日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

「第36回女性連合総会に出席して」I.Y

2008-10-26 08:10:09 | 巻頭言
  「第36回女性連合総会に出席して」I.Y

 10月1日~3日まで天城山荘で開かれたこの集会に、参加者、代議員、大会講師・ゲスト・スタッフ及び子どもたちを含め総勢260名弱の同じ思いを抱いた群の何と強固なことかを思い知らされた。
 開会礼拝、女性連合会長M姉の宣教にはドキリとさせられた。忙し過ぎて静かに黙想する時間がない、準備のない祈り・・・・。日々祈ることの大切さ、沈黙して時を待つことの大事さを示された。
 少し余裕をもって作られたプログラム。2007年度の活動報告並びに諸々の承認、2008年度の実行予算、2009年度の活動方針・予算等、細かい配慮のめぐらされたものであった。
 大会講師のK先生、T師とM師の音楽によるアピールは、知らないでは済まされない、世の動きをしっかり見つめていくことを示された。現シンガポール派遣のO宣教師は今年いっぱいで帰国という。いろいろなことの目処が立ったという連盟に対し、「まだまだ必要なのでは!」という女性たちの声が大きかった。総会において新たに一教会(東京)が女性連合へ加盟した。
 「世の光」:みことばを学び、社会の動きを知り、隣り人へのかかわり、全世界に信仰の光をと、総合の交わりを示すこの一冊の重さを感じて欲しいと訴えられた。一人でも多くの人に読んで欲しい。女性連合を支える柱の一つであることを認識して、たかが一冊と簡単に考えてはいけないと思った。制度の変わった役員選挙に少し戸惑いも感じたが、新しい役員が選出され、新しいあゆみが始まる・・・・。
 女性大会に出席する楽しみ、取りも直さず代議員の任務を果たすこと、そして懐かしい姉妹方と旧交をあたためるという「おまけ」が付く。又共に頑張ろう!という気持ちにさせられる。大会スタッフの皆様の労苦に、送り出して下さった教会の皆様に、そして全て神様が備えて下さったことに感謝します。
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秋季特別集会 II

2008-10-19 17:33:39 | 巻頭言
秋季特別集会 II

宣教タイトル「命のオアシス」

 二年前のNHK・TV朝の連続ドラマ「芋たこなんきん」は、大阪が舞台でしたから、皆さんご覧になったことでしょう。祖父母・夫婦・妹・5人の子供たちが、何時も一つの食卓を仲良く囲んで、頂きますと手を合わせてから食事をする場面が中心の、心なごむ家族ドラマでした。この食卓が日本の庶民の家庭の原風景ではないでしょうか。
 私はこの場面に惹かれて、毎日楽しく観ました。そうです。どの親も一番に願うことは「子供たちが皆仲良く食卓を囲んでくれる家庭でありたい」ではないでしょうか。ところが兄弟が仲良く暮すことが、これまた何と難しいことでしょうか。
 兄弟が一番身近なライバルだからでしょう。聖書の中の最初の殺人も、人類最初の夫婦といわれるアダムとエバの息子たちカインとアベルの間で起こっています。私達の現実生活では、兄弟姉妹がいつも仲良く食卓を囲むことが、本当に難しいのです。
 冷たい飲み水と涼しい木陰を備えて、疲れを癒し元気を回復させてくれるオアシスは、砂漠や荒れ野をたどる旅人たちには、なくてはならぬ命のスポットです。教会がそうありたいですね。
 「見よ。兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」日曜日の礼拝に集まった者たちが、心から賛美を歌い、祈りを合せ、御言葉に魂を養われて七日間の旅路の疲れを癒され、命を豊かにされて、よかったなーと嬉しくなり、「さあもう一週間頑張ろう!またね!」と声を掛け合って、それぞれの持ち場に戻っていける、神の家族の祝宴のような礼拝を守る教会にしていきましょう。そうしたら砂漠のようなこの世の旅路をたどる人々が、命の憩いを求めて、一人二人と立ち寄るようになるに違いありません。

   加藤 享牧師(川越バプテスト教会)
           (元シンガポール在住宣教師)
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秋季特別集会I

2008-10-12 07:32:58 | メッセージ
秋季特別集会I

宣教要旨
タイトル 「与太郎とナザレもん」

ヨハネによる福音書1章43~51節

 ナタナエルの出身はガリラヤのカナと紹介されています。(ヨハネ21:2)主イエスと彼との出会いの顛末は、こうです。フィリポが「わたしは今、救い主に出会ったよ。ガリラヤのナザレ出身のイエスという人だ。来てごらん」と誘われて、「ガリラヤからそんなすごい人が出るはずはない」と疑いながらフィリポについて行くのです。
 このふたりが主イエスのところに着くと、イエスは「ナタナエルはうそのつけない人だ。あなたは先ほどいちじくの木の下にいたでしょう」と言い当てられます。そしてナタナエルは一も二もなく「あなたは神の子です」と降参しました。彼はどのように変えられたのでしょうか。「ナザレ出身」をばかにする横の世界の常識に囚われていた彼が、縦の世界、天の世界に目を開かれ、八方塞がりの世界から解き放たれたのでした。
 主イエスの言葉はそれだけでは終わっていません。創世記28章に記されている出来事を引いて、こう語られました。「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」(51節)
 天が開ける体験の約束。私たちもこの約束にあずかっていることを信じて、喜びの人生を歩み出しましょう。

       吉田晃児先生(久留米荒木教会)
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「憲法九条と宗教者の役割」

2008-10-05 08:50:50 | 巻頭言
  「憲法九条と宗教者の役割」

 先週27日、「宗教者九条の和」主催によるシンポジウムが大阪カテドラル聖マリア大聖堂で開催された。主催は、仏教、天台宗、天理教、金光教、キリスト教(カトリック、プロテスタント)などの宗教者。昨今の憲法改正への動きなど右傾化する日本に危機感をおぼえて組織された。
 オープニングは浄土宗住職のサックスによるアメージングレース、南米音楽、沖縄のうたなどが演奏された。その後、主催6宗派が持ち寄った「平和の折り鶴」がささげられた。挨拶に立った天台宗の住職は、宗教者九条の「会」でなく「和」なのかとう点について、この「和」という言葉には和やかなイメージはあるが、元々「曲がったものを正す」(聖徳太子)という積極的な意味、それが憲法九条に込められ言葉と相通じる、と興味深い話をされた。
 基調講演は高橋哲哉(東大教授・哲学者)さんが「憲法九条と宗教者の役割」というテーマで講演された。再軍備・軍隊、憲法改正への動きは、国民投票法ができ憲法改正の発議がいつなされるか分からない、カウントダウンに入った、と開口一番。憲法九条に関わる中で広く平和を捉えていくとき3つのほどの問題があると指摘。
 第1は、新しい貧困(魂)の問題。1980年代以降の経済指向・資本のグローバル化の中で正規と非正規労働者の格差が固定化し、新しい貧困(魂)の問題が平和を脅かしている。あの秋葉原無差別殺害の加害者はそのロストジェネレーション世代。憲法25条の平和的生存権の問題。「平和とは単なる恐怖から逃れるだけでなく、欠乏や貧困から免れる」ということ。その草の根のところを変えなければ、平和は構築できない。
 第2は、沖縄の問題。現在の平和は一部の人だけが享受している平和ではないか、沖縄には憲法九条が適応されていないところに問題がある。沖縄の問題が解決されない限り、平和は語り得ない。日常普通の目では見えないものを見ていく、日常からは見えないところで戦争のような状況におかれた人々を見ることが出来なければ、その平和は空論でしかない。
 第3は、死刑の問題。1950年代統計的に凶悪犯罪が最も多く起こり、減少傾向にあるが、マスコミやメディアの過剰な報道によって世論の80%が死刑制度に賛成している。宗教者は「殺すなかれ」という教えと如何に向き合うのかが問われている。(俊)
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