日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻頭言

2007-08-26 15:51:08 | メッセージ
 「戦後六十二年を経て」 K・S

8月16日~18日迄の旅を教会の有志7名で広島へ参りました。広島に着き、T兄に先導されて、総数8名は、さっそく原爆資料館と平和公園へ向かいました。夏休みという事で家族連れ、青年、老齢の方、外国の方、大勢の方が熱心に資料を見ながら一瞬目をそらしたくなる写真や黒焦げの瓦や衣服、リアルな人形、それでもみな真剣に説明を聞きながら足を進めました。私たちは、次にドームの焼け跡を見ましたが、この日数十台の黒い街宣車にぶつかり、何故ここに右翼なのかと思いながら、やっと平和公園を脱出しました。
爆心地は今、戦後62年を経て、緑が青々と繁り自然の恵みを受けています。18日は呉の「戦艦大和ミュ-ジアム」へ参りました。子供たちには分りやすくアニメで説明、放映がなされていました。ある若い両親は子どもに「大和は最後、宇宙へ星となっていくのよ」と、戦争を知らない親子の会話を聞き、これでいいのか。回天魚雷(人間魚雷)の事もきっと分らないまま、美化されて伝えられるのでは、と一寸背筋に寒さを感じました。
戦争とは、戦争をしたどちらが良い悪いではなく、絶対やってはいけない事だと伝えて行くべきだと改めて思わされました。
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巻頭言

2007-08-05 16:22:48 | メッセージ
家庭集会に招かれて T・S

先週の讃美礼拝の中で、3人の兄弟の転入会の証しを聞き深い感銘を覚えました。若いエネルギーをたくさんもらい感謝でした。
午後のR家の家庭集会(オープンハウス)に備えて、昼食を少し控えめにして車で行きました。勝山通り・御池橋を右折して教会から13分しかかからず、忘れ物をしても取りに帰れる至近距離に思えました。新居は新築の3階建て、隅の親石はとても大きく感じとることができました。居間の壁には十字架がかけられ、天井からはデパートにあるような大きな扇風機がゆっくり、ゆっくり優雅に廻っていました。
 家庭集会は賛美の後、牧師がガラテヤ3章からみ言葉をとりついで下さいました。「あなたがたはキリスト・イエスに於いて一つだからです。」 R兄弟と、初めて出会った時から私達との一体感をふと思い返していました。
参加者20名、無牧師の時、礼拝出席が10数名の往時を思い起こし、家庭集会は教会形成の出発点になるとの思いを改めて強くしました。礼拝後、正調韓国料理を戴きました。真に美味で「お父さんは食べ過ぎよ」という声を後ろに馬耳東風と聞き流し堪能しました。R家のご家庭が祝福され、歴史ある『平野田島』におこされた家庭集会がキリストにあって日韓の架け橋となって大きく用いられる事、そして更なる家庭集会がおこされる事を祈りました。
3兄弟の大阪教会への入会、R家の家庭集会と祝福された一日でした。感謝。 
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あかし

2007-08-02 13:01:08 | メッセージ
転入会証し H・K(青年)

 私は1972年9月7日に生まれ、9月で35歳になります。小学校6年生の時に父親から「すべて神様に任せてみないか?」と言われて、1984年12月23日に北大阪教会で信仰告白をしてバプテスマを受けました。
そこから、私の信仰生活がはじまりました。
 北大阪教会である時「話し合う会」(大阪教会では「常会」)の席である発言を聞いて何か怒りを感じて家に帰りました。そこで、違う教会へ一度行って見ようと、自分の思い付きで、まず、最初に京阪電車で行ける、京都教会にいくことを決めました。ところが、なかなか教会の人と上手く交流がもてず、ある日、京都教会で関西地方連合青年会があって、これをきっかけに交流が持てたらいいなと思いました。
しかしある晩、遅く酒の席で楽しく話をしていたら、ある教会の女子青年から、私のファッション・センスを指摘され、周りにいる青年の人達に大爆笑されて、すごくショックを受けてから教会へ行くのがつらく正直怖い思いがしました。
その年が明けて、今年の一月末頃、北大阪教会のK牧師とゆっくり話をしようと教会で約2時間、自分の気持ちをすべて聞いてもらいました。K牧師との話し合いで、「もし喜びをもって教会へいくなら、どこの教会へ行ってもいいよ。」と言われました。そのK牧師の言葉が、神様からの私へのメッセージに聴こえました。
大阪教会へ行ってみると、本当にいろんな人から声を掛けてもらい、K兄をはじめ多くの青年とすぐ交流がもてた事が嬉しく、大好きになりました。
それから、一つのことに気付きました。それは、大阪教会へ行くときに電車を使って通っていると、自分の働いたお金で教会へ行くのが自分の喜びとなりました。それは、ものすごく私には大きなものとなりました。今では、生まれた時から、「父親に連れられた教会」から、「自分の求める教会」へと変わったことに気付かされました。
それは、神さまが私をこの大阪教会へ送り出され、神さまにすべて任せて、これからこの大阪教会で、私に出来ることを見つけて、やっていけたらと思います。よろしくお願いいたします。

最後に、わたしの好きな聖句をひとつ読ませていただきます。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものは、なかったはずです。神は、真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、
試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
コリント人の信徒への手紙一 10章13節

2007年7月29日
                                  
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あかし

2007-08-01 17:50:11 | メッセージ
転入会証し M・H(壮年)

 本日、大阪バプテスト教会への転入会の証しをさせて頂きます幸いを、心より感謝いたします。私が主イエス様と出会ったのは、丁度23年前の秋でした。当時、仕事柄いろいろな目で見られ、いつも私の心には隙間風が吹いているような状態でした。そんなある日、特別伝道集会を通してある教会へと主はわたしを導いてくださいました。しばらくしてから仕事の面で給食会社へと転職をいたしましたが、その会社の経営状態が思わしくなくとうとう倒産してしまいました。
そのような時、自分自身も含めて、人の心の移り変わりの激しさに嫌気が差してしまい、神様から離れた生活を送るような惨めな経験をいたしました。しかし、そのような不安定な状態の中にいても神様の愛は変わることなく私を支えてくださいました。
今から6年前の2001年に事故で頭を骨折して、数ヶ月脳外科に入院を余儀なくさせられました。退院後、大阪バプテスト教会の前を歩いておりました。その日、教会ではバザーが行われていました。わたしは教会の中へ入っていって座ってコーヒーを飲んでいました。その時、なぜか何とも言えない安心感に包まれている自分を発見して、生きている幸いを味わい知ることができました。それがきっかけとなり、水曜日の夕方に開かれている祈祷会に導かれ、そのうち日曜日の主日礼拝にも出席するようになって今は神様の大きな愛に包まれ、生かされている事が夢のようです。感無量といった神様の恵みのもとに育まれているのを実感しています。
わたしが大阪バプテスト教会への転入会が許されましたならば足腰が不自由なため、祈祷会、主日礼拝に出席が難しい方々への送迎などのご奉仕をさせて頂きたく思っています。
わたしが今、主の御手に在って戴いている御恵みを多くの人々に分かち与えることが出来るならばこれに勝るものはございません。
いまのこの時を大切にして、大阪教会の皆様と共に歩んで参りたいと願って止みません。
宜しくお願いいたします。

2007年7月29日


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