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「それほど言うなら」

2022-01-30 14:13:58 | メッセージ

礼拝宣教 マルコ7章24~30節 2022/1/30

 

本日はマルコ7章24~30節より御言葉に聞いていきたいと思います。同じ場面が記されているマタイ15章には、主イエスはただ「ティルスとシドン地方に行かれた」とあるだけですが。

このマルコ福音書には、24節「イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった」と、詳しく記されております。

そのティルスとは、ガリラヤ湖北西部の地よりかなり離れたフィニキア、今のシリアでありました。この地は当時ローマの管轄下にあって、政治的にも民族的にもユダヤ人から見れば外国であり、異教の地でした。

 

主イエスはユダヤの地で多くの人に望まれ、イスラエルの民に救いと解放がもたらされることを強く願っておられたのに、なぜわざわざ異邦の地ティルス地方に迄行かれたのでしょうか。その理由については何も記されていません。

ただ、「だれにも知られたくないと思っておられた」とあります。それは連日、御自分を追って来る群衆への対応で、さすがの主イエス御自身も肉体的、精神的にも疲労困憊なさっておられた。まあ、ここまで足をのばせば少しは静かに休むことがきると、そうお考えになっての事だったのかも知れません。

 

また、もう一つ考えられることは、3章に、ガリラヤでの主イエスの活動に対して、「ファリサイ派の人たちがヘロデ派の人々と一緒にイエスを殺そうと相談し始めた」とあります。主イエスは、ユダヤの指導者たちから常に非難を受け、命までも狙われ始めたことを身に感じ、そんな彼らの頑なさを嘆き、苦悩されておられたのでしょう。

そのような中で、主イエスは御自身を取り巻く物事や事象から一旦距離をおいて、静かに状況を見つめ直し、父なる神の御前に静まる時をもとうとお考えになったのかも知れません。そういった忙しさと緊張の日々に休息を必要となさったのかも知れません。多忙と緊張を強いられる日々にあって、霊肉共休養なさる必要があったとも考えられます。

 

ところが、この遠い異邦の地においても救いと解放を求める人の願いは切実でした。

主イエスが滞在されていた家はすぐに見つけられてしまうのです。

25節、「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏し、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ」。

きっと、この女性も以前から主イエスのうわさを耳にしていたのでしょう。何とかそのお方に娘を助けていただきたい、と切に願い、祈っていたのではないでしょうか。

そのお方がこの異教の地の、しかもすぐそばにまで来ておられるという、まあ驚くような情報を得るのです。

そうして、イエスさまのことを聞きつけた彼女は、「来てその足もとにひれ伏した」のです。

苦しむ娘から目を離し、家に置いて自分が出かけても大丈夫だろうか、といった心配もあったかも知れません。しかし、この神が与えてくださったチャンスを逃してなるものかと、何をさておき主イエスの御もとに駆けつけたのです。それはもう信仰です。

 

そして、主イエスにお会いすると、「足もとにひれ伏し」必死に懇願するのであります。

「ひれ伏した」とは、「礼拝した」ということです。

異教の地においては、神ならざるものを神として拝み、偶像崇拝と汚れた霊の働きが満ちていました。そのような中でこの女性は、主イエスのうちにお働きになるすべてを治め司っておられる神によりすがり、礼拝するのです。

 

又、28節でもこの女性は、イエスさまに対して「主よ」と呼びかけています。それはイエスが「教師」や「先生」ではなく、私の「救い主である」との表明、つまり「信仰の告白」を言い表わしているのです。

彼女は娘の解放と救いのために主イエスの御許に向う中で、自分の救い主と出会ういうこの上ない経験をすることとなるのです。

 

主イエスは「娘から悪霊を押し出してください」との彼女の言葉に対して、次のように答えます。

「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない」。

主イエスのお答えは意外なものでした。

ここを読みますと、「こんなにも必死に頼んでいるのに、何て冷たい」「犬と軽蔑して呼んでいるのは差別ではないか」などと思う方もおられるでしょう。

一つ考えられますのは、この時の主イエスの心境についてであります。

そのお心のうちには、ユダヤの民の救いと解放のことでいっぱいであったということがまず考えられます。それは単に同じ民族としての愛着から起こる感情というより、神の前におけるイスラエルの民の悔改めとその救いに対する主イエスの強い思いがあったと考えられます。

 

しかし、この主イエスの「まず」という言葉には、異邦人である女性の娘の救いと解放を頭から否定しているものではないのです。

主イエスは「神の救いと解放はユダヤから始まって、そこから異邦の地に」という神のご計画があることをここでお示しになります。

 

先週は、主イエスがユダヤのガリラヤで5千人以上の人たちを「5つのパンと2匹の魚」で養われた記事を読みましたが。それはガリラヤ湖から山間の地で、ユダヤの民に対してなされた主イエスの養いでありました。

それが本日のティルス・フェニキアの女性との場面を境に、主イエスはさらにデカポリスの地においては、「7つのパンと少しの魚」で4千人以上の異邦人を主イエスが養われるのです。

そのように、主イエスが、ここで「まず」と言われたことの中には、異邦人の救いと解放を否定したという意味ではなく、ユダヤ人に訪れる救いと解放はやがて異邦の人たちにも訪れる、ということが予知されていたのであります。

 

また、この「犬」というのは、確かにユダヤ人が異教の神々を崇める偶像崇拝者である異邦人を野良犬のように軽蔑して犬と呼んだということでありますが。しかしここで主イエスが口にされたのは「小犬」たちです。それは野良犬ではなく、当時の中近東でも室内で飼われていた飼い犬や愛犬を表していたのです。

この時代も食事の折に食卓の下で待ち受けている愛犬がその落ちてくるパンくずを今か、今かと待ち受けており、その食卓のおこぼれに与っていたのです。

 

ユダヤでのパンの食べ方については、独特な食事規定があり、私たちからしてみればちょっと風変わりな食べ方をしていたということです。彼らはまずパンをちぎりやすいように平たく作り、大きな皿に盛り、各自が取って、分け合って食べたそうです。パン以外の料理は、主に手で食べ、食事が終わると、残ったパンの切れはしを指で拭き、そのパンの切れはしを床に放ち、飼い犬に与えていたそうです。

いずれにしましても、ここで主イエスが野良犬とは言わず小犬と言っておられるということで、それはいわばイスラエルの民が羊たちであるなら、異邦の民は愛犬たちとでも申しますか。主人(あるじ)である神さまとその子らユダヤの民らの住まいに、異邦人である彼ら彼女ら、そして私たちも又、共に住み、共に神の養いに与る神の家族であることが、ここに暗示されているように思います。

 

さて、その主イエスの言葉を聞いたこの女性は次のように答えます。

「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」。

彼女はそこでくさることなく、決して諦めず、主に求め続けるのです。何しろ娘の人生と命が主なるイエスさまとの出会いにかかっていると信じているからです。

 

さすがの主イエスも、この彼女の返答とそこにこめられた一途な信仰に突き動かされるかのように、29節「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」と、おっしゃいます。

30節「女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」。主イエスのお言葉のとおりの御業が現わされるのであります。

本日は、主イエスのお言葉から「それほど言うなら」という宣教題をつけました。

口語訳や新共同訳改定版には「その言葉で十分である」と訳されていますが、やはりもとの新共同訳の「それほど言うなら」、又岩波訳が「そう言われては(かなわない)」とうまく訳していますように、「それほど言うなら」、「そう言われては(かなわない)」との訳が、ここでの文脈にあって私たちのうちに強く響いてきますよね。

 

しばし喧騒から逃れ、だれにも知られず安息を得ようと異邦の地にまで来られた主イエスでした。又、異邦人に救いがもたらされるのは、まずユダヤの人々に次いでとお考えになっておられた主イエスでした。

その異邦の地で主イエスはご自分の思いを超えた、「これはまいった」としか言うほかないような異邦人の女性の「生きた信仰」を目の当たりにするのです。

そのような出会いの中で、喧騒から逃れて来た主イエスご自身が、実に励まされ、リフレッシュされる経験をなさったのではないでしょうか。

この後、主イエスはまるで霊肉ともパワーアップされたように、さらに異邦の地のシドンやデカポリス地方に足を運ばれ、異邦の人々に御国の福音を伝え、4000人以上を養われるのです。

主イエスに「それほど言うなら」と言わせたこの女性の信仰。その主イエスに信頼し、どこまでも尋ね求めていくその一途で一心な願いと祈りは、必ず主のお心に届く。

それは又、私たちにとってもこの上ない大きな希望ではないでしょうか。

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主イエスの養い

2022-01-24 10:00:08 | メッセージ

礼拝宣教  マルコ6章30-44節

 

本日は、主イエスが「5つのパンと2匹の魚」を5千人に分け与えたという記事から御言葉を聞いていきます。

30節「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えを残らず報告した」とあります。これは先の7節以降にあるように、主イエスが12人を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになって町々村々へお遣わしになり、彼らは福音を伝える働きをなした、その報告であります。

それを聞かれた主イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」とおっしゃいます。主イエスのもとには「出入りする人が多くて、食事もする暇もなかった」からそうおっしゃったわけですが。主イエスには他にも多くの弟子が従っていましたので、先の12人と主イエスだけが、舟で人里離れた所へ向うのです。

 ところが群衆は岸から舟に乗られ主イエスと弟子たちに気づき、その舟の向かう岸辺めざして、そこに又町々から聞きつけた人たちが加わって、ガリラヤ湖畔の陸路沿いを先回りし、主イエスの乗られた舟が岸辺に着くのを待ち構えていたという事であります。その切実さが目に浮かぶようですが。

 

さて、これを知った主イエスの弟子たちは、「またか」といったような気持ちにもなったことでしょう。しかし、この切なる思いをもって御許に集まって来る群衆の姿を御覧になった主イエスは舟から上がり、34節「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」と言うのです。

御許に来る人を主イエスはこんなにもいつくしまれ、受け入れて、追い掃おうとはなさいません。この主イエスの「憐れみ」は単に可哀そうというような思いを超えておられます。へブル語の原語「ヘセド」は憐みや慈しみと訳され、「断腸の思い」という意味です。それは相手の痛み、苦しみを自らのように身に受けて、自分のはらわたが痛むほどの慈愛をもって憐れまれるということです。

それは群衆の一人ひとりが、身体的、精神的、経済的、社会的に苦しみ、あえいでいたという事は確かですが。イエスさまの深い憐みの出所は、群衆が「飼い主のいない羊のような有様であったからである」と、あります。

もし統治者や首長らが彼らの苦しみを聞き、食物も生活も医療も得られるように働きかけていたならどうだったでしょう。又、律法学者や宗教的指導者が神の愛とゆるしによる救いと魂の回復を執り成し続けていたのなら、彼らの魂が枯れ果てるほどに苦しむ状態で人びとが押し寄せることはなかったかも知れません。

彼らは様々な困窮の中で、病のいやし、汚れた霊による苦しみからの解放、又世の圧政と抑圧からの解放を主イエスに求めました。それに対して主イエスは神の言葉を語り、又いやしと解放の御業をもってお応えになられました。が、その「御業」自体は、主イエスがお出でになられた目的のためのしるしでしかなかったのです。ではその目的とはなんでしょうか。

 

それが先の聖書の御言葉に導き出されているのです。

飼い主のいない羊のようなものがまことの飼い主であられる主と出会い、主に養われて生きるものとされる」。それこそが主イエスがお働きになられることの大きな目的であったのです。

この群衆もそうでありましたし、私どもも又、この主イエスによって救われ、養われる羊の群であります。命と平安はこのまことの羊飼いなる主からくるのです。

 

本日のところでは、その主イエスの養いが文字通り具体的に記され、「5つのパンと2匹の魚」で主イエスが5千人を養われるのです。

35節「そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう」。

まあ、伝道の旅から帰ってきたばかりの弟子たちは疲労困憊し休む暇もなく、しかも空腹であったに違いありません。ちょっと静かに休みたいとの思いもあったでしょう。

自分たちのこともあるのに、そこまで人の事など考えられず、もうそろそろ群衆を解散させてほしい、との思いがあったのかも知れません。

 

そこで、彼らは「人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう」と言います。

ところが主イエスはこれに対して、こうお答えになります。

「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」。

弟子たちにとってこの主イエスのお答えは意外でした。

さすがの弟子たちも驚いて主イエスに質問します。

35節「わたしたちが200デナリオンのパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」。それは無理でしょうというわけです。

1デナリオンは当時の1日分の賃金に価し、それが5千円だとしたら、100万円以上ということになります。まあそのようなお金を弟子たちが持っていようはずありませんし、スーパーやコンビニなんかも勿論ありませんから、それだけの分の食糧を調達できるようなことなどむろん出来なかったでしょう。弟子たちにとってみれば、「そんなことを言われても、一体どうしたらよいのか」という思いであったでしょう。

この出来事はヨハネ福音書6章にも並行記事として記されております。そこでは弟子の一人であったフィリポが「めいめいが少しずつ食べるためにも、200デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えていますが。

その前のところでは、主イエスがフィリポに、「この人たちに食べさせるためには、どこでパンを買えばよいだろうかと言われた」とあります。そしてさらに、「こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているかを知っておられたのである」と記されているのです。

つまり、主イエスはフィリポに尋ねておられる間にも、ご自分が何をなさるのかを心に決めておられたというのです。

その上で、あえてフィリポにお尋ねになったのは、彼が何かを持っているとか、自分の力で何かができるという状況でないことを知った上で、「ではどうすればよいか、どうあるべきかを教えようとなさっているのです。

もはや自分には何もない、出来ることがない、まさにその時、フィリポや弟子たちが実に、主ご自身がなさろうとしていることに、如何に信頼し、求めてゆくべきかを、主イエスさまは学ばせようとしているのです。

 

本日の記事は4つの福音書すべてに記されていますが。このマルコ福音書にしか記されていない事があります。

それは、主イエスが「パンはいくつあるのか。見て来なさい」とおっしゃり、弟子たちがそれを「確かめて来た」ということです。

大事なのは主イエスと、そのお言葉に信頼し、応えていく信仰なのであります。その信仰を主は喜ばれ、ゆたかにお用いになられるのです。それは神に救いを求める人たちと一緒にその主の恵みと救いを喜び合い、共に主の養いに与っていく祝福なのです。

 

私たちの生の全領域において、主の愛に応え、主の愛が分かち合われていく時、主がどれほど豊かにそれをお用いになるかということを、この5千人の給食の記事は物語っているのであります。

昨今の状況と様々に社会を揺さぶる多くの出来事を前に、私たちもあの時の弟子たちのように無力感や疲れ、不安までもおぼえることが多いかもしれません。そういう中で今、主は私たちに、どのような状況の中でも信頼をもってわたしに祈り求めなさい、すでに主は必要なものすべてを備えていてくださるのです。

私たちに必要なものすべてを予め備えていてくださる主とその御言葉を糧に、希望と喜びをもって今週も歩んでまいりましょう。

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わたしの母、わたしの兄弟、姉妹とはだれか

2022-01-16 18:03:28 | メッセージ

今日の宣教 マルコによる福音書3章20-21節、31-35節

コロナ感染者が増加しているということですが、大阪教会としては感染予防に努めつつ教会の礼拝と祈祷会は閉じることなく守っていきます。

さてそうした中、Iさんから、誤嚥性肺炎のお母様の熱が下がって、車いすにのるためのリハビリをされているとのお知らせを頂きましたが。昨日次のようなファックスを頂きました。「1ヶ月振りに母の顔を見て参りました。主治医の先生の御厚意で面会が制限付きで許され、主人、私、三人娘が会って参りました。一日の大半はうとうとと意識がない状態でベットに横になっている様子なのですが、金曜日、面会した時は、薄く目を開け、笑った様な表情をし、帰り際に手を振ってくれ、信じられない様な数十分を過ごしました。「神様からの贈物だね」と、娘。腎機能の低下、誤嚥性肺炎、高カロリーの栄養も投与出来ずで、何時、病状が急変するかわからない、と先生からお話しがありました。教会の皆様のお祈りに支えられていることを実感した一日でした。皆様に宜しくお伝え下さい。」 私は面会できませんが、Iさんの「信じられないような数十分を過ごしました」。娘さんの「神様からの贈物だね」との言葉に、そこに居合わせなくても、何ともいえない臨場感が伝わってきました。

 

本日はマルコ福音書3章の先ほど読まれました個所より御言葉に聞いていきます。

先々週はシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの漁師たち、先週は徴税人のレビが主イエスに招かれ従っていった記事を読みました。3章にはその彼らを含めた12人の主イエスの弟子たちが紹介されています。20節には「イエスが家に帰られる」とありますが。この家は2章にも記されています弟子のシモンとその兄弟アンデレの家であったと考えられます。そこには「群衆がまた集まって来て食事をする暇もないほどであった」ということですから、それは家じゅうがごったがえし大変な騒ぎようであったでしょう。

 

するとそこへ、イエスの身内の人たちがイエスのことを聞きつけて、「取り押さえに来た」というのです。新共同訳聖書の改訂訳には「『気が変になっている』と思ったからである」とそのわけについて記されていますから驚きです。

イエスの身内とは、父のヨセフはすでに亡くなっていたと考えられ、6章を見ますと、イエスの母マリア、マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟と、ほかにも姉妹たちがいたとありますので、まあ大家族であったようですね。

その中でイエスは長男でありましたので、早く世を去った父の家業を継いで、一家の生計を支える人として期待されていたと考えられます。

 

そのイエスがヨハネからバプテスマを受けると、霊に満たされて「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という父なる神の声を聞き、神の霊の導きのままに行動するようになります。

この時以来、イエスは神の子として「神の福音」を宣べ伝え、病人や悪霊にとりつかれ、苦しみ助けを求める人たちをいやし、解放されます。又、徴税人や罪人と言われた人たち、世にあって小さく、弱くされた人々と出会い、食卓を共にされていました。

主イエスの行動は肉の思いによらず、ただ御父であられる神の御心に従ってなされます。

しかし、そのようなイエスの態度と行動は家族からすれば、当然果たすべき責任を放棄し、自分勝手で気ままなようにしか映らず、到底理解できるものではなかったのでありましょう。

 

31節には、そんな「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた」とあります。

けれども、この「外に立つ」という言葉は単に物理的に家の外にいるということではありません。主イエスを切に求めて集まって来た群衆に対し、イエスの家族の心は「外に立っていた」ということを言っているのです。

 

そして、「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスさまは思いがけないことをおっしゃいます。

「わたしの母、わたしの兄弟(姉妹)とはだれか」。そうイエスさまは問い返されるのです。

そして、「周りに座っている人たち(群衆)を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる』」。

 

その主イエスが『ここにわたしの母、兄弟がいる』と言われる目の前の人とは、律法を学び行うことが困難な人、売国奴と揶揄される徴税人、心や体の病に苦しんでいる人、不当な扱いを受けている人、自分の犯した罪の呵責に苛まれている人、生活に苦しむ寡婦、怠け者だと見下されていた人など、様々なことで困り果て、神の助けとお働きにすがるほかなく主イエスのもとに集まって来た人びとであったのでしょう主イエスはその人びとをして、わたしの母、わたしの兄弟だとおっしゃるのです

そして、次のように言われます。

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」。

御心を行うとは、何か非常に頑張って敬虔に、過ちなく生きよとか、才能をもって何かを為しなさいというようなことを条件としておっしゃっているのではありません。むしろそれが困難な人、そう生きたくても生きられない人たちこそ、主イエスと共にいることを切に願い、必死に主イエスのお言葉に耳を傾けます。そうして神のみもとにある喜びの中で身も魂もいやされるように主イエスに手を置いて戴きます。

その人たちは又、自分の弱さ、痛みを知るからこそ、弱さや痛みを同様に抱える人を我が身のように思い、隣人となって回復を祈ります。そのこと自体が神の御業であり、「御心を行う」ことなのです。そこに聖霊がゆたかにお働きになられ、主イエスがおっしゃる「わたしの母、わたしの兄弟、わたしの姉妹」という神の家族の交わりが生まれるのです。

 

イエスの母マリアはそのイエスに対して理解できませんでしたが。イエスが十字架に磔にされたとき、彼女は、ヨハネ福音書19章で、十字架のかたわらに他の女性たちと愛する弟子と共にいたことが記されています。

 

イエスは十字架上から、そばにいた母マリアと愛する弟子とを見て、まず母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われます。

愛する子イエスがあまりにも無残な姿で死んでゆくことに耐え難いまでの苦痛を受ける母マリア。肉親がどんなに慰めてもいやし難いその苦痛。それは神でなければいやすことのできない傷、痛みでありました。だからこそイエスさまは愛弟子に(それはヨハネであったようですが)、その信頼のおけるヨハネに母マリアを神の家族として迎え入れるよう託されたのです。

 

次に、主イエスはその愛弟子に、「見なさい。あなたの母です」とおっしゃいます。聖書には「その時から、イエスの母を自分の家に引き取った」と記されています。

ここには血縁を超え、神の愛といつくしみに生きる神の家族と招かれるイエスさまの思いが、その愛があふれており、胸が熱くされます。

 

この後、主イエスの十字架を前に逃げ出した弟子たちが主イエスの復活の出来事、さらに聖霊降臨・ペンテコステの出来事を通して、使徒とされキリストの教会が誕生し、神の家族、教会が形成されていくのです。そこには心一つに祈る母マリアの姿がありました。人の慰めが及ばないほどの悲しみ、苦しみ、恐れ。そこに神はおいでくださる。共におられる。

主にある兄弟姉妹はその救いをいつも気づかせ、思い起こさせてくれるキリストにある素晴らしい賜物です。

それは、先ほど冒頭で主に連なる方がたの祈りのリクエストと近況をご紹介しましたが。その中でIが寄せて下さった「教会の皆様の祈りに支えられていることを実感した一日でした」との言葉に、はっきりと具現的に現わされていました。人間は不完全です。それでも主の愛といつくしみのもと、受け入れ合い、ゆるし合い、祈り合って私たちも又、神の家族とされてまいりたいと願います。

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主イエスの招き

2022-01-09 13:54:49 | メッセージ

礼拝宣教 マルコ2章13-17節

 

先週の礼拝では主イエスがシモンとその兄弟のアンデレ、ヤコブとその兄弟ヨハネに目を留め、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と招かれ、各々主イエスに従っていった記事を読みました。本日の箇所では、イエスさまが徴税人であったレビをご覧になり、「わたしに従って来なさい」と招かれます。そして、イエスさまはその招きに従ったレビの家で、多くの徴税人や罪人といわれる人たちと一緒に食事をなさったことがここには記されています。

 

今日の始めの所に、「イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた」とあります。

まあ、主イエスは湖のほとりを歩きながら、人々がそばに集まって来るたびにお話をなさっていたようです。「神の国と神の義」、そのよき知らせを語り、分かち合わずにおれないイエスさまのお姿が目に浮かぶようでありますが。

そういう中、14節「その通りがかりに、アルファイの子レビが徴税所に座っているのを、イエスさまはお見かけ」になります。

この「見かける」とは、単にたまたま偶然に見かけるという意味ではなく、じっと目を留め、御覧になられるという意味です。イエスさまは忙しさのなかにあっても見過ごすことなく、徴税人であったレビに目を留められたということです。それは偶然ではなく、イエスさまのご意志のもと彼を招くために目を注がれたという必然であったのです。

 

レビはこの日、多くの人と物が行き交うガリラヤ湖のほとり、カファルナウムの町の徴税所に座り、人々から統治国家ローマに納める税金を徴収していました。それは主に町の外から人々が持ち込む物品に通行税をかけ徴収する仕事でした。

徴税人の多くは、規定より高い税を人々から集めていましたが、それはローマの暗黙のもと、彼もその分をふところに入れて生活していたわけです。

そのため同胞のユダヤ人たちからは、いわゆる売国奴として見られ、毛嫌いされていたのです。又外国からの物品の中には宗教上「汚れた」とされるものも少なくなく、それらを扱う徴税人も「汚れている」と疎んじられたのです。

ところが主イエスはそのレビに目を留め、「わたしに従いなさい」と言われます。

すると、レビは立ち上がってすぐさまイエスに従ったのです。おそらくレビは初めて主イエスと出会ったのではなかったのでしょう。先回のペトロやアンデレら4人の漁師たちのようにレビもまた湖畔で主イエスのことについて人伝えに聞いたり、もしかするとすでに大衆に交じり話を聞いていたのかも知れません。けれどそれは素晴らしいお話であっても、レビにとってみれば、この日この時まで主イエスは自分と直接関係がなかったのです。福音が語られても徴税人の自分はそぐわない。自分は神の祝福から遠いところにいる。そのような思いをレビはもっていたのかも知れません。

それがなんと主イエスの方から個人的に出会ってくださり、「わたしに従いなさい」とお声をかけてくださったのです。

仕事や立場に関係なく、ひとりの人間として見いだされた喜びに圧倒され、彼は自分に注がれる主イエスのまなざしと招きに、すぐさま「立ち上がって」従います。今までの古い自分と決別をしたその意志のあらわれが「立ち上がって」という言葉によく表されていますが。しかし、それはレビが自分の力でなし得たというものではなく、自分を見いだしてくださった主イエスに委ね切って、新たなる人生を歩み出したということですね。これが本来の悔い改め、メタノイアなのです。

 

レビはその後すぐ、主イエスを自宅に招いて食事をします。

15節「イエスがレビの家で食事の席についておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた」とあるように、その喜びを分かち合いたいと、レビは同業の徴税人や罪人と言われていた人たちを自分の家に招いたのです。

 

この「罪人」とは、いわゆる刑法に反し罪を犯した犯罪人のことではありません。それは宗教上の規則や規定に反する人、又それを守らない人、あるいは、律法を知らない外国人を指していました。そういった人は救いからほど遠い罪人とされていたのです。

しかし、イエスさまはそういった罪人とみなされた人たちと出会い、食事を共になさるのです。

どこの国のどんな文化でも食事を共にすることは特別な意味があります。この年末年始は身近な家族で集まった方もおられるでしょう。又、特に親しい者同士が歓迎の意味でもてなしふるまうこともあります。                                                     ところが主イエスは、ユダヤ社会にあって人びとから嫌われ、排除されていた徴税人や罪人と食卓を共になさるのです。

 

16節では「それを見たファリサイ派の律法学者は、弟子たちに、『どうして彼(イエス)は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と指摘します。

ファリサイとは「分離された者たち」という言う意味ですが。彼らは律法を厳格に守ることによって、彼らの言う「汚れたもの」「清くないもの」からの「分離」を強調したところから、そのような呼び名が生まれました。確かに彼らは真面目で熱心でありました。反面、その真面目さと熱心さで、律法を守らない人、守れる状況でない人までも差別し、蔑んで見下し、その人たちとの接触を避け、関係を断ち切ったのです。そのような者と関わり交われば、自分たちも汚れると考えていたからです。

実は、後のユダヤ人クリスチャンが多くいたエルサレム教会においても、異邦人のクリスチャンとユダヤ人クリスチャンの間で、共同の食事が問題視され、教会の内外で激しい論争が起こっていたということであります。(使徒言行録11章3節~)

このファリサイ人の「徴税人や罪人と食卓を共にする主イエスと弟子たちに」突きつけた物言いは、「おまえはどちらと付き合うのか」「おまえたちもその仲間か」というものでした。

今日の社会、学校や会社、地域、はたまた世界の国々の間においても、「おまえはどちらと付き合うのか」「どちらの側の味方か」という物言いが幅をきかせ、分断や差別を生んでいます。ややもすれば信仰者でも親しい仲間うちだけ、自分たちだけの排他的な集まりになりかねません。

 

ここで、一昨日もお会いましたが。親しく交流頂いている精神科医の工藤信夫先生のご著書「心で見る世界」の中にあります先生のエピソードをご紹介します。

「先日、私は2つの体験をしました。朝、病院へ出かけるためにバスに乗りました。途中あるバス停で、おじいさんが降りようとしました。はかまのようなものをはき、着ぶくれてもいたので、なかなかお財布が出てきません。バスはしばらく停車しました。運転手さんは、いらいらして「まだ出てこないのですか」「まだ降りないんですか」などと言っています。通勤を急ぐサラリーマンも苛立ち、何かぶつぶつ言っているようです。私も、先を急いでいるので、「困ったなあ」「このおじいさん、なんで、もたもたするんだろう、始めから用意しておいたらよいのに・・・・」と非難がましく思ったり、「こんな朝のラッシュ時に乗らないで午後にすればよいのに」と思ったりしたわけです。そのせいか、バスを降りてから非常に暗い気持ちになりました。次の日の夕方、やはり同じバスに乗りました。すると、たちまち、うちの娘と同じ名前、同じ年代のナオ子ちゃんとそのお母さんが乗って来ました。身障者のためのバザーの帰りとかで、元気いっぱいのお母さんは、たくさんの荷物をかかえていました。そのお母さんは、前に座っていた何人かの人に、降りる時に荷物を降ろすのを手伝ってくださいと頼んでいました。というのは、ナオ子ちゃんはダウン症なのです。このナオ子ちゃんは、いま5年生ぐらいですが、言葉がはっきりしない。アーとか、ウーとか言いながら、それでもいっしょうけんめい窓から見える光景をお母さんに伝えようとしている。お母さんもにこにこしながら見ておられる。さて、降りぎわになって、荷物を頼まれた人たちは、みな寄ってきて、一つずつ降ろし、私も手伝いました。バスの運転手さんもそれを待ってくれました。そのあと、二、三のお母さんたちが、いっしょに荷物を降ろしたところから互いに言葉を交わしおられました。それを見て、私も何か心が和んだのです。きのうは、あんなに暗い気持ちでバスを降りたのに、きょうは明るい気持ちで帰宅できる。(中略)私は、同じバスでも、先を急ぐ人、体が丈夫で、不自由な人のことなど眼中にない人、がんばろうとしたらがんばれて、どんどん仕事ができるような人が乗ったバスは、何かせかせかして、お互いのことなどどうでもいいといった無関心の漂う冷たさがあるのではないか。これに対して、子どももいれば、お年寄りもいる、少し体の不自由な人もいれば、健康な人もいる、疲れた表情の人もいれば、元気な人もいる、こんな寄り合いバスが人間らしいと思ったわけです。社会も、だれでも乗れるバスが必要だと思います。ところが、私たちはだれでも、自分に合わないもの、同調できないものを排除したい気持ちを強く持っています。」

 

さて、主イエスは「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」というパリサイ派の律法学者の言葉に対して、次のようにお答えになりました。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。

これぞまさしく「神を愛し、隣人を愛する」律法の精神であり、その律法の完成者であられる主イエスだからこそ言い得たことであったのです。

生きづらい世にあって律法の教え規則を守ることができず、社会の中でははみ出し者とみなされてるような徴税人や罪人、また異邦人は神の救いに喜びを共にいたします。

その一方で、自分の正しさを正当化して正義を振りかざして人を蔑み、見下し、罪人の救いを喜べなかったファリサイ人。彼は本来の神の慈しみと愛が見えず、神の御前で重大な魂の病的状態に陥っているわけです。彼も又、主イエスのいやしを必要としていたのです。

主イエスは徴税人や罪人と食卓を共にし、さらにその食卓にファリサイ人たちも共に加わり、先ほどの乗り合いバスのエピソードのように、一緒に食卓を囲んでいくそのような「神の国の祝宴」がこの地上にあってなされていくことを願っておられるに違いありません。私たちは日毎にこの主イエスに招かれているのです。主エスの招きに応え、神の国の喜びをあらゆる人たちと共にできる豊かな人生を生きていくものでありたいものです。今週も主の御言葉を携え、ここからそれぞれの持ち場へと遣わされてまいりましょう。

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新年のご挨拶

2022-01-03 08:33:44 | お知らせ

迎主 聖暦 2022年

 

新しい年を迎えました。

旧年はこのブログにご訪問くださり、

ありがとうございました。

「社会的距離」をとってきたことによる、

ひずみや痛みや孤立が様々なところに生じています。

本年が神と人、人と人とのつながりが、

回復されていく一年となりますよう祈ります

 

本年がみなさまお一人おひとりにとって、

恵み豊かな一年となりますよう、お祈り申しあげます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

2022年1月3日

ブログ担当者

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新たに生きる

2022-01-02 13:54:56 | メッセージ

新年礼拝宣教 マルコ1章14-20節

 

主の年、聖暦2022年明けましておめでとうございます。

本年よろしくお願いいたします。

 

今月からマルコ福音書を4月半まで礼拝の宣教箇所として読んでまいります。

今日の個所は、イエスさまがまず「ガリラヤで伝道を始められた」というところがございます。

イエスさまは、エルサレムというユダヤ人たちの中心都市、神殿のある都からでなく、辺境の地ガリラヤから神の国の福音を語り始められました。

ガリラヤはローマの植民地政策の直接的な影響も濃く、ユダヤ人以外の外国人も多く住んでいる所でした。そういったことから、律法と戒律の遵守を重んじる都の人たちとは違い、自由な考えや信仰観をもって生活していたようです。

そのため、このガリラヤの地の人々はエルサレムに住むユダヤ人から見下され、「ガリラヤからいったい何のよいものが出ようか」などと言われていたのです。

イエスさまはそういったガリラヤの地の人々からまず、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣教活動を開始されたのでした。

 

そしてもう一つイエスさまが福音宣教と同時になされたこと、それが「神の国の福音のために一緒に歩んでいく弟子たちを召し出す」ことであったのです

それはイエスさまが神の国の訪れを宣言し、病気の人をいやし、最後まで父の神の御心に従い通されたように、弟子たちもまたイエスさまの証言者として、さらに主の御跡に倣い、従う者とされる。そのためでありました。

 

イエスさまには多くの弟子たちがいたようですが。彼らは宗教家や律法学者のような専門の知識をもっていたわけではなく、実に様々な職種や立場の人たちであったのです。

今日の所ではイエスさまが後に12弟子、そして使徒とされる4人の漁師を弟子として選び、立てていかれるのですが。

ちなみに、この当時パレスチナ地方の殆どの人々が食べていた魚はこのガリラヤ湖で漁れたものだそうでう。それは実に37種類にも及び、非常に豊かなものであったということで、驚きです。きっと漁師たちも自分の仕事に誇りとやりがいを持って働いていたのでしょうね。

私は23年前にエジプトとイスラエルに旅行する機会があったのですが。エルサレムのホテルのランチで出されたのが、ガリラヤ湖でしょうか?養殖されているセントピーターズフィッシュ(ペトロの魚)を素揚げで戴いたのですが、とても淡泊なお味でした。同じ外来淡水魚のブルーギルとは違い、うまかったと記憶しています。

 

ところで、イエスさまが弟子たちをお選びになるこの記事をお読みになって、まずどんなことをお感じになられるでしょうか。

一番多いのは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とのイエスさまの呼びかけに、「二人の漁師がすぐに網を捨てて従った」。この「すぐに」というのは驚きですよね。

イエスさまのこのような呼びかけにそんなに即座に答えられるものだろうかと思いますよね。まあ漁師を生業としていた彼らが、網を捨てるなんて、、、と。まあこの網は漁師にとって生活の資でありますから、これを捨てるというのはちょっと常識的には考えられないことであったはずです。

ただ、どうもこの漁師たちはここで初めてイエスさまにお会いしたというよりは、ガリラヤにおいてイエスさまが神の国の福音が宣教されていた時から、何度かイエスさまについての噂を耳にしていたり、又イエスさまのお話を予め聞く機会もあったのではないだろうかとも思えます。

まあ、おそらくそれまでは「群衆の一人」としてイエスさまの福音を聞いていたに過ぎなかったのかもしれません。ところが、そのイエスさまはこの日「群衆の一人」としてではなく、彼らと個人的に出会われたのです。

それが16節「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった」という言葉にありますように、ここにイエスさまが彼らと出会おうとされるそのまなざしを感じとることができます。それは単に見たというのではなく、原文では「じっくりと観察し、見極める」という意味があるそうです。

おそらく彼ら漁師たちもイエスさまのその視線を強く感じ取ったのではないでしょうか。ここでイエスさまと彼ら一対一の出会いが起こっていったのです。そしてそういう中で、彼らはイエスさまの「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」との呼びかけに、まさに身も心も突き動かされ、捕らえられたのであります。

こうして彼らは「すぐに網を捨ててイエスさまに従った」(18)のであります。

それは単なる感情的、又衝動的な思いや決断によるものではなく、「神の国」の到来の実現に向けた主イエスの圧倒的な迫りによってもたらされたものであったのです。

「今そうせずにはいられない」という魂の底からあふれ出てくる思い、それが主イエスとの出会いによる彼らの体験であったのでありましょう。

 

また、イエスさまは19節「すこし進んで、ゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。

この二人も「父ゼベタイを雇人たちと一緒に残して、イエスの後について行った」とあります。

ここでよく話題になるのは、先のシモンと兄弟のアンデレは網を捨ててイエスに従った。ヤコブと兄弟ヨハネは父ゼベタイを雇い人たちと一緒に舟に残してイエスの後について行った。つまり主イエスに従うこととは何もかもすべてを投げ捨て、またこれまでの関係をも絶ち切ってしまうことなのか?ということであります。

 

それについては、興味深い事にこの後に続く29節以降に、イエスさまがシモンとアンデレの家を訪ね、シモンのしゅうとめの熱を去らせ、いやされた記事が載っているのです。それですっかり元気になったシモンのしゅうとめさんが、食事を作って一同をもてなすという、ほのぼのとする情景が描かれているわけです。

つまり、シモンら兄弟がイエスさまの弟子として選ばれて従ったとしても、イエスさまはその彼らの家族との絆やつながりを大事になさり、その関係性を断ち切って従って来なさいと命令されているのではないことがわかります。シモンの家族を大事にされ、そのつながりをいつくしんでおられるそのご様子が伺えます。

 

私ごとで恐縮ですが、私が聖書の学びを深めて行きたいとの献身の思いが与えられた時、小倉に母一人を残して大阪に来ることに対し、私は後ろめたさを感じた時がありました。が、決断をして初めての大阪の地に一人出てきました。その大阪での2年間はこの大阪教会に教会籍を移し、大阪キリスト教短大神学科での学びとアルバイト、そして教会生活が守られていきました。そしてさらに献身の思いが強く与えられて、福岡の西南学院大神学部での4年間の学びと教会での研修を終え、たくさんの方々のお祈りとご支援によって牧師として立てられていきました。そのまあ6年間の時を経る中で、私は母の親としての苦労やその支えの尊さを改めて知ったのです。そして母も私が牧師として立たされていくことを喜び、応援してくれるようになっていきました。

イエスさまに従い行く道は、何もかも捨て去り、絶ち切っていくこととは違いました。一時的な苦難や試練はありましたが、その道を通ることによって得られる主の御計画と豊かな祝福が確かに用意されていたのであります。

 

さて、イエスさまは「人間をとる漁師にしよう」と弟子たちを招かれました。

それは、神の前に失われたようになっている存在が、神の愛と祝福のもとにあって新しく生きる者とされていくという大いなる目的のためであります。

彼ら自身がイエスさまと一緒に出かけていき、心や体、魂のいやしを必要としている人、悩み苦しんでいる人、悲しみと絶望の中にいる人と出会い、その関わりを通して、主なる神さまの愛とそのお働きを知る者とされるため。さらに、その福音を持ち運ぶ者とされるためであります。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように」(ヨハネ15章16節)と、主イエスはおっしゃいましたが。そのイエスさまは、今日も私たち一人ひとりに向けて「わたしに従ってきなさい。人間をとる漁師にしよう」。さあ、わたしと一緒に歩いていこう、と呼びかけておられます。その御声に期待と喜びをもって応え、主のお働きの実りに共に与っていく1年でありたいと願います。

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