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日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

神様の祝福

2024-08-25 17:11:53 | メッセージ
宣教  創世記35章1-20節  C・H
 
救われて良かった!このことばは教会創立記念誌に載せられたある人の証の言葉です。記念誌には教会員の皆さんが顔写真とともに証の文を書いていましたが、この方だけは救われて良かった!と一言だけでした。口数少ない60代の女性でしだが、何と彼女らしくシンプルな証だろうと思いました。記念誌の多くの証の中で今も記憶に残っている唯一の証の言葉です。救われて良かった!
ここで誰かが何が良かったですか!突っ込んできたとしたら彼女は何と説明したのでしょう。私たちも神様の恵みによりただ信仰によって救われました。救われて何が良かったでしょう。はっきりと自分のことばで人に伝えることができれば本当にその方は幸せだと思います。神様にも喜ばれることでしょう。
このことを覚えながら、今日は創世記35章おいて、「神様の祝福」という主題をつけてみました。これからご一緒にこのところの御ことばを学んでいきたいと思います。

35章一節に神様はヤコブに「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい」と命じられます。しかし、その前に34章で大事件があったことを見逃すことはできません。ヤコブは兄エサウと和解した後、カナン地にあるシェケムの町の手前で宿営をしますが、その土地の族長ハモルの子シェケムはヤコブの娘ディナを捕らえ寝てはずかしめます。そこでハモルとシェケムはヤコブをたずねて息子の嫁にしてください。縁を結んでこの土地で住み自由に行き来し、この土地を得てくださいといいます。しかし、憤っていたヤコブの息子たちは許せない感情をもって悪巧みをたくらんで、割礼を受けていない者に妹をやることは出来ないと割礼を男子みんなに受けさせます。三日になって、傷が痛んでいるとき、ヤコブの二人の息子ティナの兄シメオンとレビガ、それぞれ剣を取って、難なく町を襲い、すべての男子を殺しました。
それでヤコブは二人の息子に「あなたがたは、私に困ったことをしてくれて、私をこの住民のカナン人とペリジ人の憎まれ者にしてしまった。私には少人数しかいない。彼らがいっしょに集まって私を攻め、私を打つならば、私も私の家の者も根絶やしにされるだろう。」とこのように生き詰まるような不安と恐れの中で神様は支持を出します。
今日の35章です。「ベテルに上り、そこに祭壇を築きなさい。」
大変な状況の中で困っているときに、神様から与えられる御ことばは最高です。
平安が与えられます。困ったときには真っ先に神様の御ことばを求めて、
ひたすら祈るのが助けになるでしょう。神様の働きには御ことばが伴います。

さて、35章1-20までの御ことばから重要な単語3つ取り出して考えていきたいと思います。ベテル。祭壇。祝福。
ベテルという場所の名前は創世記だけでも10回出てきますが、ヤコブの人生において、とても重要なところです。神様はヤコブがベテルで神様にあったところに行って祭壇を築くように支持を出します。そして、守り導いて行かれます。ヤコブは家族単位で異国の神神を取り除き、身をきよめ、着物を着替えてベテルに上って行こう。私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつもともにおられた神に祭壇を築こう。と自分の家族と自分といっしょにいるすべての者たちに呼びかけます。運命共同体として人達が族長ヤコブに従い、今までの身についていた偶像を捨て、身をきよめ、着物を着替えることによって、真の神様に対する信仰の決心と新しく覚悟をして旅立ちます。そして、争いが起こったそのところから旅立つと神様からの恐怖が回りの町々に下ったので彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。と書いてあるように、ヤコブが恐れていたシェケム事件後、神様はヤコブの子どもらの暴虐があったにも関わらず御心によって導かれ回りの住民たちから守られました。ここにも神様の真と恵みを覚えられます。神様は回りの町々に恐怖を与えることの一つの方法でヤコブの一族を見事に守り、行きなさいと言われたベテルまで責任をもって彼らを連れて行かれました。ヤコブの一族とともにおられた神様!今日も私たちとともにおられ、私たちの行くべきすべての道のりをも守り導いておられることを信じ神様に感謝したいと思います。ヤコブは、自分とともにいたすべての人々といっしょにカナンの地にあるベテルに着き、祭壇を築きます。

ベテルという場所は彼が親元を離れて不安のなかで旅立つときに神様が現れて祝福の約束の御ことばをもって励ましてくださった所であります。
その約束の御ことばとは(創世記28章:15)「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがとこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」こういうわけで、ベテルという場所は、彼の信仰の出発点であり帰るべき場所でありました。神様は帰って来てその約束を果たしてくださった神様に感謝するための祭壇を築くように導かれます。
このときの祭壇を築くことは今日私たちにとっては礼拝と言えるでしょう。
私たちは毎週礼拝を通して神様との関係を確認し信仰を深めることができます。礼拝は私たちの信仰生活の軸です。
神様はかつてイスラエル民族をエジプトの奴隷から解放させ自分の民として、関係を作るために、まず律法を与え神の幕屋とそのなかに祭壇を作らせ、わたしはあなたの神、あなたはわたしの民という契約を結び、まず神様に礼拝することを教えられました。
祭壇がある幕屋はやがて来られるキリストの模型だと言われています。
現在も、神様は私たちを罪の奴隷から解放させ、この世から分離させ、イエスキリストの支配の中に入れられ、礼拝者として招かれています。

本章に戻って、7節、9節から13節まで読んでみたいと思います。ヤコブはそこに祭壇を築き、その場所をエル・ベテルと呼んだ。それはヤコブが兄からのがれていたとき、神がそこで彼に現われたからである。
こうしてヤコブがパダン・アラムから帰ってきたとき、神は再び彼に現れて彼を祝福された。神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブである。あなたの名は、もうヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。神はまた彼に仰せられた。わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。一つの国民、諸国の民のつどいがあなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与え、あなたの後の子孫にもその地を与えよう。神は彼に語られたその所で、彼を離れて上られた。」

ここでのポイントは「神は再び彼に現れて彼を祝福された。」ですが、神様は私たちにも現れて祝福してくださっていることを覚えたいと思います。
全能の神があわれみによって、神様を知るように、信じて救われるように、私たちを導いてくださいました。そして、礼拝者として招いてくださっています。

私たちが今日も礼拝を捧げられるのは私たちの特権です。
礼拝を捧げること自体が祝福であります。
神様はヤコブの兄エサウではなくヤコブに祭壇を築くように仰せられました。ヤコブに現れて、祝福してくださいました。
神様はエサウではなくヤコブを選んだように、私たちを選び、私たちとともにおられます。私たちのすべての道のりに伴い、ご自分の者として豊かな恵みをもって取扱い導き、守り、助け、祝福してくださっておられます。

今日の宣教のことばの初めに、救われて良かった!何が良かったか自分のことばで人に伝えることが出来ればその人は幸せだと言いました。
この良かった!ということばは神様が創造の業を終えた第6日に発せられたことばでもあります。私自身、神様のあわれみを受け救われました。それで良かったことは、「誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られたものです。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべでが新しくなりました。」(第2のコリント5:17)この格調高い御ことばのように、私が再創造されたことです。そして、神様から目線で良かった!キリストにあって、神様に受け入れられたことです。それだけでなく、闇の中から光の中に入れられ、もはや罪に支配されることなく、死の恐怖からも解放され、永遠の命をいただき、真理の御霊様より自由が与えられています。
幾らでも言えます。自分がキリストを知り、信じることによって得られる祝福は無尽蔵であります。神様の祝福は信仰によって、自分自身がどれほど経験できるかによるものでしょう。

今日の聖書箇所でヤコブが経験した祝福は何だったでしょう。
(35章:3)を読んでみましょう。「そうして私たちは立って、ベデルに上って行こう。私はそこで私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」このように、神様に祝福されたヤコブに苦難がなかったわけではありませんでした。しかし、苦難の日に私に答え、自分の歩いた道に、神様はいつもともにおられたというインマヌエルの祝福はヤコブが経験した祝福でした。今日私たちにも与えられている祝福、私たちとともにおられる主!このインマエルの祝福を神様に感謝し、主イエスキリストに賛美を捧げたいと思います。今週も主とともに一足一足歩んでまいりましょう。

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