日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

神の御手に守られて

2022-10-30 14:57:57 | メッセージ
主日賛美礼拝式 ネヘミヤ記1章1節-2章8節 

 
「わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ、主を賛美せよ、恵み深い主を。喜ばしい御名をほめ歌え。」(詩編135・2-3)                           本日は宗教改革記念日でありますが、私どもプロテスタントの全ての教会は礼拝で聖書の御言葉に聴くということをとても大切にしています。それは、神の救いがまず聴くことにより、その信仰によって確かなものとされるからです。しかしそれだけではありません。与えられた信仰によって心を一つに祈り求め、感謝と応答の賛美、奉献をお捧げすることで礼拝は構成されています。
今日は賛美礼拝ということで、生ける主、私たちの救いの神さまに心から賛美をお捧げし、主の御名をほめたたえています。                           「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ8・10)との御言葉どおり、この主への賛美の中に神さまの霊、聖霊が主を賛美することはわたしたちの力の源でありこの主への賛美の中に神さまの霊、聖霊がゆたかに臨んでくださいますように、主イエスの御名によってお祈りいたします。

さて、この10月は旧約聖書エズラ記をずっと読んでまいりましたが。今日のネヘミヤはその次の時代に立てられた人ということになります。今一度その時代背景をおさらいしましと。神殿のあった都エルサレムとその民は、神への背信と深い罪のためにバビロンによって滅ぼされ、多くの人たちが捕囚としてバビロンにつれて行かれます。やがてそのバビロンもペルシャ王国にのみこまれ、ユダの人々はその統治下におかれますが。「神がお働きになったので」、捕囚の人々はエルサレムへの帰還が実現いたいます。エルサレムでは20年に亘る困難な状況の中でようやく神殿が再建されたというのが先週までのお話でありました。
一方ペルシャでの生活を確立し、その地でクラス人たちもいたわけですが。彼らも又、常にイスラエルの再建を祈りつつ、エルサレムに帰還する人たちの援助をずっとし続けていたのであります。そういった中に今日のネヘミヤもいたわけでありますが。
ネヘミヤは、そのユダの民の子孫でありながら、ペルシャ王の献酌官として起用されていた人物でありました。それは王様の酒のいわば毒味役を兼ねた給仕役であったということです。何だか物騒な気もいたしますが。ネヘミヤは王の篤い信頼ゆえの役職ということで、その地位も大変高かったのです。彼は後にエルサレムの政治を司る総督となったように、政治的手腕にもたけていたのでしょう。
 先週読みましたエズラは祭司であり又、王の書記官でしたが、このエズラとネヘミヤの二人の霊的指導力と政治的指導力を通して、ユダの国の復興と改革がなされていったということであります。祭司と総督という立場は異なりますが、ともに神への愛とユダヤ同胞への厚い思いをもって、神の民の霊的復興を祈り求めながら、エルサレムの神殿再建の工事を遂行していくのです。

先ほど、1章から2章8節が読まれました。
ネヘミヤが荒廃したエルサレムとその城壁の建て直しに着手していったきっかけは、ユダヤの同胞からその荒廃したエルサレムの現状を知らされたからです。そのことを聞いたネヘミヤは、「座り込んで泣き、幾日も嘆き、食も断って神に祈る」のであります。
 又、ネヘミヤは主に、「どうか、あなたの僕モーセにこう戒められたことを思い起こしてください。『もしも背くならば、お前たちを諸国の民の中に散らす。もしわたしに立ち帰り、わたしの戒めを守り、それを行うならば、天の果てまで追いやられている者があろうとも、わたしは彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ場所に連れて来る。』彼らはあなたの僕です。あなたが大いなる力と強い御手をもって贖われた者です。おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。」と切々と訴え祈ります。             
しかし、それにしても不思議ではありませんか?民の背信と罪のためバビロンによる崩壊と捕囚が起こったのは、このネヘミヤの祈りからおおよそ100年程昔のことです。1世紀も前の民の罪をネヘミヤは自らのこととして悔い改め祈っているのです。彼はときのペルシャ王にその地位と立場を保証されていたのです。そういう立場であれば、大方の人なら安泰を願い、もはや先祖の土地など思い起こすことなどしないでしょう。ところが彼は遥か彼方のユダの地とその同胞に思いを馳せ、神に訴え祈るためになんとそれこそ遥か昔1000年程も前に、主がモーセを通して語られた、民への約束を引き合いに出して、イスラエルの民族にとっての悔い改めと共に、「その約束の場所に民の復興をお与えください」と、切に祈っているのですね。それは何と壮大な祈りでありましょうか。                                          その歴史においてたとえどのような境遇におかれようとも、脈々と受け継がれてきた神の約束委を信じ望み祈り続ける人々が何世代にも亘って存在していたということであります。遠く離れた異教の地にあってもエルサレムの進まぬ復興と同胞の苦境を自分のこととして憂い、心痛めるネヘミヤ。そしてその祈りは実に4カ月の時を得て、不思議なかたちで導かれていくのです。
                                            
ある日、ネヘミヤはペルシャの王から、「暗い表情をしているが、何か悩みごとでもあるに違いない」と尋ねられます。ネヘミヤは王にそのように尋ねられたことで、そのユダの地エルサレムの町の現状を自然に王に打ち明けることができました。                             すると王は、ネヘミヤに「何を望んでいるのか」と尋ねます。ところがネヘミヤは、王に即答せず、「わたしは天の神に祈って、王に答えた」(4-5節)とあります。ネヘミヤは王に自分の願いや主張をすることができたと思うのですが、そうはせずに、彼はまず何よりも「天の神に祈って」、自分の思いではなく、主の御心が何であるのかを聴くようにしたのです。その主の御心の確信を受けたネヘミヤは、王に「もしも僕がお心に適い、王にお差し支えなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください」と答えたというのですね。
まあこうして、ネヘミヤはユダの地の町の再建のために働きたいと申し出ることができたのです。ネヘミヤ自身こういう形で自分の祈りが導かれるなどとは考えてもいなかっでありましょう。自分の方から何か話を持ちかけたり、働きかけるという以前に、生ける神さまが状況を整え、道を拓いてくださったのです。
ネヘミヤはこう言っています。8節「神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。」
 このように生ける神、主がネヘミヤの背後にゆたかにお働きくださって、一つひとつの事どもを導いていかれるのです。

今や私たちは主イエス・キリストによる罪の赦しと救いの約束という新しい契約(新約)に入れられているという驚くばかりの恵みに与る者とされました。                    主に祈り続けるその祈りを、主は聞き逃すことなく聴いておられます。人は憂うべき状況の中で何とか事態を打開させ改善させようと、もがき画策します。それも大事かもしれませんが。まず真実な訴えに耳を傾け、最善の御計画を導くことのできるお方、主なる神さまに向き合い祈ることが大事であります。ネヘミヤの思いを遙かに超えたかたちで道を拓いて下さったこの生きてお働きくださる主に、どこまでも信頼し、希望をもって祈り続けてまいりましょう。

 
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招きに応えた人たち

2022-10-24 09:34:18 | メッセージ
主日礼拝宣教 エズラ記8章15-23節

本日はエズラ記8章より御言葉に聞いていきます。前の7章で第二神殿完成の式典がなされますが、その時エズラはまだバビロンにいました。そしてこの8章において、エズラはユダヤの同胞と共にバビロンからエルサレムへ旅立つのであります。それはまる4カ月間を要するほど難儀な旅路でありました。何分家族を含む多くの人数に加え家畜も連れており、さらに神殿に寄附する高価な捧げものや礼拝を行うための必要な祭具類などもあります。そういったものを運んで共に移動しなければならず、危険を伴う大変な旅路でありました。
8章の始めのところには、バビロンから上って来た人びとの家長の名とその家系などが列挙されていますが。肝心なのはその人たちが、「人に強いられて帰還に加わったのではなく、自ら招きに応えた人たちであったということです。これらの人たちはエルサレムに行くことを自ら望み、その人生を選び取った人たちであったのです。

その人たちの中にはユダヤ士族の長、祭司および王の家の者もいましたし、その他にも志を同じくする一般の人びともいました。ただ問題が一つありまして、神殿の礼拝を整えるレビ人が見当たらないということでした。                  そこでエズラは、ユダヤの頭たち数人をカシフヤという所の神殿の使用人とその兄弟たちのもとに遣わし、「わたしたちの神の神殿に仕える者をよこしてほしい」と伝えさせます。
すると、「慈しみ深い神の御手がわたしたちを助けてくださり、彼らはイスラエルの子レビの子であるマフリの一族のシェレブという有能な人物を、その子らと兄弟18人と共に連れて来た」(18)ということでありました。
エズラはこれらのことを通して、エルサレムに帰還するための目的が何であるのかを悟ります。彼らがエルサレムにただ帰還することが目的ではなく、第二神殿で礼拝のため用いられるに相応しい祭具が備えられ、かつてのエルサレム神殿のように、それらの人びとが神と人に仕え、礼拝が整えられていくというビジョンが与えられていたのです。

私たちも主イエスが復活された日曜日の朝を主の日として記念し、毎週礼拝を捧げています。礼拝が整えられていくためには礼拝の式次第の作成(週報)、礼拝のためのお祈り、お掃除やセッティングがなされます。礼拝の司式者、宣教者、奏楽者、奉献祈祷者、受付者、音響やオンライン担当者など祈りつつ準備をし、礼拝が整えられていきます。けれどいくら奉仕者がいても礼拝は成り立ちません。本当に大事なのはそこに礼拝者が集うということであります。そのために各々が祈りつつ礼拝に向けて整えられていくことが大切です。又、それに加えて求道者やその日の礼拝に初めての方を主が招かれることもあります。奉仕者を含むそれらすべての礼拝者を主は自ら導き招かれるのです。主ご自身がそのようにして礼拝を整えてくださるのです。     

私はこれまでも礼拝の前日に明日は礼拝に行けませんと連絡が数件入って、さぞ明日の礼拝は少ないだろうと考えることがありましたが。いざ礼拝当日の朝を迎えますと、不思議と久しぶりの方がお出でになっていたり、思いもよないところから新来者の方が足を運んでくださっていたりと、そういう出来事を頻繁に経験いたします。その度に驚かされると同時に大変励まされてきました。私たちの手が届かないとき、祈る以外ないそのような時ほど神さま御自身が整えてくださるのです。                 

復活の主イエスが舟で漁に出た7人の弟子たちに現れた時のエピソードが思い浮かんできます(ヨハネ福音書21章)。その夜何もとれなかった弟子たちに、主イエスは向こう岸から「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは「何もありません」と答えます。彼らはそれが主イエスだと分かりませんでした。主イエスは「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、弟子たちは言われたとおり網を打ってみると、網はあまりに魚が多くて、もはや網を引き上げることができなかった。シモン・ペトロは「主だ」と気づくと上着をまとって湖に飛び込んだ。他の弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で陸まで戻って来ました。そして陸に上がってみると、「炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった」。主イエスは「さあ、来て、朝の食事をしなさい」とそう弟子たちに言われたのです。主イエス御自身がくたくたの弟子たちの朝食を整えて待っていて下さるのです。主とその食卓を共にした弟子たちはどれ程慰めと励ましを頂いたことかと思います。わたしも又、この復活の主イエスのエピソードがいつも心の支えになっています。今日の8章18節「慈しみ深い神の御手がわたしたちを助けてくださり」という出来事を、主は今も変わることなく私たちの間にゆたかに起こして下さる。その恵みに感謝します。

エズラ記8章に戻りますが。今日の箇所の2つめのポイントは21節以降のところです。まず、「わたしはアハワ川のほとりで断食を呼びかけ、神の前に身をかがめ、わたしたちのため、幼い子らのため、また持ち物のために旅の無事を祈ることにした」(21)とあります。礼拝に必要なものが整えられ、いよいよエルサレムに向って出発という時、彼らには心配事がありました。エルサレムの神殿にささげるための高価な祭具や捧げものの金や銀を100日以上かけてエルサレムまで運んでいかなければなりません。もしかするとそれを待ち伏せする盗賊がいるかも知れません。エルサレムに向う人々の中には幼い子どもたちもいました。争いの危険に巻き込んでしまう可能性もあります。       そこで、主の招きに応えた人たちがまずなしたのは、「旅の無事を神に祈ることでした。」
エズラは又、22節で「わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられる・・・・・と王に言っておいていたからである」と記しています。 彼らは、招きに応えてエルサレムに向う者たちを主は必ず守ってくださるという確信wに与りつつ、王の力には頼らず神にのみ依り頼み祈るのです。                         
この世的に見れば王の兵隊の力を借りて旅路を守られるなら何と安心だろうかと思います。しかし彼らが敢えてそうしなかったのは神への信頼に依っていたからです。エルサレムへの帰還の道を開き、招いてくださったのは慈しみ深い神御自身であられるお方の、その招きに応えて行こう。主はエルサレムに着くまで必ず守り導いて下さる。そのような信仰の確信が彼らにあったのです。旅の無事を保証するのは、人の力ではなく神の御手であると信じ、その御守りを祈り求めたのです。                            31節には「わたしたちは第一の月の十二日に、エルサレムに向ってアハワ川を出発した。道中待ち伏せる敵の攻撃も、神の御手に守られて、免れることができた」とそのように記されてありますね。                           

私たちにとっても「何を第一としてして誰を信頼して生きるか」ということが人生の局面において重要なわけでありますが。主イエスは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの必要はみな加えて与えられる」と、まず何にも勝って神に信頼し、神の御心を尋ね求めることをお教えになりました。昨今の私たちを取り巻く世界、又社会には命の危機や生活の不安が増し、将来の展望を見出すことさえ難しいような世知辛い世の中になってきているように思います。けれど、時代や状況が変化しても決して変ることのないお方、そのお言葉の真理は私たちを支え、守り導いてくださると信じます。                   

今日の、主なる神の招きに応え、神殿における礼拝が共に整えられていくために都に上っていった人たちの姿を思い浮かべつつ、主の招きに応え、絶えず神を尋ね求めて歩んでいく者には、恵み溢れる御手が差し伸べられる経験をすることができるという希望があることを、今日の御言葉からしっかりと受け取って歩んでまいりましょう。
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2022/10/23 主日礼拝式 おしらせ

2022-10-22 07:51:20 | 教会案内

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生きて働かれる神

2022-10-17 07:59:03 | メッセージ
主日礼拝宣教 エズラ記6章13-22節

先々週の8日土曜ですが、97歳になられるOさんの療養型施設へ訪問をさせていただきました。前回は声をかけてもお返事はなく帰ったのですが。その日もIさんから「このところ母はすやすやと眠っているようで何も反応がないです。せっかく足を運んでくださったのに何も反応がないかも知れませんが」と予めお聞きしていたので、それも承知のうえでお部屋に入りますと、まずIさんがお母さんと呼びかけられるその前に、Oさんはすでに目を開けておられたのです。ほんとうに驚きました。そこで聖書のお言葉と感謝のお祈りを神さまにおささげしたのですが、すると、「ありがとうございます」と、はっきりとお返事が返ってきたのです。私が最初にお尋ねしたときよりもさらに笑顔で顔色もよかったです。またまた、神さまが生きてお働きくださっていることを知らされ、本当に感謝でした。
その翌日は現在無牧師である奈良教会の礼拝奉仕に行ってまいりました。午後は奈良教会の方々と今後に向けた準備のための懇談会に加えて頂きました。又、礼拝に先立って持たれたみささぎ伝道所の礼拝にも出席させていただきましたが。昨年まで借家で行われていたのですが、諸事情によりこの4月から奈良教会の礼拝の前に礼拝が行われているということでした。この伝道所は一人の障がいを抱えておられる青年と共に礼拝をというところから開所されました。O伝道師の進行のもと賛美や聖書のメッセージに身を浸される中、障がいを抱えている青年が突然話し出したり、動き出したりということも幾度と起こるのですが。不思議とその場がなごむのです。主によって集われた方々の思いに包まれ、暖かくされた礼拝でした。大阪教会ではNさんが「大阪教会の成立」と題し、礼拝の宣教奉仕をしてくださり、改めて主がこの大阪教会を初めから今日に至るまで守り導いておられることを覚えることができたのではないでしょうか。この大阪教会の会堂は3代目となりますが。いつの時代も様々な困難があっても主は生きてお働きになり、導いてくださるその恵みを感謝します。

本日はエズラ記6章の「神殿完成」の記事から御言葉に聞いていきたいと思います。
先の3章の「神殿の再建」の記事によりますと、エルサレムに帰還した人々がまずなしたことは、前のソロモン王が建てたエルサレムの神殿があった場所近くでイスラエルの神の祭壇を築き、真心からの捧げものをささげ、神に礼拝をおささげすることから神殿の再建が開始されていったということであります。                
それは人の都合からではなく、神の律法に記されたとおり、神の御心に従ってそのことが行われたということであります。

さて、この6章の「エルサレムの第二神殿」は、様々な困難に直面をし、20年間ほどの中断を余儀なくされるということもあったようですが、遂に完成に至るのです。 
それは14節に「ペルシャのキュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって」とありますが。何よりもその前に記されている「イスラエルの神の命令によって完了した」という事が重要なのであります。

私たちもこの大阪教会堂が2013年11月に完成し、翌年3月に献堂式を行いましたが。教会堂の建設案が最初に出た2006年に遡る7年前であったかと思います。3社から提案された建築業者の設計や施工案から1つを選ぶのにかなりの時間を要しました。また、建築業者が決まってからも、取り壊す2代目の教会堂の費用と新会堂建築の予算の折り合いがなかなかうまくつかなかったという問題もありました。さらに、東日本大震災後で建築資材のひっ迫、そして消費税が上がる直前という問題もありました。けれども神さまは私たちの祈りを常に導いて守られ、様々な不足していた問題が解決していく中で、この新会堂に必要な資金は不思議にその都度満たされていったのです。おそらく、この新会堂建築そのものがそこでしかないという時期を神さまは私たちに示し、導いて実現してくださっていたということを思わされました。           
まさに、詩編127編1節に「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」とありますように、私たちのすべてをご存じであられ、その必要を満たしてくださるお方、主が共におられ、お働きくださることを本当に日々体験できる。その主に信頼して生きる人生は何と幸いでしょうか。その献堂式にはバプテスト連盟・関西地方教会連合の多くの方がたと共々に主の御業を喜び祝いほめたたえた日を思い出しますが。

さて、今日の個所でも16節で「イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った」とあります。奉献とは神にお献げすることに違いありませんが、実はその奉献のおおもとには「宮清め」という意味があるということです。それは17節で「この神殿の奉献のために雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹をささげ、また全イスラエルのために贖罪の献げ物としてイスラエルの部族の数に従って雄山羊十二匹をささげた」とありますように、彼らはその奉献によって「罪のきよめと神との和解」を願うのです。。
遡って歴代誌下の7章5節によると、ダビデの子ソロモン王が建てた第一神殿の完成時には「牛二万二千頭、羊十二万匹をささげた」とあります。それはこの第二神殿の完成時とは比べものにはならない多くの家畜がささげられたわけです。又、ソロモンの神殿がどれほど素晴しかったという記述を見れば、この第二神殿は見栄えや規模も比較にならない程質素なものであったようです。

ところが、同時代の預言者ハガイの上に、次のような主の御言葉が臨みます。
ハガイ書2章6節。「この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると主は言われる。この場所にわたしは平和を与えると主は言われる。」この平和、平安とは、神による罪の赦しであり、神との和解、関係性の回復であります。
その主の御言葉に応えるようにして、今日の個所には彼らが第二神殿で、ソロモンの神殿完成時にはなかった献げものを行うのです。それがここにある「贖罪の献げもの」であります。それは文字通り「罪を贖うための献げもので、神の御前に赦しと和解を乞い求めるための献げものでした。そのために「12匹の雄山羊」が献げられたということです。又、第一の月(今でいう春先)の14日には過越祭が行われます。それはソロモンの壮大な神殿完成時にはなかったものでした。
これはかつて、イスラエルの民がエジプトにおいて奴隷の民とされ苦しみあえいでいた時、主がモーセを用いて民を導き出し、荒野の四十年を経て神の民とされたその出来事を記念する祭りです。出エジプトの前夜、主の命令によってイスラエルの民は各々の家で犠牲の小羊をほふり、その家の鴨居に印として犠牲の小羊の血を塗ることで、主が下される災いから彼らを逃れしめ、出エジプトという出来事を起こしてくださったその自分たちを生かす原点といえる出来事を偲びつつ、神殿の奉献を行い祝ったのです。

第一神殿を建立したソロモンの後、イスラエルは北イスラエルと南ユダの2つの国に分裂してしまいます。まず北イスラエルが神の御心に反し、アッシリア帝国によって滅ぼされ、その後イスラエルの10部族は離散してしまいました。
一方の南ユダ、ユダとベニヤミン族の民も又、神の御心に反した歩みをなしたためバビロン帝国によって滅ぼされ、指導者や技術者など多くの者が捕囚としてバビロンに連れていかれました。そうして南ユダの民は神が預言者たちに告げられたとおり50年の時を経て、神はこの民を悔い改めへ導き、再び約束の地に帰還できるようにお働きになられたのです。
この完成した第二神殿を前にした時、民たちは自分たちの歩みを、先の出エジプトの出来事に重ね合わせつつ、深い悔い改めをもって過越しの祭りお祝いしたのです。
主は大きく絶たれた民との交わりを回復してくださったのです。捕囚から帰って来た者も、そのエルサレムの地に残されていた者も共にその第二神殿の完成に集まって主に悔い改めの真心をささげるのです。      
さらに感動的なのは、南ユダの民だけでなく、かつては敵対していた北イスラエルの民のためにも献げものがなされているということです。 出エジプトの折、12部族は共に荒野で神の民とされました。そこで天幕を張り、礼拝を捧げました。その神の祝福を思い起こしつつ、全イスラエルの12部族が主との和解と交わりの回復を得るようにと、贖罪の献げものとして雄山羊12匹をささげ、過越祭を行うのです。

歴史は繰り返すと申しますが。後の世には又、イスラエルの民は離散の憂き目に遭い、国は消え失せてしまうのです。しかし近代史において再び興されていきます。
しかしここで忘れるわけにはいきませんのが、今や、この生きた主のお働きによる交わりの回復、そして和解はイスラエルの12部族だけに留まるものでなく、主イエス・キリストによって世界中のだれものが招かれているということであります。神は律法も知らない私たち異邦人が罪の働きと力から解放されて救いに与るために、過越の犠牲の小羊に遙かにまさる神の御子なる主イエス・キリストを送ってくださったのです。その主イエスの御救いを信じ受け入れて生きる者を、主はご自分の民としてくださるのです。ここに神の偉大な救いのご計画があるのです。

私たちも又、この第二神殿に於ける、神と人、人と人の和解の福音、平和の福音を共々に喜び合う者とされてまいりましょう。
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2022/10/16 主日礼拝式 おしらせ

2022-10-12 16:23:11 | 教会案内

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大阪教会のはじまり

2022-10-08 07:03:36 | 巻頭言
巻頭言                                 

 日本におけるバプテストの大きなグループは、米国の「南部バプテスト」に由来する「日本バプテスト連盟」と「北部バプテスト」に由来する「日本バプテスト同盟」があります。このグループの起こりは、それぞれの宣教師を送りこんだ米国の教会によるもので、米国南部バプテスト連盟は1889年11月5日J.W.マッコーラム、J.A.ブランソン各夫妻を宣教師として送り横浜より上陸、日本宣教に当ることになりました。
 米国北部バプテストもすでに宣教師を送っており、会議の上南部バプテストは「神戸以西」を伝道地とすることに決定、北部がすでに伝道していた大阪の伝道を引継ぎ、谷町筋5丁目粉川(こかわ)町に「大阪第一浸礼教会」を設立することになりました。(註・その後のこと不明)
しかし北部より異論が出され南部バプテストは「神戸以西とし、九州を伝道地とする」ことに決定、門司教会が誕生しました。この時、広島、呉、下関にはすでに信徒が居り、門司、熊本に新たに南部関係の教会が誕生となりました。
1918年「日本バプテスト西部組合」が発足、その後戦争のため凡てが統一されることになりました。
戦後「全日本にキリストの光を」のモットーのもと、米国南部バプテストより派遣されてきたA.L.ギレスピー宣教師一家が大阪の開拓伝道に従事し、日本バプテスト大阪教会の基礎を作りました。(中島 久子)
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2022/10/9 主日礼拝 お知らせ

2022-10-05 13:15:47 | 教会案内

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今年最後の黄色い彼岸花 by茶臼山公園

2022-10-05 07:34:27 | 教会案内

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心を感動させる神

2022-10-02 14:45:11 | メッセージ
主日礼拝宣教 エズラ記1章1-11節 

「主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった。」(詩編122:1)
「お帰りなさい」。七日の旅路を守られ、導かれて、こうして主の家に帰って来ることができました幸いを主に感謝します。
本日から11週に亘り礼拝ではエズラ記とネヘミヤ記からみ言葉を聞いていきます。
このエズラ記とネヘミヤ記、さらに前の歴代誌上と歴代誌下の4つの書は元来一つであったというのが定説となっております。それが後に4つの書に分けられたという事です。
その4つの書に共通するのは「礼拝」ということです。それはまず、主なる神ご自身が礼拝の時と場所を備えて下さることから始まり、次いで、主の招きに応える人びとによって礼拝が捧げられ、賛美が溢れる礼拝の様子が何度も描かれています。 
その一方で、思うようにいかない現実を前に苛立ち、うろたえ、葛藤する人びとの姿があります。そうした状況においてもなお、望みを主において生きるように導かれますのは、まぎれもなく「心を感動させ給う神」が共におられるからです。

さて、私どもも2年半前のコロナパンデミック直後の危機的な状況を経て今に至るまで、どこの教会も信徒も苦闘しつつ信仰の歩みをなしているわけですが。先週は私どもの大阪教会、又関西地方連合のつながりから鳥取バプテスト教会の礼拝に出席させて頂きました。
5月から牧師と協力牧師が辞任されて無牧師となられ、鳥取教会の歩みも試練の中におかれています。それ以降、教会の信徒の方が毎週の礼拝宣教を担い、御言葉を語り続けておられるということです。当初私は休暇をとってまだ一度も足を運んでいない鳥取教会の礼拝にただ出席したいと思っていたのですが。信徒代表の方から「鳥取教会は大阪教会から始まった教会です。教会の礼拝にいらっしゃってくださるのでしたら、礼拝の宣教と主の晩餐をぜひお願い出来ないでしょうか」とのご依頼がありましたので、大阪教会の役員会の了解とマーク・バスビー宣教師のご協力を得て鳥取教会での主のご用を果たすことができました。

最初の緊急事態宣言下で、鳥取教会はやむ得ず教会の礼拝を休会されたそうです。私たち大阪教会も交通機関を利用なさる方が殆どということもあり、信徒会において2度の休会となりましたが。教会を開くか開かないか切実に祈る日々はどこの教会も同様であったことを知らされるわけですが。鳥取教会は1回の休会はあったもののそれ以降は一度も礼拝は閉じることなく今日まで続けておられるということです。現在は無牧師でやむなく祈祷会は休会されているとのことですが、礼拝は信徒の方がたが毎回集われておられるとのことでした。ただ、主の晩餐は無牧師となってからは行われず、実に4ヶ月ぶりに持たれたということで、ある信徒の方は「主のパンと杯を涙ながらに受けることができました」とおっしゃっていました。私たちもコロナ危機の間長いこと主の晩餐は黙想し、思い起こすという形でしか持てませんでした。やはり久しぶりに主イエスがこのように行いなさいと言われたように、パンと杯で与れた時は感慨深いものがあったのではないでしょうか。鳥取教会、ここにもまた、苦闘しつつも「礼拝の賛美溢れる共同体の生き生きとした姿」があることを魅させていただき、主の御名を賛美しました。
又、来週は同じく現在無牧師であります奈良教会、こちらも大阪教会から伝道開始されたということで祈りに覚えつつ、礼拝奉仕と牧師招聘講話会のご用に向かいます。
その奈良教会のためにもお祈りくださいますようお願いいたします。
主にある信仰の共同体の主体は神への礼拝であり祈りです。そこに生まれる主にある交わりと福音宣教、すなわち御言葉の確信と確認にたゆまず関わる中で、私たち一人ひとりが主の御霊により日々新たにされていることを信じます。

さて、聖書に戻りますが。バビロンの捕囚とされていたユダヤの人びとは、ペルシャがそのバビロンを倒し、その統治が移ったためその、ユダヤの人々はペルシャの支配下におかれます。しかし主なる神さまはそのペルシャのキュロス王の心を動かされるのです。
それは冒頭1節にありますように、「主なる神さまが、かつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため」であったと記されています。
エレミヤ書29章には、エレミヤが「主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」(エレミヤ書29:10)と、確かにそう預言しておられ、それは主の言葉の約束でありました。それが具体的には、主が異教のペルシャのキュロス王の心を動かすことによって起こっていったということであります。

まあ、エルサレム没落前のある程度平和なエレミヤの時代に生きたユダヤの人々にしてみれば、この預言はあまりにも現実離れしているように感じられたかも知れません。しかし、ユダヤの人びとはその神さまに対する背信と罪のゆえに紀元前587年、バビロンによって征服され、ユダヤの多くの人びとが捕えられて捕囚としてバビロンに移されるのです。
そうして50年近い年月が流れるのです。おそらくそこでも、ユダヤの人びとはエレミヤがかつて語った預言の言葉を忘れ、捕囚の中であきらめの境地にあったのかも知れません。しかし確かに、主なる神さまは自ら約束された言葉を実現すべく、ユダヤの人々の統治をバビロンからペルシャに移し、キュロス王の心をこのようなカタチで動かされたのです。
そうしてユダヤの人々の解放が実現するのです。神さまの御業が実現されていくと、一体ユダヤの人びとの誰が予測し得たでしょうか。主なる神さまは真実なお方です。
こういうカタチですべてを司っておられる「神は、異教の地の異邦人であるキュロス王の心を感動させ」て、自ら約束なさったことを実現されるのであります。異教のペルシャのキュロス王が、「天にいます神、主」と呼びかけてから解放の布告を宣言するというような実にあり得ないことが起こされていくのです。祈祷会の聖書の学びの折にも話題になりましたが、近代において離散したユダヤの民が様々な政治的意図が働く中にも、あのバルフォア宣言によってイスラエルの国が再建された。それも又事実でありましょう。確かに地上の王は様々な思惑を持って権力をふるいますが、すべての歴史を導いておられるのは、このキュロス王をも感動させ、動かされる「天にいます神、主」なのであります。

さて、キュロス王の解放の布告の中に、3節「あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように」とあります。        
実はその全く同じキュロス王の解放の布告が、前の頁の歴代誌下36章の最後のところにも記されているのです。それだけ重要な事がいわれているとういうことです。
それはエルサレムに帰り、神殿の再建を果たしたいと願う人びとを、「主の民に属する者」と呼んでいることであり、その異邦人の王がいわば祝祷をもって彼らを送り出すという驚くべき事実がここに明かにされているのです。
実際キュロス王が捕囚の地から言うように、エルサレムへの帰還と主の神殿の建設という主なる神さまの目的を実現していくのは、ユダヤのすべての人々ではなかったのです。かの出エジプトのときは、みな一斉にエジプトを出て約束の地を目指しました。しかし、この捕囚からの解放のときには、自ら帰還する人たちと残る人たちとがいました。50年もの長い捕囚の地での年月を過ごしたため、家族や世代も変わり行き、様々な理由で捕囚の地に残らざるを得ない人たちもいたのでしょう。実際にはそういう中で帰還は複数回行われていったといわれております。
それは5節に記されているとおり、その都度、「神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を建てるために上って行こうとした」ということです。
ユダヤの人たちの全てが自動的にエルサレムに帰還したということではなく、神がキュロス王の心を動かされたように、その時々に神に心を動かされた人たちが皆エルサレムの神殿を建てるべく、帰還していったということです。
では、帰らずに残った人たちの心が動かされなかったかというと、決してそうではありません。キュロス王は4節で、居残っている者は、金銀財産を献げて帰還しようとするユダヤの人たちを、随意(真心から)の献げもので援助せよ、と言っています。
それは強制でなく任意で真心からそのようになさいと言っているのであって、実際その地に残る人たちも神に心動かされ、各々随意のささげ物をなし、エルサレムに帰還していく同胞を助け、支えていったのでしょう。
こうして解放されたユダヤの人々の中で、神に心動かされた者たちによって神殿の再建が始まっていくのであります。
その神殿の建設は、単に建物を建てるためのものではありませんでした。それは、主の民である信仰の共同体が建て上げられていくためのものであったのです。
そのためには、礼拝を共に捧げていく場が必要でありました。礼拝は別に教会に集まらなくても行うことができる。確かに今は自分の聞きたい語り手(メッセンジャー)から聞きたい話を動画に見れる時代です。そちらがためになる、煩わしくない。神さまと自分の関係がしっかりしていれば大丈夫だから教会は必要ない、という方もいるかもしれません。もちろん人それぞれでしょうが、本当にそれで大丈夫なんでしょうか。

私たちはコロナの危機に直面し、その中を通ってきました。そこで独りで礼拝は確かにできたかもしれませんが、教会に集いたくても集うことのできないという苦しみ、魂の痛みはほんとうに霊的な枯渇そのものであることを私どもは身をもって体験いたしましたし、多くの方から同様のお声が聞かれました。あのバビロン捕囚となった詩人が、「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか。昼も夜も、私の糧は涙ばかり」(詩編42:2-4a)と謳ったように、それはまさに「心を感動させたもう神」は、「神に心動かされる者たち」のただ中に共に居たもうと再確認した時でありました。
私たちが主イエスの御救いに与かる者たちと共に与る礼拝がどれほど慕わしいことかと願いつつ、そうした期間を経て教会の礼拝を開き続けようとの決意に至ったのは、まさに「神に心動かされた同信の友」の切実な願いからでありました。久しぶりに再開された礼拝で主にある共同体、神の家族であるお一人おひとりと共に礼拝を主に捧げるとき、天来の平安と喜びに満ちあふれる感動の声が、礼拝後の会堂の至る所で聞かれました。神に心動かされた一人ひとりが神によって集められた場所、それが教会、エクレシアであり、その主に呼び集められた集いで、共に礼拝を捧げ、祈り合う中に「心を感動させる神さま」が生きてお働きくださるのです。

最後に最初にお読みした詩編122編の言葉をもう一度お読みして、共に祈りましょう。
「主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった。わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように。』わたしは願おう/わたしたちの神、主の家のために。『あなたに幸いがあるように。』」(122:1,8-9)
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