日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻頭言

2008-07-28 15:44:11 | お知らせ
「小さな夢を大きく実現できるように」 H・T

以前在籍していた教会まで車を走らせて、4年ぶりに共に礼拝を捧げてきた。
この教会は4年前に会堂改築を成し遂げた。
私はその志半ばにして大阪教会に転出せざるを得なかった。理由は皆の知るところである。
会堂は新しくなり、それによって週報や礼拝のスタイルなど、細部が必要に応じて変化し、私が居た頃から比べると全体的に変わっていたが、やはりその教会が持っていた“らしさ”はそのまま変わらぬままで、ほっとした瞬間だった。
新会堂への漠然とした夢を抱くことから始まって、牧師が全ての舵を取り、皆の思いをすべて汲み上げ、じっくりと対話しながら時には現実を直視し困難を乗り越えて完成させた会堂は、外見的には旧会堂とほぼ同じ大きさでありながら、中は最大限に広く、使い勝手が格段に向上しており、建物そのものが伝道していた。大阪教会のように通りに面しておらず、民家の中にありながら、しっかりと存在を主張していた。私が居たときの教会員はみな更に年をとっており、アッパークラスへとシフトしていたが、乳児・嬰児、小学生など、将来教会をしょって立つ子供たちが少ないながらも着実に与えられ、育っている(皆が大事に育てている)のを感じた。

大阪教会は今、漠然とした夢を抱きつつある。
人は実現不可能な夢は抱かないとも言う。
この小さな夢を大きく実現できるよう、皆で祈っていきたい。
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巻頭言

2008-07-27 07:36:43 | イベント
2008年度第3回大阪教会「リフレッシュ・ディ」に参加して M・Y
 
今年で大阪教会のリフレッシュ・ディは三回目を迎えた。一回目は阪急沿線の箕面スパーガーデンでボーリングに興じ、天然温泉で汗を流したあと豪華な昼食をお座敷でゆったり寛いだ。今年は昨年に引き続き38年前1970年の夏、大阪・吹田市で開催された「日本万国博覧会」跡地にできたバーベーキュウ・コーナで22名の者が集った。ご存知のとおり「人類の進歩と調和」が万博のテーマであった。その会場に日本全国だけでなく世界各国から駆けつけた大勢の人たちと国際友好の輪を一ヵ月間に亘り繰り広げたのであった。その会場にわれわれは「まいど!イエスさま」を合言葉に心をひとつにして準備を整えた。その準備に携わって下さった方々に心からこの場を借りてお礼を申し上げたいと存じます。参加人数は昨年とほぼ同じであったが、今年は遠来の男子青年(篠栗教会員のFさん)が九州・博多から主日礼拝に引き続いて参加してくださり、爽やかな笑顔を見せてくださった。
それにYご一家の慈父、Yさんは万博開催年に結婚式を挙げられたが、仕事に忙殺され一度も万博を訪れる機会がなかった無念さと当時のアツアツの思い出話を聞かしてくださった。また、K姉のお連れ合いとお母様は二年続けての常連で嬉しかった。彼が経営している喫茶「バルナバ」を命名したのは日本聖公会テモテ教会信徒で信仰の篤いお母様だ、と教えて頂いた。 なお、T兄が大阪への転勤後一緒に参加できたのはことの外嬉しい。
さて、現在も残っている「太陽の塔」は岡本太郎画伯の代表作品で万国博覧会のシンボルである。その高さ65メートルもあって高く聳えている。その顔は頂部の「黄金の顔」、中央部の「太陽の顔」それに背後の「黒い太陽の顔」と三つの顔を持っている。今もその三つの顔は全世界に向かって対話を求めている。それは、人類の悲願である「進歩と調和」のテーマをわが事がらとして受けとめたが、現在は過去の38年前の状況よりさらにきびしい情勢にある。三つの顔は世界のひとびとに向けて何をメッセージとして語りつづけているのであろうか。わたし達は祈りをささげたい。「わたしはなお、告白しよう『御顔こそ、わたしの救い』と。わたしの神よ。」(詩編42・6) 
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巻頭言

2008-07-20 07:17:01 | お知らせ
巻頭言   「和歌山バプテスト教会をお訪ねして」

先週は折しも関西地方連合デーでしたが、無牧師教会の一つである和歌山バプテスト教会をお訪ねした。6月から来春の3月まで、月に1、2度和歌山教会へ大阪ブロックの牧師を礼拝奉仕に派遣することになった。私はこの日初めて和歌山教会を訪ねることもあって、前日から場所の確認や支度にそわそわワクワクしながら、つり道具もしっかり車に乗せて当朝大阪を出た。ナビゲーションどおり高速で走ると1時間15分後、和歌山教会とひかり幼稚園の建物が見えた。到着すると、ひかり幼稚園内の礼拝堂には既に信徒の方が備えておられた。礼拝前の分級クラスの学びに共に参加して、礼拝が11時からが行われた。3月に牧師を天に送り、無牧師となった和歌山教会だが、少数ながら主にあって礼拝を捧げ、祈り合いつつ、ひたむきに歩んでおられる兄弟姉妹に出会えたことは、何よりもうれしかった。又、卒園生1000人以上を世に送り出し、45年という歴史をもつ「ひかり幼稚園」の責任を前牧師のお連れ合いが園長として一生懸命に担っておられる。来週より40日間に亘り、耐震補強工事が始まり、礼拝の場所もしばらくは2階の部屋に移動する。その日の午後は、関西地方連合副会長も来られて、今後の和歌山バプテスト教会の課題、また抱負について和歌山教会の兄弟姉妹と共に懇談の時が持たれた。一日も早く、和歌山教会(幼稚園)に相応し牧師が与えられるようにという声が多く出され、出席者一同祈りを合わせた。熱い和歌山での一日だった。(シモン)
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巻頭言

2008-07-13 05:36:41 | メッセージ
宣教題 「恐れるな」   外崎羊一(前明石バプテスト教会牧師)

旧約聖書の箴言9章10節「主を畏れることは知恵の初め。」と記されています。箴言には、知恵が神に従う人(信仰をもつ者)にとって重要であると、繰り返し語られています。主(神)と人との関係において、人が主(神)を畏れることも必要なことだと思います。
新約聖書のガラテヤの信徒への手紙3章7節~9節「だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。」 聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、『あなたのゆえに異邦人は皆祝福される』という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。アブラハムが信仰の父と呼ばれる由縁が記されています。
 アブラハムは欠点もあり、過ち誤り失敗もしています。いつも信仰により助けられ救われています。主を恐れるアブラムに対して、おそらく優しく「恐れるな」と語りかけてくださる主の言葉。アブラムは主を信じることが自分にとって義しいことだと考えられたのです。
 今現在、我々は直接主(神)の声を聞く(旧約聖書時代の預言者の様に)ことは出来ないのですが、私(我)の人生においても主を恐れ、また恐れずに聖書に耳を傾け、主を信じて、主の言葉を聞いて生きていけるのです。
 我々が集う教会で主からの祝福を受けていることを感謝したいのです。
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巻頭言

2008-07-06 07:40:56 | メッセージ
 2008年の上半期を経て

「毎度、イエスさま」との年間標語を掲げ、上半期が過ぎました。「いつもあなたがたと共にいる」と約束くださる主と、それぞれ如何なるあゆみがなされたでしょうか。あゆみをふりかえってみましょう。
今年は具体的に、①「主日礼拝・祈祷会の充実」 ②教会の自給化 ③現在会員の拡大 ④高齢者・病床のため礼拝に集うことが困難な兄姉へのフォロー ⑤家庭集会の充実 ⑥近隣教会との交流や関西地方連合への協力 ⑦天王寺の町の教会としての存在意義と宣教の使命を持つ ⑧今年を将来構想づくりの元年と位置づける 以上8つのめあてを持ってあゆんでいます。
いくつかの具体的なめあての応答として、⑤について:あべの家庭集会が昨年末に新しく立ちあがり地域の方々も加えられ現在定着しています。⑥について:北大阪教会古賀牧師との交換講壇が行われました。また、次週は連合デーでもありますが、和歌山教会の礼拝宣教の奉仕に牧師が向います。⑧について:常会と役員会を経て、将来構想準備委員会が立ち上がりました。また⑦について:⑧との関連が深い事柄ですが、私たちの大阪教会が天王寺の町にあって存在している意義、またニーズは何かということをさらに町や人から聞き取り、知っていくことが必要です。先日コンビニが競合する向の通りに100円ショップのお店ができました。ただの100円ショップではありません。野菜や果物等も扱っています。近くに住む者にとっては大助かりです。
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