日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻頭言

2007-02-28 17:20:43 | メッセージ
 25日・礼拝宣教から             

 本日は総会も開かれ、これは本当に時に適った箇所であると思うのですが、「キリストの体を造り上げる」と題し、エフェソ4・1~16節よりみ言葉を聴いていきます。この箇所を読みますと、教会というものは「生きている」ということを改めて考えさせられます。単なる建物ではなく、人の集まる場所といた無機質なものではない。それは私たち人間の体が多くの細胞、器官、関節、肢体などの働きによって生きているように、教会もまた生きているのです。
 人間の皮膚等の表皮細胞の数は成人で実に50兆(天文学的数)あるそうですが、それが二週間に一度の割に死に、新しいものが生まれるそうです。その繰り返しの中で体全体が生きているのです。人体はこの一つひとつの細胞から構成されているのです。また、人間には運動器、神経系、感覚器系、循環器系、呼吸器系、排泄器系、内分泌質系、生殖器系など、人間が生きるための機能があります。それは各々が役割を果たし、連携することで体全体として生きています。病気はその各々の機能が体内にあって自分の役割、責任を果たせない状態、或いはまた一部にかたよった働きをした際に生じる状態だということです。
 私たちの体は、50兆という数の細胞や血液、また多くの器官や関節などが絶えず分に応じて働き、共に連携しながら機能して今眼が見え、手足が動き、口が動き、耳が聞こえ、呼吸ができているのです。キリストの体なる教会もまた、そのように、日々生きているのですね。(俊)
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巻頭言

2007-02-15 11:54:12 | メッセージ
 建国記念の日って?                

 本日は世間では「建国記念の日」と呼ばれていますが、私たちキリスト教会ではこの日を過去の大戦を深く顧み、悔い改め、祈って過ごす「信教の自由を守る日」として覚えています。
 「建国記念の日」が定められたのは1967年、それは2月11日が明治の初めから太平洋戦争の敗戦の時まで、「紀元節」と呼ばれていたことと関係する。紀元節は、日本の国が国として形を整えたのは紀元前660年の神武天皇即位の時からという説に基づいて、1872年(明治5年)に、国の始まり、誕生日と定めたのが紀元節の起こり。それが1967年2月11日に建国記念の日と名前が変わる。新しい主権在民、国の主人公は国民一人ひとりだとする現行の憲法が制定されているのに、主権在君、国の主人公は天皇とする建国記念の日が定められた。殊に、この紀元節は「そろえ」の教育の手段として用いられた。全国民の思想を一つの色にそろえて、アジアへの侵略戦争をやりやすくするために利用した。そこで少しでもはみ出す者は、つらい目にあわせた。それは、嫌なものは嫌と言えない暗い時代だった。紀元節はその時代のシンボルである。そのような時代のにおいがする2月11日だから、新しい日本の誕生日には相応しくない。
 現代では、例えば公立の学校でも「そろえの教育」が目立ってきた。新学習指導要領の制定、日の丸・君が代の強制、さらに昨年は「教育基本法」が改悪された。また、「障害者自立支援法」が制定された。そろえの教育の中で一番犠牲になるのは、全体のペースについていけない心や身体に弱さを持っている人たち。お金や時間がかかるから、切り捨てていく。少数意見の人たちの考えは切り捨てられていく。もう一度、立ち止まってこの日のことを考え、祈り、行動していきましょう。
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非人道的強制排除

2007-02-05 23:18:50 | メッセージ
 今日は本当に心痛む日となった。大阪市による長居公園内の野宿生活者への強制排除が午前中にかけて行われた。野宿生活者のテントが壊され、撤収されていく中、野宿生活者と支援者ら約70人は公園の一角に最後まで座り込み、非人道的な市の行為に抗議し、時には歌や踊りを交えながら非暴力で抵抗し続けた。その前にはヘルメットをかぶった大阪市の職員約200人が立ちふさがり、取り囲む。さらにその周囲には警備員約300人が、その外にいた多くの市民、支援者らを中に入れないように立ちふさいでいた。様々なところでにらみ合いが続き、緊張した時を刻む。
そのような中、郵便局の配達員から野宿生活者(長居公園テント村)宛に励ましの手紙が届き、披露される一幕もあった。「ここは生活の場なんだ」ということを広く印象づけた。
 しかし、午前11時、非暴力を通して座り込み、抵抗していた野宿生活者と支援者らを市の職員たちは強制的に運び出した。野宿生活者、支援者、市職員、警備員のもみ合い、押し合いがしばらく続いた。最後は野宿生活者と支援者らは押し切られてしまい、遂に強制排除・強制撤去は終わった。
この非人道的な強制排除は、大阪市としての野宿生活者への施策が十分できていなことを明らかにしたものだ。しかしそれは又、市民の意識の問題でもあるのだ。
 早朝から駆けつけれなかった私はずっと柵の外から、「強制排除は許さない」と叫び、事態を見守ることしかできなかった。「おまえはどこにいるのか」「おまえの主イエスはどこにいるのか」と問かけられているようだった。(俊)



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