日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

帰るべき家あり

2014-08-31 14:27:21 | メッセージ
礼拝宣教 創世記28章10~22節  

先週は夏季休暇を戴き、家族で福岡・北九州の郷里に帰省しました。火曜日には久山療育園ワークキャンプに部分参加し、街頭募金やワーク、入所者の方々とのふれあいの時を持ちましたが。入所者の方々もわりあいご高齢の方が多く、実に今日に至るまでご家族をはじめ多くの方々の善意と献身があり、主イエスの「共に生きる福音」がこの活動を支え続けているということを思わされました。又、24日の日曜日には新会堂が完成したばかりの東八幡バプテスト教会で第一回目目の最初の礼拝に与ることができました。ホームレス状態にある方々の支援を長年に亘り取り組んでこられた教会ですが。ここも又、連盟諸教会のつながりや支援が共に生きて働き、主の福音に基づいた尊い働きがこうして実を結んでいるのだな、と思いました。

さて、本日は創世記28章の「ヤコブの見た夢」の箇所から、「帰るべき家あり」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。
アブラハムに与えられた祝福はその子イサクに受け継がれ、イサクはその双子の子どもの兄であるエサウに継承しようといたします。しかしその祝福を弟のヤコブが母リベカの言うままになし、奪い取ってしまうのです。
兄エサウから祝福をだまし取ったヤコブは、兄エサウに憎まれ命を狙われるようになり、故郷カナンの地から700キロはゆうに離れた遥か遠いハランの地、そこは母リベカの兄弟のいる地でしたが、そこに逃亡せざるを得なくなるのです。もとはといえば、それは父イサクがエサウを祝福しようとした時に、ヤコブが兄エサウになりすまして、兄から祝福を奪ったことから生じた結果でありました。
兄からの復讐を避けるために旅立ったヤコブの身なりは、杖一本だけであったということですから(32:10)、彼はもはや自分がかすめ取った祝福を失ったと思ったに違いありません。この時のヤコブにとって神の祝福とは、父祖アブラハム、そして父イサクから受け継ぐところの土地、家、財産そのものであったからです。そんな失意と不安のうちに道行くヤコブが、11節「とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つとって枕にして、その場所に横たわった」と、道端で野宿するのであります。
当時の旅人は、町の住民の家に泊らせてもらいながら旅を続けたのですが、金銭もなかったのでしょうか、あるいは兄エサウに見つかることを恐れたのでしょうか。でもそれは、自分が父をだまして兄の祝福を奪い取ってしまったからです。後悔もあったかもしれません。失ったものが大きすぎました。灯り一つない道端彼はどんなに心細い思いで野宿をしたことでしょう。季節はいつ頃であったのか定かではありませんが、日昼の暑さとは対照的に凍てつくような冷え込みで、地べたは氷つくほど冷たくなっていたことでしょう。毎年越冬支援の夜回活動が大阪市内で行われていますが。1月から2月にかけて一番寒さの厳しい時期に路上で寝泊まりをされている方々にとって心配なのは、コンクリートの地面に寝て凍死されることです。地面に寝ている方を見つけ出しては、まず段ボールを敷くように手渡し、毛布のない方には毛布を渡していきます。その方々お一人おひとりにもそうせざるを得ないそれぞれの事情がおありなのでしょう。
ヤコブは柔らかな枕でなくゴツゴツとした固い石を枕に、地面に横たわって寝るほかありませんでした。

そうしたところ、ヤコブはその夜夢を見ます。
それは「先端が天にまで達する階段が地に向かって伸びており、しかもその階段を神の御使いたちが上ったり下ったりしている」そんな夢でした。天と地をつなぐ階段。それは天の神さまと、地のヤコブをつなぐ階段であります。神の使いたちがその間を行き来している。それはヤコブがこのような状態にあったとしても、「決して忘れられてはいないのだ」「見捨てられてはいないのだ」ということを物語っていました。
この階段と訳される原語の元は「梯子」を指すそうですが。時折礼拝にお見えになられるSさんは長年商船関係の会社にお勤めになっている折、海外を行き来するそのどの船にも「ジェイコブラダー」(ヤコブの梯子)という名の縄梯子見かけたそうです。特に何かの為に使うものではないようですが。しかし、そこには、恐れや不安が伴う長い船旅にあって、いつも天と船上をつなぐ神の守りがあることを祈り願って置かれているものなのでしょう。
いつ野獣が襲ってくるかも分からない荒れ野。家もない、屋根もない、布団もない、暖かい家庭の団欒もない、荒れ野で横たわるヤコブ。又、大海原で高波や嵐におびえ、逃れようのない船上で祈るほかない船乗りたち。そして、私たちも又、時にそのような如何ともし難い状況に身を置くほかない事があるでしょう。けれどもそんな私と天を結ぶ梯子がある。

13節「見よ、主が傍らに立って言われた。」
「わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」この主の約束はどんなことがあっても決して変わることがないのです。
そうして、眠りから覚めたヤコブはこう言いました。
「まことに主(神)がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」

主が共におられる方であることに目が開かれる時、それは平穏で何事もないような時よりも、むしろ逆境の中で石の枕に涙するような時なのではないでしょうか。自分にとって最低と思えるようなところにまで落ち、身も心もボロボロになり、孤独と不安の中におかれるヤコブ。そのような辛い思いをしているヤコブであるからこそ、「わたしはあなたと共にいる」「あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る」「あなたを決して見捨てない」との神さまの臨在に気づいたのではないでしょうか。

さらにヤコブは恐れおののいてこう言いました。
「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」

ヤコブが言った「天の門」とは、文字通り神さまがおられる天に通じる門のことですが。今日は特に、ヤコブがここで「神の家」と言ったこの言葉にこだわってみていきたいのです。「神の家」と言えば、普通教会堂とかの建物が思い浮かびますけれども、しかしここではそういった物理的な建物のことではなく、神さまが今ここにおられる、生きて働いておられる所を言っているんですね。それも今日の聖書は、人間として何もかも失い、どん底といえるような状況、不安や恐れ、孤独の殺伐とした心の荒れ野のただ中に、神はおられる。ここが「神の家」だ、と言うんですね。

ヤコブが神の臨在に畏れおののいたその畏れというのは、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」という驚きから引き起こされたものでありました。ヤコブはその驚きと畏れを、この険しい荒れ野の途上で見出すのであります。

今日のこの「神の家につながる」とのエピソードを読む時、新約聖書の御言葉を思い出しました。それは、ヨハネ1章14節の神の子イエス・キリストの受肉の出来事を伝える御言葉であります。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
「言」というのはイエス・キリストであります。「神が罪深い私たちの間に宿って下さった。」この「宿る」というギリシャ語は「テント(幕屋)を張る」という意味です。つまり、神さまは罪深い私たちの間に来て天幕を張り、いつまでも共に住んでくださる「神の家」となってくださったのであります。それを「受肉」と申しますが。
神の御独り子イエス・キリストは人となって私たち人間の苦しみ、悩み、悲しみ、痛み、孤独をすべて負われ、十字架の処刑場に至る最期の時まで、罪深い人間を愛し抜き、共に生きる道を貫き通されて、死を遂げられた。その主イエス・キリストによって、私たち人間の深い罪は贖われ、救いの道が開かれたのであります。
ヨハネはそのくすしき神さまの御業について、「わたしたちはその栄光を見た」と言い表しました。それは、ヤコブが荒れ野という身も心もすさみきっていたその所に、神さまが共におられる、という驚くべき臨在を知らされた時、彼が畏れおののきながら「これはまさしく神の家である」と言った言葉と共通する響きを持っているように思えるのです。
 今や私たちは救い主イエス・キリストというまさしく「神の家」に住まいを得ているこの幸い。「そうだ。ここは天の門だ」と、それを見出した幸い。その驚きと畏れをもって今日もこうして礼拝を捧げているのであります。

主はヤコブに「必ずこの土地に連れ帰る」と約束されますが。それヤコブの生まれ育った地カナンを指します。地上の故郷というものは、私どもにとって生まれ育った場所であり、懐かしく大切なものです。今の生活も生きる上で大切なものであります。しかし、主がここでヤコブに約束した「その土地」とは地上のカナンという意味以上の「神の家」であったのです。
私たちは主イエス・キリストのご復活によって、「我が本国は天にあり」との希望の信仰を与えられております。究極の本国は天にあります。けれども、主は「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」と言われてますように、この究極の神の家・天の御国は、今私たちが生かされてこの地上において、「神が私たちの間に天幕を張って住んでくださっておられる」ように、もうすでに形づくられているのであります。この主の救いの希望の約束を信じながら、私たちも地において共に励まし合い、祈り合いながら命の旅路を共に歩んでまいりましょう。
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平和の泉は湧く

2014-08-17 16:54:02 | メッセージ
礼拝宣教  創世記26章15~33節 

一昨日の8月15日は関西地方連合社会委員会主催による、こども&おとなの8・15平和祈祷集会が大阪教会を会場に開かれ、70名近い方の参加があり、キリスト者の元国会議員で講師の服部良一さんから「崖っぷちの政治状況から~いよいよ九条改憲の時代に」と題して貴重なお話を伺いました。

さて、本日は創世記26章から「平和の泉は湧く」と題し、御言葉を聴いていきます。
この個所は、「信仰の父祖」と言われるアブラハムの息子「イサク」に関する貴重な物語であります。創世記にはアブラハムやイサクの子ヤコブとその子であるヨセフに関するエピソードは数多く記されているのですが、不思議なことにイサクに関するエピソードはこの26章唯一つであります。この個所だけからイサクの人となりを読み取るのはいささか難しい気もいたしますが、この貴重に残されたイサクの物語から今日私たちに必要なメッセージを聴き取っていくことができたらと思います。

「受け継がれる信仰の祝福」
聖書にはイサクが父アブラハムと同様、「神の祝福を賜る者」として描かれています。26章2節以降で、主はイサクに現われ、「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する」と宣言されますが。この神の祝福はイサクによるものではなく、父アブラハムからイサクへと受け継がれてきたものであったのです。
そのように一方的に与えられた「神の祝福」とその継承でしたが、イサクもまた父と同様、試練や危機的な状況下においても、主の御声に聞き、それに従う者としてその信仰の道を歩んでいくのです。
偉大な父アブラハムの陰で目立たない存在であったイサクでしたが、彼はアブラハムの死後、本日の26章12節にあるように「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。イサクは主の祝福を受けて、豊かになり、ますます富み栄え、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになった」とあります。イサクが豊かな収穫に与ったのは、その地の環境が特別良かったからではありません。彼は飢饉が起こったため主の約束に地を一旦離れようとしますが、主の「エジプトに下って行ってはならない、わたしが命じる土地に滞在しなさい」との御声に聞き従う覚悟を決め、そのゲラルの地に寄留し決して良いとは言えない環境の中で種を蒔くと、そのような収穫を得た、というのです。聖書はイサクが信仰をもって主の御声に聞き従ったそのことに、私たちの目を向けさせるのです。
 私たちは肉の目で見て、これなら成果が出そうだとか。この環境、この状況ではだめだと判断してしまいがちです。そこで主は何とおっしゃっているのだろうか。何を望んでおられるのだろうか。祈りのうちに主に聴いて従っていくことが実に大切です。主の道に従っていくことは安易な道ではないかも知れませんが、後には豊かな実りがあり、主の栄光が表される出来事へとつなげられてゆくと信じます。不毛と思えるような地に信仰の種を蒔き、百倍もの収穫を得たイサクの姿をまず心に留めたいと思います。

「井戸を掘り直す」
ここからが本日の箇所となります。その舞台となりましたのは、まさに今イスラエルとパレスチナとの争いが起こっている場所でありますが。
さて、主の祝福で豊かにされたイサクは、このゲラル地方にいたペリシテ人たちから妬まれるまでになります。ペリシテ人たちは、「イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めてしまう」のです。
 イサクの生きていた時代に井戸を掘るには、実に多くの時間と労力が必要でした。
水は生きていくうえでなくてはならないものであります。自分たちが飲むばかりでなく、田畑にも撒かねばなりません。家畜にも飲ませ、体を清め、洗濯にも使います。水があるということは、その地で生きていけるという一つ大きな保証を得るようなものです。イサクにとって父アブラハムの残してくれた井戸は大きな遺産であり、宝であったに違いありません。ところがそれがことごとく塞がれ、土で埋められてしまったのです。

ペリシテ人の王であったアビメレクはイサクの繁栄ぶりに強い脅威を感じ、イサクにここから出て行っていただきたい、と言います。イサクがペリシテ人へ怒りを覚えないはずはありません。しかし聖書はイサクの心情については何も触れることなく、イサクは感情の赴くままにそれをぶつけて争うようなことはしません。むしろ争いを避けるように彼は自らゲラルの外れの谷に移り、そこに天幕を張って住むのであります。
そこにも、アブラハムがかつて堀った井戸が幾つかあったのですが、アブラハムの死後やはりペリシテ人がそれらを塞いでしまっていました。
イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を井戸に付けます。きっと彼は「父さん、私はあなたの井戸を受け継いでゆきますよ」と、父への敬意を込めそうしたのでしょう。また、それらの井戸だけでは足りなかったのでしょう。新しく水が豊かに湧き出る井戸を掘りあてるのでありますが。ゲラルの羊飼いたちが、「この水は我々のものだ」と言ってイサクの羊飼いに争いをしかけます。イサクはその井戸を「エセク・争い」と名付けます。イサクはそこで争わず、もう一つの井戸を掘りあてますと、それについても争いが生じ、彼はその井戸を「シトナ・敵意」と名付けます。イサクはそこでも争わず別の井戸を掘りあてるのですが、その井戸についてはもはや争いは生じなかったため、イサクはその井戸を「レホボト・広い場所」と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と、言うのであります。

「イサクの信仰」
これらのエピソードから見えてくるのは、彼がアブラハムとは違った信仰のカラーを持っていたということです。それは一言でいえば、「柔和で粘り強い」信仰といえましょうか。
イサクはペリシテ人たちが「あなたは我々と比べてあまりにも強くなった」と言ったように、彼らと争うだけの力を持っていました。しかし彼は、決して争いや敵意という力でもって解決しようとはしません。汗水流し苦労して掘り当てた貴重な井戸を手放しつつも、しかし屈することなく新しい井戸を約束の地に掘り出すことをあきらめません。彼は温和な人物であったようにも見えますが、それ以上に、感情に流されることなく、ねばり強く解決を(それはその地に生活する人たちとの共存の道でもあったわけですが)探り続けたのです。それが遂には、その地においての繁栄のレホボト・広い場所を得ることに至らせたのであります。
そこには、イサクの神への信仰、主の「その地に留まりなさい」との御声に信頼し、父アブラハムの祝福を受け継ぐのだ、というその固い決意が、イサクの根底にあったのです。

世の中では、イサクのように敵意を棄て去り、争いを避けることは、弱腰な生き方だと思われるかも知れません。けれどもそこには、彼の計りがたい苦悩があり、自己放棄を要したのであります。
フィリピの手紙1章29節に、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」と記されています。キリストの福音に与った者にはキリストの福音、神の御心を知るがゆえに、苦しみを負わなければならないこともあります。しかし、それをも恵みとして与えられているのです。実に重い言葉でありますが。何より主イエス御自身が、まずそのような道を歩まれたことを私たちは覚え、主に従う道を選び取っていきたいと、願うものであります。

さて、イサクがベエル・シェバに上り、「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす。わが僕アブラハムのゆえに」との主の言葉を聞くと、父アブラハムがそうしたように、そこにイサクも又祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝します。そしてそこに天幕を張り、井戸を掘ったということであります。

「平和の泉は湧く」
26節以降には、あのイサクを追い出したペリシテ人の指導者アビメレクが参謀や軍隊の長と共に、イサクのもとを訪ねてきます。
イサクは、「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか」と尋ねます。彼らは「主があなたと共におられることがよく分かったからです。我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです」と、和平の協定を申し出ます。
イサクの心のうちには「何を今さら」という思いもあったのではないでしょうか。しかし、そこでもイサクはアビメレクらの申し出を受け入れて、「彼らのために祝宴を催し、共に飲み食いした」というのであります。この下りを読むと真に不思議な思いがします。
「妬み」、「争い」「敵意」をもってイサクに挑んできたペリシテ人たちが、ここに来てイサクに和平を申し出るのです。一体何が彼らのうちに起こったのでしょう?
むろん、イサクが繁栄し、その力が彼らにとっての脅威になっていったので、今のうちにという皮算用があったのでしょうが。
しかし、それだけではないように思えるのです。そこには、幾度と「妬み」「争い」「敵意」を被っても、それに歯向かうことなく撤退しながらも、ひたすら井戸を掘るイサクの信仰者としての姿、又、それを祝福し繁栄を与える神が彼と共に生きて働いておられる。そのことを見せられたからではないでしょうか。彼らペリシテ人たちはそのようなイサクをして、「神が彼らと共にいる」ということを認めざるを得なくなったのではないでしょうか。
そうして今日の聖書の奥深いメッセージを次の31,32節の御言葉に見出すことができるのであります。「次の朝早く、互いに誓いを交わした後、イサクは彼らを送り出し、彼らは安らかに去っていった。その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、『水が出ました』と報告した。」

イサクはペリシテ人たちの妬み、さらにゲラルの羊飼いたちの争いや敵意に対して、同様の仕打ちで争うのではなく、その状況の中でも主に信頼をおきながら、粘り強く井戸を掘り続けるのです。そして、その事を祝福するかのようにイサクの僕が掘っていた井戸から水が湧き出るのです。まさに「平和の泉はここに湧く」のであります。「目には目、歯には歯」という報復や争いによる解決ではなく、平和の主に従う信仰によって、与えられた不屈の精神で井戸を掘り続けたことが、彼らを妬み敵視したペリシテ人たちのうちにも「平安」が訪れ、和解のうちに共存する道を選び取らせたという事を、聖書は今日私たちに語り伝えているのであります。

イサクが井戸を掘り直し続けることができたのは、彼が命の水の源が誰のものであるのかを知っていたからです。私どもは、その神さまが御独り子イエス・キリストを地上に与えてくださり、十字架の贖いと死をもってつきることのない命の泉を湧きあがらせて、救いと真の平和を勝ち取ってくださったと、信じております。主イエスが自分に敵対する罪深い者、迫害する者や敵対する者のために執り成し、祈られて真の和解の道を示されたことを心に留め、私たちも、平和の泉が今日もつきることなく内外に溢れ出すよう祈り努めたいと願います。

世界にも紛争が絶えません。外交的な努力を指導者たちは決してあきらめることなく、粘り強い対話と和平の交渉が続けられてゆくよう祈るばかりです。私たち日本の国の先行きについても大変危惧の念を抱くことばかりですが。8・15平和祈祷集会の講演の最後に講師の服部良一さんが、「日本は、東アジアの近隣諸国から学ぶ材料がいっぱいある」とおっしゃった言葉が心に残りました。
今後も国政の動きに注視しつつ、世の風潮に流されることなく、身近にあるところからの出会いや出来事に向き合う中から、平和の働きにつながることがきっとあるのではないでしょうか。主の「平和の泉は湧く」ことを信じ、絶えず祈ってまいりましょう。

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主の山に備えあり

2014-08-10 14:04:04 | メッセージ
礼拝宣教 創世記22章1~19節 

本日はアブラハムが主の命令に聞き従って、愛する独り子イサクを焼き尽くす(全焼)献げ物として献げる、という過酷な箇所から、「主の山に備えあり」と題し、御言葉を聴いていきます。

「信従と葛藤のはざまで」
不思議な主の使いによってもたらされた祝福の約束どおり、アブラハムとサラの間に待望の子イサクが生まれました。ところが、その子が成長し物心ついた頃、何と神はアブラハムに、「その子を焼き尽くす献げもの(全焼のいけにえ)としてささげなさい」と仰せられるのです。
これはアブラハムにとって人生最大の試練というべき事態でした。

アブラハムにとってイサクは、長い間待ちに待ってやっと与えられたかけがえのない独り息子であったはずです。この神のご命令を聞いたときのアブラハムの胸中いかばかりであったでしょう。「一体何のために約束をなさり子を与えられたのか」「息子イサクを献げれば子孫は絶えてしまう」「子孫が星のように数えられないほどになるという約束は一体どこにいったのか」「わたしは何のために故郷を離れてここに導かれてきたのか」それらはアブラハムの信仰、神への信頼を大きく揺さぶる疑問であったのではないでしょうか。自分の行く末はそう長くないと悟っていたアブラハムにとって、息子イサクの将来こそ望みであり、神の祝福そのものであったのです。

けれども、3節「次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。」
驚いたことにアブラハムは神の命に直ちに従うのであります。

出立して三日目にその場が見えてくると、二人の若者をそこに残し、アブラハムは愛する息子イサクを焼き尽くすための薪を息子に背負わせ、自ら火と刃物を手に持って二人で神の命じられた場所に向かいます。
ここに至るまでの三日という旅路は、神に従って来た道でしたが、アブラハムの現実は神への思いと愛しい我が子への思いで心が引き裂かれそうになりながら神に問いかけ、訴え、祈り、願う時であったのではないかと思います。それは、この事がほんとうに神から出たことであるのか、御心であるのかを確認する時だったでしょう。又、「御心でしたらこの杯をわたしから取り除いて下さい」と祈り願う時だったでしょう。

私たちもまた時に、「何でこのようなことが起こるのか」と、不条理や理不尽な事どもを身近に経験したり、あるいは知らされたりという事が起こります。
そういうときに、「なぜなんですか」と、神への問いが起こります。そしてすぐにその答えを見出そうといたします。「罪の結果じゃないか」とか。「信仰が足りないからじゃないか」とか。けれども、そんなに簡単に答えが出てくるものではありません。
この現実の中で神はどこにいらっしゃるのか。いくら考えてもわからない。そのような中で多くの人はつまずき、「神などいない。悲惨な状況が現実としてあるだけだ」と希望を失います。すぐに私たちはその出来事をすんなり理解できるものでない事の方が多いのではないでしょうか。
しかし、そこで神さまと対話し続けていくか否か。それは神との関係がほんとうに問われている時なのです。祈れない。わからない。それでも聖書に、主の御声に聴いていく。祈っていく。主はそれを待っておられます。アブラハムはそこに辿り着くまで三日の間苦悩の中にうめき、祈っていたことでしょう。そこに神のお姿は見えず、声も聞こえてきません。しかし主はそんなアブラハムをじっと注視しておられたのであります。

「子は親の姿を見て育つ」
さて、ここでアブラハムと共に神の山に登ったイサクについて見ていきたいと思います。
父アブラハムはイサクが生まれた時に(21:3ですが)、「神に命じられた通り、八日目に、息子イサクに割礼を施した」とあります。イサクはこの世に生を受けたその時から、如何に神を畏れ敬い、その命に従う者として生きていくかということを、父アブラハムの「神に従う姿」を見ながら育ったのではないでしょうか。
それは本日の個所で二回も繰り返して、「二人は一緒に歩いていった」(6,8)と記されたその言葉に象徴されますように、イサクはその父と共に神の前にあって育った子であったのでしょう。彼は父を通して生ける神の存在を知り、畏れ敬う心と信仰の従順について学んでいったのでしょう。恐らくその父から、「おまえは神さまの約束による子だ。神さまはいつもお前の事を見ておられる。その神さまに信頼して生きなさい。神さまは必ずおまえを助け、すべてを備えていてくださる」と、こんなふうに、その小さき魂の時からことあるごとに教わってきた。そこには単なる親子の関係を超えた信仰による信頼関係が築かれていたのではないでしょうか。
以前にも申しました。幼い頃から子どもは、親たちのその信仰の生き様、姿勢や態度をよく見ながら育っていくということであります。私自身親として大変問われることですけれども。「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが。それはたとえ、今目に見えなくとも、多くの歳月を経て、実を結び、その子自身の救いの道につながっていきます。信仰を伝える、継承をしていくというのは根気と祈りと忍耐が必要ですし、それはまた、神の家族として教会全体でおぼえ執り成してゆくべき課題であるでしょう。これは怖いことですが。親や大人が家や教会で神に反し、不平不満ばかりを言っていたため、子どもたちがそんなものかと幻滅し教会や信仰の道から離れていったという事例は幾つもあります。「神を畏れ敬い、御言葉に従い、愛する姿」こそ、主の証しとして子どもたちや次世代に受け継がせたいものです。

「神を畏れる」
さて、9節「神が命じられた場所に着くと、アブラハムは、そこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとし」ます。

アブラハムは主のお言葉どおり、イサクを焼き尽くす献げものとしてささげるのでありますが、アブラハムの心情について聖書は何も語っていません。画家のレンブラントは、このアブラハムが独り息子のイサクを屠ふろうとする緊迫感の漂う瞬間を描き、代々の人々の心を打ち続けています。深い葛藤と苦悩の中にありながら、すべてを主の御手に委ね切るアブラハムの姿がそこにあるからです。

アブラハムがまさにそこ子に手をかけようとしたそのときでした。
天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけ、さらに「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」と言った、というのです。

主の御使いは、そのアブラハムを見て、「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かった」というのです。聖書のいう「神を畏れる者」とは、単に心の中で想うことではなく、神の御声に聞き従う者のことであるのです。それは何もアブラハムのような大きな試みに限ってだけではなく、私たちの日常の中で主が語られた事や示された事を心に留め、巡らしながら生きていくことが、神を畏れる、ということなのであります。

「全き者」
先の17章では、アブラハムが99歳になった時、主は「わたしとあなたの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やし、あなたは多くの国民の父とする」という契約を結ばれますが。その時に主は、「あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」と言われました。

それは何かアブラハム自身の努力や精進によって完全無欠の人になりなさい、ということではないのです。ヘブライ語で「全き」や「完全」と訳された原語「シャレム」は、人が作り出す完璧さではなく、神さまが作り出す「完全」のことを表しています。つまり、人が神の全きご計画の中で生きていく。全能の神との関係を築く。それが「完全な者となりなさい」ということなんですね。それは全国少年少女大会・リーダーキャンプの講演を通して教えられた事でもあったのですが。このシャレム「完全」が使われている箇所として申命記27章5~6節がひもとかれたことが私の心に残っています。そこを読んでみたいと思います。
「またそこに、あなたの神、主のために祭壇を築きなさい。それは石の祭壇で、鉄の道具を当ててはならない。自然のままの石であなたの神、主の祭壇を築きなさい。」
この言葉の中の、実は「自然のまま」と訳されているのが「シャレム」なんだそうです。
鉄の道具を当てるといった細工を施さず、「ありのまま」の原石、又は荒削りの石で祭壇を築くことを主はお望みなられる、ということです。
そのことから思いましたのは、イエスさまも「天の父が完全な方であるように、あなた方も完全なものになりなさい」と言われましたけれども。それも、何か私たちが完全無欠の人にならなければクリスチャンになれない、ということであれば聖書の福音と全く逆のものになってしまいます。クリスチャンはむしろ神の前にあって欠け多き者であり、罪深い者であります。神の前にあって完全な者となり得ないということを思い知らされた者なのであります。
神が「自然のままの石であなたの神、主の祭壇を築きなさい」とおっしゃられた御言葉に、罪深く欠けたる私を赦し、生かしてくださっている神の全き愛を強く感じます。
礼拝の中で「われに来よと主はいま」という賛美がささげられましたが。特にその3節に「まよう子らの帰るを主はいま待ちたもう 罪も咎もあるまま来たりひれふせ 帰れや わが家に 帰れや、と主は今呼びたもう」という歌詞は、まさに「ありのままで」、あなたの神の御前にいで、祭壇を築いてゆく」そのことを表してしている礼拝賛歌であります。主の救いによって「ありのままの自分(何だか今流行りの歌のようですが)」。本来の自分とされ、礼拝を捧げていくことを神さまは望まれ、お喜びになられるのですね。

「主の山に備えあり」
さて最後に、アブラハムは愛する独り子イサクをささげましたが。神さまはイサクの代わりに「一匹の雄羊を備えてくださり」それを全焼のささげものとしてアブラハムは主にささげました。
神はイサクの死をお望になりません。人が虚しく滅んでゆくことを神は決してお望みにはならないのです。
Ⅰヨハネ手紙4章9~10節にはこのように記されています。
「神は、独り子を世にお遣わしなりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
ここに「主の山に備えあり」という言葉の深さ重さ豊かさがあります。

この主の深い愛を今日改めて思いつつ、主のご愛に応えて生きる者とされてまいりましょう。アブラハムが主の山に備えあり、という主の恵みの業に与ることができたのは、彼が心揺れつつも主の御声に聞き従って実際に主の山に登ったからであります。主の山に登らなければ主の御業を見ることはできません。主はその姿を確かに御覧になり、目を留めてくださっておられたのです。主に従い行くことによって見える恵みがあります。備えがあります。何より主は私たち一人ひとりを御子イエスの贖いのゆえに、「ありのまま」に愛されています。愛する独り子イエスさまをささげ尽くされた神さまに、心から感謝をささげ、御名を賛美いたしましょう。

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