日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

解放の賛歌と祈り

2021-05-30 12:26:10 | メッセージ

礼拝宣教  使徒言行録16章16~34節 

本日も先週に引き続き使徒言行録16章より「解放の賛歌と祈り」と題し、御言葉を聞いていきます。

この箇所はパウロの二回目の伝道旅行についての記事でありますが、先週触れましたようにこの伝道の旅を通して主の福音は小アジアを越え、マケドニア地方・ヨーロッパにまで伝えられることになります。

先週は、そのマケドニア州のフィリピで紫布を商うローマ人の婦人ルディアとその家族が救われる記事を読みました。その始まりは、ユダヤの会堂もない町外れの岸辺に集う祈りの場であったのです。ユダヤ教では聖書が語られ、それを学ぶのはもっぱら男性でありました。しかしそこには幾人かの女性たちが集まっていたのです。フィリピでは神を敬い求道するこのような女性たちから救いが起こり、その家族、地域の人々へと福音が拡まっていくのです。

今日のところでは、祈りの場に向おうとするパウロら一行を執拗に追いかけてくる占いの霊にとりつかれた女奴隷が現れます。彼女は「この人たちはいと高き神の僕でみなさんに、救いの道を宣べ伝えているのです」と叫んでまわり、そういうことを幾日も繰り返すのです。ほとほとたまりかねたパウロは「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と、彼女にとりついている悪霊に命じ、追い出しました。彼女は自分を縛っていた占いの霊から解放されます。

ところが、この女奴隷の主人たちは、金もうけの望みがなくなったことを知り、パウロとシラスの2人を捕え、役人に引き渡すために広場に引き立てて行き、高官たちに引き渡すのです。他にもテモテやルカもいたはずですが、パウロとシラスがユダヤ人であったから捕えられたようです。当時マケドニア州全域もまたローマ帝国の支配のもとおかれていました。そのローマの植民都市であったフィリピはローマ帝国によるユダヤ人追放令が出されていたため、当時は反ユダヤという社会的な動きが起っていたのです。

女奴隷の主人たちが「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」と、主人たちがローマ帝国の権力におもねていることからもそれがわかります。悪霊に取りつかれている女性を自分たちの金儲けの道具として利用し、むさぼっていることこそ問題なのですが。それがローマ人対ユダヤ人という対立の問題にすり替えているのです。それをローマの群衆も後押して「パウロとシラスの2人を責め立てた」というのです。

いつの時代もこうした世の力が働いて社会的な少数者、社会的弱者が差別や排除の対象とされていく現実があります。それは神との対話と関係性が損なわれたことによる人の罪が、そういった社会を生み出しているのだと思います。

真の生ける神を知らなかったローマの高官たちは、問題を起こしたのがそのユダヤ人たちであったということで、問答無用とばかりに裁判も開かず、2人の衣服をはぎ取り、何度も鞭を打ってから、牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じたとあります。ローマの鞭はユダヤの鞭とは違い、鞭の先に鋭利にとがった金具がつけられており、大けがをしたり、時に死に至らせることもあったそうです。パウロとシラスはイエスさまが打たれた同様の鞭で、その生身を何度も打たれたのです。さらにいちばん奥の牢に入れられ、木の足かせをはめられて身動きもとれません。酷い鞭打ちで身体中は赤く腫れあがり、どれほど痛く苦しかったことでしょう。

しかし、25節には「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」と記されています。

そのような絶体絶命ともいえるような苦しい状況であったにもかかわらず、2人はそこで賛美の歌をうたい、神に祈り続けていたというのです。そして彼らが牢の一番奥深いところからなおも神への賛歌と祈りを捧げ続けるとき、それが主に望をおく者の証となっていくのです。

他の「囚人たちはこれに聞き入っていた」とありますように、その賛歌と祈りは牢の中にいたすべての囚人たちの魂にしみ通っていきます。それはきっとこれまでの人生において知ることのなかった、神への畏敬の念と慰めをもたらしたのではないでしょうか。

パウロとシラスは確かに足かせをはめられ、身動きも取れず不自由な状態であったわけですが。しかしその魂は世の何ものにも支配されず、自由であったのです。

ローマの信徒への手紙8章35節以降でパウロはこう言っています。

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。(中略)しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどのような被造物も、わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。

この主なる神への愛と信頼の賛歌と祈りが、囚われの身である人たちの魂にしみ渡るのです。パウロとシラスは朗々とこぶしをきかせて歌っていたのではなかったと思います。

苦しさから息も絶え絶えに、時にうつろいながらであったでありましょう。けれどそれが囚人たちの胸に響いたのです。「そんな状況の中で神をたたえる。恨みつらみでなく喜びをもって主を賛美する」。そこに福音のもつ本物の力、神の栄光が顕わされていくのです。

 

ところが、そのような時、突然、激しい揺れと大音響を伴う大地震に揺さぶられます。

26節には、そこで3つの出来事が起こったと記されています。まず「牢の土台が揺れ動いた」。次に「牢の戸がみな開いた」。そして「すべての囚人の鎖も外れてしまった」。

まあ、こんな事は考えられないことです。ここにいたすべての囚人たちは「これは圧倒的な神の御業である」と、そう思わずにいれなかったのではないでしょうか。

そういう中で囚人たちの内に逃げ出す人は誰もいなかったのです。間違いなくパウロとシラスの賛歌と祈りが彼らにそうさせたのです。彼ら囚人たちは牢の外に出るという自由よりも、神への畏敬の念をもって罪を犯さない自由を選んだのです。それは彼らにとっての真の解放であったに違いありません。

 

さて、目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとします。彼は囚人を逃した刑罰で死刑になるのなら、自分でその責めを負って死のうとしたのです。

すると、パウロは大声で叫んで、「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」と、それを押し留めます。「看守は、明りをもって来させて牢の中に飛び込み」、囚人たちがみな逃げていなかったことを確かめると、「パウロとシラスの前に震えながらひれ伏す」のです。それまで看守の耳にも賛歌と祈りは届いていたのでしょうが、意に介することはなかったのです。しかし、まさに死を前にして、そのすべての出来事の中に神のお働きを見たとき、彼の中に神への畏れが生じるのですね。

そうして看守はパウロとシラスを牢の外に連れ出し、こう言うのです。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」。

それは生ける神を知った彼が、神の裁きと滅びの人生から救われるために、私はどうすべきか、どう生きるべきか、との問いです。

それを受けてパウロとシラスは言います。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」。これがパウロたちの答えでした。

パウロとシラスはこうして看守とその家族に、主の言葉、すなわち罪のゆるし、主の復活による新しい人生と永遠の命の約束を伝えます。まさに主の福音、喜びの訪れです。

この「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」との言葉は、1人が主を信じたらその家族までも救われるということで、よく知られ用いられる聖句でありますが。確かに1人が救われたことで、そのよき知らせが家族の中にもたらされることになりますけれども。それは家族の1人が救われたら、他の家族も自動的に救われるということではありません。よくこのところを読みますと、まず、「主イエスを信じなさい」ということが救いの大前提なのです。信じ救われた人が生活の場で伝えられた福音を聞いて、イエスを主と信じ受け容れる人のうちに救いが訪れるということです。

そこで2人は32節「看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った」。

ローマの信徒への手紙8章9-10節で、パウロは次のように言っています。

「口でイエスは主であると公に言い表わし、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたがたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表わして救われるのです」。

 

33-34節「まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐにバプテスマを受けた。おそらく家族の一人ひとりも又、主イエスを信じ、バプテスマを受けたのでしょうね。

この後、看守は「二人を自分の家に案内し食事を出し、神を信じるようになったことを家族ともども喜んだ」とあります。

先の、リディアも自分と家族がそれぞれに主イエスを信じて救われ、バプテスマを受けた後、パウロを敢えて家に引き留めました。看守も同じようにパウロとシラスを家に招待し、家族がそれぞれに主を信じるようになったことを証し、神をほめたたえる喜びの祝宴が催されるのですね。

ルカの記したこの使徒言行録、又ルカによる福音書には、神の家族、小さき主の群れに対する記載が多くあります。主を信じて救われたクリスチャンには、同じ志を持つキリストの群、神の家族と主の福音を共に喜び励まし合う交わり、コイノニアが必要であることを伝えているのです。

主にあって互いに祈り合い、救いの喜びを共にする関係性をして、主イエスは「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:21)とおっしゃっているのです。

そのような主にある交わりは、神の家族、そして教会から、さらに世界中の主にある家族へと拡がっていきます。

先週はバプテスト連盟を通して私たちも長年その交わりに与ってきましたインドの旧プリこどもの家;現「プリ・キンダーガルテンスクール里親の会」の世話人会代表の松本さん経由で、モハンティ先生からの緊急の祈りのリクエストが届きした。

「町にサイクロンが接近しているのでぜひ守られるために主に祈ってください」。又「今インドの人々を襲っているコロナ変異種ウイルスの終息のために祈ってください」という祈りの要請でありました。すぐに教会のみなさんにメール等で配信させて頂きしたが。すると早速ある方から「ぜひ祈ります」という返信を頂きました。さらに何人かの方々からも「祈ります」との返信を頂き、心強く思い、感謝でした。先週は教会一致祈祷会を覚えて、教団教派を超えた関西の多くの主にある方々と「教会一致」の祈りを合わせることとなりまましたが。私たちの群れは小さいですが、様々なかたちで祈りの輪につながらせて頂いているということを体感させて頂いた思いです。

 

主は私たちの祈りと求めに耳を傾けて下さり、今も生きてお働きくださいます。

本日は困難な中でなお、生ける神に喜びと信頼をもって賛歌と祈りを捧げ続けるところに、生ける主が人の思いを超えた仕方で救いのみ業を起こし、お働きくださるとの御言葉を頂きました。今週もこの命のことばをもって、歩んでまいりましょう。

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人の思いを超えた神のご計画

2021-05-23 11:03:50 | メッセージ

主日礼拝  使徒16章5~15節

 

今朝は聖霊降臨日、ペンテコステの恵みを覚え、礼拝を捧げることのできます幸いを感謝します。先に、大阪キリスト教連合会による「教会一致祈祷文」をもとに祈りを合わせました。コロナ禍にあって諸教会の礼拝をはじめ活動が困難な中で、こうした教派を超えた一致の祈りを共に捧げることは大変意義深いことですが。心を一つに主に願い求め、「人の思いを超えてお働き下さる神」に信頼と期待を新たにしてまいりましょう。

本日は使徒言行録16章からみ言葉を聞いていきます。この箇所は主の福音がマケドニア州(ヨーロッパ)のフィリピにまで拡大していく転機となったところであります。

まず、当初パウロたち一行はアジア州(西トルコ地域)やビティニア州(北トルコ地域)へ出向いて福音を伝えようと計画を立てていました。しかし彼らの計画は度々、阻まれてしまうのです。

6節には「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」とあります。「聖霊から禁じられた」。

パウロが書いたガラテヤの信徒への手紙を読みますと、「知ってのとおり、この前私は体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」(4章13節)とあります。パウロは体が弱かったために自分が立てていた計画を変更せざるを得なくなったが、そのことによってガラテヤ地方で福音を伝えることとなった、とあります。人間の側に様々な事情が起ってきて、予定していたことができなくなる。逆に思いもしなかったことを始めることになる。そんな時がございます。けれどもそこに絶えず信仰と祈りがあるならば、聖霊の風が吹き、神の業へと導かれてゆく。それは歴史の中に今もお働き下さる神の事実であります。

又7節、「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った」とあります。

「イエスの霊」とわざわざ記すのは、イエス御自身がご計画をもってすべてを持ち運ばれたのだという確信を得たからだと思います。

パウロが持っていた当初の伝道計画は、このように聖霊によって禁じられ、イエスの霊がそれを許さなかった。人の側の計画に神の「待った」がかかり、人の思いを超えて万事を益となす、最善の神のご計画が実現していくのです。

そのような中、9節「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてださい』と言ってパウロに願った」とあるように、いよいよ神のご計画が明らかにされます。

伝道や宣教の業が一向に計画通りに進まないような折にも、又、弱さを覚える苦しみの中でも、パウロは主の御心をひたすら祈り求めていたにちがいありません。そこに主は幻を与え、「それに向って行け、旅を続けよ」とおっしゃるんですね。

私たちの今の状況はまさに人生の想定外といえます。けれどもこのパウロのように、主のご計画に期待し、祈り求めていく人生の旅を歩んでまいりたいものです。

ところで私たちが旅行するとき、持っていくものは何でしょうか。着替え、洗面具、カメラ、旅費、常備薬、聖書などでしょう。パウロはそういった物をもっていったかどうかわかりませんが。パウロにとって最も大事な携えもの、それは信仰という杖でした。讃美歌に「信仰こそわが身の杖と頼まん」という歌詞がありますが。どんなときも、どこにいても、主がともにいてくださる。聖霊が導いて下さるという確信と祈り。イエス・キリストを救いの主と信じ、この信仰の杖に依りすがりつつ、救いの証を立てる人生の旅を私共も続けてまいりたいものです。

さて、幻を見たパウロは、すぐさまマケドニアに向けて出発します。

ここからパウロとシラスの3人の旅に、この使徒言行録を記したとされますルカが加わっていきます。それまでのパウロ、シラス、テモテを指す「彼ら」と記されているのが、この10節から「わたしたち」という表現に変わっています。「わたしたちはすぐにマケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召しだされているのだと、確信するに至ったからである」と記すのです。

ここで肝心なことは、パウロに与えられた福音伝道のビジョン・幻がパウロ個人のもので完結せず、「わたしたち」という主を信じて生きる人たちに共有されたということです。ルカは医者であったといわれていますが、過酷な伝道の旅と迫害の傷から何らかの病気や障害を抱えていたパウロのそばに付き添いながら、マケドニア州・ヨーロッパ伝道を伴走することになったのでありましょう。

パウロがさらなる異邦人への福音伝道のビジョンを抱いて踏み出した時、主はシラスを備え、次にルステラでテモテを伝道の働き手として与え、さらにトロアスにおいてビジョンを共にする協力者としてルカを加えられていったのであります。主の御心に聴き、応えて踏み出す時、聖霊はビジョンを共にする協力者や理解者を送ってくださいます。

今、コロナ禍の状況にあっても、いや、このような状況だからこそ、主の福音は多くの人に求められているのではないでしょうか。主のご計画、主のビジョン・幻が、立場の違いや従来の枠組みを超えてよりゆたかに聖霊の導きを得られていきますよう、希望をもって祈り求めてまいりましょう。

さて、パウロたち一行の最初のマケドニアでの福音伝道地はフィリピでした。それは「とある安息日の川岸での祈りの場所」から始まったのです。まことに小さな集まりが、まるで水面に小石を投げたその波紋が大きく拡がっていくように、後にヨーロッパへと拡がり、主の教会が各地に生まれていくことになったのです。

私たちの大阪教会の出発点はどうだったでしょうか。

「日本バプテスト大阪教会40年のあゆみ」という記念誌に前々任の牧師であられた中島先生が書かれた文章の一部をご紹介します。

「1950年9月、宣教師A.L.ギレスピー師御一家が来阪し逢阪上ノ町に居を構え、広島バプテスト教会を母教会として大阪開拓伝道が開始されました。まだ戦後の焼け跡がそのままといった所もある時代でした。1951年3月に教会組織をしましたが、1952年施工の旧会堂の前の通りは計画道路で狭く、チンチン電車が走っていました。やがてトロリー・バスに代わり、更に市バスに代わり、そして地下鉄が新設され、『谷町筋』となりました」とあります。そういう情景の移りゆく中で、福音伝道は祈りと献身によって推し進められていきます。

長年南千里教会の牧師としてお働きになられた福島先生は、大阪教会で受浸され大阪教会で3年、堺教会の開拓伝道に3年、その後南千里教会で牧会されたのですが。福島先生がその40周年記念誌にお寄せになった一文に、次のように記されています。

「片言のギレスピー師の指導で右も左もわからぬ20名弱の信徒が毎週祈祷会に全員出席し、折りたたみの椅子を丸く囲んで祈り、全員で路傍伝道に、駅でのチラシ配りに、とにかく、『お言葉ですから網をおろしてみましょう』(ルカ5:5)という自発的な信徒伝道が出発点であったことを思い起こしています。何でもとにかくやってみよう、失敗すればまた出発点に戻って祈ってやりなおせばいい、というのが合言葉だったように思います」とあります。

祈って聖霊の働き、神の導きを求め、福音の証となる業にひたすら務めて行かれたのですね。こういう先輩方の活きた言葉に触れるとほんとうに元気を戴くものでありますが。私たちも置かれた所で、主の福音の恵みを分かち合う者とされ、又主の教会を通して神のご計画とビジョンを共にして、祈りを合わせて進んでまいりたいと願います。

聖書に戻りますが。パウロら一行の福音伝道ですが、彼はやみくもに伝道したわけではありません。まず、求道の心をもった人たちのところへ向います。異邦人でありながら、ユダヤ教や旧約聖書に関心を寄せていた人々のもとに足を運び福音を伝えるのです。

その中で、川岸の祈りの場に紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人がいて、「主が彼女の心を開かれたので」、パウロの語る福音を受け入れ主を信じ、彼女も家族もバプテスマを受けました。ここにも神のご計画が示されています。

大切なことは、パウロらに説得力があったから受け入れたというのではなく、「主が彼女の心を開かれた」ので主を信じた。主が彼女の存在をお用いになり、ゆたかに福音の実りをもたらそうとご計画なさったのです。

ルディアは高価な紫布を商う婦人であったそうですが、異邦人でありながら神をあがめていたということです。天地万物をお造りになられた唯一の神を畏れ敬う人でありましたが、旧約の預言に記されたメシアについてはまだ何も知りませんでした。しかし、彼女はパウロの宣教を通して、聖霊の導きにより心開かれ、「イエス・キリスト」こそ、人類の罪をあがなうために十字架にかかり死なれ、三日の後によみがえられた救い主・メシアであることを知るのです。

このところで特に心に留まりますのは、救いがリディアだけでなく、彼女の家族一同も信じてバプテスマを受けたという点であります。使徒現行録には家族全員が主に立ち返り主を信じて、バプテスマを受けたという家族の救霊についての記事が今日のこの個所を含め4か所もあります。10章以降の百人隊長のコルネリウスとその家族。16章25節以降の看守とその家族。18章8節にはユダヤ人の会堂長のクリスポとその家族です。使徒たちによって福音が伝えられ、その地において家の教会ができていくのでありますが、その核は家族単位であったのです。この家族は血縁の家族以外にも遠い親類縁者や雇い人まで含まれていたようであります。

少子化と核家族化した今日の時代において、逆に家族伝道のもつ意義は大きいのではないでしょうか。1人の救いの祝福が親族・知人・友人の祝福と広がっていきますよう祈りつつ、努めてまいりましょう。

ところで、このリディアがフィリピの福音伝道の核となる人物として召しだされた点については、なるほどと思えることが今日の個所から読み取れます。

それは15節、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊りください」と言って、パウロら一行を招待し、無理に承知させた、というところです。

えらい強引だなと思いますが。それほどまでに彼女は福音の喜びに満たされたのだと思います。又、その喜びを素直に大胆に表せる人であったのでしょう。主のために自分の家を開放することに喜びを感じ、そうせずにおれなかったのです。神はリディアの心を開かれましたが。彼女はその開かれた心で家庭をオープンにしたのです。家を主の為に開放し、ささげ、働きのために用いられることにさらなる喜びを見出したのです。ここにフィリピの教会の前身がありました。「喜んで仕える者を主は愛して下さる」という聖句がありますが。この「喜びをもって」ということが事の大小に勝って大切なんですね。

その後のフィリピ教会はパウロの書いた「フィリピの信徒への手紙」を読みますと、いかに愛と慰めに満ちた教会として成長していったかを伺い知ることができます。主によって自らを開き、喜びをもって仕え合う事が、どれほど祝福をもたらすものであるかをそれは物語っています。

本日の箇所において、当初パウロたちが立てた福音伝道の計画が度々阻まれるようなことが起こりましたように、わたしたちにとっても昨年来より未曾有の新型コロナウイルス感染症が世界中に拡がり、教会の礼拝はじめ諸活動が思うように出来ないといった今までに経験した事のない事態が起こっております。

しかし、このような今だからこそ、この時だからこそ、わたしたちのなし得る福音の証があるのではないでしょうか。本日は聖霊降臨・ペンテコステの礼拝です。心を一つに祈るところに今も聖霊はゆたかにお働きになられます。

先に「教会一致」の祈りを主にお捧げしました。又、今教会に集まることができなくとも、主にある家族として、互いのことを覚え、祈り合っていくことは、必ずや霊的祝福と養いとなっていきます。

今週から皆でその時々の祈りのリクエストを出し合い、毎日誰かから祈られ、誰かのために祈っているという、主の教会につながってこその祈りの輪を、今まで以上に実感出来るよう形づくっていきたいと願っております。

大阪教会は今年1月に教会創設70周年を迎えました。世は移り、人の思いは様々ありましょうとも、この地にあって神のご計画は確かです。主にこそ信頼し、福音の扉がさらに開かれ、主の御救いと栄光が顕わされるために聖霊のお働きを祈りつつ、今週もこのペンテコステの礼拝から歩み出してまいりましょう。

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主の教会とされていく出来事

2021-05-16 11:22:53 | メッセージ

礼拝宣教  使徒言行録15・1-21

使徒言行録15章はいわゆるエルサレムの使徒会議といわれる記事であります。それは、ユダヤから始められた全世界に向けての神の救いのご計画が、この会議を経て本格的に開始されていくことになるのです。人の業に先立つ神のお働きによって、アンティオキアの教会は異邦人に主の福音を伝える役割を担うことが承認され、世界に向けた福音発信の拠点となっていくのです。

その会議を開くきっかけとなったのは、1節「ある人々がユダヤから(アンティオケアに)下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた」というような事が起こっていたからでした。

先週11章を読みましたとおり、アンティオキアの教会ははじめ名もない信徒たちがユダヤ人以外の異邦人に主の福音を伝え、神が「彼らを助けお用いになられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」ということであります。さらにバルナバやサウロの働きが加わって、ユダヤ人以外の異邦人の間に主の御救いの出来事が大々的に起こされていきます。

ところがユダヤの律法や慣習を重んじていたユダヤの主の信徒たちの中には、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と主張する人たちが現れたというのです。

2節「それで、パウロやバルナバとその人たちの間に、激しい意見の対立と論争が生じた」。

アンティオキアの異邦人たちが聞いて信じたのは、主イエスによってもたらされた罪のゆるしと神との和解の福音であり、それはただ神からの恵みの賜物であった。そこにユダヤ人と何の分け隔てはなかったのです。

しかし、一部のユダヤ人信徒たちから「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言われると、結局は行いや律法の慣習的儀式が救いの条件となってしまいます。それは主の福音に挑戦する大問題であったのです。神の救いの業より人の業を重視するその人たちの考え方は、異邦人に割礼を強要してユダヤ人化する、民族の同化を強要することでもありました。パウロとバルナバはそのような考え方に強い危機感を覚えていたのです。

パウロが断固そのことに対して譲れなかったのにはわけがありました。

彼もかつては非常に熱心なユダヤ教徒としてモーセの律法の慣習や割礼を忠実に守り仕えていたからです。

そんな彼がダマスコの道で復活の主と出会うのです。そこで自分の正しさを貫こうとキリストの教会とその信徒たちを敵視し迫害してきたことが、実は彼が忠実に仕えてきた主御自身を敵視し、迫害することであるということを、主から告げ知らされることになるのですね。

彼はこの復活の主との出会いによって、的はずれともいえる自分の考えや生き方、そこから生じる自分の罪が主を十字架に引き渡し、苦難と死へ追いやったこと知り、打ち砕かれるのです。そしてそのような自分の深い罪を、主が贖うために十字架におかかりになったことを改めて知らされた時、彼は「ただ主の恵みによってのみ救われる」経験をしたのですね。

自分の正しさに立って義を立てようとするところには、自分と人への裁きが生じるのみ、そこに救いは得られないことを彼は身をもって知っていたのです。

ですから、「ユダヤの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」とする神の恵みを否定する教えに対して、断固抗う必要があったのです。

 

先週NHKの番組で、カルト宗教にからめとられた(親に束縛された)人生から解放された女性作家のお話がありました。お母さんが入信し、その異常さから父親は家を出ます。教団内には戒律ともいえる取り決めがあり、厳しくその生活と行動が管理、制限されます。こどもも例外ではありません。「それはサタンの仕業、そんなことをしては地獄に堕ちる」と恐怖心で縛られていきます。「救われるためにはこうあらねばならない」と信者もこどもも互いに裁き合う姿には、喜びも希望もありません。お母さんとの関係に苦しみ、自分を見失い、人間らしい感情をむしばまれていたその女性は、入院療養先での方々との交流、又自分自身や他者との対話を通して解放され、いやされていきます。

私たちの信仰の歩みはどうでしょうか。ただ主の恵みによって、ゆるしと解放に生かされている喜びのうちに、他者を自分のように愛し尊重できる天の国の交わりを追い求めていくものでありたいと願うものです。

 

聖書に戻りますが。さて、「この件(異邦人は割礼を受けなければ救われないと主張する人たちの問題)について、使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まり、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した」のであります。

ところが、律法を厳守してきたユダヤ教のファリサイ派から主イエスを信じるようになった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った、とあります。

その時、パウロとバルナバは、エルサレムの教会とたもとを分かって独自の教会としての道を歩むこともできたでしょう。しかし彼らはエルサレム教会の使徒や長老たちと対話し関係性を築いていく道を選ぶのです。それはエルサレム教会の使徒や長老たちも同様でした。

「協議」や「会議」というと、ある種のアレルギーを持たれる方。堅苦しく形式的で議論は面倒といった思いを持つ方もおられるかも知れません。けれども、まず対話をしてみる。意見を聞き合い、出し合うことからしか得られないことがあります。大阪教会の創立に深くお関りになったギレスピ-宣教師はギロンスキ-(議論好き)先生と揶揄されたとお聞きしていますが。

この「教会会議」には大切な目的があったのです。それは「神の御心はどこにあるか」を見出すという目的です。そのために議論や協議がなされていくのであります。

それでは、その議論と協議において何が伝えられ、何が語れているのかを注意深く見ていきたいと思います。

 

まず、最初は使徒の一人あったペトロが8節で「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。(神は)彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした」と立って証言します。

 

続いてバルナバとパウロが。先にエルサレムの教会の人たちに「神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した」ように、ここでは会議に集まった全会衆に

向けて、12節で「自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について」証言したのです。

 

さらに、使徒のヤコブは、14節で「神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオン(ペトロ)が話してくれました」と言い、その真実を旧約聖書アモス書の預言の言葉を引用しつつ、この事は神の御心によるご計画であることを明らかにします。

肝心なことは、この「教会の会議」で証言され、語り合われたのは「人がなした業」についてではなく、まさに「神がなしてくださった救いの御業」についてなのです。

ペトロが証言の中で語ったように、主イエスの福音を信じ救われるのであって、律法の業や行い、割礼が救いの条件ではない。「ただ主イエスの恵みによって救われる」ことは異邦人も同様であるということ。それこそが、神の恵み、福音だということです。

 

そして、ペトロから「なぜ今あなたがたは、先祖も私も負いきれなかった軛を、あの弟子たち(異邦人クリスチャン)にかけて、神を試みようとするのですか」との言葉を聞いたエルサレム教会の全会衆は静かになった、とあります。

この軛とは、律法に縛られた人のことであり、それを負って行こうとすればするほど自分と人を責め裁いていく、そういう軛です。先祖も私も負いきれなかった軛。それを異邦人の主の信徒たちにかけ、負わせようとするのか、とペトロは言うのです。

これには「異邦人にも割礼をうけさせ、律法を守るように命じるべきだ」と主張していた信徒たちばかりでなく、全会衆が、自分たちはただ主の恵みによってのみ救われる者に過ぎないという、その救いの原点を問いただされたのではないでしょうか。

 

また、ヤコブはバルナバとパウロの異邦人伝道の証しを受けて、アモス書の預言の言葉を引用します。

16—17節『「その後、わたしは戻って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、元どおりにする。それは、人々のうちの残った者や(ユダヤ人)、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるためだ」。昔から知られていたことを行う主は、こう言われる』。

このように旧約聖書で示された真実に主を求める者、それは異邦人も同様に神の霊的幕屋に招かれるのだというその預言が今成就しているのだ、と御言葉から説き明かすのです。ヤコブは、だから「神に立ち帰った異邦人を悩ませてはなりません」と、勧告しているのです。

その一方で、ヤコブは異邦人の主の信徒たちにも、「偶像に供えた汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです」と勧告します。

これらはユダヤ人が非常に忌み嫌うことでした。ヤコブのこの提案にはある意図がありました。それは21節にあるように、異邦人のクリスチャンたちが律法を大切に教え、又それを聞いているユダヤ教徒たちにつまずきを与えないようにとの配慮からです。クリスチャンたちが、そのユダヤ人たちに敬意を表し、自分たちの自由な態度が彼らのつまずきにならないようにと、勧めているのですね。

この4つの勧めは救いの条件ではありません。ユダヤの律法からすれば忌むべきことであり、ユダヤの人々の忌み嫌うことです。

主の御救いに与った異邦人のクリスチャンは律法を知りません。知らずに行ったこと。或いは知っていても自分たちの自由な立場で公然と振舞うと、ユダヤ人たちは異邦人クリスチャンたちとの交流に心閉ざし、福音の拡がりをかえって妨げることになると、ヤコブは考えていたのではないでしょうか。

福音が分け隔てなく様々な考えや立場を持つ人とも分かち合われていくための配慮に学ばされます。

 

本日は「エルサレムの教会会議」の箇所から、「主の教会とされていく出来事」という題をつけさせて頂きました。

このところから、多くのことを学びとることができますが。律法を知るユダヤ人クリスチャンにとって、律法なしにクリスチャンになった異邦人たちに寛容になれなかった感情や気持ちはわかる気がいたします。

けれども、ユダヤ人のクリスチャンも又、律法の厳守や行いによってではなく、ただ神の恵みによって主の救いに与った者に変わりない。主イエス・キリストのあがないの業と救いこそがすべてのクリスチャンの原点であることが、公的に確認された歴史的使徒会議となったのであります。

そのプロセスの中で最も大切にされたのは、「人の業にではなく、神が如何に働かれているか」「救いの根拠はどこにあるのか」「主の御言葉は何と告げているのか」ということです。証と御言葉の確認。私はここに「主の教会とされる出来事」を見せられた思いでした。

主の救いに与っている私たちは、それぞれに性格も考え方も、信仰の受け止め方も各々異なっているところはありますけれども。そこで人を見て、比較するのではなく、「私たちになして下さっている主の御業」を、いつも語り合い、互いがその恵みを見て、喜び合う主の信徒とされていきたいと願います。今週も今日与えられた御言葉をもってここから歩みだしてまいりましょう。

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苦難の中から生まれた教会

2021-05-09 11:18:27 | メッセージ

礼拝宣教  使徒言行録11・19-26

 

本日は、使徒言行録11章19節以降の「アンティオキアの教会」が誕生していった所から、御言葉に聞いていきたいと思います。

主イエスの福音、喜びの知らせは、使徒となった主の弟子たちを通して宣べ伝えられ、日ごとに主を信じる人びとが増し加えられます。しかし一方、迫害も強まっていく中で、重要な役割を担う1人であったステファノが、石打の刑を科せられ殉教します。

この19節に「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フィニキア(現・レバノン)、キプロス(島)、アンティオキア(現・シリア)まで行った」。言い換えれば、辺境の地や島々、又異教の地です。散らされた信徒たちはそこで主イエスの福音を語るのであります。しかし彼らはユダヤ人とユダヤ人社会に限定して主の福音、御言葉を語り伝えました。

ところが、彼らの中のキプロス島やキレネ出身のギリシャ語を話すユダヤ人たちがおり、その信徒たちはアンティオキアに行ってギリシャ語を話すあらゆる人たちに語りかけ、主イエスの喜びの知らせ、「福音を告げ知らせた」のです。これは原語に忠実に訳すなら「福音を告げ知らせていた」ということです。つまり粘り強く継続的に主の福音を告げ知らせ続けていたのですね。

 

ギリシャ人には神話の神々、偶像に囲まれ、また熱心に哲学を論じ合うといった精神風土があります。天地万物の創造主という神概念など持っていません。まあ、そのギリシャ圏の人たちに天地を創造し、解放と救いをもたらす生ける神を知ってもらうというのは大変なことでした。それだけ忍耐強く、継続して主イエスの福音を語り続けていく必要があったのです。

このことは、日本でも同様でありましょう。日本にも八百万の神々、海や山の神々、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、学業・縁結・安産等の御利益のある神が祀られています。前任地の町の沿線に「山の神行き」と表示されたローカルバスが走っていたのを思い出しますけれども。又、先祖を祀るしきたりも根強く、親族と地域とのしがらみから信仰の自由もままならない方も多くおられます。

本日の箇所で、各地に散らされた名もない主の信徒たちが、ユダヤ人として自分たちが持っていたこだわりや、こうあらねばならないといったしきたりをひとまず置いて、アンティオキアの人々と関り、向き合い、粘り強く福音を語り続けていった。そのことがやがては全世界に喜びの知らせ、福音がもたらされる起点となっていくのです。

しかし、ここで何より大切なことは、21節で「主がこの人々を助けられたので」と、記されてあることです。口語訳は原語に沿って「主の御手が彼らと共にあったため」と、訳しています。

主の良き知らせ、福音を胸に心を込めて粘り強く継続的に関り続けることは本当に尊い働きですね。そのすべてを主はご存じなのです。そうして主の助け、御手が共にあって、生ける神の前にかけがえのない一人の人の魂が救いへ導かれるのであります。

ここには、そうして「信じて主に立ち帰った者の数は多かった」とあります。それは異教的な神々との関係ではなく、真の生ける神との人格的な関係がここに回復されていった。この喜びの知らせ、生ける神との交わりの回復。これを聖書は「救い」というのです。時代は変わっても、決して変わることのない生ける神の命の御言葉が、今もあの時代のようにある意味散らされたように思える私たちに臨み、主の御手が共にあることを指し示しているのです。希望をもって、かの人たちのように主の福音を分かち合い続ける者とされてまいりましょう。

 

さて、22節「このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した」。

エルサレムの教会はなぜバルナバをアンティオキアに送ったのでしょうか?

エルサレムの教会は12使徒をはじめとするユダヤ人によって構成されていました。

彼らは神のことばと教えとに厳格でした。旧約の律法を生きてきた彼らは主イエスの福音と出会い、救われてからもその福音理解について多くの議論を重ね、その信仰を確かなものとしてきました。

そこで、彼らは異邦人が果たしてユダヤから始まった神の救いを正しく受け取っていくことができるかどうか。それはエルサレムの教会にとって大きなチャレンジでした。

例えば当初、エルサレムの教会はユダヤ人以外の人との交流や会食を避けていたり、主の福音を信じて受け入れるならば、異邦人もユダヤ人のように割礼を受けることを勧めたりもしました。

けれども10章-11章にかけ読みますと、ペトロは異邦人にもユダヤ人と同様聖霊が降り、主イエスを信じ受け入れる救いの出来事を目の当たりにした事を、エルサレムの教会で証言しました。そのペトロの言葉を聞いた教会の人たちは静まり、「神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した(11:18)とあります。

バルナバがアンティオキアに派遣されたのも、ユダヤ人以外の異邦人が主イエスの福音をどのように信じ受け入れているのかを、エルサレムの教会が検証する必要があったのです。

その背景には福音を伝えていったのが12使徒の宣教によるのでなく、名もない信徒たちによってなされた事に疑念が多少なりとも持たれていたのでありましょう。しかし主はその名もなき信徒たちをお用いになりました。主の御手は彼らと共にあったのです。

 

ところで、バルナバにその任が与えられた理由については、24節「聖霊と信仰とに満ちていた」と記されています。「聖霊と信仰」。この生ける神のお働きと主イエスにある救いの確信こそが、アンティオキアのギリシャ人たちの回心の真価を計る指標となるのです。

神を信じて生きたい。バプテスマを受けたい。もっと聖書をすべて一通り学び終わってからじゃないといけないでしょうか、とおっしゃる方もおられます。もちろん正しく理解することは大事です。神学なき信仰は妄信です。けれども信仰は一生かけて学び続けることであって、最も重要なのは「聖霊と信仰」なのです。

 

そのバルナバがアンティオキアの信徒たちのところに到着すると、彼は「神の恵みが与えられた有様を見て喜んだ」というのです。

きっと神の救いからほど遠いと思っていたそんなギリシャ圏の人々が、聖霊のお働きによって主イエスの福音を信じ、主の御救いに与るのです。生ける神との交わりの回復と解放、救いの喜びに満たされた証しの日々を送っている様子を目の当たりにして、聖霊の人バルナバは主が彼らと共におられる事を強く感じ、歓喜したのではないでしょうか。

 

けれども彼らはまだ生まれたばかりです。信仰の人バルナバはアンティオキアの信徒たちに、「固い決意をもって主から離れることのないように」と、勧めます。口語訳は「主に対する信仰を揺るがない心で持ち続けるように、みんなの者を励ました」とあります。

ここを読みますと、私たち日本の精神風土もこの当時の多神教であり、人の知恵にのみ正確を求めようとするようなギリシャ世界と共通している面が多いといえましょう。

真の神ではないものに囚われ、仕えて拝むような社会。又、真の神から私たちを引き離そうとする世の力が引く手あまたに働いています。

いくら信仰の喜びで満たされていても、様々な困難やつまずが起こると主から離れてしまうということがあってはならない。

信仰の人バルナバは、アンティオキアの信徒たちが聖霊に導かれ、復活の主イエスと出会った救いの原点、その初めの愛に留まり続けるよう、励ますのです。

 

本日の宣教題を「苦難の中で生まれた教会」とつけました。

このアンティオキアのギリシャ圏に生きる人々に、福音を届けるために主がお用いになられたのは、迫害という苦難の中で散らされていたユダヤの名もなき主の信徒たちでした。彼らは主イエスの福音を粘り強く、固い信仰を持って語り続けた。そこに主の御手が共に働いて、大いなる喜びの救いの出来事が起こっていったのです。

 

バルナバはアンティオキアの教会の協力者としてサウロを立て共に1年間、多くの人を教えた、とあります。彼はサウロがユダヤ人以外の人々に主の福音を宣べ伝えるための賜物とその召しに与っていることを知っていたからです。

こうしてこのアンティオキアの教会はバルナバとサウロの主イエスにある福音理解、そして何よりゆたかな主の助けとお働きを得て、異邦人伝道の拠点となり、小アジア(トルコ全域)、さらに西欧(ローマ、イタリア、エスパニア等々)、そして世界の各地に主の福音が拡がっていくことになるのです。

けれども、そのアンティオキア教会の基礎を築いたのは、迫害で散らされて行った名もない主の信徒たちでした。彼らの祈りと信仰の粘り強い継続的な関りと働きかけを主が助け導かれ、困難としか言えない状況の中で主の福音が世界に開かれていくようなアンティオキアの教会が育っていくのですね。

 

本日の最後のころに、「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになったのである」と記されています。

そこには初代の教会の信徒たちの生活が、「キリストの人たち」と世間の人々から強い関心を寄せられ、ある意味社会的にも強烈なインパクトをもって認知されるようになっていった事実を、それは示しているのですね。

今、私たち一人ひとり、そして教会が困難の中でどうキリスト者として生きていくかが、問われています。

今こそ、「キリストの人たち」。その私たちの信仰が実生活とどう結びついているのか、その本質が試されているのかも知れません。今週も主の御言葉に立ち、それぞれの馳せ場にあって「聖霊と信仰」に満たされた歩みを続けてまいりましょう。

 

宣教音声→https://drive.google.com/file/d/14WzpwGsgQqEF0A6wgyqBV_makI3Q8UEp/view?usp=drivesdk

 

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礼拝・祈祷会休会について

2021-05-08 08:00:41 | お知らせ

緊急事態宣言が延長となりましたので、5月末までの礼拝・祈祷会は休会いたします。

一日も早いコロナウイルスからの解放と教会の再開を祈るばかりです。

みなさまのうえに、神のご加護をお祈りいたします。

平安

 

 

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教会の庭先に開花

2021-05-07 07:18:08 | 教会案内

コロナ禍の悩ましい日々、野の花にはいやしと元気をもらいます 

                       草々

 

 

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サウロの回心から

2021-05-02 11:58:54 | メッセージ

礼拝宣教 使徒言行録9章1~22節 

 

新しい朝、主に命を、また生きる力と支えとを戴いて、今週の歩みをこの礼拝から始めることができます恵みを感謝します。

正義感は正しさを求める心ですが、その正しさが自己絶対化され自分こそは正しいと他者を裁き出しますと、それが偏見や排除になっていきます。コロナ禍でソーシャルディスタンスが呼びかけられていますが、海外からは日本人を含むアジア系の人たちに対する暴力を伴う差別が強まっているとのことです。日本国内におきましても不安や恐れから、偏り歪んだ正義感が他者の尊厳を傷つけるような差別や排除につながらないことを願います。

 

本日はクリスチャンを激しく迫害していたサウロが、復活の主、イエス・キリストとの出会いを経験し回心する物語です。彼はこの出来事を通してイエス・キリストの福音を伝える使者となっていくのであります。

幼い時から教育を受け、神の律法の知識においてもそれを守り行うことにおいても人一倍厳格で熱心だったサウロ。彼ら迫害者にとってクリスチャンは、神に裁かれ十字架で無残な死を遂げた得体の知れない人物を崇める不可解な人たちでしかありませんでした。先祖代々受け継がれて来た律法に背く神の敵対者と見なし、キリストの教会とその信徒たちを跡形もなく無くそうとサウロは意気込んでいました。そうして自らリーダーとなって男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行していったのです。

サウロがステファノの処刑に深く関与したのも、もとはと言えば彼の神への忠誠心から出たものであったといえましょう。神に敵対する教えは根絶せねば、という使命感からの行動であったのです。

 

そのサウロがさらなる迫害のためダマスコに近づいた時でした。

突然天からの光が彼の周りを照らし、彼は地に倒れます。そこで彼は「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか。わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と呼びかける「主」のみ声を聞くのです。

彼は茫然自失のうちにやっと起き上がったものの、「三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」と記されています。

それほどまでの衝撃を受けたのは、彼が神の敵としてみなしていたイエスこそ、代々預言者を通して語られ約束されたメシア、救世主であったことを知ったからです。

神のために正しいと思い忠誠を尽くしてきた自らの行為すべてが、主ご自身を迫害するようなこと、神に敵対するようなことに外ならなかった。彼はそのことを知った衝撃で目が見えなくなってしまうのです。

彼は3日間暗闇の中で何を思い、何を願ったのでしょう。自らの罪の重さにさいなまれ、苦悩するサウロ。

しかし生ける神の救いの御業は実に、もはや自分の力ではどうしようもなくなった時、ただ神に祈り、懇願するほかなくなった時にこそ顕されるのです。

サウロにとってそれは主にある兄弟アナニアとの不思議な出会いを通して与えられます。まさに人の思いを超えた神の導きによる出会いでありました。    

 

すでに主イエスを信じておられる方がた、みなさんはイエス・キリストの福音と出会うきっかけとなったあの人、信仰の決心につながったこの人、とそのお顔や名前が浮かんで来るのではないでしょうか。

そこには人の思いを超えた計り知れない神のご計画があり、決して偶然ではない出会いを神が備えてくださったのであります。クリスチャンの人生はまさに神に導かれる出会いと救いの連続であります。時が経ってからこんなところでつながっていたのか、というような不思議な経験を私自身もそうですが、事ある毎に様々な方からお聞きし、その度に神のなさることに驚かされます。みなさんもそういったご経験をお持ちではないでしょうか。

サウロの回心は、確かに復活の主の声を聞いたところから起こされました。

しかし、彼がいやされ救いを受けて元気を取り戻すために、主はアナニアという一人の弟子をお用いになりました。これは大変意義深いことです。主はご自身の弟子である兄弟姉妹をお用いになられるのです。そしてそれは人の力や業によるのではなく、主の御計らいによって計画された出会いであるのです。

 

さて、サウロがそのような状況にあった時、主はダマスコにいたアナニアにサウロのもとへ行くようにとお命じになります。しかしアナニアにとってこれは大変困惑するようなことでありました。何しろサウロの激しい迫害の様子はすべてのクリスチャンに知れ渡り恐れられていたからです。

13-15節に主とアナニアとのやり取りが記されていますが。そのくだりを柳生直行さんという方が訳された聖書でちょっと読んでみますと。

「『主よ、お言葉ですが、あんな男と関わりたくありません。エルサレムにいるあなたのお弟子たちに、どんなひどいことをしたか、いやというほど聞かされております。それに、今度この町にやってきたのも、祭司長たちの許可のもとに、あなたを信じるものたちを片っ端から引っ捕えるためだそうではありませんか』。『いいから行きなさい』と主は言った。」

何だかそのやりとりが目に浮かぶ気がしますが。

まぁ、アナニアに恐れや嫌悪感があったとして当然でしょう。が、それにしても主の「いいから行きなさい」とのご命令には、もういやがおうでも従うほかありませんね。主のご計画は人知を超えているのです。

 

アナニアは主のご命令どおりサウロのもとへ行き、彼の上に手を置いて「兄弟サウロ、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」と主のお命じになったことを伝えます。

するとこの主から託されたアナニアの言葉を聞いたサウロは、「たちまち目からうろこのようなものが落ち、元どおり見えるようになった」というのです。

サウロはアナニアを介して主の言葉を聞くのです。しかしそれは、自ら犯してきた罪に対する裁きではありませんでした。彼はアナニアから「兄弟サウロ」と呼びかけられたことをどのような思いで聞いたでしょう。これまでずっと脅迫や迫害を加えてきた相手から「兄弟」と呼びかけられるとは・・・。サウロに置かれたアナニアの手はどんなに温かかったことでしょう。

サウロはこのアナニアを通して神のゆるしと救いの主イエスの十字架の苦難と死の意味を身をもって知ったのです。旧約聖書をずっと学んできた彼の中で、預言者たちが語り記していたことが、主イエス・キリストについて語られたものである事を悟るのです。

その時サウロの目からうろこのようなものが落ちて見えるようになるのです。

 

みなさんもご存じの三浦綾子さんは、若い教員であった日々、自ら正しいと思いなした戦時下の教育が敗戦と共に虚構であったことを知らされ、自責の念と、信じていたことが崩れ去った虚しさに自暴自棄となって、とうとう体を壊しカリエスという病を患って何年間も病院のベッドで空しい日々を送られました。しかしそれが主による兄弟、三浦光世さんとの出会いによって福音に心の目が開かれ、後に作家として主の救いの恵みを証する人とされたというのです。塩狩峠、氷点などの作品をお読みになってキリスト教の信仰に導かれた方も少なくないでしょう。

一人の魂が救われていくには、その人自身の力だけではどうにもならないことがございます。だからこそ主は教会と主にある兄弟姉妹を備えてくださっておられるのです。

 

サウロは主イエスと出会い、自らの過ちに気付きますが、その思いが自分だけに向いている間は、自分の罪を責め苛み続けるという出口の見えないところにいるほかなかったのです。しかし主は、サウロの閉ざされた霊の目を開かせるためにアナニアをお遣わしになるのです。

サウロは自分が苦しめ迫害し続けたクリスチャンのアナニアから、主の福音、救いを聞くことにより、主に赦され、受け入れられたことを体験しました。

一人の魂が主の救いへと導かれる時、又救いの確信が与えられ、新たにされる時、そこには必ずといってよいでしょう、主は兄弟姉妹(教会)をお用いになります。確かにクリスチャンといえども人それぞれ考え方も異なるでしょうし、時に意見の対立も起こることもあります。けれどもなお主にある教会兄弟姉妹の間に主は共におられる。それが今回より読み始めた使徒言行録以後のずっと一貫したメッセージなのです。

主イエスの福音を信じてクリスチャンとされた私たちは、それが自分一人で得たものでないことを知っています。主にある教会、兄弟姉妹を通して主の福音が分かち合われるということ、それは神のまさに賜物なのです。

 

さて、福音に心の目を開かれたサウロの歩みはただ回心した、救われただけでは終りません。

20節にありますように、「数日の間弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、この人こそ神の子であるとイエスのことを宣べ伝え」始めるのです。喜びに満たされて主の福音を分かち合わずにおれない福音の使者とされていくのであります。

主はこのサウロを異邦人や王たちに福音を伝える器として選ばれました。それは喜びと共に苦しみを伴うことでもありました。

クリスチャンたちから不信を持たれ、ユダヤ教徒たちからは裏切り者だと命を狙われます。彼の伝道者としての生涯は主イエスがおっしゃったとおり大変な苦労の連続でした。けれどもそのような中においても、Ⅰテサロニケ5:16にありますように「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」と主の教会の兄弟姉妹を励まし続けた使徒パウロ。どんな時でも主イエスの福音を伝えたい。何があっても福音を伝えずにはいられない。分かち合わずにおれない。

今日そんなパウロのスピリットとその原点を復活の主イエスとの出会いと回心の記事からご一緒に聞いてきました。

教会に通い始めたあの日。バプテスマに与ったばかりのあの日。信仰の確信を新たにしたあの時。どのような時も主が共におられる、という平安と感謝。誰かと分かち合いたい。実に神の私たちに対する救いのご計画はここにあるのではないでしょうか。

今はコロナ禍、自粛期間中でなかなか難しい状況ではありますが。しかし連絡を取り合って祈り合い、励まし合えると幸いです。私たちをどんな時も愛し、導いてくださる主に信頼と期待をして、共に歩み続けてまいりましょう。主にある交わりの尊さ、ゆたかさを忘れる事なく、共に祈り支え合っていく者とされてまいりましょう。

 

宣教音声→https://drive.google.com/file/d/11SbBnIop_fjvBOvYbh2V0Rq_HfzikSTK/view?usp=drivesdk

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