歳晩礼拝宣教 ローマ16章1~16節
3カ月にわたって礼拝で読んできましたローマの信徒への手紙からの解き明かしは終わりますが。その締めくくりとしてこの16章はパウロの個人的な、そして感動的な友愛に満ちた挨拶の言葉からメッセージを聞いていきたいと思います。
①「姉妹フェベの紹介」
パウロは冒頭で、「ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します」と書き出しています。このケンクレアイはコリントの東の港町で、貿易の中心地でした。港町は活気に満ちていましたが、同時に貧しい者もたくさんいたようです。又各地からの旅行者や、逆に各地に出てゆく人々が教会の中でも絶えなかった。そのような街の教会で執事として仕えていた女性フェベ。パウロは彼女がローマに何らかの理由で赴くということで、ローマの信徒に「わたしたちの姉妹フェベ」と彼女のことを紹介し、何かと彼女のことをよろしく頼むと執り成したのですね。教会では信徒間で兄弟・姉妹というふうに呼び合いますが。それは、イエスさまが「わたしの父の御心を行う者は、誰でもわたしの兄弟、又姉妹なのだ」とおっしゃったからです。
そういうことで当時まだ奴隷や女性も地位が低くみなされていたような世の中で教会が一女性を「わたしたちにとっての姉妹」として尊敬の念をもって送り出したというのは本当に画期的なことであったのです。その彼女が未知の土地に行く、それも女性ということでもありまして紹介状があるということはどれ程心強かった大きかったことでしょう。
私どもにとりましても、例えば、見知らぬ地に行くことになり、どこの教会に行けばよいのか迷うような時、予め牧師や兄弟姉妹を通して、こういう教会があるからというお薦めがあるととても安心です。又、他の教会に行った時、私は何々教会から来ましたと、牧師や教会から紹介があった旨を伝えることができるなら、これはスムーズにいきますよね。
そのような執り成し合いの中で、この広い世界にあっても私どもは主にある交わりの豊かさを互いに喜び合うことが出来るのであります。
②「主に結ばれた知人にあてた挨拶」
パウロはそのフェベのために紹介状を書き、その中にローマの教会にいる知人たちへのあいさつを加えます。16節までに既に26人の名前とその人となりが詳しく書かれているのですが、これほど長く多彩なあいさつのリストは、パウロの他の手紙にはありません。まだパウロがローマに行っていない時に書かれたのですから、殆どの人たちと実際に会ったことはないはずですが、親愛の情が伝わってくるようであります。普段からローマの信徒たちと手紙や人を介して、その様子に思いを馳せ、意思疎通を計っていたのでしょう。いまだ会っていない人たちのことをここまで覚えることができるそのパウロの執り成す思い、祈りの思いが強く伝わってきます。
a.あいさつの始めに「プリスカとアキラ」の名が登場します。彼らは、パウロがコリントの開拓伝道を始めた時の最初の協力者でした(使徒18:2)。彼らは指導者アポロに聖書を教えることができ、さらにパウロの同労者と呼ばれ、4,5節から、プリスカとアキラの家の教会がローマにあったこと。また彼らはこの当時異邦人教会の中で最も有力な指導者で主の働き人であったということがわかります。そして夫のアキラよりも妻のプリスカの名が先にあげられていますが、これは当時の男性中心社会において、先の姉妹フェベもそうでしたが、彼女の働きが如何に大きく、多くの人から認められていたかということです。初代教会のこの女性の働きは、これは今日の教会にも当てはまるように思います。この大阪教会を支えて下さっている女性たちの働きに、本当に感謝を表します。
b.もう一つこのあいさつから知らされますことは、この26人のうち、何と10人が貧しい奴隷であったということであります。ロ―マの教会にはいろんな人たちがいました。ユダヤ人、ギリシャ人、ローマ人、そして奴隷や自由人もいました。又、中には有力者や富裕層もいたようですが。どちらかといえばその多くは奴隷や民衆によって形成されていたのです。そして、ローマの教会といえばどっかイメージとしてローマカトリックのような大きな教会が思い浮かびますが、この新約聖書時代のローマの教会は、個々の信徒が家を開放して持たれていた家の教会が多く存在し、主にあって互いに結ばれ、交流し合っていたのです。そしてこの手紙もそれぞれの家の教会に回覧されていたようであります。
私たち大阪教会はキリストにあるバプテスト連盟の群につながっていますが。バプテストも又、主イエスが与えたもう自由と平等を大切にしており、そこに身分、国籍、職業、性別による相違による多様性を認め、受容してきた歴史をもつ群であります。バプテストのそれぞれの教会の殆どは比較的少人数ではありますが、このローマの家の教会のように主にあって互いに結ばれ、交流を持ち、時に助け合い、祈り合って共に働きます。関西地方連合というのはそういう意味で存在しているということに、このローマ書から気づかされます。
③「執り成し、執り成されて」
この個所から、「執り成し、執り成されて」という宣教題をつけました。
それはまさにパウロとローマの信徒たちの関係然りでありました。
今年一年の最後の主日礼拝にあって、いま一度心に留めたいことは、私たちのこの1年はそれぞれにいろんな出来事があったかと思いますが。この私、あなたは、主に結ばれている兄弟姉妹によって執り成されてきた、そして今があるのです。私自身、今年も特伝以外の主日礼拝の宣教をすべて果たすことができましたのも、牧師、又家族のために、倒れることなく守られて主のご用を果たすことができるようにと、主に結ばれている兄弟姉妹が捧げて下さった執り成しのお祈りに支えて戴いたからであります。私も又、敬愛する皆様お一人おひとりをご聖霊の助けを戴きつつ、これからも祈り努めてまいります。
教会は執り成し、執り成されていく群であります。その素晴らしさは世にはないものです。執り成しの祈りには、神の豊かな力がほんとうに働いているのであります。
私たちは個人的、又感情的に祈れなくなることがありますが、しかし教会は、その祈れないようなその中にあっても、仲介者であられる主イエスさまの御名によって「祈り合う」ことができる。どんなにありがたいこと、素晴らしい恵みでしょうか。祈祷会ってほんとうに大切です。どうか来年は恵み多い祈祷会へ努めて参加されることをお勧めいたします。
2011年は今週の土曜日の元旦礼拝から始まります。みなさまのうえに神さまの祝福と平安を祈り、新たな一年を始めてまいりましょう。
3カ月にわたって礼拝で読んできましたローマの信徒への手紙からの解き明かしは終わりますが。その締めくくりとしてこの16章はパウロの個人的な、そして感動的な友愛に満ちた挨拶の言葉からメッセージを聞いていきたいと思います。
①「姉妹フェベの紹介」
パウロは冒頭で、「ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します」と書き出しています。このケンクレアイはコリントの東の港町で、貿易の中心地でした。港町は活気に満ちていましたが、同時に貧しい者もたくさんいたようです。又各地からの旅行者や、逆に各地に出てゆく人々が教会の中でも絶えなかった。そのような街の教会で執事として仕えていた女性フェベ。パウロは彼女がローマに何らかの理由で赴くということで、ローマの信徒に「わたしたちの姉妹フェベ」と彼女のことを紹介し、何かと彼女のことをよろしく頼むと執り成したのですね。教会では信徒間で兄弟・姉妹というふうに呼び合いますが。それは、イエスさまが「わたしの父の御心を行う者は、誰でもわたしの兄弟、又姉妹なのだ」とおっしゃったからです。
そういうことで当時まだ奴隷や女性も地位が低くみなされていたような世の中で教会が一女性を「わたしたちにとっての姉妹」として尊敬の念をもって送り出したというのは本当に画期的なことであったのです。その彼女が未知の土地に行く、それも女性ということでもありまして紹介状があるということはどれ程心強かった大きかったことでしょう。
私どもにとりましても、例えば、見知らぬ地に行くことになり、どこの教会に行けばよいのか迷うような時、予め牧師や兄弟姉妹を通して、こういう教会があるからというお薦めがあるととても安心です。又、他の教会に行った時、私は何々教会から来ましたと、牧師や教会から紹介があった旨を伝えることができるなら、これはスムーズにいきますよね。
そのような執り成し合いの中で、この広い世界にあっても私どもは主にある交わりの豊かさを互いに喜び合うことが出来るのであります。
②「主に結ばれた知人にあてた挨拶」
パウロはそのフェベのために紹介状を書き、その中にローマの教会にいる知人たちへのあいさつを加えます。16節までに既に26人の名前とその人となりが詳しく書かれているのですが、これほど長く多彩なあいさつのリストは、パウロの他の手紙にはありません。まだパウロがローマに行っていない時に書かれたのですから、殆どの人たちと実際に会ったことはないはずですが、親愛の情が伝わってくるようであります。普段からローマの信徒たちと手紙や人を介して、その様子に思いを馳せ、意思疎通を計っていたのでしょう。いまだ会っていない人たちのことをここまで覚えることができるそのパウロの執り成す思い、祈りの思いが強く伝わってきます。
a.あいさつの始めに「プリスカとアキラ」の名が登場します。彼らは、パウロがコリントの開拓伝道を始めた時の最初の協力者でした(使徒18:2)。彼らは指導者アポロに聖書を教えることができ、さらにパウロの同労者と呼ばれ、4,5節から、プリスカとアキラの家の教会がローマにあったこと。また彼らはこの当時異邦人教会の中で最も有力な指導者で主の働き人であったということがわかります。そして夫のアキラよりも妻のプリスカの名が先にあげられていますが、これは当時の男性中心社会において、先の姉妹フェベもそうでしたが、彼女の働きが如何に大きく、多くの人から認められていたかということです。初代教会のこの女性の働きは、これは今日の教会にも当てはまるように思います。この大阪教会を支えて下さっている女性たちの働きに、本当に感謝を表します。
b.もう一つこのあいさつから知らされますことは、この26人のうち、何と10人が貧しい奴隷であったということであります。ロ―マの教会にはいろんな人たちがいました。ユダヤ人、ギリシャ人、ローマ人、そして奴隷や自由人もいました。又、中には有力者や富裕層もいたようですが。どちらかといえばその多くは奴隷や民衆によって形成されていたのです。そして、ローマの教会といえばどっかイメージとしてローマカトリックのような大きな教会が思い浮かびますが、この新約聖書時代のローマの教会は、個々の信徒が家を開放して持たれていた家の教会が多く存在し、主にあって互いに結ばれ、交流し合っていたのです。そしてこの手紙もそれぞれの家の教会に回覧されていたようであります。
私たち大阪教会はキリストにあるバプテスト連盟の群につながっていますが。バプテストも又、主イエスが与えたもう自由と平等を大切にしており、そこに身分、国籍、職業、性別による相違による多様性を認め、受容してきた歴史をもつ群であります。バプテストのそれぞれの教会の殆どは比較的少人数ではありますが、このローマの家の教会のように主にあって互いに結ばれ、交流を持ち、時に助け合い、祈り合って共に働きます。関西地方連合というのはそういう意味で存在しているということに、このローマ書から気づかされます。
③「執り成し、執り成されて」
この個所から、「執り成し、執り成されて」という宣教題をつけました。
それはまさにパウロとローマの信徒たちの関係然りでありました。
今年一年の最後の主日礼拝にあって、いま一度心に留めたいことは、私たちのこの1年はそれぞれにいろんな出来事があったかと思いますが。この私、あなたは、主に結ばれている兄弟姉妹によって執り成されてきた、そして今があるのです。私自身、今年も特伝以外の主日礼拝の宣教をすべて果たすことができましたのも、牧師、又家族のために、倒れることなく守られて主のご用を果たすことができるようにと、主に結ばれている兄弟姉妹が捧げて下さった執り成しのお祈りに支えて戴いたからであります。私も又、敬愛する皆様お一人おひとりをご聖霊の助けを戴きつつ、これからも祈り努めてまいります。
教会は執り成し、執り成されていく群であります。その素晴らしさは世にはないものです。執り成しの祈りには、神の豊かな力がほんとうに働いているのであります。
私たちは個人的、又感情的に祈れなくなることがありますが、しかし教会は、その祈れないようなその中にあっても、仲介者であられる主イエスさまの御名によって「祈り合う」ことができる。どんなにありがたいこと、素晴らしい恵みでしょうか。祈祷会ってほんとうに大切です。どうか来年は恵み多い祈祷会へ努めて参加されることをお勧めいたします。
2011年は今週の土曜日の元旦礼拝から始まります。みなさまのうえに神さまの祝福と平安を祈り、新たな一年を始めてまいりましょう。