宣教より ローマ8章18節~30節
①「被造物のうめき」~「被造物」は、22節「すべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています」と述べられております。現代は神の造られた生態系や自然の秩序が損なわれていることを如実に示していますが。そういう中で被造物は19節「神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」。それは、来るべき時に神の子たちが神の支配にあずかり、神の国を相続するとき、被造物もその栄光に共にあずかっていくという希望であります。
②「キリスト者のうめき」~23節「被造物だけでなく、霊の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体が贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちはこのような希望によって救われているのです」。キリスト者はみなこのキリストによる新しい命を宿しているのです。そしてこの地上での生涯を生きていくなかで、キリストの姿に似る者とされ、やがて訪れる終末の時に、キリストと共にその栄光を受ける神の子とされ、朽ちる肉の体を脱ぎ「霊の体が復活する」(Ⅰコリント15・44)、つまり「体が贖われる」ことを待ち望んでいるのです。
③「霊のうめき」~26~27節「霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、霊の思いが何であるかを知っておられます。霊は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」そこには十字架の主イエスの深い苦悩と叫び、又、執り成す愛が、このみ霊の「助け」のなかにも込められていることを知らされます。
④「霊の人・神の霊が共に働く人」~私たちは「霊の執り成しを祈る」ということにうみ疲れてはなりません。祈り会、祈祷会が教会にとって大事なのは、この霊の執り成しによって教会がキリストの愛を覚え、教会が兄弟姉妹の霊的交わりをもってキリストの体を立て上げてゆくためであります。神は実に、そのような霊の人と共に働いて、万事を益としてくださるのであります。
①「被造物のうめき」~「被造物」は、22節「すべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています」と述べられております。現代は神の造られた生態系や自然の秩序が損なわれていることを如実に示していますが。そういう中で被造物は19節「神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」。それは、来るべき時に神の子たちが神の支配にあずかり、神の国を相続するとき、被造物もその栄光に共にあずかっていくという希望であります。
②「キリスト者のうめき」~23節「被造物だけでなく、霊の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体が贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちはこのような希望によって救われているのです」。キリスト者はみなこのキリストによる新しい命を宿しているのです。そしてこの地上での生涯を生きていくなかで、キリストの姿に似る者とされ、やがて訪れる終末の時に、キリストと共にその栄光を受ける神の子とされ、朽ちる肉の体を脱ぎ「霊の体が復活する」(Ⅰコリント15・44)、つまり「体が贖われる」ことを待ち望んでいるのです。
③「霊のうめき」~26~27節「霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、霊の思いが何であるかを知っておられます。霊は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」そこには十字架の主イエスの深い苦悩と叫び、又、執り成す愛が、このみ霊の「助け」のなかにも込められていることを知らされます。
④「霊の人・神の霊が共に働く人」~私たちは「霊の執り成しを祈る」ということにうみ疲れてはなりません。祈り会、祈祷会が教会にとって大事なのは、この霊の執り成しによって教会がキリストの愛を覚え、教会が兄弟姉妹の霊的交わりをもってキリストの体を立て上げてゆくためであります。神は実に、そのような霊の人と共に働いて、万事を益としてくださるのであります。