日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

うえるかむ

2013-03-30 09:30:28 | 教会案内

おしらせ&ご案内


① 3月3日の礼拝より、以下の仮会堂に移転いたしました。


 場所 大阪市天王寺区堀越町8番16号 大川ビル4F-B室

 アクセス:旧会堂(天王寺区茶臼山町1番17号)から東へ谷町線筋向い徒歩1分
     天王寺駅(JR/地下鉄)を出て谷町線筋北へ徒歩5分

主日礼拝   毎週日曜日 午前10時半 
祈祷会    毎週水曜日 ①午前10時半 ②午後7時


② イースター礼拝 3月31日(日)午前10時半~12時
    
     はじめての方も歓迎いたします。



    

日本バプテスト連盟
日本バプテスト大阪教会
      電話 06-6771-3865 メールアドレス obcs@nifty.com


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主イエスの十字架

2013-03-24 14:04:35 | メッセージ
宣教  ガラテヤ6章11~18節 受難週 

本日より受難週に入りました。主イエスの十字架の苦難と死を偲びつつ、来週の復活祭・イースターを心から喜びと希望をもってお迎えしていきましょう。
先週礼拝で旧会堂の玄関前に処分することになった教会の古書や聖書と讃美歌などを二つのボックス棚の中いっぱいに並べ、旧会堂の最後の福音伝道がなされている、と申しあげましたが。ほんとうに多くの方が立ちどまり手に取って聖書や信仰書を読んでおられる姿を、私も何度も見かけました。古書や聖書がみるみるうちに減っていきほぼなくなりましたので、本棚の方は残念ですが片付けました。又、教会堂建替えのための仮会堂移転の張り紙にじっと目をとめておられる人を何人も見かけました。この天王寺という寺町では、四天王寺や一心寺などにお参りに行く方々が大変多くおられるわけですが。お参りで教会前を行き交うその中に、キリスト教や教会に興味をもっておられる人も予想を超え沢山さんおられるということを今回改めて示された思いです。ただ、興味や関心はあっても、一歩を踏み出して教会や礼拝にまでといいますと、それはなかなか戸惑いや不安もあり、勇気がいることではないでしょうか。勇気がいるのではないしょうか。
今後新会堂へ移行したときには、どうしたらそういう方々が教会や礼拝に足を運べるのか、祈りながら備えていきたいですね。この前を通る一人でも多くの方々にキリストの福音を知って戴きたいと心から願います。

さて、本日はガラテヤの信徒への手紙より「主イエスの十字架」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。ガラテヤというのは都市や町の名前ではなく、当時ローマ帝国の領土として、行政区画された地区の名、ガラテヤ州のことです。
パウロはその小アジアのガラテヤ州にかつて数回宣教旅行をして主イエスの福音を伝え、幾つかの教会ができていったようです。パウロが最初に福音を伝えた時は、心から敬愛の念をもって教えに聞き従ったガラテヤの信徒たちでしたが、パウロが去った後、そこにキリスト教でありながら、なおかつ律法を重んじる指導者たちがやってきます。彼らは律法に従い割礼を受ける事をガラテヤの信徒たちに強く勧めるのですね。「そうすることで霊肉共に真実な神の民になることができんだよ」というようなことが教えとして持ちこまれてきたのですね。ガラテヤの信徒たちは、彼らの教えに戸惑いながらもそれに影響され、彼らの教えを信じ、パウロが伝えた主イエスの福音とその教えから離れ、割礼を受けようとする者、同じ信徒たちにもそれを強いて受けさせようとする者もいたようであります。
割礼は「産まれた男児の包皮の部分を切り取ることで神との契約のしるし」とする、旧約時代からユダヤの人々の間で受け継がれて来た儀式であります。今も旧約聖書の律法と教えを厳格に守るユダヤ教の人々は割礼を守っておられますが。それは彼らにとって大切な信仰者の要素でもあるのです。割礼によって清められた者のみが神との契約に入ることが出来得る。いわば神に選ばれた清き民のしるし、それが割礼であったのです。
しかし、神の子イエス・キリストによる新しい契約が始まった時、人が律法を守らねば救われないというのではなく、神から与えられた贖いの業を信じ、受け入れることで救いがもたらされることになったのです。
当時のガラテヤの信徒たちの状況というのは。新しい契約から古い契約に逆行するようなことであり、パウロ曰く「神の恵み、キリストの死を無駄にすること」でした。そのことを知ったパウロは、再びガラテヤの信徒たちに正しい信仰に立ち帰ってほしいと強く願ってこの手紙を書き送ったのでした。

本日の箇所は手紙の最後の部分でありますが、パウロの譲ることのできない福音の本質に係るゆえの情熱とガラテヤの信徒への親のような愛情が激しいほど文字に表れております。

パウロは外部から来た割礼を受けさせようとする指導者たちのことを次のように言っています。12節「肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。」

確かにユダヤの律法を厳守する人たちからの迫害は大変なものであったでしょう。割礼を受ければある意味いい逃れ出来るような部分も実際あったかも知れません。又、それを受けることが一種のステータスといいますか、自分は神の民の一員となったみたいな思いをもったのかも知れません。
そんな人たちの中に、「イエス・キリストは神の子メシアで、それを信じたら救われる。なにもわざわざ神の子が、十字架刑にかかり無残にも殺されたということまで強調しなくても、キリストを神の子と信じて割礼も受けたら神の民になるから、それでいいじゃないか。身の安全にもなるし、社会においても摩擦なく、もっと堂々とうまく布教できるじゃないか」。どこかそういう考えがあったのではないでしょうか。
そういう人々に対してパウロは次にように書いています。
14節、「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」。

十字架は、当時凶悪な罪人に対してなされた最も残酷な極刑でした。十字架は極刑の道具。その十字架刑で神の子が殺された。それは多くの人々にとっては躓きでしかありませんでした。けれどもパウロにとっては、いや、キリストの救いを信じる者にとってはむしろ誇りである、とパウロは言うのであります。

かつて日本の多くのキリスト教会が、国家護持と国体のもと、天皇を神と崇拝した後で礼拝を守っていたという大変残念な歴史があります。クリスチャンというだけで売国奴、敵の宗教と決めつけられ、白い目で見られた時代です。しかしそのようにして迫害を避け、教会の保身をはかるため神ならざるものを神とし、願わずとも戦争に加担することになっていきました。確かに当時の過酷な時代に生きた人々でないとその思いを知ることはできないでしょうが。しかしそれはもはや礼拝とは言い難いものだったのではないでしょうか。それも又、「主イエスの十字架を語らない罪」といえます。もう二度とそのような罪を犯さずにすむ平和な世界、信教の自由が守られる社会が実現されることを願うものですが。ご存じのように憲法改正がいよいよ具体化しよとし、戦争ができる国づくりの準備が刻々と進められているように、今日の日本の状況は予断を許さない領域に来ています。しかし、いかなる時代にあっても「主イエスの十字架こそ人間の罪と神の救い」であり、キリストの教会はそれを抜きには存在し得ないのです。

さて、パウロが「キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはならない」と訴えているのには、わけがありました。
彼もかつては優秀でユダヤ教徒として律法に精通するエリートであり、大変熱心な信者でありました。しかしその熱心さゆえにキリスト教会とその信者らを神の教えに反する異端として激しく迫害し、自分は神に忠誠を尽くしているのだと誇りをもっていたのですね。ところが、使徒言行録に記されているように、彼は復活の主と出会うのであります。そこで彼が聞いたのは、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」との、それはイエス・キリストなる神さまの御声であったのです。パウロは目が見えなくなるほど衝撃を受けました。これまで神のため神のためといってキリスト教徒らを迫害してきたパウロ。けれどもそれは自分の思い込み、自己満足であり、神への高慢であったのです。自らを誇りとしていたパウロでしたが、この活ける主イエス・キリストとの出会いによって彼は打ち砕かれたのです。主に逆らい続け、神の御独り子イエス・キリストを十字架にはりつけにしたのは、まさに自分の高慢、自分の罪であった。彼の脳裏に、自分が迫害し、苦痛を与えてきたキリスト教徒たちの姿が、主イエスの十字架と重なって映ったのです。パウロにとって「主イエスの十字架」は、自分の罪を思い知る原点であった。しかしそれは又、救いの原点でもあったのですね。ここから新しいパウロの人生が始まっていきます。
自らを誇りとしていたパウロは、「誇るなら主を誇れ」「キリストの十字架のほかに誇るものなし」。そのように「割礼の有無は問題ではなく、大切なのはキリストによって(その十字架の御業によって)新しく創造されること」だと訴えているのであります。


本日から受難週に入りましたが。
主イエスの十字架に示される救いの確かさ。それは、わたしの罪のために神の御独り子が十字架にはりつけにされたその犠牲によるものです。当然わたしが背負わなければならない裁きを、神の御独り子・主イエスさまが身代わりなって負ってくださいました。このすさまじいばかりの神の愛を前に、人の業など到底報いられるものではありません。
今日の使徒パウロの言葉にあるように、「主イエスの焼き印を身に受けて」、私たちも又、「キリストの十字架のほかに誇るものはなし」と、新しく創造された者として確信をもって私に与えられた人生をあゆんでまいりましょう。
大切なのは、主イエス・キリストの十字架の福音によって新しく創造されることです。

最後にⅡコリント5章17節~19節を読んで、一週間の派遣の言葉とさせて頂きます。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」
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主に結ばれて生きる仲間

2013-03-18 11:58:29 | メッセージ
宣教 フィリピ1章12~20節 
 
先週はイタリアで新しいローマ法王フランシスコ1世が南米から選ばれたそうですね。
日本でも大きく取り上げられ報道されていましたが。世界にカトリック信徒は12億人以上おられるそうですから。社会に影響する大きなニュースでありましょう。まあこの事を通してキリスト教が知れ渡る機会にもなったことでもありましょう。
今、旧会堂の解体の真最中ですが、そういう中、教会前を通られる方々はどういった印象を持たれているのでしょうね。先日は不動産関係会社でしょうか、あの土地を駐車場として用いてはどうでしょうか?という電話までかかってきました。どうも教会が完全になくなると勘違いされたようです。
そういう事もございましたが、先々週から旧会堂の玄関前に処分することになった教会の古書や聖書と讃美歌などを二つのボックス棚の中いっぱいに並べ、「ご自由にお持ち帰り下さい」と書いています。まあいって見れば、旧会堂の最後の福音伝道であります。
すると、サラリーマン、学生さん、ご年配の方と実に様々の方々が、立ちどまり手に取って御覧になっておられます。いっぱい置いていたのですが、随分減っています。三段ボックスに無造作に入れていて決して見た目が良いとはいえない置き方ですが。ともあれ、イエスさまとその御業に示される神さまの愛が、一人でも多くの人の魂に伝わることを願いつつ、主の今後のお取り扱いに期待をしています。

本日はフィリピの信徒への手紙より「主に結ばれて生きる仲間」と題し、共に御言葉を聞いていきたいと思います。この手紙は使徒パウロが福音を伝えていたがゆえに捕えられていた獄中からフィリピの教会の信徒たちに書き送られたものです。パウロが第二伝道旅行の折に、訪れて伝道し、建ちあがったフィリピの教会。パウロはその後、第三回目の伝道旅行の折にも、このフィリピの教会を訪ねています。
 
フィリピの教会の信徒の多くはユダヤ人以外のいわゆる異邦人で、その群は小さく、決して裕福な教会であったわけではありませんでしたが、彼らは使徒パウロを敬い、しばしば資金や物資を送ってその伝道の労苦を共にし、パウロの働きを支えていました。
フィリピの信徒たちは、今は獄中の使徒パウロを慰め、励ますために贈り物を集め、エパフロディトを使者として遣わし、パウロのそばにおいて、様々な世話や助け手としていたのですが、ほどなく彼は病気にかかり、その働きを断念せざるを得なくなってしまうのです。
この手紙は、フィリピの信徒たちの様々な好意に感謝の意を表すためのものであり、そのような失意のうちにあったエパフロディトを教会に執り成すため書かれたものです。同時に、自分の身辺について案じてくれるフィリピの教会と信徒たちに、自らはそのような捕われの状態であるにも拘わらず、むしろそのことを通して福音の伝道が推し進められていった、という驚きと喜びを伝えているものでありました。
使徒パウロはそのように、フィリピの信徒たちを力づけ、励ますため獄中からこの手紙をしたためて、フィリピに帰すエパフロディトとテモテに託した、これがフィリピの信徒への手紙であります。

「イエス・キリストこそ救いの主である」。この福音を伝えていった使徒パウロは、捕えられて獄中に閉じ込められました。けれども、そのことで思いがけないことに牢の番兵や兵営全体にもイエスさまの福音が伝わっていったんですね。又、パウロがいたその地のクリスチャンたちも、パウロの投獄されてもなお愛をもって福音に生きるその姿を見て、信仰の確信を得、恐れることなくますます勇敢に、「キリスト・イエスこそ救い主である」と、宣べ伝えていったということであります。
パウロは投獄されたことさえ「福音の前進に役立った」と言うのですね。ただ残念なことに、伝道熱心な人たちの中にはパウロを妬み、敵対心、争いの念、不純な動機から伝道していた人もいたということでした。けれども彼は、それさえも「キリストが告げ知らされていることを喜んでいる」というのです。
監禁された厳しい状況、反対の力に遭いながらも逆境に働かれる主の御業を仰ぎ見、かえって心配しているフィリピの信徒らを励ましているのですよね。どうしてそのように彼はできたのでしょう。
それはまさに、パウロ自身がキリストとその福音に捕えられた者であったからです。
そこにパウロは生きる意義を見出し、喜びに満たされていたからです。彼はフィリピの信徒への手紙の冒頭のあいさつで、自らをして「キリスト・イエスの僕であるパウロ」と紹介していますが。この僕という語は、むしろ「奴隷」の意に近いものでありました。それほどまでに十字架と復活の主イエス・キリストの救いを身を持って受け、その喜びを伝えずにいれなかったのであります。
また、パウロの胸中には常に7節にありますように、「共に恵みあずかる者」「キリストに結ばれた兄弟姉妹、仲間たち」への熱い思いがありました。8節には、「わたしがキリスト・イエスの愛の心であなた方一同のことをどれほど思っているかは神が証しして下さる」と書いてあるとおりです。

新約聖書の中には、使徒パウロの書簡が大変多くございますが。そのほとんどの書簡においてパウロは繰り返し、「わたしのために祈って下さい」と訴えています。もちろんパウロ自身、主と一対一で向き合い祈る機会を絶やすことなくもち、熱心に祈っていた人でありました。が、彼はそれでも、「わたしのために祈って下さい」と、訴えるのです。
それは一重に、どのような状況下におかれようとも、キリストの福音を告げ知らせるため、主の御救いが分かち合われていくためでありました。

私たちはどうでしょうか? 「人にはお祈りに覚えています」ということはあっても、「わたしのために祈ってください」とお願いすることは少ないのではないでしょうか。どこかずうずうしいような思いや遠慮がないでしょうか。けれども、神の栄光がこの身を通して現わされるために、この事が祝福されるように祈って下さい、と願って祈り合うことは大切なこと、いや、大きな恵みであります。
私たちクリスチャンは、主の前にあってみなそれぞれ、一人ひとり立てられています。
個々人の信仰、ひとり一人が主と向き合うことが信仰の土台であります。が、しかしその信仰は、十字架と復活のキリストに結ばれている兄弟姉妹にとりなし、とりなされ、共に用いられていくことを通して、主に栄光を顕わすこととなるのです。
 それは何か特別な働きや奉仕、献金をすること、まあそれも勿論神さまの御用になるわけですが、それ以前に、9節にありますように、福音の交わりを通して、「知る力と見抜く力を身につけて、あなたがたの愛がますます豊かなものとなり、本当に重要なことが見分けられるようになる」ということが、大事なのです。
主に結ばれて生きる私たちの間で、キリストのうちにある愛が益々豊かになって、義の実をあふれるほど受け、神の栄光と誉れを映しだす存在とされていくということです。
それをパウロは強く願ったのであります。  

それと、もう一つパウロを支え続けた大きな力について、19節で彼は、「イエス・キリストの霊の助け」について書いています。それは、ご聖霊であられる神さまのお働きを表しています。ローマ8章26節では、使徒パウロ自身、「霊も弱いわたしたちを助けて下さいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」と述べていますが。私たちが神の愛を伝えていきたい、神の救いの恵みを分かち合いたいと願うとき、この「イエス・キリストの霊の助け」は不可欠であります。
伝道というと、私たちの持っているものを相手に教えたり、説得したり、講釈すると思いがちであります。けれども、人の知恵や力で信仰者を生み出すことなど出来ません。それは主の霊の先立ちと導きによって、活ける主との出会いと救いがもたらされていくのであります。
「キリストに結ばれて生きる仲間」と題し、御言葉から聞きました。十字架と復活の主にあって共に恵みにあずかっていく、このうえない喜びであります。キリストの愛の心で、思い合い、祈り合い、とりなし合う中に、ご聖霊、イエス・キリストの霊の助けがあるのです。

いよいよ来週は受難週を迎えます。
最後に、使徒パウロの思いをよく表している言葉を読んで本日の宣教を閉じます。
フィリピ3章10、11節。「キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。」
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愛する兄弟として

2013-03-11 08:20:52 | メッセージ
宣教 フィレモンへの手紙


本日はフィレモンへの手紙より「愛する兄弟として」と題し、御言葉を聞いていきます。
この手紙は新約聖書の中で最も短いもので、使徒パウロからフィレモンという人物個人に宛てられたものであります。個人的に宛てられた手紙であるにも拘わらず、主の家である教会、神の家族としての豊かさ、キリストにある兄弟姉妹としてのよき関係を指南するものです。その主イエスが与えてくださった素敵な恵みを今日また御言葉から受け取っていきたいと思います。

手紙の受取人であったフィレモンについてですが、彼はかつてパウロがエフェソで福音を伝えていた時に、その救いのメッセージを聞いてキリスト者となったようであります。
その後コロサイの家の教会と深く関わり、家の教会にあって指導的な立場にあったようです。又彼は経済的にも富裕で、奴隷を所有していました。
このフィレモンにとってパウロは霊の父、信仰の師のような存在であったと言えます。
4節以降を読みますと、フィレモンがパウロの信仰に学びながら献身的思いを深め、愛に根ざした具体的働きを実践していった様子が伺えます。パウロも又、6節にあるように「わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています」と、いつもフィレモンのことを覚えていたことがよくわかります。

次にこの手紙の目的ですが、それはかつて「フィレモンのところから逃亡した奴隷のオネシモをゆるし、彼を愛する兄弟として受け入れてほしい」というものでした。オネシモはフィレモンが所有する奴隷であったのですが、一説によれば主人フィレモンの金を奪い逃亡したとも言われています。その後、オネシモは捕えられ、パウロが伝道したために投獄されていたエフェソの牢屋でパウロと出会ったと考えられます。それを機に、オネシモは福音を聞いて自分の罪を悔改め、イエス・キリストを信じて救われ、キリスト者となったのです。不思議な主の導きでありますが。それからというもの、オネシモは牢獄においてパウロの様々な助け手として働いていました。手紙の中でパウロは、今やオネシモが「あなたにもわたしにも役立つ者になっています」。「私の心」とまで賞賛しています。

ちなみにオネシモという名には、「有益」とか「役立つ」という意味がありました。
彼はキリストの福音に触れる前までは、神のもとからも、主人フィレモンのもとからも失われた者であり、パウロが記しているように、かつては「無益」で「役立たない」存在でありました。まあその名とは正反対のものであったのですね。彼は唯奴隷として強いられて働く日々の中で、卑屈になり本来の名が表すような自らの存在価値を見出せずに、発揮することが出来ないで、そのような状況から唯逃げ出したかったのでありましょう。
しかし、彼はキリストの福音に出会い、神の愛と赦しを信じ受け入れることによって、オネシモという名、「有益」で「役立つ者」という素晴らしい存在の意義を真に見出すこととなるのです。

さて、パウロはオネシモがその信仰の成長と共に信頼に値する者となっていく中で、ある思いへと導かれます。それは逃亡奴隷オネシモを主人のフィレモンのもとに戻す、ということでした。
不自由な投獄中のパウロは諸説によれば眼病を患い長旅と迫害のため体に弱さを抱えていたといわれていますが。そのパウロにとってみればオネシモがそばにいて、手助けをしてくれることは決して小さくなかったでしょう。むしろ大いに必要な存在であったはずです。オネシモを戻すということは貴重な付き添い役を失うということになります。何より獄中にあって信仰の友、愛する兄弟といっていますが、それを失ってしまうことにもなります。今後のことを考えても、オネシモがそばにいてくれたらどんなにか助かることであったに違いありません。それでも、オネシモをフィレモンのもとに戻そうと決意したのは、必ずやオネシモはフィレモンのよき助け手となり、その家の教会とその地にあって主の福音のよき働きお人となって用いられるに違いないと、考えたからでありましょう。
パウロは、「彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください」とまでいって、オネシモを執り成すのであります。

けれども一方、オネシモにとって主人のフィレモンのもとに戻るというのは、辛く痛みを伴うことであったに違いありません。かつて裏切って逃げ去った主人のもとに今さらながら戻ることなどできるのか、といった困惑の念にもかられたことでしょう。ひとたび自由を得たのにまた奴隷の身になるのかといった思い。帰れば当時のしきたりとしてひどい目に遭うかもしれないといった不安と恐れ。オネシモにとって主人フィレモンのもとに戻ることは、非常に困難な道、いばらの道であることに変わりなかったでありましょう。

それは、また、使徒パウロからの申し出を受けた主人フィレモンにとっても複雑な思いと葛藤が生じたはずです。許し難いという思いもあったでしょう。又、逃亡奴隷を何の処罰もせず迎え入れようものなら、当然世間の厳しい目がフィレモン自身に向かうことにもなります。人間的な思いとしたら、できればオネシモとはもう関わり合いたくないというのが正直な気持ちであったでしょう。お互いにもう会わない方が、傷つかず、厄介ごとも避けられる。互いの間には多くの感情的なわだかまりがあったことでしょう。
まこのように、パウロ、フィレモン、オネシモの三者それぞれに複雑な思いと葛藤があったことがよく読み取れるのであります。
しかしパウロはこう記します。15、16節「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。」

確かにオネシモは主人フィレモンを一時的に裏切り逃亡しました。しかしそれらのことも、信仰の光に照らすなら、すべては主の御手の業が明らかになり、フィレモンの家の教会にさらなる福音の恵みが満ち溢れるためのご計画であった、というのであります。
彼はもはや奴隷ではなく、愛する兄弟、主の家族の一員として迎え入れられる。それは他の奴隷たちにとってもどれほど大きな励まし、福音となるでしょうか。使徒パウロの、「愛する兄弟として」という言葉が今日私たちにも向けて語りかけられています。

先週O兄がほんとうに久しぶりに大阪教会の礼拝に戻って来られました。先々週、Y姉が旧会堂の片付けをしていた時この楽譜が出てきたそうです。これはO兄が小学生の頃作詞して、それに誰かが曲をつけているのですね。それを見ながらY姉は、何て素直で純粋な可愛いらしい詩だと感じつつも、「もったいないなあ、もう帰って来ることは難しいのかなあ」と思われたそうですが。その3日日後O兄から電話があり、「ボクはやっぱり神さまのところに帰るべきだと思って電話しました」と聞いて、もうひっくり返ったということです。「それは神さまも喜んでおられますよ」と電話を切った後、「神さま恐れ入りました」と言ったそうです。これは神さまのお導きであるということを知らされ、ほんとうに私ども主にあって喜び感謝しています。ご家族とご健康のためにお祈りします。
又、先日、大阪教会員で他行会員であられるY兄の奥様から突然お電話があり、ご主人が入院中でもし最期となった時は、お葬儀の司式をお願いできるでしょうか?というお申し出を戴きました。私はY兄とのご面識はないのですが。大阪教会のメンバーなので、すぐにご入院中の兄を奥様とご一緒に訪問させて戴きました。ご本人にお会いしてみると、酸素マスクもとれ今は歩行もでき、言葉も話されお元気な様子でした。病室で兄を囲み奥様と共に主にお祈りをささげることができ感謝でした。その後お話を伺っていきますと、ご両親は初期の大阪教会時代から主に仕えてこられた中心的信徒であることがわかりました。奥様は未信者でありますが、「主人のよろこぶことが何なのか考えた末、もし最期の時は、彼の信じているキリスト教でお葬儀をというのが一番いいという思いに至った」いうのですね。この日は、朝から大阪教会のことを主に祈っておりまして、その後にこのようなお電話があったのですね。これも神さまの福音のみ業、ご計画であるのでしょうね。大阪教会の建替えのこの年、主はほんとうに様々な出会いやご計画、お導きをもって私たちに臨んでくださっておられるということを、知らされます。

先週は仮会堂に移ってから最初の礼拝を捧げられましたが。如何でしたでしょうか。
何だかまだ地に足がついていない状態で、なんとなく慌ただしく、雑然として落ち着きがなかった感がありました。
私たちのこの集まりが何のためにあるのかということが改めて問われている気がいたします。世には快い集まりや集会はいくらでもありますが。遠いところから、又日曜日という体も休めたい、世間には楽しそうなイベントもある。そんな日と時間をこのために割き、礼拝の場へと皆さま集まって来られる。それはまさしく聖別して主にささげるためであり、世では与えられない真の魂の平安と喜びを慕い求めてこの場に集われているのではないでしょうか。私たちはかつて世に仕え、世の束縛のなかで、本来神さまから与えられた祝福と役割を見失って生きていましたが、今やイエス・キリストによって日毎、世の力からの解放に与り、自由な選択の中で、主に仕えて生きることを選び取り、こうして集まっているのです。それはお互いを、主にあって「愛する兄弟姉妹として」受け入れ合うキリストの招きによる集いです。

最後になりますが。ここに集われた一人ひとりは、オネシモのように主なる神さまによって見出された愛する子、互いに主にあるかけがえのない「愛する兄弟姉妹」であります。この主にある礼拝と交わりで確認するみ恵みをもって、それぞれがまたここから各々の生活の場、職場や家庭へと遣わされてまいりましょう。主のお導きやお働きは祈りのうちに覚えられ、その御業は気づかぬうちにもすでに起こされています。主は生きておられます。今週もそのような福音の力によって前進し、豊かな主のみ業とみ恵みを期待しつつ歩んでまいりましょう。
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雲の柱、火の柱

2013-03-04 13:13:26 | メッセージ
宣教 出エジプト13:20-22

今日は仮会堂での最初の礼拝をここにお捧げしています。先週の火曜日に引越が行なわれ、引越しの翌日水曜日には、この仮会堂で最初の午前と午後の祈祷会が行なわれほんとうに感謝でありました。その後祈祷会参加者の皆さんと、とりあえず礼拝できるような状態にセットをいたしました。限られたスペースながら、イスを並べてみますとまあ40席くらいまでは置けます。確かに調理する厨房もなくただ洗いや給水設備だけがあり、又御トイレも狭くて不自由をおかけしますが、そういうなかで最大限活用してまいりたいと願っています。
さて、そういうことで本日から仮会堂での主日礼拝が開始されました。私はこの本日の3月から新会堂完成の11月末までの9ヶ月、出エジプトしたイスラエルの民が荒れ野より出発し、やがて神の与える新天地へと向かう旅路になぞらえることができるのではないか、とそういう思いが与えられました。イスラエルの民は40年間荒れ野で試みに会いましたが、私どもの主日礼拝はおおよそ40週。その間この幕屋で主を礼拝しつつあゆむこととなるわけです。
神の導きによってエジプト王の手から逃れたイスラエルの民は、スコトから旅立って荒れ野の端のヨタムに宿営し、さらにそこから葦の海を前にした荒れ野バアル・ツエホンに至ります。いよいよその後、モーセに率いられたイスラエルの民は、追撃してくるエジプト軍を後ろに、この葦の海を渡る奇跡が起こるのであります。
興味深いことですが、本日の前の13章18節に「神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた」と書かれています。つまりあえて遠回りさせられた、ということです。それは、神が「イスラエルの民に近道となるペリシテ街道を示せば、ペリシテ軍との戦いを恐れてエジプトを出たことを後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれないと思われたからである」とあります。この迂回ルートというものを、大阪教会が2008年から新会堂建築のビジョンを与えられてから5年という歳月を経て来たその長い道のりというふうにとらえました。
本来はもっと早く新会堂建築の機があったと思えなくもありません。しかし、今こうして思えばたとえもっと早く会堂建築ができていたとしても、そこで教会内に様々な問題や分裂が起こり、大阪教会の基盤を壊しかねない事態が起こっていたかも知れません。バタバタと建てたはいいが、キリストの共同体としての本質が変質し損なわれるとしたなら、そんな残念なことはありません。わたしはこれまでの5年の歳月は決して無駄な遠回りだったとは思いません。辛いことや悲しいこと、又残念なこともありましたが。数えてあまりあるうれしかったことや証しの恵みもたくさん戴きました。私たち一人ひとりはそこで多くを祈り学んで信仰の確認を重ねてきたのです。それはキリストにある成長と共に主の交わりにおける絆を育むものでありました。確かに現在会員や礼拝の人数も減少しましたが、ルカ福音書12章32節の「恐れるな小さな群よ、御国をたもうことはあなたがたの父の御心である」との主イエスの励まし促され、ひたすら主の御声に聞きつつ、まずはこの荒れ野の道行きを共にあゆみ通したいと願うものです。2013年というこの年が新会堂建築にふさわしい年として与えられたと、そのように信じています。
昨日はK姉の納骨式及び、50日召天記念会が嬉野教会で行われ、とんぼ返りでしたがそちらに出席してきました。天の父のもとに凱旋された姉妹もきっと天において、大阪教会の新会堂建築のためにご尽力くださったゆえ、これからを主と共にあって見守っていてくださっていることでしょう。

本日の箇所の21節に、「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた」とあります。
雲の柱とはどういうものであったのでしょう?まあ荒れ野を旅するイスラエルの民にとって荒れ野の日照りは相当に厳しく、日ごとに生死を境にした過酷な道のりであったことでしょう。そういう時に、主は日照りを覆う雲を備えて過酷な暑さを和らげてくださったのですから、これ以上ありがたいことはないでしょう。12年前シナイ半島の荒れ野をバスで縦断した折に、天空を見上げると、雲がこんなにも低く間近にあるのかと驚きました。壮大な青空のもと白い雲が間近に迫りくる様子にただただ感動しました。まさに雲が先導して私たちの行く手を導いているような感じを体験しました。
火の柱については夜の荒れ野を見ていないので想像の域を超えませんが、岩肌のごつごつとした山が荒れ野の所々にあったのですが、一説にはその岩山が活火山として燃えていた様子だとも言われています。エジプト脱出の際の不思議な現象も火山の噴火に伴うものだとも聞きましたので、あり得るかも知れません。いずれにしても、主はまさにその時、火の柱を起こしてイスラエルの民に先立って進まれ、過酷な旅を導き守ってくださったのです。荒れ野の過酷な場所へといざなったのでありますが、しかし同時に主はその民に先立って進み、導かれるのであります。主が荒れ野にいるイスラエルの民をいかなる時も、先立って導いていかれ、災難や危害から守ってくださるのです。
それはまた、民が荒れ野からいよいよ葦の海に渡る時も同様でした。主は恐れと不安におののく民の前で海を割って道を拓き、民に先立って彼らを導かれたのであります。

これからの9カ月という新会堂建築工事の期間は、彼らが葦の海を渡り辿った、シナイの荒れ野における旅路になぞらえることもできましょう。イスラエルの民がそうであったように、私たちのためにも主なる生ける神さまは「昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって行く手を照らし」て、私たちが真昼の暑さも夜の暗闇にあってもあゆんでいけるように先立ち、導いていてくださると生ける主に信頼してまいりましょう。

ところでこの度の教会の引越しを経験するなかで皆様もいろんな気づき、発見があったのではないでしょうか。私は旧会堂のまあその天井の低さは問題としても、引越しをしてみてこんなにも広かったのかと改めて思わされました。御部屋もほんとうに多かったんですね。仮会堂に来ることによって、旧会堂のありがたさや良さに改めて気づかされたわけですが。この新会堂建築については内外にさまざまなご意見がございました。「まだまだ十分使えるのにとか」「こんな立派な建物ならリフォームすれば?」等など。けれど、今が私たち大阪教会に示される「神のとき」、神が大阪教会の歴史に強く介在して来られたとき、カイロスだと私は信じています。それは建物の老朽化とか、手直しが多々必要になってきたかという諸々の事情を超えた神さまのご計画だと信じています。人の考えと神のご計画はしばしば異なります。
イスラエルの民は荒れ野の厳しい現実を前に、「エジプトにとどまっていた方がましだった」と、つぶやく者も現れました。その心情は分からなくもありません。エジプトの地にあっては彼らは奴隷の身でありましたが、奴隷としてきっちりと指示されるままに動くなら、拘束されていたもののある程度の生活が保証されていたのです。その彼らが荒れ野という何もないような過酷な場へ移された。その厳しい現実を前にしますと、「そこにとどまっていた方が良かったのでは」と考える。そんな彼らの心情も理解できなくもありません。
しかし、エジプトを出て宅即された地に向うことは神の恵みのご計画でありました。険しい荒れ野の道のり、そこで多々覚える欠乏も飢え渇きも、神の約束以外何の保証もないそのような状況に神は敢えて民を導き出されるのです。なぜならそれは、彼らが名実共に「神の民」とされるために必要な経験だったからです。

私たちも今、様々な不便さを覚えることもあろうかと思います。献金やささげものについても信仰のチャレンジを受け、教会の財政も本当に大丈夫なのかと思われる方もおられるかも知れません。イスラエルの民ほどでないにしても、大きな信仰の試みの中におかれていますが。しかし、主はこの期間を通して私たちが名実共に「神の民」「祈りの民」そして真実な「キリストの共同体」となることを何よりも強く願っておられるのであります。
現代の慌ただしい世にあって私たちの状態もある意味奴隷のような状態といえるのかも知れません。キリスト者は世にあって解放された者、自由だと申しますが、私どもはほんとうに解放された者、自由を得たといえるでしょうか。聖書はほんとうの自由とは、生ける神さまとの交わりを通して与えられる、というのです。机上や頭の理解ではなく、生ける神さまと向き合う実体験を通してこそ神の民とされる、そこに真の自由と解放が臨むのであります。神さまが私たちに与えて下さった時間を私たちは如何に使い、用いているでしょうか。週のあゆみのなかで礼拝にささげられる時間は、168分の1のほんの1時間であります。その時間は主との礼拝の時間として聖別して捧げ、自分自身の霊性のために確保してまいりましょう。
 主は、私たちに新会堂の完成という希望を与えてくださいました。それは今や現実となっていく出来事なのであります。新会堂建築には主の救いと福音の拡がりという豊かなビジョンがかかっています。それは私たちの主の切なる願いであります。ですから、それを妨げるような世の力も強く働くものです。私たちを生ける神さまとこの主との交わりの場から引き離そうとする働きや、妨げようとする力です。そういう時だからこそ、主にある兄弟姉妹がまず同じ主を礼拝するところで心を一つに合わせ、今年の教会テーマ「祈り、支え合っていく」神の民・大阪教会となっていくことが求められているのです。キリスト者としての真価が問われるこの年のあゆみ、その神さまの御手にある試みの期間をご一緒に「祈り、支え合いつつ」、あゆみ通してまいりましょう。そこに神さまの豊かな祝福の実りを信じ、期待しています。

最後に、使徒パウロが「世における信仰者の姿勢」について自らについて述べたメッセージ、御言葉をお読みして本日の宣教を閉じます。
フィリピ3章13~14節「兄弟たち、わたし自身は既に捕えとは思ってはいません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」
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