に出された戦責告白に「戦争を神の摂理として受けとめる信仰理解」に問題があったと指摘した。戦争は摂理だったと言い切れば過去の過ちに目をつぶり、そこで論議が終わってしまう。また、戦時下のキリスト教会がときの政府の要請を受け入れて「国民儀礼実施を求める教団通達」(皇居遙拝、国歌斉唱、先勝祈祷等)を公認・奨励したその背景に、明治以降のキリスト教が「社会から受け入れられたいという意識、マイノリティーからメジャーになり公認されたい、一つ教団教派となっていきたい」という強い意識が働いていたとも語られた。講演を聴きながら、今の教会や私たちに、キリストに従うことよりも、神ならざる世の権威に従っていくそのような意識や働きが内外にないかどうかが問われ、主告白・キリストのみを主として従っていく信仰を培っていかねばと強く思わされた。(シモン)
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巻頭言

2008-08-10 07:49:20 | メッセージ
「少年少女大会に参加して」 

一昨年に続き今回も全国少年少女大会に分団リーダーとして参加した。天城山荘まで大阪教会の他、3つの教会から参加する計10名を引率した。受付で大会資料に目を通すと、関西から25名もの参加者がいることを知り、希望を抱いた。
私はうん十年前の中2の時にこの大会に初参加、以後高3まで毎年連続参加した。ちなみに中3の時の大会でバプテスマ決心をした。分団リーダーを引き受けるのは、天城での少年少女大会で多くの主にある友との出会いを得、育てられたという理由からだ。大会スタッフや分団リーダーの中には私と同じ時期に少年少女大会に参加した方々がおられ、その二世の子ども世代が今は少年少女大会に参加し盛り上げている。
この大会も数年前から隔年開催となり、全国各地の少年少女たちが2年に1度しか天城で会うことが出来ないのは残念だろう。予算的な問題が一番大きいようだが、教会の少年少女の育成は急務なので、例えば各地方連合の持ち回りにして毎年開催にできないだろうか。現在、「隣人に出会う旅」が新しく隔年で行われ、少年少女大会の中で旅に参加した少年少女たちがその出会いや体験を分かち合うプログラムが組まれている。今回はタイ、韓国、沖縄、広島、北九州の旅からの豊かな報告を受けた。まさに「和解への旅路」であり、「いのちと福音」のつながりをしっかり捉え、共に支え合う喜び、力を学ぶ実践的な場となっている。
今回の大会に参加して思ったことは、教会に子どもたちがいないと嘆くだけではなく、地方連合や近隣の教会と連携、協力しながら少年少女たちの育成や活動をもっと支援することができないだろうか。(シモン)
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全国少年少女大会に参加して

2008-08-06 07:55:39 | イベント
全国少年少女大会に参加して H・S


7月29日~8月1日、私は天城山荘で行われた全国少年少女大会に参加してきました。2年前に参加した時の、同じ年頃の仲間達と出会い、共に神様を賛美する喜びを忘れられなかったからです。大会では2年前に仲良くなった友達、4年前の子羊大会で知り合った友達がたくさん居て、とても嬉しかったです。初対面の子もたくさんいましたが、みんな優しくて楽しくて、すぐに仲良くなれました。普段同じ年頃の子達と聖書について話し合ったり神様を賛美したりすることがあまりないので、本当に充実した時を過ごせました。

講演では大会講師の佐々木先生からルワンダの大量虐殺についてのお話を聞くことができました。この大阪教会でもルワンダの映画の話題がよく出ていましたが、私は"忙しいから"という理由で見ていませんでした。ルワンダという国で大量虐殺があったということしか知らず、ルワンダがどこにあるのか、なぜそのような悲しい事件が起きてしまったのか、何も知らないくせに知ろうとも知らなかったのです。

しかし、佐々木先生の"イエス様の十字架と自分、本当に関係あると思っているのか?"というお言葉を聞いて、今まで自分がとても無関心だったこと、また無関心ということがどれだけ罪なことなのかに気づかされました。今何が起きているのかを知り、自分はどこにいるのか、その場所で自分が何をできるのかを考えることが重要なのです。

また、今回の大会のテーマは"和解への旅路"でしたが、ルワンダのお話から和解とは何なのか?ということも考えさせられました。家族や大事な人を殺した相手を赦す、自分が殺してしまった相手の家族と和解する。どれだけ大変なことでしょうか?私はこのお話を聞いた時、とても胸が痛くなりました。ルワンダの人々は赦すことができたのに、私はどうして赦すことができないのだろう。ルワンダの人々の方が何百倍も辛くて憎くてやり切れないはずなのに。その後の分団の話し合いで、私は思わず泣いてしまいました。赦してあげなければと思うのに、つい冷たい態度をとってしまう、顔を見ただけで思わずいらっとしてしまう。なんて自分はだめなんだと思ってしまったのです。しかしその日の夜のメッセージで、ルワンダの人々も赦すのに何年もの年月がかかったこと、赦すために必要なのは感情ではなく意志だと言うことを知りました。自分はあの人を見たらむかつくから、赦すのは無理だではなくて、赦そうという意志。その意志を持つことはすごく大変なことです。だけど、神様が支えて下さるからこそ、その意志は持ち続けることができるのだと思います。またそのためにはお祈りが欠かせないと思います。

こんなにたくさんのことに気づかせて下さり、たくさんの仲間と出会わせて下さり、共に賛美する喜びを分かち合えた。神様のお導きに感謝します。最後にこの大会に送り出して下さった大阪教会の皆さん、本当にありがとうございました。

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巻頭言

2008-08-03 07:39:03 | メッセージ
「その時歴史が動いた」 T・S

今から63年前の昭和20年(1945年)8月15日、空襲で家を焼き出された私は、東京牛込・矢来の叔父の家に居候していました。夜遅く叔父が帰宅して、「達ちゃん、戦争は終わったよ、明日放送があるから聞くように」と言われました。叔父は軍需工場への金融が仕事でした。
 15日昼学校の屋上に集合させられ、昭和天皇の戦争終結の放送を聞きました。皆泣いていました。空襲は晴れてちぎれ雲が飛び交い、B―29が低空飛行でアメリカ人捕虜収容所に救援物資を投下していました。それを拾いに行った日本人の幾人かが下敷きとなって死亡したと報ぜられました。 戦争が終わって正直のところほっとしました。5ヶ月前から始まった東京大空襲、曳光弾を四隅に落として真昼のように明るくし、一物も残さないじゅうたん爆撃によって10万人以上もの人々が亡くなりました。私が見た亡くなられた方々は、幾百人を超え、幾千人だったでしょうか。特に乳飲み子を抱えたままの母親の姿、姿、、、に思わず涙しました。
 昨年・一昨年とT兄の案内で広島原爆記念館を見学しました。戦争の悲惨さはなかなか伝わり難いものです。臭い(焼け焦げたものと死臭)・音(落雷のような地から湧き上がり思わず伏せてしまう)・風(火事が拡がると激しい対流が起こり暑い暴風が吹き荒れてとても眼をあけて立っていられない)・恐怖心(上空からの焼夷弾、時限爆弾が何時何処で破裂するか分からない)等々の臨場感に今でもうなされることがあります。
  幾千万の人を死の戦禍に巻き込み、戦いを仕掛けた日本が残した唯一の平和憲法は何としても守らなければなりません。太平洋戦争の歴史的な検証と悔い改めが私たちにもはっきりと分かる形でなされなければなりません。8月は平和月間として心ならずも戦陣のために倒れた人々のために深い祈りを捧げる月でありたいと思っています。
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