日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

最善のささげもの

2011-04-24 08:01:46 | メッセージ
宣教 マルコ14章3~9節 (受難週)  

先日私どもの群れの一つでもある福岡国際教会のОさんが、福島の郡山からのレポートを発信してこられました。お連れ合いで牧師が関わる「宗教者の原発政策の見直しを求める会」が発信した「核汚染地域難民に対する宗教施設への受け入れ要請」に対して疑問を持たれ、同時にその当事者である被災者の方がたはどのように考えていらっしゃるのか、それを知りたいと思われて、実際に福島の原発避難所を訪れたそうです。そうして大きな避難所の空間にマット一枚分ほどずつ割り当てられた、一家族や単身者から聞こえてきた声は、これまで生活を送ってきた土地や家、仕事に対する愛着であり、それぞれの家族の物語であり、将来に対する多様な不安や願いであったということです。「だから、行政も苦慮しているのでしょう。「被災者」という一つの言葉でくくってしまうことはできない」とおっしゃっていた言葉が心に留まりました。その避難所の中のお一人お一人のどの顔も疲労困ぱいしておられたというのです。

本日はマルコ14章より「最善のささげもの」と題し、その主の深いみ救いの恵みに魂の回復を得た女性のエピソードからみ言葉を聞きとっていきたいと思います。
この物語の主人公である女性については、7つの霊にとりつかれていたのを主イエスに取り去ってもらったマグダラのマリアであったという説や、ヨハネ福音書12章によれば、「マルタとマリア」の姉妹のマリアであったとする説もあります。しかし、このマルコやマタイの福音書には名もなき「一人の女」とだけ記され匿名で紹介されています。
唯一つ確かなのは、この女性は、主イエスを通して罪の赦しを受け、言葉に尽くし得ない
感謝に満たされているということです。

冒頭、「主イエスはベタニヤで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられた」とあります。ベタニヤというのはエルサレムから東南3キロの地点にありますが、そのベタニヤという名は、「貧しい者の家」「病める者の家」という意味がありました。
主イエスは度々このベタニヤを訪れました。そこには重い皮膚病の人シモンの家があり、主イエスはその家を訪れ、おそらく神の国の福音を語り、いやしの業をなし、一緒に食事をされていたのでしょう。しかし当時のユダヤ社会において主イエスのなさったことは、タブ―であったのです。なぜなら重い皮膚病は神から呪われた者、穢れた者がかかるとみなされ、又その者と接触する者も同様に皮膚病にかかり、神に呪われて穢れると、そのように考えられていたからです。わが国においても、重い皮膚病の人達を永い間社会や家族から、又生まれ故郷から引き離して孤島に隔離したという歴史がありますが、その中で、人権や尊厳を奪い、苦痛を強いてきたという冷酷でいたたまれないような政策がなされたのは悲しいことです。

主イエスはこの重い皮膚病の人シモンの家を訪ねて、弟子たちも伴っておられたと思われますが、シモンと一緒に食事をなさったのです。

そこへ、「一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」とあります。この女性は突然登場していますが、小さい村のことですからシモンと何らかの面識や関わりがあって、シモンの家にはこれまでも訪れていたのかも知れません。シモンが重い皮膚病で苦しみ、如何に寂しく惨めな思をしながら暮らしてきたのかを彼女は以前から知っていたことでしょう。又、彼女は、主イエスがこのベタニヤ村で分け隔てなく神の国の到来をお語りになる様を見聞きしていたことでしょう。
そしてこの日、主イエスがシモンの家を訪れ、何とそこでシモンと席を共にして食事をされる様を目の当たりにするのです。それは当時としてどれほどショッキングで、同時に感動的光景であったことでしょう。世間から隔てられ、暗く閉ざされていたようなシモンの家から和やかな話し声や神をたたえる賛美が溢れ出ていたのではないでしょうか。
そして気づけば、彼女は宝であった純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を主イエスのそばに持って来て、それを壊して主イエスの頭に注ぎかけていたのでしょう。

この彼女が注いだナルドの香油は別格でした。主に遠くインドやネパールで産出され、これはとびっきり高価であったようで、ここにあるように時価300デナリオン以上といえば、それは当時の一般的な労働者が1年間働いて得る総賃金に匹敵したということです。この女性がその高価なナルドの香油を如何に手に入れたかは分かりませんが、それは自分の命に次ぐほど大切な宝物であったことに違いなかったでありましょう。

どうして彼女はこれほど価値あるものを一瞬に使い切ってしまったのでしょうか? 
ここを何度も読みながら感じたのは、彼女がその高価な香油より、なお価高いものを目の当たりにしたからではないかということです。もう少し想像をふくらませるなら。この彼女の魂の深淵にも、重い皮膚病のシモンに似た、寂しく惨めな思いややり場のない辛苦があり、神の祝福から遠く隔てられているかのような思いを持って、心閉ざして生きていたのかも知れません。彼女はその深い痛み苦しみを主イエスは知っていてくださり、「あなたは決して神に忘れられてはいない」ということを、具体的な行為で示された主イエスの中に、彼女はどんな宝にも替えることのできない喜び・救いを見出したのです。
主イエスはおっしゃいました。「心の貧しい人は幸いです。天の国は、その人たちのものです。」今もそのような人々こそが、本当に価高いもの、高貴なものを見出し得るのだというのです。

ルカ福音書(7章)にも一人の女性が香油の入った石膏の壺を持って来て泣きながら主イエスに香油を塗ったという記事があります。そこにはファリサイ派のシモンの家に主イエスが招かれた時のことになっております。そのシモンはこの女性が主イエスになしたことを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が誰で、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思ったとあります。
それに対して主イエスは、女の方を振り向いて、シモンに言われました。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。主に愛され、赦されて、救いの恵みを見出された人は自ら感謝と愛の心を込めて主に応答し得るということです。それこそが主の前に価値あることとされるのです。

人々は、この女性が純粋(混じりけなく信実)に主イエスにささげ切った心と態度を「無駄使い」と酷評しましたが。彼女は主イエスによって神の前に大きな大きな罪を赦され、まるごと受け入れられているということを知ったからこそ、言い尽くし得ぬ感謝と愛のこもった捧げものをなし得たのであります。それは人から見れば身の程知らずのように映ったかも知れません。けれど主イエスは「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ・・・・・わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」と言われました。

主イエスは彼女のなした行為をご自分の「埋葬の備え」として受け取られています。当時死者の埋葬に際して香油を塗る習慣があったのですが、主イエスはご自分がいよいよ十字架への道を歩むその時を自覚されていたのでしょう。ご自分が受けられる苦難と死の意味をそこに汲み取られたのであります。同じマルコ10章45節で主イエスは、「人の子は仕えられるためでなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」とおっしゃっているとおり、それは「罪人のため」の受難と死であります。主イエスの受難と死によって、最も大きな恵みを受ける者は、まさにこの女性もそうでしたが、罪深い人であるのです。彼女は主イエスによって罪赦され、神にまるごと受け入れられ、愛される者とされていることを純粋に信じることができた。ですから、あのように大きな愛を主イエスに捧げることができたのです。
「この人が多くの罪を赦されたことは、この人が示した愛の大きさでわかる」。

主イエスは、「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことは記念として語り伝えられるだろう」とおっしゃいました。
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一緒に担い合う

2011-04-17 07:42:45 | メッセージ
宣教 マルコ2・1~12 

大震災が起こって1カ月となりますが。再び大きな余震が発生し、せっかくライフラインが復旧していた地でまた不自由な生活を余儀なくされているということです。不安と恐れは未だに終息していない原発事故の問題と共に、東日本のみならず私たちの日常に及んでいます。そのような中で、今日本中に「ひとりじゃない」と励まし合う声が共鳴し、人として存在している価値観が見つめ直されている時でもあります。

本日は一人の人の命が輝きを取り戻すため、一見非常識ともいえる行動をとった人たちの物語です。冒頭で「数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった」とあります。これほど大勢の人が集まって来たというのは、イエスさまが福音を伝えると共に、汚れた霊にとりつかれた人をいやし、また多くの病人のいやしを次々になさったからです。イエスさまが初めにもたらされた福音は、神の国の到来の宣言であり、それに伴う解放といやしのみ業でした。その噂を聞きつけた人々がガリラヤ周辺からぞくぞくとイエスさまのもとに押し寄せてきたのです。

「戸口の辺りまですきまもないほどの中で、イエスさまが語っておられると、4人の男が中風の人を運んで来ました。口語訳には「人々がひとりの中風の者を4人の人に運ばせた」とありますから、彼らが友人なのか、病人の使用人なのかは定かではありませんが、とにかく担架か何かに載せて4人の男が運んできたのです。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、何と彼らはイエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした」とあります。
彼らはその病人を何としてもイエスさまのもとへ連れて行こうと固い決意のようなものをもってそれを遂行しようとするわけですが、その結果実に突拍子もない、まあ無鉄砲ともいえるような手段でもって、それを果たそうとするのであります。

他人の家の屋根によじ登り、屋根をはがして大穴をあけ、横たわった中風の人を床ごとつり降ろしてイエスさまの反応をその大穴から覗き込む4人の男。ボロボロと落ちてくる屋根の土をあびながらあっけにとられている群衆。何とも言えない光景です。
とにかく何が何でもイエスさまのもとに連れていく!行きさえすれば、、、何らかの形で答えてくださる。その強い意志と願いがあったからこそ、彼らは他人の家の屋根をはがすことで当然受けるであろう非難や代償をもいとわず、それを担い合えたのでしょう。

「イエスさまはその人たちの(4人の男)信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」(原意;すでに赦されている)とそう言われたと聖書は伝えます。

4人の男のしたことは、現代であれば器物破壊罪ともいえるものです。それ本当に非常識な行動です。ところがイエスさまは、この4人の人たちを見て、それを彼らの「信仰」と仰せになり、彼らが担いで来た中風の人に、「あなたの罪は赦されている」と宣言なさったというんですね。「神は生きておられる。イエス・キリストは救い主だ」と宣言してそのみ言葉に生きてゆく道」。それは世間からすれば愚かにも見えることであり、そんな不確かなものを求め、すがって何になる。そんなものは何千年も前の話だと、愚かに見えるかも知れません。しかしそんな人の常識を超えてお働きになる神の力を愚直なまでに求め、そこに生きようとする者たちを、主は信仰として受け取ってくださり、救いの宣言を与えて下さるのであります。

一方、その4人の信仰に担がれ主イエスの前に吊り降ろされた中風の人の心中はどのようであったでしょう。これまでの自分の人生について「身体に障害を持つ者は罪がある」という当時のユダヤの社会通念によって、自分や家族を責め続け、ずっと悩み、苦しんできたのではないでしょうか。「自分は何らかの罪か因縁によって、神の呪いと罰を受けているのだろうか。自分が悪いのか、それとも父祖の罪のゆえか」。彼が思い浮かべる主の御顔は厳しく怒りに満ちた裁きの姿だったのかも知れません。彼は肉体的苦痛と共に、言い知れぬ精神的苦痛にずっとさいなまれてきたことでしょう。

しかし幸いな事に、彼の周囲におそらく彼のことをいつも気にかけて、日々祈りに覚え、執り成していた人たちがいたのです。その人たちのひとりが4人の男にその中風の人を託し、祈りと共に送り出したに違いないと、私はそのように思えたのです。その祈りを背に受けて、何としてもイエスさまのもとにと行動を起こした。4人の信仰を見て、イエスさまは中風の人に向け「子よ、あなたの罪は赦される(いやすでに赦されている)」と宣言なさいました。この4人の男たち、また送り出した人たちの祈り、執り成しに表されるように、「あなたはすでに赦されているんだよ」「あなたはそのあるがままの状態で神に受け入れられ、赦されているんだよ」と、イエスさまはお示しになられたのではないでしょうか。

さて、この4人の男たちと対照的だったのが律法学者たちでした。イエスさまが中風の人に罪の赦しを宣言すると、そこにいた律法学者たちは動揺し始めました。彼らの心のうちには、イエスのことばが神の聖さを冒す、神を冒涜するものとして響いたのです。彼らはイエスさまのお言葉に対して、旧約の律法をただ杓子定規に当てはめ、「神おひとりの他に、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」とそう考えたのです。厳格なユダヤ教徒は人が自らを神のように振る舞ったり、又人を神のように崇めたりすることは神に対する冒涜と見なしていました。又罪からの清めの判断を下すのは祭司の務めであることから、「あなたの罪は赦される」と言われたイエスが自らの立場をわきまえていないと考えたのです。本来ユダヤの律法は神がユダヤの民に祝福の道を歩むために与えられた戒めや決まり事であったのですが。いつしか人の手によって本来の意味合いを無くすほど、単なる社会的決まりごと、社会通念となり、皮肉なことに、律法に詳しくなればなるほどそれを守らねば思うほどいつしかそれが、人の心を支配し、縛ったのです。宗教者であった律法学者たちもそういった社会通念に捕われていたのです。

しかし律法学者たちが気づかなかったのは、自分たちの目の前におられる方が神の子メシアであるということでした。律法以前の神のお言葉そのものであられるお方が、ゆるしを宣言なさった。イエスさまは生ける神の子であるので人の罪を赦すことがおできになることを、彼らは知らなかった。いや理解しようとしなかったのです。律法学者たちが持ったその正論が、イエスさまの「罪の赦し」拒むというねじれを引き起こしました。イエスさまは、彼らの理屈や論理、あるいは知識や慣習でもって人を支配し、縛りつけ、切り捨てようとするかたくなさを、霊の目でご覧になっていました。

この所で興味深いのは、イエスさまが、身体のマヒしている中風の病人に対して、身体のいやしだけでなく、「あなたの罪は赦されている」と宣言なさったことです。
誰が見ても病人にとってまず必要なのは、目に見えるかたちでのマヒがとれて歩き回ることができる癒しであるのに、イエスさまは「あなたの罪は赦されている」と宣言なさったのですね。
私たちも、それぞれが抱えている問題の解決、病のいやしがあるならそれは福音には違いないでしょう。けれども、命の根源がみ神にあることを信じる私たちにとって最も大事なことは、主イエスの十字架のあがない、罪の赦しによる神さまとの和解・交わりの回復にあります。
もう一度言いますが、罪の赦し、魂の救。それは目に見えません、表面には現われません。それとは逆に、中風の人が起きて自分の床を持って歩くことは、目で確認することができます。イエスさまは人の痛みや病の苦しみを軽んじたりなさいません。現に中風の人をいやされたのでありますが、それだけで終わっていないのです。つまり、中風の人のいやしをただ奇跡としてだけに終わらせず、彼が全人的に癒されることこそ、神の御心とされた、それが大事なんですね。

この聖書物語は、イエスさまをとり囲むようにして、そこに集まった群衆、中風の人、彼を担いで運んだ4人の人たち、又律法学者たちが登場します。今もし私たちがそこにいるとするなら、私は果たしてどこに立っているだろうかと、想像して見てください。
全人的いやしを求め、信仰の友と必要としている人かもしれません。あるいは家族や知人の救いや問題に対して執り成し、祈る人かも知れません。はたまた主の教えと業に何らかの希望を見出そうと集る群衆の一人かも知れません。学者たちのように自らも気づかぬうちに何らかのこだわりや、又知識に縛られ、自由な心で礼拝できなくなっている者かも知れません。置かれた状況によってその中の誰にもなり得る私たち一人ひとりでもあります。が、その私たち一人ひとりに、イエス・キリストは今必要なメッセージを送ってくださいます。

「一緒に担い合う」というテーマでみ言葉を聞いてきましたが。主と共に生きていく私たちに聞こえてくるのは、「あなたは誰と一緒に、主の救いとその恵みを分かち合うのか」という問いかけであり、それはまた「あなたは誰と一緒に礼拝を捧げようとしているのか」という問いかけでもあります。神の前に失われた者のようであった人が、本来与えられた祝福を取りもどすため、用いられたあの4人のように、私たちも又、執り成し、担い合うものとして世に遣わされてまいりましょう。そこで、主の栄光を拝してまいりましょう。
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一緒に歩いてゆこう。

2011-04-10 07:24:07 | メッセージ
宣教 マルコ1章16~20節 

礼拝では新約聖書のマルコ福音書を4週(1カ月)の計画で読んでいきます。新約聖書の中にはマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネという4つの福音書がございますが、このマルコの福音書は「イエス・キリストは神の独り子であり、仕えるために世に来られ、それによってこの地上に神の国が臨んだ」というメッセージが込められています。イエスさまは神と人に仕える僕となって十字架の道を歩まれたそのような救い主として描かれているのであります。

イエスさまが4人の漁師を弟子にする記事を読み、それぞれに感じになられた事がおありだと思いますが。水曜日の朝の祈祷会での聖書の学びで、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とのイエスさまの呼びかけに、「二人の漁師がすぐに網を捨てて従った」。この「すぐに」というのは驚きだし、ちょっと考えられないことだ、という感想が語られていました。ちなみに、この当時パレスチナ地方の殆どの人々が食べていた魚はこのガリラヤ湖の漁業によるということで、その魚種は37種類にも及び、非常に豊かなものであったということです。きっと漁師たちも自分の仕事に誇りとやりがいを持って働いていたのでしょうね。

そうですね。イエスさまのこのような呼びかけにそんなに即座に答えられるものだろうかと思いますよね。漁師が仕事をしている真最中に網を捨てる。まあこの網は漁師にとって生活の資でありますことから、これを捨てるというのはちょっと常識的には考えられないことであったはずです。
ただ、どうやらこの漁師たちはここで初めてイエスさまにお会いしたようではないみたいですね。ガリラヤにおいて神の国の福音が宣教されていた時から、何度かイエスさまのお話を聞いていたのではないでしょうか。まあそれまでは群衆の一人としてイエスさまの福音を聞いていたに過ぎなかったのかもしれませんね。ところが、そのイエスさまがこの日彼ら漁師たちと個人的に出会われた。それが16節です。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった」とある、この「御覧になった」という言葉であります。それは単に見たというのではなく、観察し、見極めるという意味があります。
おそらく彼ら漁師たちもイエスさまのその視線を強く感じ取ったのではないでしょうか。ここでイエスさまと一対一の魂の出会いが起こっているのです。そしてそういう中で、彼らはイエスさまの「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」との呼びかけに、まさに身も心も圧倒され、捕らえられたのであります。彼らは「すぐに網を捨ててイエスさまに従った」。それは単に人間的な思いや決断によるものではなく、神の時の到来に至る主の圧倒的な迫りによりもたらされたものです。今そうせずにはいられないという力が魂の底からあふれ出てくる、それが主イエスとの出会いによる彼らの体験でありました。

また、イエスさまは19節「すこし進んで、ゼべタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼべタイを雇人たちと一緒に残して、イエスの後について行った」とあります。
ここでも、おそらくこの二人の漁師も以前からガリラヤでイエスさまの神の国の福音を聞く機会があり何度か群衆の一人として福音を聞いていたのでしょう。ところが、そのイエスさまが、舟の中で網を繕う仕事をしていた彼らを御覧になって個人的に出会われて、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼んでくださったのです。先ほどのシモンとその兄弟アンデレ同様、ヤコブとヨハネも父を雇人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行ったというのですね。

ここでよく話題になるのは、先のシモンと兄弟のアンデレは網を捨ててイエスに従った。ヤコブと兄弟ヨハネは父ゼべタイを雇い人たちと一緒に舟に残してイエスの後について行った。イエスに従うと何もかもすべてを投げ捨て、絶ち切ってしまうことなのでしょうか?興味深い事にこの後に続く29節以降に、イエスが何とシモンとアンデレの家を訪ね、シモンのしゅうとめの熱を去らせ、いやされた記事が載っているのです。それですっかり元気になったしゅうとめさんが、食事を作って一同をもてなすという、ほのぼのとする情景が描かれているわけですけれども。ですから、シモンら兄弟がイエスさまに弟子とされ従ったとしても、イエスさまはその彼らの家族との絆やつながりを断ち切って従って来なさいと命令されているのではないことがわかります。シモンの家族を尊重し、イエスさまもそのつながりをいつくしんでおられる様子が伝わってまいります。ヤコブと兄弟ヨハネの場合もきっと同様だったと私は思いますね。
私ごとで恐縮ですが、私に献身の思いが与えられた時、小倉に母一人を残して大阪に来ることに対し、後ろめたさを感じた時も一時ありました。が、大阪での2年間、そして福岡の西南神学部での4年の時を経る中で、母の親としての苦労やその支えの尊さを改めて知らされましたし、母の方も私がそうやって牧師として立たされていくことを喜んで応援してくれるようになってゆきました。イエスさまに従い行く道は、何もかも捨て去り、絶ち切ってゆくこととは違いました。一時的に苦難や試練はありますが、その道を通ることによって得られる神さまの豊かな祝福が用意されているのです。

さて、イエスさまは「人間をとる漁師にしよう」と弟子たちを招かれました。それは、神の前に失われたようになっている魂が、神の愛と祝福のもと、新しくされることであり、彼ら自身がイエスさまと一緒に出かけてゆき、心や体のいやしを必要としている人、悩み苦しんでいる人、悲しみと絶望の中にいる人との出会いと関わりを通して、神とその愛をあかしする者とされるためでありました。そのことをイエスさまは、「わたしに従ってきなさい。人間をとる漁師にしよう」という言葉でもって、さあ「わたしと一緒に歩いてゆこう」と呼びかけておられるのです。

最後に、奥田知志先生(東八幡バプテスト教会牧師・北九州ホームレス支援機構理事長)が朝日新聞に「一緒に傷つき生まれる絆」という題で寄稿された文章の一部を紹介させていただいて今日の宣教を閉じたいと思います。
「阪神大震災では、仮設住宅に入居後に孤独死や自死の問題が起きた。ハウスレス(物理的困窮)状態は脱することができても、ホームレス(無縁)状態が解消されないという問題が、そこにあったように思う。その苦い経験を私たちは学ばねばならない。息の長い支援で絆をつむいでいきたい。ただ、支援の場では生身の人間のぶつかり合いが起こり、お互いに少なからず傷つくことがある。絆には「傷」が含まれているという事実だ。もし支援を受けた人が「こんなもの、いらない」と言い出したら、支援者は傷つくだろう。対人支援は、実はそこから始まるのだ。叱ったり、一緒に泣いたり、笑ったり。その人の苦しみを一緒に考え、悩む。そのような誰かが自分のために傷ついてくれるとき、自分は生きてよいのだと知る。人の支援は、一人で支えようとしてもつぶれることを知っている。弱い人たちが、それでも「何かやってみよう」と集まり、チ―ムを作ることで成り立っている。いわば「人が健全に傷つくための仕組み」なのだ。いま未曾有の事態を前に、私たちの前には二つの道がある。傷つくことを恐れて出会いを避けるか、それとも、顔を見せて相手に寄り添い、傷ついても倒れない仕組みをつくるかだ」と、そのように書かれていました。主イエスは私たちの人生のひきこもごもとした生活・出来事の中においでくださいました。そこで共に泣いたり、笑ったり、人の苦しみを一緒に考え、悩まれました。彼の愛する弟子たちと一緒に。今日も主は「一緒に歩いてゆこう」と、私たち一人ひとりに呼びかけておられます。耳を澄ませて主の声を聴いてみましょう。その呼びかけに応える私たちでありたいと願います。
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ヨシヤ王の死

2011-04-03 07:46:22 | メッセージ
宣教 列王記下23章21~30節

これまで3ヶ月にわたって列王記を礼拝で読んできました。預言者エリヤとエリシャ。そしてヒゼキヤ王とヨシヤ王に着目してきましたが。二人の預言者、そして二人の王の共通点と相違点。光と闇の部分。またその偉業と人としての弱さから様々に学ぶことができました。今日のヨシヤ王の記事はその最終回となります。

神殿修復の折に見つかった「律法の言葉」によって、ヨシヤは主との正しい関係を見出し、悔い改めをもってユダの民全体に与えられた主なる神との「契約」を更新しました。
王は「イスラエルの民の救いの原点」ともいえる、捕われのエジプトから解放(エクソドス・出エジプト)されたことを心に刻みつけるため、ユダの民たちと共に過越祭を祝いました。そしてさらに彼は、ユダの地とエルサレムに見られる憎むべきもの、すなわち「口寄せ、霊媒、テラフィム、偶像」を一掃しました。このようにして彼は律法の言葉を実行したのです。25節では「彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王は立つことはなかった」ともうほめちぎられていますね。
ところがこれで終わるかといえばそうではありません。
聖書は人の善の部分・光のあたる所だけでなく、罪や闇とも言えることからも赤裸々に描写します。それは聖書を手に取り、読む者にとって教訓といえば訓示的ですが、聖書は人間の姿を的確に照らし出す鏡といえましょう。

ヨシヤ王がこうして過越祭を行い、エルサレムから偶像の一掃や主の宮きよめをなした後に、戦いが起きます。これは歴代誌下35章20節以降に詳しく書かれていますので、そこを開けてください。旧約聖書p720 20~24節までを読んでみましょう。
ヨシヤはネコが伝えた言葉を聞いても思い直すことなく、攻撃のため王と分からないように変装までしてネコと戦おうとしました。歴代誌は、ヨシヤ王は「神の口から出たネコの言葉を聞かなかった」と伝えています。こうして彼はメギドにおいてエジプト軍の放った矢に屈してしまうのです。そこには、ヨシヤ王のおごりと傲慢があったといえないでしょうか。そのことを示すためにここにわざわざ「神の口から出たネコの言葉を聞かなかった」と記されているのではないかということであります。
ヨシヤの功績やなしてきた働きはほんとうに大きく、これまでのイスラエルの王が成しえなかったことを彼は成し遂げてきたといえます。み言葉の発見に伴う礼拝改革、み言葉を共に聞き、共なるみ言葉の実践を推し進めてきました。そのどれも尊い働きであり、神の民に向けての今も変わることのない必要なメッセージであります。が。その彼の成功や称賛によって、彼自身がある種傲慢になってしまったのかも知れません。しまいには神の口から出た言葉さえ聞く耳を持つことができなくなってしまった。もしヨシヤ王が生涯、高慢に陥らず、主にへりくだり、従い通していたなら、預言の言葉どおり平和のうちに安らかに眠りにつくことができたかも知れません。しかし実際そうはならなかったのであります。

私が今日の個所で考えさせられたのは、26節の「しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤のために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった。主は言われた。「わたしはイスラエルを退け、わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの神殿もわたしは忌み嫌う」というみ言葉であり、これを如何に聞いていけばよいのかということでした。
ヨシヤ王の戦死の後、南ユダ王国は滅亡の時を迎えるのでありますが。それは果たしてヨシヤ王のおじいちゃんのマナセ王が主に対して引き起こした仕業のゆえだったのでしょうか?先祖が犯した罪のゆえに子子孫孫に災いが及んだのでしょうか?それは人には分かりません。ただしかし、ここに確かに示されるのは、ヨシヤ王が主の前にへり下り、謙遜に主とその言葉に仕えていた時は、ユダのうちに平安があり、王が高慢になって主の御声に耳を傾けなくなった時、祝福が遠ざかってしまったということであります。マナセの罪とは、そういうことを表しているのではないでしょうか。

最後に、今回の大震災で被災地のある中学校で行われた卒業式の風景がテレビで紹介されたのを観ました。ある卒業生が涙を流しながら訴えるようにして読んだ答辞に、胸が熱くなりました。ご覧になった方も多いかと思いますが。
「これまで自分たちは震災に対して十分な備えをして避難訓練を行ってきたそういう推奨校でもあった。そういう避難訓練や対策をしてきたにも拘わらずこのような出来事が起こったのは悔しい。天が与えた試練としてはあまりにも大きすぎる」。
いくら訓練や備えや対策をもってしても、どうしようもないことが起こった。そのことに対する憤りと悔しさ。これは本当に当事者でなければ分からない叫び、心情であると思います。私には卒業生の答辞の言葉と、詩編、神への嘆願の歌とが重なり響いてきまた。
最後にこの卒業生が「天を恨まず置かれた状況を受け止め」と未来に向けての強い決意を口にしたのは真に希望でありましたが。

私は人の最期のあり方がたとえ非業の死であったとしても、それがそのまま神に見捨てられた者の死であるかとは思いません。最期は安らかに天に召されていきたいというのは誰もが願うことです。けれども、壮絶な最期、非業の死を遂げたとしても、命と死とを支配されておられる神は生きておられ、すべてを御手に治めておられると私どもは信じます。
大震災から2週間、被災地と被災者の方々は、さらに原発事故による放射性物質の漏えいという見えない不安と恐れに日々襲われています。が、ただそのような只中にあって、家や大切な家族を亡くした被災者が、他の被災者を支え、助け合う働きが全世界、日本中のいたるところで生まれているという知らせを聞くと、ほんとうにすごいなと思います。
大震災前にニュージーランドのクライストチャーチで大地震が起こりましたが。その市長さんが「我々は今一番、日本で大震災に遭われた方々の思いに近い」とおっしゃっていました。又、大震災で水不足が続く中、ご自宅の井戸水を被災者に無償で提供されていたご主人は、「こんなときだからこそ役に立って嬉しい」といっておられました。悲しみと怖れが覆っているただ中において、生まれ出るものが確かにあるということを思い知らされます。

Ⅰペトロ4章8a節を読んで宣教を閉じます。
「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。」
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