Easter Sunday Service
イースターは、すべての人の救いのために十字架にかかられたイエス・キリストが死よりよみがえり、永遠の命の希望をあらわされた記念の日です。
2018年4月1日(日)午前10:30-12:00
入場は無料ですが自由献金があります。
問い合わせ 06-6771-3865
日本バプテスト大阪教会
大阪市天王寺区茶臼山町1-17
Easter Sunday Service
イースターは、すべての人の救いのために十字架にかかられたイエス・キリストが死よりよみがえり、永遠の命の希望をあらわされた記念の日です。
2018年4月1日(日)午前10:30-12:00
入場は無料ですが自由献金があります。
問い合わせ 06-6771-3865
日本バプテスト大阪教会
大阪市天王寺区茶臼山町1-17
主日礼拝 日曜日 10:30-12:00
夕べの礼拝~主の食卓を囲んで~第2,4 日曜日
第2,4 日曜日 18:00-19:30 (4月は第4日曜日のみ)
教会学校 日曜日 9:30-10:00
祈祷会Ⅰ 水曜日 10:30-12:00
祈祷会Ⅱ 水曜日 19:00-20:00
4月からの新しいプログラム!
こども食堂
4月11日(水)17:00-19:00 (月に1度)※17:20分までに来て下さい。
20食分用意いたします。
小・中学生100円 高校生は200円
付き添いおとな 200円
礼拝宣教 マルコ15:33-41 受難週
2月14日の受難節・レントから始まって、主イエスのご受難を覚えつつ、今日の受難週を迎えましたが。本日からの7日間、全世界の救い成し遂げるために主イエスが如何に歩まれたのかを偲びつつ、その恵みの深さを覚える時となりますように。30日金曜日は主の受苦日を特に覚え、午後3時から黙想と祈りの時がもたれます。時間の許される方はどうぞ、集って下さい。
この箇所はイエスさまが十字架にはりつけにされてから正午頃から午後3時の場面です。それから全地は暗くなり、午後3時までそれが続いたと記されています。
あの旧約聖書の出エジプトの直前、主の過ぎ越しを守る前も、主は暗闇の災いを起こされ、エジプト全域が暗闇に覆われて、人々は、3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかった、ということがありましたが。それは神の審きが臨んだことを示していました。
このイエスさまが十字架にはりつけにされた3時間も又、本来は太陽が燦燦と照り輝く真昼の一番明るい時間帯であったわけですが、その時全地は闇に包まれます。これも神の審きが臨む現れであったということでしょう。
しかしこの暗闇は、かつてエジプト内だけに臨んだようなものではなく、ここに「全地」とありますように、全世界を覆う暗闇であったことを聖書は伝えているのです。
それは同時に、これから成し遂げられようとしている救いの業が、全地を覆う闇の支配と罪からの解放であることを暗示しています。
そのような中で、この3時になると、イエスさまは大声で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれます。
すると、十字架のそばに居合わせた人々はそれぞれに、「そら、エリヤを読んでいる」とか、「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」といったとあります。又、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒につけてイエスに飲ませようとして、イエスさまがその痛みを自分で和らげようとするかを試そうとする者もいたようです。
聖書は、「しかし、イエスさまは大声を出して息を引き取られた」と淡々と伝えるのであります。
つまり、イエスさまが大声で「わが神、わが神」と、訴えたことに対して、神からの何ら答えや助けはなかった。どこから見てもイエスさまは神に捨てられた。そうとしか思えないようなお姿で息を引き取られた。
このところを読みながら思い起されましたのは、遠藤周作さんの「沈黙」という小説であり、これは実話でもあるわけですが。一昨年でしたかね、映画化され鑑賞もいたしましたが。
その中で、役人に捕まっても棄教しない、まあ転ばなかった隠れキリシタンの人々が、荒波迫りくる海岸沿いの岩場で、十字架にはりつけにされながら、ただ刻々と苦難の中で死を待つしかない。またそれを見届けつつ祈るほかない者らには、無残な「場面」であります。
神の沈黙。「神が生きているのなら、どうしてその信仰を守り通す人々を神はお見捨てになられるのか」という思いや疑問がそれを見る者には湧き起こるのであります。
私たちは、イエスさまの十字架の前で、「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言った人たちと自分は違うと思うかも知れません。けれども果たしてそう言い切れるでしょうか。「おまえが神の子なら、そこから降りてみろ」「神が存在するのなら、その証拠や奇跡を起こしてみろ」。そういう声が内外に起こる。それが私たちの現実の世界ではないでしょうか。
親子の関係であれば、子どもがピンチに陥った時、子どもが「父さん、なぜボクを助けてくれないの」と強く助けを求められたなら、まあ、その子に助けの手を伸ばして救ってあげるのが親でありましょう。
けれども、神の子であるイエスさまが十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫んでも、何の助けも応答もなく、ただ沈黙のみであったのです。誰もがこの人は神に見捨てられた、神の子ではない、そうとしか思えないそのような状況であった。
ところがです。イエスさまを十字架で処刑するため、その最初から最後まで指揮にあたり、
イエスさまのそばに立っていたローマの百人隊長は、「イエスがこのように息を引き取られるのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った、と聖書は伝えるのであります。
どうしてこの百人隊長はそのように言いえたのでしょうか?この人は何を見たのでしょうか?
目に見える限り、イエスさまの死は、神からも見捨てられた絶望にしか映りません。
並行記事のマタイの福音書では、イエスさまが十字架上で息を引き取られた後、「地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」とあり、これらの出来事を見て、百人隊長らは非常に恐れて、「本当に、この人は神の子だった」と言ったと伝えております。彼らは目に見える衝撃的な現象を目の当りにして、そう言ったのです。これならわかりやすいですが。
けれどもこのマルコの福音書は、そういうことは一切触れていません。
イエスさまが、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫された後、何ら奇跡的な現象もないまま息を引き取られた。その有様を見て、「本当に、この人は神の子だった」と、このローマの百人隊長は言っているのですね。
実はこのマルコの福音書の中では、イエスさまを「神の子であった」と言い表した人物は、この人が最初で最後の人であるのです。
イエスさまに従って寝食をともにしていた弟子たちではありません。又、いやしや奇跡を目にした民衆でもありません。あるいは、神殿や会堂にいて宗教儀礼を行うユダヤの宗教家や律法学者や指導者たちでもありませんでした。殊に彼らには、イエスさまが民の数にも入れられない人や汚れているとされていた病人や罪人といわれる人たちと一緒に食事をしたり交流していることが理解できませんでした。民衆にもてはやされるイエスさまに憎悪をも抱いて十字架に引き渡していったのは彼らでした。
ところが、このイエスさまの十字架刑の指揮をとっていた百人隊長が、絶叫して息を引き取られたイエスさまを見て、「本当に、この人は神の子だった」、イエスは神の子と言ったのです。
神の祝福と選びとは、アブラハムから始まって、モーセの十戒からなる神の民としての契約を経ながら、ずっとユダヤの民に限られたものでした。
しかし、そのユダヤの民がイエスさまを全く理解できないでいる中で、イエスさまを十字架刑にかけていった異邦人のローマの百人隊長が、「本当に、この人は神の子だった」と言った。実にここから世界に神の国の福音、罪の贖いと赦しの福音が全世界の人々にまでもたらされていくことになるのであります。
イエスさまが息を引き取られた後に、エルサレムの神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けるという出来事が起った、と記されてあります。
これまでは、神が人と出会う場所は、神殿の幕屋の奥まった至聖所であったわけであった。
神殿の幕屋には、ユダヤの特別な階層、宗教家や律法学者、祭司、レビ人といった人たちのみが近づくことを許されていました。それ以外の庶民、ユダヤの社会で小さくされた人々、罪人されていた人、汚れた人とよばれていた人、ましてや異邦人などは決してそこに内に入ることも、近づくことすらできなかったのです。
しかし、神の子イエスさまがすべての人の罪を贖うために死なれたその時、神殿の垂れ幕の上下が真っ二つに裂けた。それは先ほども申しましたように、永い間特別な人やそういう人
介さなければ入れず、近づくこともできず神と人とを仕切り、隔てていた、その覆いが取り除かれ、ユダヤの民のみならず文字通りすべての人々、全世界の人々が直接神さままと出会い、神の国に入る御救いに与ることができる道が開かれたのです。
私たちは言うまでもなく、その救いの福音に与っている者でありますが。それはまさに、主イエスの十字架の受難と死によってもたらされました。
イエスさまが、すべての人間の苦しみ、痛み、悩み、弱さを負い、罪の審きを十字架をとおして担い、神のゆるしと和解の内に招き入れてくださったのです。
この百人隊長は、信仰的既成概念やユダヤの宗教観にとらわれることがなかったからこそ、まさに幼子のように、神の子の本質に目を開かれ、「本当に、このイエスこそ、神の子であった」と言えたのではないでしょうか。
私どももそのような柔らかな感性をもって神の御心と御業とを、状況にとらわれることなく察知できる者でありたいと願うものです。
さて、最後になりますが、40-41節を読みますと、このイエスさまの十字架の出来事の目撃者として、「婦人たちも遠くから見守っていた・・・この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた」と、聖書は伝えます。
神と人との関係が大きく更新されるような、その新しい契約が立てられていく決定的瞬間に立ち会ったのは、この女性たちでした。イエスさまが、語られ、行いによって示された神さまの愛と解放、救いの福音を本当に受け取っていったのは、当時の社会的に小さくされ、弱い立場に立たされることが常であった女性たちだったのですね。すでに福音に生かされて十字架のもとにまで近づき従っていた彼女らは(次週の話にもなりますが)この後、イエスさまの復活の証人となっていくその重要な役割をみなこの女性たちが担っていくことになるのです。
ゴルゴダの丘とその周辺には様々な人々が、それぞれの思いをもってこの出来事に注視していました。
今日の、イエスさまの十字架の受難と死のお姿を前に、「あなたはどこに立ち、何を見つめているか」。問われる思いがいたします。
今日の個所から、神さまの御救いの業というのは、私たちの人間の思いや考えを遥かに超えていることを思わされます。
十字架上での「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになられたのですか」という絶叫の中に、主が私たちの人間の罪、咎、苦悩、苦痛のありとあらゆる苦しみを身に負い死なれたという、計りがたいほど大きな神の愛と救いがなされた、神の義と愛が示された。
たとえ闇ともいえる私どもの現実、そして時代の流れに遭遇したとしても、神はともにおられる。救いは成る。それが聖書のメッセージであるのではないでしょうか。
私たちはこの主イエスの十字架によって、新しく生まれ変わることを許されていることをもう一度心にとめ、感謝と賛美をもって主に応えて生きるものとなるべく、今日もここからそれぞれの場へと遣わされてまいりましょう。
「十字架の言葉は滅んでいく者にとって愚かなものですが、わたしたち救われている者には神の力です。」コリント一1章18節。
礼拝宣教 マルコ14章43-52節 受難節(レント)
先週は、よく知られたナルドの壺エピソードでした。ベタニアの重い皮膚病のシモンの家でイエスさまが一緒に食事をなさっていた時に、一人の名もない女性が非常に高価なナルドの香油の入った壺を割り、イエスさまの頭に注ぎかけます。するとそこにいた何人かが、「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。香油を売って貧しい人々に施すことができたのに」と憤慨して、この女性を厳しく咎めたところ、イエスさまはその人々に「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたし体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」のだと言われました。 この「葬り」とは、イエスさまがそれまで再三に亘り、弟子たちに語った「受難の死」を意味しています。この女性は、そのご受難を前にしたイエスさまに、ただ親愛と感謝の思いを込めてこのような行動をとったのですが。イエスさまは「わたしの葬り準備をしてくれた」と、この女性をたたえます。 マタイ福音書では、その女性の行動に憤慨したのは弟子たちであった、と記されております。又、ヨハネ福音書ではイスカリオテのユダと名指しされています。いずれにしろ、弟子たちはイエスさまご自身の思いを図り知ることができなかったということですね。
このところの前の27節以降で、イエスさまは弟子たちに「あなたたちは皆わたしにつまずく」とおっしゃっていました。そこでゼカリヤ書13章を引用されて、「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう」と、あなたたちは事が起こったらそのような状態に陥ってしまうだろうと言っておられたのです。さらにイエスさまは筆頭格の弟子であったペトロもイエスご自身のことを「知らない」と否認するだろうと予告なさいました。この時驚いたペトロは猛烈に、「わたしは決してそんなことはしません」と否定するのでありますが。
さて、本日の「イエスさまが裏切られ、逮捕され、弟子たちも皆逃げ去ってしまう」という暗闇のような出来事でありますけれども。 この事が起こる直前まで、イエスさまはゲッセマネの園で、必死に父の神に「あなたは何でもおできになります。この杯(十字架にかけられること)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行なわれますように」と祈られます。
弟子たちは少し離れたところで「目を覚まして祈っているように」と言われていましたが、イエスさまが戻ってご覧になると彼らは皆眠っていました。その居眠りをしていた弟子たちに向けて、イエスさまは「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」とおっしゃるのであります。まさにそのゲッセマネの園での祈りを遮るかのように、この裏切られ、逮捕される出来事が起こっていくのであります。
イエスさまはすでに十二人の弟子のうちの一人、イスカリオテのユダが自分を裏切る者であることを、ご存じでした。あの「最後の晩餐」の場面でイエスさまが「あなたがたのうちのあの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」とおっしゃると、弟子たちは心を痛めて「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた、ということが記されています。まあユダ以外の弟子たちは皆、わたしはイエスさまを裏切るようなことはない、と思っていたということですね。
私たちは「ユダって何て非道な人間じゃないか」と思いますよね。イエスさまを売った銀貨30枚といえば当時1デナリオン銀貨が、だいたい労働者の1日分の日当であったことから、まあ30日分、1か月分の賃金、いわば月給に価するということです。まあ、そのような価値でイエスさまを売り渡したユダってどういう神経をしていたんだろうか、と思われるのではないでしょうか。
しかし今日の43節を見ますと、イエスさまを裏切るユダについてわざわざ「十二人の一人である」と記されていますね。これは十二弟子全員がイエスさまを裏切った。見捨てた。その中の一人のユダなんだと言っているように読み取れるのではないでしょうか。 そういう意味で、確かにユダはイエスさまを売り渡した張本人でありますが。そのイエスさまを裏切る弱さを他の弟子たちも持っていたし、実際にイエスさまを捨てて逃げ去ってしまうのです。筆頭格の弟子であったペトロさえもそうです。彼はイエスさまが逮捕されて行った官邸にまで後を追っていきましたが、最後は保身のためにイエスさまを否み、関係がないと否認したのです。
「心は燃えても、肉体は弱い」。イエスさまがおっしゃったように私たちも又、この弟子たちの弱さを笑えない、裁けない、もろい存在にすぎないということを考えさせられるものであります。
さて、そのユダについては、イエスさまを捕まえる時のときの合図として、「自分が接吻した相手がその人だ。捕まえて、逃さないように連れて行け」と、祭司長や律法学者、長老たちが遣わした軍団に伝えていました。そうしてユダがイエスに近寄り、「先生」と言って接吻すると、この人々はイエスに手をかけて捕らえた、とあります。 日本の文化では接吻をあいさつとしたりしませんが。聖書に出てくる文化圏では日常のあいさつであったり、敬意をこめた表現として接吻するわけですけれど。
このユダが、予め合図として接吻すると伝えたその接吻はフィレイという単なる挨拶を表す言葉でした。ところが実際にイエスさまに近づいて接吻した、それはカタフィレイという、これは当時のラビ、指導者的教師に向けての敬愛の念をこめた接吻以上に、情熱的な思いを表す言葉なんですね。 それは例えば、罪ある女性がイエスさまの足に接吻して香油を塗ったという場面や放蕩息子の父親が駆け寄って来た息子の首を抱き、接吻したという場面にも同じカタフィレイが用いられています。ユダはここでそういう万感の思いをもってイエスさまに接吻したということなのでしょうか。
ユダはイエスさまの弟子として、その十二人にも選ばれ、固い信頼関係で結ばれていたはずでした。すべてを捨てて従って行ったはずのユダがイエスさまにどれ程の思いを持っていたか。裏切りを企ててなおこのような接吻をしたことに、彼の心の複雑さというものを考えさせられますが。そのへんは単に保身のために逃げた他の弟子たちと異質なものを感じます。
今日において、子どもの虐待やDVが事件となってしまった傷ましい報道が頻繁にありますけれども。その犯行に及んだ多くの人は、憎いから加害を加えたのではなく、むしろ「子どもを愛していた」とか、被害者を「とても好きだった」というそうでです。そこには何らかの強いストレスや心に噛み合わない齟齬が、そういう行為に結びつくことも多いそうです。いずれにしても、人の心の深淵を見せられる思いがいたします。
このユダの中にも、イエスさまの十字架を前にした言動に対しての不満や失望感が強いストレスとなって、こういうかたちで暴走してしまったのかも知れません。
けれど、イエスさまは十字架の出来事と共に復活の希望を語っておられるんですよね。イエスさまが「目を覚ましていなさい」と言われているのは、主の救い、そして希望を見出す事、それを見失わないでいる事であると言えるのかも知れません。
今日の夕暮れのゲッセマネでのイエスさまの逮捕という場面。この「暗闇の深まる中で神の救いが示されている」ことを見逃さないようにしないといけません。
48節-49節でイエスさまは、「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕えなかった」とおっしゃって、こういう闇の力がすべてを支配しようかというその中で、「しかし、これは聖書の言葉が実現されるためである」。 そのようにイエスさまは宣言なさるんですね。「しかし」「これは聖書の言葉が実現されるためである」。ここに本当の主権、権能というものは神にあるのだ、世の力なんかじゃない、という宣言なんです。
ここでは、イエスさまには全く罪がないということ、その逮捕の理由に価するものが全くないこと、又、世の力は白日の下では手を出すことが出来ないため、あえて暗がりの中で、軍団となって非合法的に捕らえに来るわけです。しかしイエスさまは、それであるにも拘わらず、その身を世の力のなすままに引き渡されたのです。「これは聖書の言葉が実現されるためである」。ここに、世の力と人の罪の支配するような「闇の中で・・・神の真の権威と御救いの光」とが示されているんですね。まさにイエスさまは旧約聖書の時代から神のご計画されていたすべての人々の救いを成し遂げるために、ご自身を引き渡されるのであります。
こういう光と闇のせめぎ合うような時、その状況の中で、しかし「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とマルコは伝えます。聖書は、すべての弟子たちが、イエスさまを見捨てて逃げて行ったということを今政治の世界でも問題になっていますが、書き換えや改ざんすることなく、また加減もせず、正直ありのまま記録として残します。
51節の、名も記されていない一人の若者のエピソードもそうです。イエスさまについて来たけれども、捕まりそうになり身に着けていた亜麻布を捨てて、裸同然で逃げ去った、という恥としか言いようのない事を、ここにそのまま記しています。
マルコ福音書の記者は、ここで、本当にイエスさまの弟子と呼ばれるにふさわしい者は一人もいなかったということを言っているんじゃないでしょうか。
イエスさまが14章27節で弟子たちに、「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』とおっしゃったように、彼らは皆つまずいてしまうんです。
順調な時は神さまをほめたたえ、感謝することはあっても。思い通りにいかなかったり、思いがけないことが起こった時、どうでしょうか。何か人間関係のほつれや、つまずきとなることがあった時、主への信頼までも崩れるようなことがないでしょうか。人の思いは、たとえそれがどんなに情熱的であったとしても、案外簡単に冷めてしまったり、離れてしまったりするものです。
主イエスは、今日の箇所に記されたような、ご自分を見捨てて逃げ行くペトロや弟子たちのために「信仰が無くならないように祈られた」と、ルカによる福音書22章33節にございます。そのような弟子たちであるにも拘わらず、主イエスはその弟子たちを、そして私たちを見限るようなことは決してなさらず、そんな弱さ、もろさ、至らなささえも引き受けられて、私たち、すべての人間の救いの道を開いて下さるために、十字架の道をあゆんで行かれるのです。
今日のイエスさまが裏切られ、逮捕され、見捨てられていくという、本当に闇としかいいようのない場面ですが。しかしその中で、聖書の言葉の実現、すなわち神の救いのご計画がなされるという私たちにとっての希望の光が射していることを知らされました。
主イエスが一貫して御神の御心に従いゆくものであった。そこに私たちはその救いの光を頂いています。 またここから新しい週のあゆみへと遣わされてまいりましょう。
礼拝宣教 マルコ14章3-9節 受難節(レント)
未曾有の震災から今日で7年目を迎えます。報道を通して非日常的状況に投げ出された人たちの、未だ続く困難を知らされる者です。先日も、当時まだ小学5年生とか6年生の子どもたちが、自分たちの経験したことを自分の言葉で作文として残していて、そこにはほんとうに言葉にしがたいような情景や悲惨な状況が書きつづられていたわけですが。それから7年が経った子どもたちは、それぞれ大学生になっていたり、社会人になっていたりと様々ですが。あの時に自分たちが経験したことを自分の言葉でつづったことが、今の自分たちの生きているスタート、始まりになっている」と、彼らの多くが答えていました。あの想像を絶する状況の中で、多くの人たちがこのように何らかのかたちで「何か」を表現していたと思います。ある人はボランティアに行き、ある人は迎え入れ、ある人は物資を送ったり献金をしたり、祈ったりと様々な形で共感をもってつながっていた。そのときのことを思い起こされる方もおいられるのではないでしょうか。
今日は、ある一人の名もない女性が彼女なりの精いっぱいの思いを込めて主イエスの頭に大変高価なナルドの香油を注いだお話です。この女性は意識していたのかどうかわかりませんが、そのときが、まさに主イエスさまがすべての人びとのために救いの道を拓くために十字架におかかりになる、その備えとしての特別な機会となったというエピソードであります。
さて、聖書は「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」と伝えます。
ベタニアはエルサレムから東南3キロの地点にありますが、そのベタニアという名は「貧しい者の家」「病める者の家」という意味がありました。
主イエスは度々このベタニアを訪れました。そこには重い皮膚病の人シモンの家があり、主イエスはその家を訪れ、弟子たちと共に貧しい者や病める者たちと食事をされていたのであります。
しかし当時のユダヤ社会において、重い皮膚病は神から呪われた者、穢れた者がかかるとみなされ、又その者と接触する者も神に呪われて穢れる、まあそれが伝染する可能性があったからだと思うのですが、そのように考えられていました。
ですから、イエスさまがこの人の家で食事をなさったことは、人々からタブー視されるようなことであったのです。
日本においても、いわゆる「らい予防法」の下で永い間ずっと人権を奪われ、家族やふるさとから断ち切られて、隔離を余儀なくされてきた方々がおられますが。
主イエスはこの重い皮膚病の人シモンの家を訪ねて、シモンと一緒に食事をなさったのです。これは何もシモンだけでなく、同様に病や障がい、又社会的弱者とされてきた人にとっての、文字通り福音であったことでしょう。
まあ、そういう中このシモンの家にやってきた名もない一人の女性が、イエスさまの頭に注ぎかけたのは、純粋で非常に高価なナルドの香油でありました。
それはインドやネパールの山に植えられた植物の根から採取される貴重なもので、その価値は300デナリオン。当時の日雇い労働者の日当が1デナリオンほどであったそうですから、その1年分の年収に匹敵するほどのものであったのです。
この女性がその高価なナルドの香油を如何に手に入れたかは分かりませんが、それは自分の命に次ぐほど大切な宝物であったことに違いなかったでありましょう。
それをまたどうして彼女はこれほど価値あるものを一瞬にして使い切ってしまったのでしょうか?
ここを何度も読みながら思いますのは、彼女がその高価な香油より、なお価高いものを目の当たりにしたからではないか、ということです。
想像しますに。この彼女の魂の深淵にも、重い皮膚病のシモンにも似た、寂しく惨めな思いや、やり場のない辛さ苦しさがあり、自分なぞは神の祝福から遠く隔てられているかのような思いを持って、心閉ざし生きていたのかも知れません。
この人こそメシアではないか、と噂されるイエスさまが、このシモンの家を訪れ、一緒に食事をなさっている。それを見聞きして彼女は、純粋にうれしかったし、彼女自身の心の奥深い痛みや苦しみをこのイエスさまならば知ってくださる。そう信じた、信頼したのではないでしょうか。
「あなたは決して神に忘れられてはいない」ということを、具体的な行為で示されたイエスさまの深いいつくしみ、慈愛に、彼女はどんな宝にも勝る喜びを見出した。それがイエスさまに自分の宝物の香油をすべて注ぐという具体的な行動となってあらわれたと思うんですね。
ところで、イエスさまに高価な香油を注ぎかけたこの女性を見た人々の反応はどうでしたでしょうか。
彼らは「憤慨して互いに『なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人に施すことができたのに』と言って、彼女を厳しく咎めた」とあります。
私がもしそこに居合わせていたとしたなら、やはり「あ~もったいない」と、その意見に同調していたかも知れません。彼らも又、その女性と同じようにイエスさまの教えや行動に感動し、喜びや共感を覚えた人たちであったのです。
まあ、だからこそ「この香油を売って貧しい人々に施すことができたのに」と憤慨したのでありましょう。そのように見ればこの人々の考えは、正しく理にかなっているようにも思われます。
道理として考えるなら、その方が世の中の役に立ち、実際何人もの人が助かるでしょう。イエスさまもそのこと自体、否定はされていません。イエスさまが地上において辿られたあゆみを見ましても、そういった働きや隣人愛を大事になさったことは明らかであります。だから、そこにいた人たちは「当然、イエスさまもそうお考えになるだろう」と思ったんじゃないでしょうか。
ところが、イエスさまは彼女を厳しく咎めた人々に対して、「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ」とおっしゃるんですね。
「なぜ、この人を困らせるのか」。
彼らにとってそのイエスさまのお言葉は意外なものだったでしょう。
ここで一つ考えさせられるのは、私たちは正しいこと、理にかなっていると思えることを、どこか振りかざして、人を裁いたり、見下したり、というようなことを意識、無意識に拘わらずなすようなことをしてはいないかということであります。
正論や正義感、又合理性だけで判断したり、それで人を裁いたりするようなことをしていないか。
世間では「モラルハラスメント」「モラハラ」という言葉をよく聞くようになりましたが。道徳的、倫理的な正しさや正論で人を咎め、それを強要して相手を追い詰めていくようなことがあるわけです。「こうするのがあたりまえでしょう」とか「かくあるべじ」という押し付けが、人にプレッシャーや重圧を与えたり、その人の自発性を奪ったり、そういった状態が長引くと遂には自らの自由な選択ができなくなってしまうところまで追いつめられてしまう。
話を戻しますが。
確かに、この女性が突然入って来たかと思うと、相当高価な香油を皆の前でその壺をかち割ってイエスさまに注ぎきったという行動は、突拍子もなく非常識に映ります。そういった行動を目の当りにした人たちの間に驚きと衝撃が走ったのも無理はないことでしょう。
ただ、彼女がイエスさまにそれをささげたものは、彼女が思いついた最高のことだったのです。最高の喜びや感謝の表現だったのです。けれど彼女を厳しく咎めた人たちは、それがわからなかった。思い至らなかった。それは彼らが自分たちの物差しで彼女の行動を測ったからです。それが彼女の純粋な思いと表現を蔑ろにすることになったのです。
ちなみに、ルカ福音書(7章)にも一人の女性が香油の入った石膏の壺を持って来て泣きながらイエスさまに香油を塗ったという記事があります。
そこは重い皮膚病のシモンの家でなく、ファリサイ派のシモンの家と記してあります。そのシモンはこの女性がイエスさまになした事を見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が誰で、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思ったとあります。
それに対してイエスさまは、女の方を振り向いて、シモンに言われました。
「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたは接吻のあいさつもしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。
マルコ福音書のシモンとルカのシモンが同一人物かどうかわかりませんが。自分の痛みはわかっても、人の痛みがわかるかといえば、そうとは限りません。そこが人の弱さ至らなさでありますから、まあ同じシモンであったかも知れません。シモンは病の人の痛みは共感できても、罪にさいなまれる人の気持ちは律法の専門家だけにわからなかったのかもしれません。
この主イエスのおっしゃった「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」とのみ言葉は、私たちに信仰の生活の何たるかを教えてくれます。救いに与っているという実感。主への献身をはじめ、あらゆる捧げものの根幹となるものであります。日々主によって赦され、神の前に受け入れられている恵みを感謝し、喜ぶ。
その表れとしてのささげものや、それぞれのかたちでの応答。それは事の大小や形式の問題ではありません。ましてや人に強いられたり、測られるものではありません。本人の喜び、祈り、感謝から、今年のテーマでもありますが、そこから溢れ出るものこそが本物です。これこそが主の前に尊く価値あることとされるのです。マザーテレサは「大切なのは、多くのことなしたかではなく、どれだけ愛を込めたてなしたか」と言われました。ガラテヤ書には「愛によって働く信仰だけが尊いのです」とあるとおりです。
話を戻しますが、イエスさまはさらに言われます。
「わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」。
ここで驚くべきことに、イエスさまは彼女のなした行為をご自分の「埋葬の備えをなしてくれた」と、受けとめておられます。
当時は死者の埋葬に際して香油を塗る習慣があったのですが、イエスさまはご自分がいよいよ十字架への受難の道を歩むその時を自覚されていたのでしょう。ご自分が受けられる苦難と死の意味をそこに汲み取られたのであります。
マルコ10章45節でイエスさまはこのようにおっしゃっていました。
「人の子は仕えられるためでなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。
それは「すべての人びとの罪を贖うための受難の死」であります。この一人の女性は、その救いの恵みを先取りするように、すでにこの時を受け取って、その感謝をこういう形で表して、まさに十字架の受難に向かおうとされているイエスさまを勇気づけた。ご自分はこのような救いを完成されるために十字架に向かうのだと、そのような思いをこの人からお受けになったのではないでしょうか。
この一人の名も無い女性は、自分のなしたことの意味などおそらく考えもしなかったでしょう。
ただ彼女は、イエスさまのもたらされた神の慈愛とその救い平安と解放を、その溢れる感謝と献身の思いをそのような形で表現したに過ぎません。
イエスさまは、そのような純粋な思いをもってささげた彼女に対して、「この人はできる限りのことをした」とおっしいます。
このイエスさまのお言葉を宣教の準備をするなかで改めて聞いた時、私はこれまでこの個所から、主にすべてをささげ切りなさい、すべてを捧げ切って主に従っていきなさいという、どこかそうでなければならない、それが神の前に何か美徳であるように自分は思っていたかもしれないな、と改めて思いました。自分にできる以上のことが要求されているんじゃない。今、与えられている喜びと祈りと感謝の中から、私の身の丈にあった最高のことを心込めてささげられたら、それを主は喜んでいてくださるんだ、ということをうれしい気持ちで新たに受け取ることができました。自分がもっていないようなものを、主は私たちに求めておられるのではなく、救いの喜び、感謝からあふれ出る自由なささげもの、それこそが主の前に尊く価値あることとされる。私たちの主はこのようなお方であることは、ほんとうにうれしいことです。
この女性はイエスさまが十字架に向かわれる時、それは同時に救いが成し遂げられる時を何らか感じ取って、その時に向けての備えとなる自分の最善をささげました。
私たちもいずれ主の時、主の到来の時に臨むでしょう。その日に向け、私の最善を主の前にささるべく、今日もここから遣わされてまいりましょう。
祈ります。
3月11日(日)、25(日)
午後6時ー7時半
これまでの枠にはまらない、とっても自由な礼拝。
気軽に参加できる礼拝。
誰もが受入れられて、居心地がよい礼拝。
そんな礼拝を目指しています。
*子どもが静かにしていてくれないから
厳かな雰囲気の場所は行きづらい。
*長時間同じ姿勢で座っているのが大変。
*教会って何となく敷居が高い。
*こころに悩みごとを抱えている。
*身体的に困難なことがある。
*聖書の知識がない、
ご安心ください。
①食卓を囲んで一緒に食事をして、
②紙芝居または短い聖書のお話を聞いて、
③さんびの歌を一緒に歌う、
こんな感じの気楽に参加できる礼拝です。
※無料ですが、自由献金はあります。
お車でお越しの方は、ご一報ください。
日本バプテスト大阪教会
電話 06-6771-3865
礼拝宣教 マルコ12・35-44 受難節(レント)
先日は息子の卒業式でした。彼の通っていた学校は心身に様々な症状を抱えた人、いわゆるハンディを負った人が多かったり、又、それぞれの事情から学校に行けずに小・中学校を引きこもって過したり、逆にやんちゃで手におえない学生も、配慮をもって受け入れるそんな学校です。
私は卒業式には行けませんでしたが。母親が行って来てこのような感想を聞かせてくれました。
卒業式でまず最初に出て来た人が、いきなり「よくぶつかりました。ケンカもした、けどこの3年間でほんとうに成長しました」と泣き出したそうです。すると「がんばれー」「まだ泣くのは早いよ」と学生席から声援が飛んでから、父母席から徐々に笑いが広がったらしくて。
それはその口火を切った人が学生ではなく、若い男の先生だったことがわかったからということで。はじめは学生代表なのかと思っていたのでほのぼのして思わず笑ったそうですが。
その後、卒業生の一人が、「先生はボクがどんな話をしても聞いてくれた。むちゃをした時も見捨てないで受けとめてくれた」というようなことを言ったのを聞いて、ほんとうによい信頼関係が築かれていく中で子どもの成長があったんだなあと、知ったそうです。そして最後に卒業生代表の中の一人の女の子がこういったそうです。「私は入学する時、自分はこんなんでいいのかなと心配ばかりでした。クラスでも仲良くできるか、まわりに合わせられるか、不安ばかりでした。けれど通い続けるうちに私は私でいいんだと思えるようになりました。今はほんとうにそう思います」。
その言葉にジーンときていると、式場のあちこちでも涙をぬぐう人の姿があったそうです。「それぞれ何らかの生きづらさをかかえて来た子たちばかりだから、その言葉は生きてた、重みがあった」。「あの子が『自分は自分でいいんだ』と思えたことは、あの子の命が救われたのに等しいと思った」と、卒業式から帰って来てそんな話をしてくれました。
本日は、マルコ12章35節~44節より「主イエスの眼差し」と題し、御言葉に聞いていきます。
先週はイエスさまのエルサレム入場までの個所でしたが。
その後、イエスさまはエルサレムの神殿で商売をして貧しい者たちからお金をだまし取っていた両替屋や商人たちを追い出して、神殿は神の家であり、すべての人に祈りの家と呼ばれるべきところであることをお示しになります。いわゆる宮清めですね。それから弟子たちには、祈りについて教えられ、律法学者たちとは権威の問答や死者の復活に関する問答などをなさいます。そして今日のこの個所の前では、一人の律法学者の「最も重要な掟とは何か」という質問に対するやりとりが記されていますが。
イエスさまは、第一に「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」ということと、第二に「隣人を自分のように愛しなさい」と言われ、この二つに勝る掟はほかにないと明確にお答えになります。この二つの最も重要な教えを心にとめつつ本日の御言葉に耳を傾けていきたいと思います。
まず、今日のはじめの35節~37節をお読みになった方の中には、これはどういうことを言っているのかという方もおられると思いますので、少し説明をしますと。
ユダヤの律法学者たちは「メシア・自分たちを救ってくださるお方は、かつてのイスラエル建国の父ともいえるダビデ王の子孫」ということを主張してきました。そこには、王にふさわしい権力、政治的指導力を受け継ぐ人物が救世主、メシアとして到来するという彼らのメシア像というものがあったのです。それをご存じであるイエスさまは、詩編110編のダビデの詩を引用されて、ダビデ自身が聖霊を受け、メシアを自分の子孫などとは言わず、「わたしの主」と呼んでいる。つまりメシアは王の血統によるのではないということをおっしゃるのです。
ダビデはイスラエルの王として政治的な権力をもっていた王でしたが、主メシア、つまりキリストは、天的な王、全世界をすべおさめられるお方であるということであります。
このイエスさまの教えに、エルサレムの民衆は喜んで耳を傾けたというのでありますが、
その一方で、このイエスさまの権威ある教えや言動に対して反感と妬みをもっていたのが、ユダヤの熱心なファリサイ派の人々や律法学者たちでした。
彼らの中には、ダビデの子孫に象徴されるような権力、世の権威に対するあこがれが高じて、それに執着し依存していった人たちがいたのです。
しかし、メシアは彼らが求めるダビデのような政治的な指導者、この地上の権力や武力でもってユダヤの民を解放し、救われるお方ではないということです。先週、主イエスが仕えられるためでなく、仕えるためにおいでになった、ということお話しましたとおり、救い主であられるイエスさまは、律法学者たちが理想としていたメシア像とは根底から異なっていたのです。
では、主、メシアとはどういうあり方で解放と救いを実現なさるのか。そのことについては、これまで三度もイエスさまが「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活する」とご自身について予告されてきたとおりです。
主イエスはこの地上の権力によっては真の解放や救いにならないことをご存じでした。
今シリアでは凄まじい空爆が政権側の勢力によって繰り返され多くの市民の命が奪われているようで心が痛みますが。昨今の世界情勢の中で繰り返されていますように、軍事力や武力行使は真の解決にはならず、むしろ新たな戦争の火種、憎しみや争いの連鎖を生み出すばかりであるという悲惨な現実を、私たちも知らされるわけであります。
イエスさまはそういう世の権力や武力によるのではなく、神の愛と救い、すなわち「神の国」の福音を宣べ伝え、体現なさるのです。そうして、十字架の受難と死をもって、すべての人間のもつ罪を自ら背負い、十字架に磔となり、その死なれたのです。
そこにあるのは、人の力のおごりとは真逆の、自分を与え尽くすお姿です。この愛を知ることによってしか私たち人間は本当の意味で救われない。この父の神のご計画に、イエスさまは従われ、その身をゆだねられて、自らを十字架に引き渡されたのです。あの十字架の処刑の壮絶な苦しみの中で、「父よ、彼らをおゆるしください」と執り成されたイエスさま。
それこそが、先の12章29節以降でイエスさまが最も重要な掟であるとおっしゃった「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛する」ということ。そして、「隣人を自分のように愛する」という最も具体的あらわれです。どこまでも、神と人を100パーセント愛し抜かれたその帰結が、十字架の道であったのです。
さて、この[U1] 「最も重要な掟についてのメッセージ」を受けて、ここからは今日の個所の38節以降を読んでいきますが。それは、主イエスの弟子たち、又、初代教会の信徒たちはもとより、そして終末の時代に生きる私たちと教会に向けられたものでもあります。主イエスの心をしっかりと受け取っていきましょう。
ここで、イエスさまはまず、「律法学者に気をつけなさい」と言われます。もちろん中には優れた律法学者もいました。前段の最も重要な掟について、28節でイエスさまに質問した一人の律法学者は、イエスさまの問いかけに、適切に答えたので「あなたは、神の国から遠くない」と言われたとあります。
しかし、律法学者の中には「長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、、、」とイエスさまが指摘されますように、まあ、自分の宗教的地位や律法に対する高度な知識があるということで、人々から最高の敬意が払われて当然であるというような行動や態度をとる人物もいたのです。
律法学者たちは、神の義を学び教える立場でありました。それは神と人とに仕え、自らも模範として努めて生きることが求められていたのです。それがいつの間にか、その知識が自分を高ぶらせるものとなっていったり、自分をよく見せること、称賛されること、敬意を受けることばかりに心奪われ、神の義、神さまの御心を第一とすることをなおざりにする人たちが多くいたということです。
さらに、「やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」というのは、一部の律法学者たちは、ユダヤの人々の家に祈祷に行っては報酬を受けていたそうですが。
それが祈り祝福するため訪問すること自体はよいことであっても、貧しいやもめの家で、たくさん包んでもらうために心のこもらない長ったらしい祈りをしたり、見せかけの教えを説く者がいたようです。又、時には貧しいやもめたちは律法学者たちから生活費用を借りることもあったようで、その返済ができず滞納になった折には、住まいまでも要求されることがあったようです。
まあ、律法学者みんながそうであったわけではないでしょうが、中にはその宗教的、社会的立場や信用を悪用する者も絶たなかったようであります。
イエスさまはこういう神と人を蔑ろにする人に対して、「人一倍厳しい裁きを受けることになる」と言われます。恐ろしいことですね。
律法の事細かな知識は豊富にもっていても、その本質を見失っている律法学者たちの姿。
神の義ではなく、自分が義人であるかのように思い込み、良心までも腐敗させ、貧しい隣人を食い物にしていた彼ら。
神を愛するということと、隣人を愛するということは密接につながっている。このことを聖書は教えています。
たとえばマタイ25章31節以降で、イエスさまは終末の最後の審判の時のことをたとえでお語りになりましたが。羊飼が羊を右に、山羊を左に分けるようにして「すべての国の民」が王の裁きを受ける、とおっしゃっています。そのお話の中で非常に興味深いのは、神の国を受け継ぐ者とされた人たちに対して、王が「お前たちは、わたしが飢えたときに食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ」というと。この人たちが「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いているのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着かせしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられるのを見て、お訪ねしたでしょうか」と王に尋ねます。この人たちは王の貧しく、弱く、困ってお姿を見たわけではありませんでしたが、目の前にいる貧しく、弱く、困っている人に対してできうることをなしただけだということです。
すると王は「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と答えた、というお話をイエスさまはなさるのです。その後、逆にそういう生き方をしなかった人に対する裁きも語られているわけですけれども。
ここを読みますと、神への愛、神に従って生きるということが、具体的な隣人愛、とりわけ弱い立場や状況にある人との関係性にも表れてくるものであることがはっきりと示されています。それは決して大げさなことではなく、日常の何気ないその時その時、その瞬間その瞬間の中で、神の愛を受ける者が、どう人との関係性をもって生きるかということが語られているんだと思います。先の律法学者たちの姿は、反面教師として、まず自分自身がいかにあるべきかを問い続ける者でありたいと願うものです。
今日の個所に戻りますが。
イエスさまは、神殿にあります賽銭箱の向かいに座って、群衆がそこに金を入れる様子を見ておられました。
大勢の金持ちがやって来てたくさんの献金を入れています。もしかすると、そこには先のやもめの家を食い物にしていた律法学者たちも来て、人に見られようと大きな音をならせながら献げていたのかもしれません。
その賽銭箱は13個ありそれぞれの箱に、献金の使途が記されていたそうで、献金者は、自分の献金の使途と金額を、声高に告げたそうです。まあ近くにいる人たちにもそれは聞こえたでしょうから、イエスさまもそれをお聞きになっていたのかもしれません。
ところが、そこへ「一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァンドランスを入れた」のをイエスさまはご覧になります。するとイエスさまは弟子たちを呼び寄せて言われます。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、貧しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」。
この貧しいやもめについては、先に律法学者たちの一部から食い物にされていた、そういった存在であったことが想像できます。
そういう中でも貧しいやもめは、自分のもっている生活費のすべてレプトン銀貨2枚を神に献げます。
この金額は当時としては貨幣の最小単位であります。ラビの規定によれば、一レプトンのような些少の金額は施しにも禁じられていたそうですが。そんな小さな金額であっても、このやもめにとってみれば、生活を支えるほどの貴重なお金であったんですね。
イエスさまはおっしゃいます。「金持ちは有り余る中から献げたが、彼女はだれよりもたくさん入れた」。
私たちはややともすると世の目に見えるものだけで物事を判断したり、あるいは裁いたりする過ちを犯しやすい者であります。けれどイエスさまの眼差しは、いつも救いの喜びや感謝をもって生きる人、訴え祈る人に注がれています。そのような主の大きな愛を頂いて、私たちも又、その恵みに生かされていくものでありたいですね。
主イエスが教えてくださった神の最も重要な掟の本質、その愛とはどのようなものであるか、今日の聖書のメッセージから再確認して、恵みに応えるべく、またここからそれぞれの場所へ遣わされてまいりましょう。