宣教 マルコ14章3~9節 (受難週)
先日私どもの群れの一つでもある福岡国際教会のОさんが、福島の郡山からのレポートを発信してこられました。お連れ合いで牧師が関わる「宗教者の原発政策の見直しを求める会」が発信した「核汚染地域難民に対する宗教施設への受け入れ要請」に対して疑問を持たれ、同時にその当事者である被災者の方がたはどのように考えていらっしゃるのか、それを知りたいと思われて、実際に福島の原発避難所を訪れたそうです。そうして大きな避難所の空間にマット一枚分ほどずつ割り当てられた、一家族や単身者から聞こえてきた声は、これまで生活を送ってきた土地や家、仕事に対する愛着であり、それぞれの家族の物語であり、将来に対する多様な不安や願いであったということです。「だから、行政も苦慮しているのでしょう。「被災者」という一つの言葉でくくってしまうことはできない」とおっしゃっていた言葉が心に留まりました。その避難所の中のお一人お一人のどの顔も疲労困ぱいしておられたというのです。
本日はマルコ14章より「最善のささげもの」と題し、その主の深いみ救いの恵みに魂の回復を得た女性のエピソードからみ言葉を聞きとっていきたいと思います。
この物語の主人公である女性については、7つの霊にとりつかれていたのを主イエスに取り去ってもらったマグダラのマリアであったという説や、ヨハネ福音書12章によれば、「マルタとマリア」の姉妹のマリアであったとする説もあります。しかし、このマルコやマタイの福音書には名もなき「一人の女」とだけ記され匿名で紹介されています。
唯一つ確かなのは、この女性は、主イエスを通して罪の赦しを受け、言葉に尽くし得ない
感謝に満たされているということです。
冒頭、「主イエスはベタニヤで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられた」とあります。ベタニヤというのはエルサレムから東南3キロの地点にありますが、そのベタニヤという名は、「貧しい者の家」「病める者の家」という意味がありました。
主イエスは度々このベタニヤを訪れました。そこには重い皮膚病の人シモンの家があり、主イエスはその家を訪れ、おそらく神の国の福音を語り、いやしの業をなし、一緒に食事をされていたのでしょう。しかし当時のユダヤ社会において主イエスのなさったことは、タブ―であったのです。なぜなら重い皮膚病は神から呪われた者、穢れた者がかかるとみなされ、又その者と接触する者も同様に皮膚病にかかり、神に呪われて穢れると、そのように考えられていたからです。わが国においても、重い皮膚病の人達を永い間社会や家族から、又生まれ故郷から引き離して孤島に隔離したという歴史がありますが、その中で、人権や尊厳を奪い、苦痛を強いてきたという冷酷でいたたまれないような政策がなされたのは悲しいことです。
主イエスはこの重い皮膚病の人シモンの家を訪ねて、弟子たちも伴っておられたと思われますが、シモンと一緒に食事をなさったのです。
そこへ、「一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」とあります。この女性は突然登場していますが、小さい村のことですからシモンと何らかの面識や関わりがあって、シモンの家にはこれまでも訪れていたのかも知れません。シモンが重い皮膚病で苦しみ、如何に寂しく惨めな思をしながら暮らしてきたのかを彼女は以前から知っていたことでしょう。又、彼女は、主イエスがこのベタニヤ村で分け隔てなく神の国の到来をお語りになる様を見聞きしていたことでしょう。
そしてこの日、主イエスがシモンの家を訪れ、何とそこでシモンと席を共にして食事をされる様を目の当たりにするのです。それは当時としてどれほどショッキングで、同時に感動的光景であったことでしょう。世間から隔てられ、暗く閉ざされていたようなシモンの家から和やかな話し声や神をたたえる賛美が溢れ出ていたのではないでしょうか。
そして気づけば、彼女は宝であった純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を主イエスのそばに持って来て、それを壊して主イエスの頭に注ぎかけていたのでしょう。
この彼女が注いだナルドの香油は別格でした。主に遠くインドやネパールで産出され、これはとびっきり高価であったようで、ここにあるように時価300デナリオン以上といえば、それは当時の一般的な労働者が1年間働いて得る総賃金に匹敵したということです。この女性がその高価なナルドの香油を如何に手に入れたかは分かりませんが、それは自分の命に次ぐほど大切な宝物であったことに違いなかったでありましょう。
どうして彼女はこれほど価値あるものを一瞬に使い切ってしまったのでしょうか?
ここを何度も読みながら感じたのは、彼女がその高価な香油より、なお価高いものを目の当たりにしたからではないかということです。もう少し想像をふくらませるなら。この彼女の魂の深淵にも、重い皮膚病のシモンに似た、寂しく惨めな思いややり場のない辛苦があり、神の祝福から遠く隔てられているかのような思いを持って、心閉ざして生きていたのかも知れません。彼女はその深い痛み苦しみを主イエスは知っていてくださり、「あなたは決して神に忘れられてはいない」ということを、具体的な行為で示された主イエスの中に、彼女はどんな宝にも替えることのできない喜び・救いを見出したのです。
主イエスはおっしゃいました。「心の貧しい人は幸いです。天の国は、その人たちのものです。」今もそのような人々こそが、本当に価高いもの、高貴なものを見出し得るのだというのです。
ルカ福音書(7章)にも一人の女性が香油の入った石膏の壺を持って来て泣きながら主イエスに香油を塗ったという記事があります。そこにはファリサイ派のシモンの家に主イエスが招かれた時のことになっております。そのシモンはこの女性が主イエスになしたことを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が誰で、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思ったとあります。
それに対して主イエスは、女の方を振り向いて、シモンに言われました。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。主に愛され、赦されて、救いの恵みを見出された人は自ら感謝と愛の心を込めて主に応答し得るということです。それこそが主の前に価値あることとされるのです。
人々は、この女性が純粋(混じりけなく信実)に主イエスにささげ切った心と態度を「無駄使い」と酷評しましたが。彼女は主イエスによって神の前に大きな大きな罪を赦され、まるごと受け入れられているということを知ったからこそ、言い尽くし得ぬ感謝と愛のこもった捧げものをなし得たのであります。それは人から見れば身の程知らずのように映ったかも知れません。けれど主イエスは「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ・・・・・わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」と言われました。
主イエスは彼女のなした行為をご自分の「埋葬の備え」として受け取られています。当時死者の埋葬に際して香油を塗る習慣があったのですが、主イエスはご自分がいよいよ十字架への道を歩むその時を自覚されていたのでしょう。ご自分が受けられる苦難と死の意味をそこに汲み取られたのであります。同じマルコ10章45節で主イエスは、「人の子は仕えられるためでなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」とおっしゃっているとおり、それは「罪人のため」の受難と死であります。主イエスの受難と死によって、最も大きな恵みを受ける者は、まさにこの女性もそうでしたが、罪深い人であるのです。彼女は主イエスによって罪赦され、神にまるごと受け入れられ、愛される者とされていることを純粋に信じることができた。ですから、あのように大きな愛を主イエスに捧げることができたのです。
「この人が多くの罪を赦されたことは、この人が示した愛の大きさでわかる」。
主イエスは、「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことは記念として語り伝えられるだろう」とおっしゃいました。
先日私どもの群れの一つでもある福岡国際教会のОさんが、福島の郡山からのレポートを発信してこられました。お連れ合いで牧師が関わる「宗教者の原発政策の見直しを求める会」が発信した「核汚染地域難民に対する宗教施設への受け入れ要請」に対して疑問を持たれ、同時にその当事者である被災者の方がたはどのように考えていらっしゃるのか、それを知りたいと思われて、実際に福島の原発避難所を訪れたそうです。そうして大きな避難所の空間にマット一枚分ほどずつ割り当てられた、一家族や単身者から聞こえてきた声は、これまで生活を送ってきた土地や家、仕事に対する愛着であり、それぞれの家族の物語であり、将来に対する多様な不安や願いであったということです。「だから、行政も苦慮しているのでしょう。「被災者」という一つの言葉でくくってしまうことはできない」とおっしゃっていた言葉が心に留まりました。その避難所の中のお一人お一人のどの顔も疲労困ぱいしておられたというのです。
本日はマルコ14章より「最善のささげもの」と題し、その主の深いみ救いの恵みに魂の回復を得た女性のエピソードからみ言葉を聞きとっていきたいと思います。
この物語の主人公である女性については、7つの霊にとりつかれていたのを主イエスに取り去ってもらったマグダラのマリアであったという説や、ヨハネ福音書12章によれば、「マルタとマリア」の姉妹のマリアであったとする説もあります。しかし、このマルコやマタイの福音書には名もなき「一人の女」とだけ記され匿名で紹介されています。
唯一つ確かなのは、この女性は、主イエスを通して罪の赦しを受け、言葉に尽くし得ない
感謝に満たされているということです。
冒頭、「主イエスはベタニヤで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられた」とあります。ベタニヤというのはエルサレムから東南3キロの地点にありますが、そのベタニヤという名は、「貧しい者の家」「病める者の家」という意味がありました。
主イエスは度々このベタニヤを訪れました。そこには重い皮膚病の人シモンの家があり、主イエスはその家を訪れ、おそらく神の国の福音を語り、いやしの業をなし、一緒に食事をされていたのでしょう。しかし当時のユダヤ社会において主イエスのなさったことは、タブ―であったのです。なぜなら重い皮膚病は神から呪われた者、穢れた者がかかるとみなされ、又その者と接触する者も同様に皮膚病にかかり、神に呪われて穢れると、そのように考えられていたからです。わが国においても、重い皮膚病の人達を永い間社会や家族から、又生まれ故郷から引き離して孤島に隔離したという歴史がありますが、その中で、人権や尊厳を奪い、苦痛を強いてきたという冷酷でいたたまれないような政策がなされたのは悲しいことです。
主イエスはこの重い皮膚病の人シモンの家を訪ねて、弟子たちも伴っておられたと思われますが、シモンと一緒に食事をなさったのです。
そこへ、「一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」とあります。この女性は突然登場していますが、小さい村のことですからシモンと何らかの面識や関わりがあって、シモンの家にはこれまでも訪れていたのかも知れません。シモンが重い皮膚病で苦しみ、如何に寂しく惨めな思をしながら暮らしてきたのかを彼女は以前から知っていたことでしょう。又、彼女は、主イエスがこのベタニヤ村で分け隔てなく神の国の到来をお語りになる様を見聞きしていたことでしょう。
そしてこの日、主イエスがシモンの家を訪れ、何とそこでシモンと席を共にして食事をされる様を目の当たりにするのです。それは当時としてどれほどショッキングで、同時に感動的光景であったことでしょう。世間から隔てられ、暗く閉ざされていたようなシモンの家から和やかな話し声や神をたたえる賛美が溢れ出ていたのではないでしょうか。
そして気づけば、彼女は宝であった純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を主イエスのそばに持って来て、それを壊して主イエスの頭に注ぎかけていたのでしょう。
この彼女が注いだナルドの香油は別格でした。主に遠くインドやネパールで産出され、これはとびっきり高価であったようで、ここにあるように時価300デナリオン以上といえば、それは当時の一般的な労働者が1年間働いて得る総賃金に匹敵したということです。この女性がその高価なナルドの香油を如何に手に入れたかは分かりませんが、それは自分の命に次ぐほど大切な宝物であったことに違いなかったでありましょう。
どうして彼女はこれほど価値あるものを一瞬に使い切ってしまったのでしょうか?
ここを何度も読みながら感じたのは、彼女がその高価な香油より、なお価高いものを目の当たりにしたからではないかということです。もう少し想像をふくらませるなら。この彼女の魂の深淵にも、重い皮膚病のシモンに似た、寂しく惨めな思いややり場のない辛苦があり、神の祝福から遠く隔てられているかのような思いを持って、心閉ざして生きていたのかも知れません。彼女はその深い痛み苦しみを主イエスは知っていてくださり、「あなたは決して神に忘れられてはいない」ということを、具体的な行為で示された主イエスの中に、彼女はどんな宝にも替えることのできない喜び・救いを見出したのです。
主イエスはおっしゃいました。「心の貧しい人は幸いです。天の国は、その人たちのものです。」今もそのような人々こそが、本当に価高いもの、高貴なものを見出し得るのだというのです。
ルカ福音書(7章)にも一人の女性が香油の入った石膏の壺を持って来て泣きながら主イエスに香油を塗ったという記事があります。そこにはファリサイ派のシモンの家に主イエスが招かれた時のことになっております。そのシモンはこの女性が主イエスになしたことを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が誰で、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思ったとあります。
それに対して主イエスは、女の方を振り向いて、シモンに言われました。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。主に愛され、赦されて、救いの恵みを見出された人は自ら感謝と愛の心を込めて主に応答し得るということです。それこそが主の前に価値あることとされるのです。
人々は、この女性が純粋(混じりけなく信実)に主イエスにささげ切った心と態度を「無駄使い」と酷評しましたが。彼女は主イエスによって神の前に大きな大きな罪を赦され、まるごと受け入れられているということを知ったからこそ、言い尽くし得ぬ感謝と愛のこもった捧げものをなし得たのであります。それは人から見れば身の程知らずのように映ったかも知れません。けれど主イエスは「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ・・・・・わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」と言われました。
主イエスは彼女のなした行為をご自分の「埋葬の備え」として受け取られています。当時死者の埋葬に際して香油を塗る習慣があったのですが、主イエスはご自分がいよいよ十字架への道を歩むその時を自覚されていたのでしょう。ご自分が受けられる苦難と死の意味をそこに汲み取られたのであります。同じマルコ10章45節で主イエスは、「人の子は仕えられるためでなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」とおっしゃっているとおり、それは「罪人のため」の受難と死であります。主イエスの受難と死によって、最も大きな恵みを受ける者は、まさにこの女性もそうでしたが、罪深い人であるのです。彼女は主イエスによって罪赦され、神にまるごと受け入れられ、愛される者とされていることを純粋に信じることができた。ですから、あのように大きな愛を主イエスに捧げることができたのです。
「この人が多くの罪を赦されたことは、この人が示した愛の大きさでわかる」。
主イエスは、「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことは記念として語り伝えられるだろう」とおっしゃいました。