今から40年以上前、京都に スパニッシュ ハーレム ナイト と、いうバンドがあったのを覚えていますか。
そのバンドはエアロスミスなどをコピーしたりして、その実力は自他ともに認められていた。リーダーが入江くんといったと覚えている。
当時、京都のディスコ「ママリンゴ」でハウスバンドとして活動していたが、五輪真弓や泉谷しげるのバックバンドもしていた。
リードギターの佐藤ノブヒコ氏は、ゴールデンカップスやレイニーウッドにも参加し、やがて表舞台からは姿を消し、主にプロヂューサー業に精をを出されていた。が、最近、もう一度CDを出したり、横浜でライヴを始めた。
当時、芸館で一度だけ一緒に出たことがあるが、喋ったりしたことはなかった。
それが、不思議な縁で一度会おうということになり、京都で10月23日の夜に実現した。
酒を呑んでから、祇園のファニーカンパニー行き、彼のギターと歌を聴きご機嫌な気分になった。
ぼくの歌にもギターをつけてくれ、楽しい夜になった。
ノブとの出会い、楽しみなことに違いない。
ノブがリードギターです。
イッツツーレート。
贅沢な夜でした。
そのバンドはエアロスミスなどをコピーしたりして、その実力は自他ともに認められていた。リーダーが入江くんといったと覚えている。
当時、京都のディスコ「ママリンゴ」でハウスバンドとして活動していたが、五輪真弓や泉谷しげるのバックバンドもしていた。
リードギターの佐藤ノブヒコ氏は、ゴールデンカップスやレイニーウッドにも参加し、やがて表舞台からは姿を消し、主にプロヂューサー業に精をを出されていた。が、最近、もう一度CDを出したり、横浜でライヴを始めた。
当時、芸館で一度だけ一緒に出たことがあるが、喋ったりしたことはなかった。
それが、不思議な縁で一度会おうということになり、京都で10月23日の夜に実現した。
酒を呑んでから、祇園のファニーカンパニー行き、彼のギターと歌を聴きご機嫌な気分になった。
ぼくの歌にもギターをつけてくれ、楽しい夜になった。
ノブとの出会い、楽しみなことに違いない。
ノブがリードギターです。
イッツツーレート。
贅沢な夜でした。
『ブラインドフェイスのこんな曲知ってる?』
てな会話を確か入江さんと話してらした、と記憶しています。美形な顔立ちはわすれられませんね~。
彼はイザムなどのプロデュースもしていましたが、今はCDタワーも出し、横浜のライブハウスなどでも二月に一度のライブも再開していますよ。
ノブのブログもありますので、一度のぞいてあげてください。ぼくらもたまに会うことになりましたので、この投稿のことはいっておきます。
懐かしい時間ですねー。