礼拝宣教 ヨハネ6章1~15節
私が学生の頃でしたが、あるパン製造会社が販売されたパンの包装袋に「Daily Bread」と印刷されているのを見つけました。
今もその表記はあるでしょうか?キリスト者であられた創業者が、聖書の「命のパン」から「日毎のパン」という思いを込められて製造販売されたことのようです。
今回の能登半島地震に遭われた被災地へ真っ先に、かのパン製造会社が支援配送カーを複数台送り出され当座のいのちのパンが届けられたようですね。
本日は先ほど読んでいただいた「5000人以上に食べ物を与えられた」主イエスのしるしの記事より御言葉に聞いていきたいと思います。
このエピソードはマタイ、マルコ、ルカの福音書にもそろって記されていますが、このヨハネ福音書に見られる特徴がいくつかございます。
まず一つ目は、通常ガリラヤ湖と呼ばれたところが、わざわざローマの支配のもとにあって「テベリアス湖」と言い換えられていることです。皇帝テべりアスにちなんでつけられた町の名からきたものでした。この地はローマの植民地下、圧政と搾取に脅かされていたユダヤ人はじめ周辺の異邦人たちも住んでいました。
そういう中、主イエスは力ある言葉としるしを行うのです。それを目の当たりにした人びとはイエスを自分たちの王にするために連れてゆこうとするのです。しかし主イエスが来られたのはこの地上の王になるためではなく、「神の業」、すなわち救いと解放の御業をなし、世に命と平和を与えるために来られたのです。
先日、外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会広島で2日間開催され出席してきました。通称「外キ協」は、日本に暮らす外国人の人権を守るために1987年に結成されたキリスト教超教派の全国ネットワークです。神に祝福されたゆたかな多民族・多文化共生の実現を宣教の課題としてさまざまな取り組みがなされてきました。
その後に持たれた外キ協主催による全国キリスト者集会にも参加しました。集会の中で、「外登法」下に学生として最初に「指紋押捺」を拒否された崔善愛さんによるショパンの曲のピアノ演奏と証しを聞きました。この「指紋押捺拒否」から多くの同胞による抵抗運動が起こり、それにキリスト教界や市民団体が支援に加わるうねりとなって裁判闘争になっていきました。善愛さんの裁判は地裁では敗訴、高裁では勝訴しました。しかし最高裁では敗訴となります。けれども天皇の崩御による恩赦によって有罪が取り消され、さらにこれまで積み重ねられ続けた押捺拒否運動及び、世界的な国際人権規約や差別撤廃条項に照らされるなかで遂に国は指紋押捺制度の撤廃へと追い込まれていくことになるのです。まさに真実と正義は立てられていくのです。
善愛さんは戦争によって翻弄されてきたショパンの歩んだ歴史とご自分のを歴史が重なりことに気づかれたそうです。ショパンがその魂の叫びや訴えを込めた曲を紹介されながらの演奏は、強く心に響いてきました。
話をもどしますが。
さらにヨハネ福音書にしかない記事は、5つのパンと2匹の魚をもっていたのが「少年」であった明記され、それを主イエスご自身が感謝の祈りを唱えて祝福されたパンと魚を、主イエスご自身がお腹が空いていた人に手渡され、その必要を満たされたということです。
その主イエスの愛あふれる姿にうれしくされます。
まあ、実際そのパンと魚を頂いた人たちはおなかも満たされたことでしょう。それは確かに人が生きていくために必要なものでありました。
しかしパンや魚は食べると無くなってしまいます。どんなにお腹いっぱい食べても空腹はまたやってくるのです。
申命記8章には、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」と記されています。
食べ物は必要なものです。しかし食べ物があったとしても、魂の飢え渇きが満たされるとは限りません。人は主の口から出るみ言葉を日々戴くことによって、主の愛と恵みに養なわれ、朽ちることのない命に与って生きるものなるのです。
さて、これもヨハネ福音書に記されていることですが。このパンのしるしが行われたのは「ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた」(4節)時であったと明記されています。
「過越祭」とは、イスラエルの先祖の民がエジプトの奴隷の状態から解放された折、イスラエルの民が主に命じられたとおり、小羊の血を家の鴨居に塗ると、災いが通り過ぎる救いの出来事が起こるのです。その救いの出来事を忘れることなく代々にわたって語り伝えるためにイスラエルの民は、毎年「過越祭」を祝ったのです。その折にはやはり小羊が屠られ、神に献げられていました。
バプテスマのヨハネは主イエスと出会った時、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いましたが。神は罪の世の奴隷となってやがて滅ぶほかないに滅ぶほかないような私たち人間を憐れまれ、御子、主イエスをお与えになりました。世の罪を取り除く神の小羊として十字架上で血を流し、ご自身のみからだを割いて罪のあがないを成し遂げられたのです。
主イエスは、人を救う「命のパン」となられたのです。
さて、5節「イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、『この人たちに食べさせるためには、どこでパンを買えばよいだろうか』と言われます。」
それに対してフィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、2百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えるのです。
1デナリオンが当時の1日分の賃金に価されるようで、それは200日分の賃金ということです。
まあ大きな金額ですから、おそらく手元にはなかったのでしょう。もしあったとしても、それだけの食糧を調達できるような販売所は考えられません。いずれにしてもフィリポは群衆と自分たちは関係がないものだと思っていたのです。
すると、その隣にいた弟子のアンデレが主イエスに、「ここに大麦のパン5つと魚2匹とを持っている少年がいます」と答えます。
先に申しましたようにマタイ、マルコ、ルカの福音書にはこの少年が登場しません。ヨハネの福音書のみ「5つのパンと2匹の魚を持っていたのが」少年であったと伝えるのです。この当時、女性やこどもたちは人として数えられませんでした。群衆の5千人というのも成人の男だけの数であったのです。
そういう中でヨハネ福音書だけは、この少年の5つのパンと2匹の魚を主イエスが用いられ、そこにいたおそらく1万人近い人たちが満腹になるほど食べた出来事を伝えるのです。
しかしアンデレは、それが「何の役に立つでしょう」と主イエスに言うのです。
ちなみにこのアンデレの「何の役に立つでしょう」との言葉を、改訂版の新共同訳では「それが何になりましょう」と訳し、何かため息まで聞こえてきそうですが。アンデレもフィリポもどう考えてもそれは無理と思っていたのでしょう。
さて、ここで思い出したいのは主イエスがフィリポを「試そう」としてお尋ねになったということです。
それは、彼が主イエスを如何に信頼しているかという事でした。彼らはこれまで主イエスが人びとをいやされるしるしを見て来ました。しかしこの1万人近くに食料を出すという課題の大きさにだけ眼がいってしまい、主イエスが共におられるのに自分たちには無理だと考え、主イエスを信頼することができなかったのです。
この場に私がいたとしたなら、どうだろう。フィリポやアンデレのように目先で計算し、同様の受け答えをしてはいないだろうか、と考えさせられます。その時の彼らのように「私にはない」「私にはできない」、さらに「私には関係がない」という思いが先に来て、後ずさりしてしまうことがあるのではないでしょうか。
主イエスは私たちが何かを持っている、持っていない、できる、できないことを重要視しておられるのではありません。主が願っておられるのは、主ご自身がなさろうとしていることに私たちが期待をし、信頼するよう願っておられのです。主はフィリポやアンデレはじめ、弟子たちに「主」ご自身への信頼を学ばせる必要があったからです。これこそが、「5つのパンと2匹の魚」を通して示されている「信仰」であります。
この物語は、私たちが生の全領域において主の愛に信頼して生きるなら、主はどれほどゆたかに祝福たる者として用い、活かしてくださるかを、この5千人の給食は物語っているのであります。
朽ちることのない「命のパン」なる主イエス・キリストを信頼し、その愛と恵みによってゆたかに与る者とされてまいりましょう。
さて、主イエスは少年のパンと魚を受けとられ、さまざまな人、老若男女合わせると1万人いたかと考えられる人びとを前に、パンを取り、感謝と祈りを唱えてから、一人ひとりに分け与えられたのであります。
弟子たちはどんなに驚いたことでしょう。割いて分ければ分けるほど増えていくパンの不思議さを目の当たりしたからです。群衆も同様であったでしょう。主イエスはまた、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられたのです。
さらに12節では、「人々が満腹したとき、主イエスは弟子たちに、『少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい』」と言われます。
この主イエスの「集めなさい」という言葉もヨハネ福音書だけに記されているのですが。
主イエスは弟子たちに、その「集めなさい」というなすべき働き、務めを指示されるのです。
「少しも無駄にならないように」というのは、命のパンとして来られ十字架で裂かれるその尊い犠牲。主はおからだを分け与えられるためにご自分のみ体を裂かれ命を差し出された。その主のご慈愛が「少しも無駄にならないように」との強い願いが込められているように思うのです。
まあ、「残りのパン屑」というと、残り物、残飯という感じがしますが。決してそうではありません。
たとえ小さなパン屑であっても、それは尊い救いの「命のパン」というご性質は変わるものではありません。そのパン屑を拾い集めていくことを主イエスは弟子たちに託されます。
それはまだ主の福音が行き亘っていないあらゆる人たちのところにも届けられていくためのものです。弟子たちが残りのパン屑を集めると、「12の籠いっぱいになった」とあります。
12はイスラエル部族の数を表すと言われますが。その12籠からあふれ出るパン屑は世界の隅々にまで蒔かれていくのです。私たちのもとにもそれは届けられて来ました。
ヨハネ6章27節で主イエスは、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」といわれています。
主の御救いに与かった私たち一人ひとりも又、そのような主の働き人としてそれぞれが主に招かれているのです。
主イエスの命のパンに日毎に与りつつ、主の弟子としてそれぞれが遣わされた場所で、それをどう分ち合って生きるか。主への期待と祈り、そして信頼を、主は喜び祝福してくださるでしょう。
最後に6章35節のみ言葉を宣教を閉じるにあたりお読みします。
「イエスは言われた。『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない』」。
主日礼拝宣教 ヨハネ4章1節-30節
本日の箇所には主イエスがユダヤ地方からガリラヤヘ向かわれる折、4節「しかし、サマリアを通らねばならなかった」と記しています。
通常多くのユダヤ人がガリラヤへの最短コースであるサマリア経由を避けていました。
わざわざ遠回りしてガリラヤ地方に入るルートを選んでいたのです。
元々ユダヤ人もサマリア人も一つのイスラエルの民であったわけですけれども、紀元前722年北王国イスラエルとその首都サマリアはアッシリア帝国によって崩壊し、その占領政策の下5つの異民族がサマリアに移植され、異教の神々が持ち込まれることになったのです。そういうことで血統性を重んじるユダヤ人は、サマリア人をイスラエルの民とは認めず蔑視してきたのです。そういうわけでユダヤ人たちはサマリアを迂回したのです。
しかし、主イエスはそのユダヤ人たちの蔑視する「サマリアを通らねばならなかった」。
そこに主の救いのご計画があったことが示されています。
さて、主イエスがシカルの町に入ると、そこにヤコブの井戸がありました。
旅に疲れ、喉が渇いていた主イエスはその井戸のそばに座っていました。一日で一番暑い正午頃でした。
その時サマリアの女が一人で水を汲みに来ました。
水汲みは通常涼しくなる夕暮れに行われていたようです。しかし彼女は真昼にしかもひとりで水を汲みに来たのです。それは実に奇妙なことでした。焼きつくような暑い時間帯にわざわざ井戸に水を汲みに来たというのは、通常女性たちがやってくる時間帯を避ける事情があったのです。
主イエスは彼女に、「水を飲ませてください」と言われます。
すると、「ユダヤ人であるあなたがサマリアの女であるわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と女は答えます。
当時は男の人が見知らぬ女性に声をかけるなど普通なかったことでした。ましてや自分の前にいるのはその服装や様相からユダヤ人であります。なぜユダヤ人が蔑視するサマリア人の私にわざわざ声をかけ、頼むようなことをするのかと、彼女は驚き理解できなかったのです。
すると主イエスはこう言われます。
「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるのか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人は生きた水を与えたことであろう。」
彼女はきっと思ったでしょう。「まるで自分のことを預言者のように言うこの人は、いったい何者だろうか」と。
こうして主イエスとサマリアの女との問答が始まり、その話題が「喉の渇きをいやす水」と「決して渇くことのない命の水」へ移っていくのです。
彼女はこのお方が「生きた水」を与えることができると言われた事に対して、汲み出す道具も無いのにどうやって水を手に入れるのですか」と尋ねます。さらに「この井戸はイスラエルの父祖ヤコブが私たちに与え、彼自身も、その子孫や家畜も、この井戸から飲んだのです。ヤコブよりあなたは偉い方なのですか」と問います。
それに対して主イエスは言われます。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
これを聞いた彼女は、「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」と訴えます。
主イエスはこのサマリアの女の心の「渇き」をご存じでした。
人目を避けて井戸に水を汲みに来ていた彼女が一番欲していたのは、まさにこの「渇くことのない命の水」であったのです。
彼女は5度の結婚と離婚を繰り返し、現在も夫でない人と同棲し、心の満たされる関係性を持てる相手をずっと求め続けてきたのです。しかし、その心の「渇き」は満たされるどころか益々渇ききっていったのです。
すべてを言い当てられた彼女は、主イエスに「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがた(ユダヤ人)は、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」と尋ねます。
彼女は自分が如何に神から遠く離れたところにさまよっている者であるか。又、自分の魂が本当に必要としているのは何かを見出しかけていました。
彼女がこう問いかけたのは、自分自身が神に立ち返るべき者であることを意識したからでしょう。だからこそ彼女はほんとうに礼拝すべき場所を尋ねたのでしょう。
けれどもこれはサマリアの女の個人的問題のみにとどまるものではありません。
先程ユダヤ人とサマリア人の歴史について触れましたが。民族的な純粋性を損ない独自な礼拝の場を作ったとユダヤ人から蔑視されてきたサマリア人。その積年に及ぶ神の民としての存在に関わるそれは問いかけだったのです。
この女性にかつて5人の夫がいて今も本来の夫がいないというのは、かつての入植政策により5つの異民族が入り混じった歴史。異教の神々が入り混じるサマリアそのものでした。
彼女が今連れ添っているのも本当の夫とは言えないというのも、サマリア人が独自に建てた神ならざるものを拝む神殿であったことを表していたのです。
この彼女の渇きは、サマリア人の神の民としての「真の礼拝」への渇きに外ならなかったのです。サマリアの人々は主なるお方との生きた霊の交わりの回復を切望していたのです。
主イエスは言います。
「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。」
ここには礼拝する場所が、サマリア人が主張する聖なる山や、一方ユダヤ人が主張する聖なる都エルサレムという特定の場所に限定されない。それは国や地域、民族や立場の違いも超えてあらゆる人たちが父(神)を礼拝する時と場所が訪れるということです。
又ここで、「あなたがたは知らないものを礼拝している」とあります。
創造主なる神は創世記にあるように、人を命あるものとして生きるために神の息(霊)を吹き入れられました。ですから人はだれもその心の奥深いところで霊的な渇きをおぼえ、神との交わりの回復をひたすら求めて生きる存在として造られているのです。
しかし混沌とした世にあって多くの人は、その「渇き」を満たすために神との交わりにではなく、神ならざる物や偶像を頼みとして生きようとしています。これを聖書は「的外れ」「罪」と言います。主によって造られ、生かされているだれもが実は心の奥深いところで、このサマリアの女のように全人的な「渇き」をおぼえながら解放と救いを求めているのです。
主イエスは、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理とをもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と言われます。
実に、神の御子イエス・キリストが、この世にご自身を明らかにされた。その「今」。
今日の箇所のように人が避けて通るような所に主イエスは足を運ばれ、心の奥底に「渇き」をおぼえている人らと出会い、さらにその人が神の前に取り戻された者として解放と救いに与れるように関わり、招かれるのです。
この主イエスとの交わりにこそ、罪からの解放と救い、全人的な渇きを満たし潤す神の力であります。この真理なる主イエスとの霊の交わりこそ「まことの礼拝」なのです
これは人の力によるのではなく、まさに神の恵みにほかなりません。
話は変わりますが。
11日に98歳で天に召されたOさんの告別式が教会で行われましたが。先日そのお孫さんであられる方から丁寧なお礼のお手紙を戴きました。
そこには、告別式から帰って来た娘が告別式で歌った讃美歌「いつくしみ深き」を口ずさんでいたとのこと。一年前にお連れ合いのお父様が亡くなられたその時の葬儀と全然違うので驚いておられたようで、「ひいばあのことが沢山お話しに出てきてお話しが楽しかった」とおっしゃっていたそうです。
主が告別式をとおして、このご一家に働きかけてくださったことを知ることができました。
また、ある方は、年の瀬に近しい方を突然亡くされ心が渇ききって何もする気が起らなかったそうです。そして「Oさんまでが、、、」というお気持ちで告別式に参列されたとの事ですが。そこで不思議に心が安らぎで潤される体験をなさったそうです。「今まで長く信仰生活を送って来たのに一体何をしていたのかしらと思うような、平安にあずかることが出来た」とお証しくださったのです。
地上における別れの時は寂しくつらいものでありますが。魂の「渇き」を覚えるような時、キリストにおける永遠のいのちの希望、その真理と聖霊より与えられた、まさに生ける命の水にあずかる出来事は起こされている事に、主の御名をほめたたえることができました。
さて、聖書に戻りますが。
サマリアの女は主イエスに言います。。
「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
彼女は確かにキリストと呼ばれるメシアが来られ、一切のことを知らせてくださる、と頭では理解していたのですが。それはまだ先のこと、自分とはどこか関係のないことのように思っていたのでしょう。けれど、今、目の前におられるお方と話をする中で、今まで伝え聞いてきたことが、聖霊の働きのもとで期待へと変えられていったのです。
そこで、主イエスは彼女にこう言われます。
「それは、あなたと話しているこのわたしである。」
その主イエスの宣言とも言えるお言葉を聞くや、彼女は水を汲む当初の用事も忘れ、水がめをそこに置いたまま一目散に町へ行き、人々に「わたしが行ったことをすべて言い当てた人がいます。この方がメシアかも知れません。さあ、見に来てください」と伝えます。
主イエスのお言葉がいかに彼女のうちに変化をもたらしたかということが読み取れます。
主イエスとの出会いと対話を通して心開かれ、聖霊のお働きの中で彼女は「この方が救い主、キリストである」と確信しました。彼女の魂は満たされ、潤され、その水は泉のように彼女の内側から湧きあがり溢れ流れていきます。
同じヨハネ7章には次のような言葉が記されています。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(7:37‐38)
まさに、「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」とおっしゃったことが、サマリアのこの女のうちに起るのです。
彼女は預言者が伝え、待ち望まれて来た救い主、キリストのことを人びとに伝え、証しする者とされるのです。
主イエスのお姿は肉眼で見ることができなくても、主イエスは今も確かに地上に真理の霊である聖霊を送り、その聖霊を通して私たち一人ひとりに主は語りかけ、御心を示しておられます。
今年は「まず、礼拝から」という標語を掲げ、新しいあゆみが始まりました。
まず、真理であるお方、主イエス・キリストとの出会いの日々、聖霊の親しき交わりにあずかり、霊と真理をもって礼拝を捧げてまいりましょう。
宣教 ヨハネ2章1-11節
この2章から主イエスの公での宣教活動が始まっていくのですが、そこから主イエスは7つのしるしを行うのであります。
その最初のしるしがカナでの婚礼で、「水をぶどう酒に変えた」この出来事であります。
主イエスは弟子たちと共にその祝宴に招かれていました。そこには母マリアも一緒でした。
当時の婚礼の宴は一週間も続くことがあり、時が経つうちに婚礼に付きもののぶどう酒が底をついてしまいます。
マリアは世話役の様子を察知したのでしょう。
イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と、伝えるのです。
すると、主イエスは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と、マリアに答えました。
このイエスの言葉はなんだか冷たいように思いますが。
この時、マリアの関心事と主イエスの関心事は異なっていました。マリアの関心事は婚礼の祝宴が滞ることなく守られることでした。そのためにイエスなら何か出来るのではないか、と期待したのです
一方の主イエスの関心事は、父なる神の御心とその計画に向けられていました。
「わたしの時はまだ来ていません」とおっしゃったものの、まだそれを公に顕す時ではないということであったのです。
この主イエスの「わたしの時」とは、苦難と死をその身に負われる時であったのです。
バプテスマのヨハネがイエスのことを、「世の罪を取り除く神の小羊だ」と証言しているように、イエスはまさに、そのためにこの世界においでくださったのであります。
しかし人々は、目に見えるしるしを求めます。
主イエスはそのようなしるしを求めようとする人々に対して、他のところで旧約聖書のヨナ書から、「預言者ヨナのしるしのほかには与えられない」(マタイ12:39他)とおっしゃいました。
神から悪名高いニネベーの町に行って人々に悔い改めるよう呼びかけよ、と命じられた預言者ヨナはそれを拒み大きな魚に呑み込まれてしまいます。しかしが3日目に魚の腹から吐き出されて彼はニネべで人々に御言葉を伝えるのです。すると人々は深く悔い改めて救われた、というエピソードであります。
主イエスが「ヨナのしるし」とおっしゃったのは、十字架の苦難と死、さらにその3日後に死からよみがえらされる出来事こそ、最大で唯一の神の救いのしるしであるという事です。
この十字架と復活の救いに勝るしるしはありません。それは、信じる者にいのちを得させる神の大いなる恵みの御業です。
話は変わりますが、昨年末から今年に入りまして、私たち大阪教会のSさん、そしてOさんが天に召されました。1月2日と11日にそれぞれの告別式が当教会で、ご遺族ご近親、教会の方々が集われる中、主のお導きとお支えを頂き、行われました。
Sさんは上宮学園高校1年の16歳時に大阪教会でバプテスマを受けられ、その後藤井寺の教会にも出席されていたようですが。天に召される前に、最期は主に救われてバプテスマを受けられた大阪教会で告別式を希望すると、私宛にお手紙を残されていたということ、又未信者であるご家族にもその事を予め伝えておられ、ご家族もご本人の信仰とその遺志を尊重してくださったことで、1月2日Sさんが望まれたキリスト教式の告別式を行うことができました。「帰る家がある」ということは幸いなことです。
又、Oさんは93歳までは一人暮らしをなさって居られ、遠方の高槻から徒歩、バス、電車に乗り継ぎながらお一人でこの天王寺の大阪教会まで足を運ばれ、大阪教会の毎週の主日礼拝に出席し続けておられました。
私がOさんと初めてお会いしたのが2005年3月末の大阪教会の礼拝であったと思います。当時Oさんは80歳であられたのですが、聖歌隊の一員としてしゃんとお立ちにって賛美されていたお姿が今も思い浮かんでまいります。Oさんが最後に喜ばれる表情を私に見せてくださったのが、Oさんの愛唱讃美歌である「いつくしみ深き」をスマホからですが耳許に近づけて聴いて頂いた時でした。Oさんはこの讃美歌がほんとうに大好きだったのですね。
姉妹は40歳の時に大井バプテスト教会において主イエスを信じて救われ、バプテスマをお受けになられました。
私たち人間はこの地上に生を受ける第1の誕生日があります。バプテスマは第2の誕生日であります。それは主の救いによって新しく生まれ変わる新生の出来事を表します。その新生のいのちは、主なる神さまの永遠のいのちにつながる命であります。
聖書は、決して朽ちることのない「希望」を伝えます。その希望は「十字架の苦難と死をとおって復活されたイエス・キリスト」にあります。神はキリストが死から復活されたのと同じように、キリストを信じて眠りについた人たちをも、キリストと一緒に導き出してくださるのです。主なる神さまは、生も、死も、滅びも、新生も、すべて治め、司っておられるお方であられるのです。私たちはその希望によって今日も生かされているのです。
話を戻しますが。
イエスの母マリアは、毅然たるイエスの言葉を聞くと、驚きながらも召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言うのですね。
マリアはイエスを信頼していました。一方のイエスも又、そのマリアの関心事に対して、「水をぶどう酒に変える」しるしをもって、答えてくださるのであります。
私はこれまで、この「カナでの婚礼」の記事を読む時、イエスの母マリアが「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです」とイエスに言われながらも、イエスを信頼し、又、召し使いたちもイエスの言葉に忠実に聞き従った、そこに神の御業が顕わされたという視点で読むことが多かったのですが。
今回、イエスさまはどのようなお気持ちでこの場に御業を顕わされたのかということを考えた時、新たに気づかされたことがあったのです。
それは、主イエスが「わたしの時」というご自身の大きな使命を抱えておられたにも拘わらず、人の喜びや悲しみ、心配や必要といった日常のいわば悲喜こもごもに関わりをもってくださるお方であられるということです。お姿に神の愛を新鮮な気持ちでおぼえることができました。それが何ともうれしく、新年早々から大変励まされたわけでありますが。
私たちの日常には大小様々な問題や気がかりな事が山積しています。自分の事、家族の事、隣人の事、ほんとうにキリがないほどです。やらなければならないことは塵のように積もってゆくばかり。また、どうしたらいいかわからない状況が起こる時もあります。
けれども、どのような時も、主は私どもの訴え、助けを呼ぶ声を、決して素通りなさるお方ではありません。私たちの些細でありふれた祈りさえもお聞きになり、おぼえ、人の願望だけでは終わらない最善を顕してくだるのであります。
さて、そのマリアのとりなしとも言える言葉を受けて、主イエスは水をぶどう酒に変える最初のしるしを行われます。
ここには6つの水がめとあり、それはお風呂の水のだいたい3回分はあったようですが。その水が上質のぶどう酒になったのです。
律法の規定のもとで生活していたユダヤ人たちは、食べ物、衣服、器も住まいの物すべてを、水がめに溜めた水で洗い清めました。それは単に洗うというのではなく、神の前に自らを清めるということでありました。ですから、人によっては何度も手や身体を水で洗わねばと思ったり、人に対しても洗い清めるべきだと裁いてしまうことが起こったのです。
そのような律法的なあり方は、一方で人の心を萎縮させていきます。又、水も生活するために貴重でしたから、水を得られない人たちは汚れた者と見なされ、見下されました。
この多くの清めの水は、本質的に人を罪から清めるものではなかったという事であります。
しかし、主イエスはこのカナの婚礼でその不完全な清めの水をぶどう酒に変えられました。
それはとても象徴的なことでした。
このぶどう酒とは、主イエスが神の小羊として人の罪のあがないのために流された血を表すものです。その主イエスによってもたらされる全身全霊のきよめによって全き救いが実現されるのです。
本日は婚礼の祝宴において主イエスが水をぶどうに変えられたしるしの記事ですが。
6章の5千人を養われた主イエスのしるしの記事では、このパンが主イエスご自身であること、十字架で裂かれた主イエスのからだを表すものとして伝えられています。
私どもは主の晩餐のたびに、神の小羊として私の罪の贖いのために主イエスが十字架で流された血と裂かれたからだを表すぶどうの杯とパンを戴きつつ、新しいいのちと全き救いに与っていることを心に刻み、確認するのです。
主イエスは十字架につけられる前夜、弟子たちを集めて最期の晩餐を行われました。
地上での最期の別れを前に主イエスは弟子たちと食卓を囲まれるのです。それは確かに告別に際しての時でありました。しかし主イエスはこのように語られるのです。「今はあなたがたも悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪う者はいない。」(ヨハネ16:22)
先に天に召されましたお二人はじめ、又先に天に召された多くの主にある方がたと私たちはいずれ天の御国で主のもとにあってお会いする時を、大きな希望として与えられていることに感謝します。
さて、水がめの水がぶどう酒に変わったことを何も知らない料理長は花婿を呼び、言います。
「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったところに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」(10節)
料理長が感心したのは、世で行われることとは正反対のことがなされたのを知ったからです。味わい深い良いぶどう酒を先に出して尽きる頃には酔いが回り味もわからなくなってきますから、まあ上等でない予備のぶどう酒があれば十分に対応できると考えます。これが世の常識であります。
けれども主イエスが出されるのは、酔いが回って我を失うかのように生きる人を目覚めさせ、まことの喜びを与える最上のぶどう酒なのです。
今日私たちは、主イエスが「最初のしるし」を行った箇所を読みました。
「祝宴のぶどう酒がなくなるようなことがあってはならない」と、執り成したイエスの母マリア。ここにキリストの教会の姿があるように思います。
今年度も教会とそれぞれの場において、イエス・キリストによって救いと喜びにあふれる神の栄光があらわされますよう、共にあゆんでまいりましょう。
新年礼拝宣教 ヨハネ1章43節-51節
新しい年を迎えて最初の主日礼拝をお捧げしています。
元旦礼拝を捧げ帰宅後一息ついているその時、床からゆっくりと船揺れのようなものを感じて急いでテレビをつけますと、能登半島を震源地とする大きな地震が起こり、津波が来ているという報道でありました。徐々に被害の大きさが明らかになるにつれ胸が痛み、祈るばかりであります。
その翌日には、羽田空港でご存じのように大きな事故が起こりました。激しく燃えあがる日航機の映像と地震による被災地の様子が映し出されて、正月気分など吹き飛んでしまいました。「乗客・従業員全員は無事救出された」と聞いて、胸をなでおろす思いでした。
いったい何時何が起こるか、わからないと思いました。引き続きお祈りに覚えてまいりましょう。
今年は年間テーマに、「まず、礼拝から」。聖句として「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ記8章10節)を掲げております。
どのような状況にあっても決して揺るがない神のことばとその救いを確信しつつ、力の源である主なるお方を共に礼拝してまいりましょう。
先程、ヨハネ1章43-51節のところが読まれました。
この前のところには、人びとに悔改めのバプテスマを授けていたバプテスマのヨハネと2人の弟子が出てまいります。バプテスマのヨハネが主イエスを見て、2人の弟子に「見よ、神の小羊」と言うと、この2人はイエスさまに従って行くのであります。
ここで最初の弟子となったその一人はアンデレで、もう一人は恐らくゼベタイの子ヨハネだとされています。
イエスに従ったアンデレは兄弟のシモン・ペトロに会って、「わたしたちはメシア、神が油注がれた者に出会った」と伝えて、シモンをイエスさまのところに連れて行きました。
まあ、主イエスと「出会った」人が、また次に、さらにまた次にと、主イエスのもとに連れて行き、
主イエスと「出会い」、主イエスに従って行きます。
彼らはみな何か難しい言葉や説明によったのではなく、主イエスと「出会う」ことによって、主に従うようになるのです。
本日の箇所に登場するフィリポは、先のアンデレやシモンがいたベッサイダの町出身でした。
主イエスはそのフィリポがガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポと出会って、「わたしに従いなさい」と言われ、フィリポはイエスの弟子となるのであります。
今度はこのフィリポが、ナタナエルと出会います。
フィリポはナタナエルに、「モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」と、自らの体験を語ります。
それに対してナタナエルは、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と答えます。
彼は旧約の預言者たちが示したメシアは偉大なお方で、都エルサレムに近いベツレヘムでお生まれになるとはあるが、ナザレなどという小さな村、異邦人も混在するガリラヤ地方から出るはずはない、と考えていたのです。
この時もしフィリポが、その事でナタナエルと議論していたなら、おそらくナタナエルは主イエスと出会うことはなかったでしょう。かえって心を頑なにして、心閉ざしたかも知れません。
フィリポはいろいろと議論するより、ナタナエルが主イエスとまず直接お会いすることが一番、それに勝るものはないと判断したのでしょう。
とにかく、「来て、見なさい」と誘い、彼を主イエスのところへお連れしたのです。
こうしてナタナエルは主イエスと直接出会い、「神の子、イスラエルの王」と言い表す事になるのです。
フィリポは自分の役割を十分に周知していました。彼は道先案内人に徹したのです。あとは主がなさることと委ねたのです。
それは、私たちが主イエスの福音を証ししたり、伝えていくうえでよいあり方でしょう。
牧師も同様ですが、相手と議論して説得しようとしても、なかなか伝わるものではありません。
肝心なことは、その人が直接主イエスと、その福音に出会われることが大事ですね。
このフィリポの「来て、見なさい」という言葉ですが。
これはまさにフィリポ自身が主イエスとの出会によって与えられた体験から出てきたもの、その揺るがない確信から出たものでした。
同時にフィリポはナタナエルが主イエスと直接出会ったなら、彼はイエスがメシアであることを知るだろう、という確信があったのです。
私共も主イエスとの出会いは、それぞれにそのきっかけとなったあの人、この人がいらっしゃるのではないでしょうか。教会にお誘いくださった方。聖書の言葉をおくって下さった方もおられるでしょう。クリスチャンホームであればそのご家族であるかも知れません。他にも自分に福音が届くまで祈りをもって神に仕える様々な方がいて、主イエスとその福音に出会うことが出来たし、現に主の救いに与り、主に従う者となった今も、主イエスにある教会、兄弟姉妹を通して、救い主イエス・キリストにその都度出会いを与えられているのです。感謝のほかありません。
さて、47節以降には主イエスとナタナエルとの出会いが記されています。
ここで、まず主イエスが、自分の方へ来るナタナエルを「見た」とあります。
この「見た」とは単に視覚的に見るということではなく、その彼の存在を受容し、認められた、ということです。
そうしてイエスは一緒にいた弟子たちに、「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人に偽りはない」と言われます。ここでの「見なさい」も、ただ視覚的に見なさいということではなく、「感知」すると言いますか、気づきをもって心に留める、そのように注視せよ、と言っているのです。
その「まことのイスラエル人」と評されたナタナエルでありますが。「イスラエル」という名称の由来は、信仰の父祖アブラハムの子、イサクの子ヤコブが神に対して「わたしを祝福してくださるまで離しません」と、神と格闘し、神から祝福を勝ち取って、その際に神から与えられた名でした。ところが、エルサレムを中心に偽りのイスラエル人がいた、偽善に満ちた選民意識をもった人たち、自分たちこそ選ばれた者とおごりたかぶり、かたくなに分け隔てする排除する人たちがいたのです。
主イエスがここで、「まことのイスラエル人」と、ナタナエルを呼んだのは、そういった偽りのイスラエル人が多い中にも、主イエスは神を畏れ敬い、御心を尋ね求め、その教えと戒めを慕う彼の姿を、いつくしみ深いまなざしでご覧になっていたのです。
それを聞いていたナタナエルは、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」とお答えになりました。
見えるはずもない自分の行動を言い当てられたナタナエルはさぞかし驚いたことでしょう。
日差しの強いユダヤの地では、大きな葉が茂るいちじくの木の下は安らぎの場所でした。ラビをはじめ律法を学ぶ人たちはよくその木陰で律法の書を朗読し、祈り、黙想したようです。
ナタナエルもその一人でした。
ここで主イエスがナタナエルに、「あなたがフィリポから話しかけられる前に」と言われる「前に」とは、単なる時間的な事をおっしゃったのではありません。実はそれ以前から、神の救いを切望し、祈っていたナタナエルのことを、主イエスは知っておられたというのです。
衝撃を受けたナタナエルは、ためらうことなく、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と答えます。
そのナタナエルに主イエスはさらに、「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる」とおっしゃいます。
この時、ナタナエルは主イエスがどのようなかたちで、メシアとしてのお働きをなさるのか、ということがわかってはいませんでした。
ナタナエルは、主イエスが不思議なしるしや能力を使ってお働きになると、おそらくは期待していたようです。それは他の弟子たちも同様であったでしょう。
けれども主イエスは、「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」とおっしゃるのです。
主イエスは続けて言われます。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」。
「はっきり言っておく」は、原語では「アーメン、アーメン、レゴウ、フュミン」。「まことに、まことに、あなたがたに言っておく」ということです。それは主イエスが、神の権威と聖霊のお働きによって主の救いと解放をもたらされる、という宣言です。
主イエスは、ナタナエルらが思い描いていたこの世的な王としてではなく、神と人との間を隔てている罪を取り除き、滅びの死から解放をもたらす救い主、キリストなのです。
まさに、このキリストを通して天と地を天使が上り下りする、神と人、人と人、人と世界(全被造物)をつなぐ、和解、平和の君、神の子としての栄光をナタナエルは見ることになるのです。
本日は主イエスとナタナエルの出会いを通して聖書のメッセージに聞いてまいりました。この主イエスとの出会いの経験は、私たち一人ひとりにも与えられています。
それは様々な人との出会いを通して、又礼拝においていつも主ご自身が招き続けてくださっておられるのです。そこで共に読む御言葉、メッセージ、聖句の一言、或いは讃美歌。それが「自分に語られたもの」「主が与え、用意して下さったもの」「主は私のことを知っていてくださる」「主は私と共におられる」。そういう経験を与えられることを通して主が出会ってくださるのです。
それは又、日常の生活においても主は私たちに語りかけておられるのです。
私たちも、ナタナエルのように新しい年いろいろな出来事や状況においても、如何におかれようとも、主が私たちに見せようとしておられる「神の偉大なこと」、その救いの御業を見せて戴く一日一日の証し人とされていくよう、今年一年主を仰ぎつつ、歩んでまいりましょう。