外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

日米大学野球は二勝二敗に

2009-07-15 22:19:48 | 大学野球
日米大学野球の第四戦は、8対3で日本が勝ちました。
日本は、二神、乾、野村、中後、東浜、澤村、菅野という、豪華な投手リレーでした。

これで二勝二敗のタイ。
明日の神宮球場での第5戦が、文字どおり決勝戦となりました。

今日投げなかった投手が先発すると考えるのが自然でしょう。

明日も夕方に会議が入っていますから試合開始には間に合いませんが、1分でも早く神宮球場に駆けつけたいと思います。
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道マニア

2009-07-15 18:42:02 | 社会全般
かつて北海道で走っていたという馬が軌道車を牽引する馬車鉄道。

馬車鉄道の写真へのリンク

その廃線跡を辿るのが趣味だという方が、昨日の日経最終面に投稿されていました。

投稿者は、化学会社に勤務されていて、学生時代は鉄道研究会に所属していたそうです。

昔から数多くの熱心な鉄道マニアがいらっしゃいます。

鉄道車両の写真を撮ったり、行き先のプレートを収集する趣味はポピュラーですが、レールの製造番号の拓本をとる、特急列車の座席の寸法を測る、全国に点在する鉄道林(鉄道を風から守る防風林)の写真を撮る等々、いわゆるオタクの域に達していらっしゃる方も少なくないようです。


邦銀時代にお仕えした部長の一人に、慶応の鉄道研究会ご出身の方がいらっしゃいました。

大型地域開発へのプロジェクト・ファイナンスを担当する部署だったこともあり、地方へたびたび出張されていました。

ところが、その出張行程のアレンジが簡単ではありません。

「○○本線に××型の新型車両が走っているので、該当する列車に必ず乗車できるように行程を組んでくれ」

指示を受けた担当者は、まず××型車両とは一体どんなものなのかを調べ、次に時刻表を隈なくチェックするところから、準備を始めなければなりません。
鉄道好きの方は、調べること自体が楽しいのでしょうが、そうでない方にとっては苦痛以外の何物でもありません。

そんな苦労に支えられた出張から戻ってこられて、部長の第一声は

「いやあ、期待通りの車両だったぞ。座席が広くて、車内も静かだし。」

「部長、ところでプロジェクトの方はいかがでしたか・・・」

「おう、そうだった、そうだった」

部下も苦笑いするしかありません。

その部長は、今や副頭取になっていらっしゃいます。
秘書の方も、時刻表を片手に苦労されているのではなかろうかと想像したりしています。



ところで、話は逸れてしまいますが、決して鉄道マニアでない私でも、子供の頃に信越本線もしくは高山本線で目撃した、不思議な線路のポイントに対する疑問が、その後40年以上に渡って、ずっと頭にこびりついていました。

鉄道のポイント、正式には分岐器と呼ばれるのだそうですが、普通は次のような形状のものを皆さんも思い浮べるはずです。
一般的な分岐器の例

子供の頭の中でも、レールに導かれて列車が別の線路に移動していく様子が想像できます。

ところが、私が見たのは次のような分岐器で、「何だ、危ないんじゃないか、これは?」と考え込んでしまったのです。

不思議な分岐器の例

疑問が解けぬまま現在に至ったのですが、インターネットとは便利なもので、私の長年の疑問をあっさり氷解させてくれました。

このような分岐器は、本線に誤って貨車などが入り込んで大事故を起こすことを防ぐために、進入すべきでない車両を強引に脱線させてしまうためのもので、単線で運行されている鉄道に設置されることが多いそうです。

「大を生かして小を切る」というか、列車を人為的に脱線させて大事故を防ぐという発想は、小学生の私には全くありませんでした。

皆さんご存知の話題であったならば、すみません。
大きく脱線してしまいました。
(;^_^A

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学ジャパン二敗目

2009-07-15 06:03:02 | 大学野球
日米大学野球第三戦は、沢村(中大)、野村(明治)の両投手が打ち込まれて、日本が二敗目を喫しました。

米国チームはかなり強いですね。

ここが踏張りどころ。
ガンバレ、日本!
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週べ今週号

2009-07-14 20:29:37 | 大学野球
平成12年から14年までの3年間、東京六大学野球は、いわゆる松坂世代の好投手たちが各校に揃い、高いレベルで凌ぎを削っていました。

早稲田に和田(ソフトバンク)、慶応に長田(西武)、法政に土居(横浜)、そして立教には多田野(インディアンス-日本ハム)。
明治の二学年下には一場(楽天)も。

どの対戦カードでも、一回戦のエース対決は本当に見応えがありました。


その一人、多田野投手があわやノーヒットノーランの快投を見せましたのは7月10日のこと。(写真は週べからお借りしました)

多田野くんは、上記のような投手が居並ぶ中で、平成13年春にはベストナイン、そしてリーグ歴代7位となる奪三振334を記録している素晴らしい投手です。

とにかく私は、立教戦が近づくたびに、「ああ、また多田野と対戦しなきゃならないのか。あのキレキレのスライダーは、見たくもないよ」と、田中、青木、鳥谷、比嘉、武内らの最強打線を早稲田が誇っていた当時ですら、心底から脅威に思っていました。

メジャーから日本ハムに移籍し、大学時代の投球スタイルからも随分変わったように感じます。
でも、彼が頑張ってくれると、あの時代の六大学野球のレベルの高さを証明してくれるように思えて、本当に嬉しいです。

これからも、パリーグの強打者たちが、「うわぁ、今日は多田野か。」と嫌がるような投球を見せてくれることを期待したいと思います。

ところで、石田雄太さんが、ご自身のコラムで、江川卓・西本聖の対談を特集したテレビ番組(TBS系、7月20日・海の日の夜9時から)を予告されています。

たった一つだけのエースの座を競い合った二人には、凄まじい競争があり、その頃の心の中に刺さったトゲが現在まで残っていたそうです。

三連休の最後の夜。
このテレビ番組は見逃せません。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日米大学野球・第二戦

2009-07-13 22:32:52 | 大学野球
会議を終えて東京ドームに駈けつけたのは、三回表、大学ジャパンが6得点のビッグイニングを作っている真っ最中。

今日はmytochigiotokoさんとご一緒に観戦させていただきました。
そしてnearcoさん、名古屋のNさんもおいでになっていました。

さて、当日入場券を買う時に0対2でビハインドだったのですが、観客席に着いた頃には6対2。

これは楽勝かと思ってチビチビと飲み始めた途端、六回から先発・斎藤くんに替わった二番手・大石くんが七回に満塁にしてしまい、その走者を背負った三番手・乾くん(東洋大学)が3点を取られしまい、あっという間に2点差。

八回にも乾くんが一死満塁のピンチを迎えてしまいますが、四番手の菅野くん(東海大)が後続を断ち、大学ジャパンが7対5で勝ちました。

なお、土生くんが九回裏に右翼守備につきました。


試合途中からの観戦なので確かなことは言えませんが、三回裏の斎藤くんは先頭打者を歩かせたり、あるいは投球の間合いも長く、これは大丈夫だろうかと心配になる雰囲気でした。
しかし、四回からは投球のテンポが良くなってきて、彼本来のピッチングができたように思います。

かたや大石くんは、替わりっぱなに球速150キロを記録してスタンドをどよめかせましたが、その後は空振りをとるけれども、ヒットも打たれるという投球内容。

「米国の選手はリーチが長いので、体を起こした後に外角に投げてもバットに当てられてしまう」と、かつて大学ジャパンの投手たちが苦しんでいたことを思い出しました。

球速の似通った東海大の菅野投手が巧みに米国打線を封じていたので、そこから何かを学び取ってくれたら良いのですが。
Comments (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六本木の夕べ

2009-07-12 20:07:40 | 都立青山高校
先日話題にした陶芸家の高橋謙輔くん。
前回の記事へのリンク


今日は、彼の個展が行われている六本木のギャラリーに青山高校のクラスメイトが集まり、テラスでワインパーティーを楽しみました。(写真)

一杯やる前に、彼の作品を一通り眺めましたが、いつもながら素晴らしい色あいです。
ギャラリーのウェブに彼の作品が紹介されていますので、ご覧になってみてください。
高橋謙輔くんの作品紹介写真へのリンク

今日のパーティーには、約20名の仲間が集まりました。
男女比率は半々という感じでだったでしょうか。

お互いの近況を話し終えると、話題は自然と高校時代の思い出に移りました。
今回は、何故か当時の恋愛関係の話題で盛り上がる展開に。

「AくんとBさんが付き合っていたのを知ってた?」
「CくんとDさんは、どうしてダメになったの?」

今だから開けっぴろげに話せる話題が、次々に飛び交い、これは面白くなってきたと、私も古い記憶を絞り出して参加しました。

ところが、Mさんという女の子が、「ayくん、高校二年生の時、私に詩を書いた手紙をくれたわよね。あの手紙には、どういう意味があったのかな。ひょっとしてラブレターだったのかしら?」と突然発言したので、いきなり私が集中砲火を浴びることに。

「ayくん、本当なの?」
「おい、ay、白状しろよ」

それに対する私の回答の内容は、ここでは割愛させていただきます。
(;^_^A


今日は、予想外の展開で冷や汗をかきました。
でも、こんな素敵な仲間たちと高校で巡り会ったことを、私は心から神様に感謝します。


さて、日米大学野球の第一戦は、米国が勝ったようですね。

明日は東京ドームでナイトゲーム。
先発が予想される斎藤くんは、米国のパワーヒッターを相手に、どんな投球を見せてくれるでしょうか。

私自身は午後五時半から重要な会議があるので、観戦できるかどうか、微妙なところなのが残念です。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年次稲門会

2009-07-11 23:07:54 | 早稲田大学
今日は、早大大隈ガーデンで行われた年次稲門会に参加しました。

1979年(昭和54年)に学部卒業、もしくは1975年(昭和50年)に学部入学した卒業生を参加者とする会として発足され、「54ら会」(ゴジラ会)と名付けられています。

司会は、元NHKアナウンサーの堀尾さん(浦和高校-第一文学部)、乾杯の音頭は弁護士の北村さん(長野高校-法学部)でした
(写真)


会場に入った時に私が感じた第一印象は「なんか老けた人が多いなあ。」
でも、考えてみれば私自身も同じような外観のはずなんですよね。
(T_T)

開会されて、まず清水副総長から祝辞をいただきました。
「皆さんの在学中とは異なり、今の早稲田は教育に力を入れています」

確かに、昔の法学部は、語学以外の授業は出席をとらない、大らかでヌルい学部でした。
それは分かりますが、苦笑せざるを得ない祝辞ではありました。

別の所用があり今日は途中で帰りましたが、次回はクラスメートと事前にきちんと連絡を取り合って参加したいと思います。


ところで、今日の会場で「その通り!」「異議無し!」などと、ひときわ大きな声がたびたび響き渡りました。
声の主を探したところ、予想通り、我らの同期の応援部主将であるIさん。
1978年秋の優勝パレードの先頭を歩いた男です。

神宮のネット裏に陣取り、大声で、かつ明るく早稲田に激を飛ばすことで、このところ有名なIさん。
春のシーズンでは、アカクロの妙な帽子を被っていました。

在学中も、そして30年経過した現在も、Iさんから元気をもらっている私です。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「早稲田の英語」

2009-07-10 18:06:52 | 早稲田大学
既にご存知の方も多いかも知れませんが、産経新聞に「早稲田の英語」というコラムが連載されています。
教育学部准教授の石原剛さんが、このコラムを書いていらっしゃいます。

私は、先日の早稲田フェスタ in 小田原で石原さんの講義を聴いて、遅れ馳せながらこのコラムの存在を知りました。

「早稲田の英語」へのリンク


過去のコラムを遡って目を通してみると、これが面白いのです。

例えば、「紺碧の空」を英語でいうとDeep Blue Skyだと言われると、「まあ、そんなところかな」と感じるぐらいなのですが、校歌「都の西北」となると、そう簡単なものではありません。

もちろん日本語の歌詞が頭に入っていますから、英文をみても何となく分かったような気持ちで読み流してしまいがちです。

しかし、英文学の専門家である石原さんの説明を聞くと「なるほど、なるほど、そういう気持ちが込められた表現なのか」と感心するばかりです。

英文学を学び、様々な思いを英語で巧みに表現することを研究されている方から見たら、私が普段接しているビジネス英語などは、電報で「サイフ ナクシタ カネ オクレ」というような、味も素っ気もない表現なのでしょうね。

学生時代は入試のため、あるいは単位を取るためだけに英語を勉強し、社会人になってからは仕事をこなすためだけに英語を勉強してきた私です。

でも、英文学をゆっくり勉強するのも楽しそうだなと、今回は生まれて初めて思いました。


最後に、大学のHPから「都の西北」の英語版をお借りしてきましたので、皆さんにもご紹介します。

見る人が見たら、きっと格調の高い、豊かな言葉遣いなのでしょう。

Northwest of City great and fair,
In the wood of Waseda,
Rise proudly high up in the air
Our old college dome and tower.
Our high-aspiring, cherished plan,
Fond ambitions, know ye not?
The torch of Progress in the van,
Glaring fire of freest thought;
The infinite Eternal Aim,
Careful, too, of present need.
How brightly onward, at its name,
See our steady ranks proceed!
Waseda, Waseda, Waseda, Waseda,
Waseda, Waseda, Waseda


From east and west, from age to age,
All tides of civilization
In one huge whirlpool ever surge
Round this great island Nation.
Whose lofty mission are we not
Carrying on our shoulders strong,
Through hardships of the vast untrod,
Endless as we march along?
Yet soon our hoped Eternal Goal
May its gleaming shadow cast
And with its all-embracing soul
Illumine the World at last!
Waseda, Waseda, Waseda, Waseda,
Waseda, Waseda, Waseda


And look on yonder wooded hill
Decked with evergreen, for there
We have our home for heart and will,
School, with kind maternal care!
Her students change from year to year,
Meet and part with youth's delight,
Yet all alike we seek to share
These ideals and their light.
Come, let us sing in all accord,
And with raptures ring the air,
To praise the honored name aloud
of our Alma Mater dear!
Waseda, Waseda, Waseda, Waseda,
Waseda, Waseda, Waseda
Comment (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オフの過ごし方

2009-07-09 17:59:10 | 大学野球
今週から野球部はオフに入っています。

部員たちからのメールを見る限り、下級生は試験勉強やレポート作成が大変なようですが、単位取得が順調な上級生たちは、母校の試合を応援に行ったり、故障を癒したり、あるいは帰省したりと、少しゆったりした時間を過ごしているようです。

昔は、前期試験の負担があまりありませんでしたから、7月早々に野球部の主力組は涼しい軽井沢グランドに腰を据えて、基礎からみっちりトレーニング。

そして8月からは数多くのオープン戦を組んでいました。

時々の監督の方針もあるのでしょうが、昔は社会人とのオープン戦がもっと数多く組まれていたように思います。

一方、控え組は安部球場に居残って練習したり、母校などの練習を手伝ったり。

今は夏休みの開始時期が約一ヶ月遅くなっていますし、灼熱の東伏見での練習。
何といっても、基礎練習の期間が十分取れないままオープン戦に突入してしまうのが残念です。

全体練習に突入するまでの時間別練習の期間を、どこまで自己管理して充実して過ごすことができるかに、かかってきますね。


さて、私はシンガポールにいる現在のボスの転勤がアナウンスされて、全く面識のない新しい青い目のボスと、信頼関係を一から築くことになっていましました。
(T_T)

果たして、どんな人物なんでしょうか。

多国籍企業で、目の色も肌の色もまちまちの組織の中で、「東京にいるayという男は、なかなか信頼を置けそうだ」と思ってもらうのは簡単ではないんですね。

外資といえども、企業人である以上、靴の大きさに自分の足を合わせるのは避けて通れません・・・・
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚津から早稲田へ

2009-07-08 18:10:48 | 早稲田大学
人気女優でエッセイも書いていらっしゃる室井滋さん。

自然体で、とても好感の持てる女優さんです。

室井さんが早稲田出身だと昔から知っていましたが、私が幼少時に住んでいたことのある滑川市で生まれ、そこから県立魚津高校に通ったということは最近になって知りました。

滑川市は、県庁所在地の富山市から東へ向かうJRの電車で20分程度の距離にある小さな町で、ホタルイカ漁で有名。

私の父が東京から転勤となったため、私は1歳から7歳までを滑川で過ごしました。室井さんは私の5歳年下ですから、同じ滑川市民として過ごした時期がある計算になります。

室井さんが高校に通った魚津市は、滑川から東へ電車で10分弱の隣町で、海岸から蜃気楼が見えることで有名。

魚津高校は、1899年(明治32年)に旧制富山県第三中学校として創立された伝統校です。(ちなみに一中は現・富山高校、二中は現・高岡高校)


ところで、滑川時代、私の父の同僚Hさんの息子さんで、いつも近所の子供たちと一緒に遊んでくれた4歳年上の優しいお兄さんがいまして、僕らは「みっちゃん」と呼んでいました。

みっちゃんも、室井滋さんと同じ魚津高校-早大の道を歩み、卒業後は野村證券に入社されました。

早大在学中、みっちゃんは神楽坂に下宿していて、目黒区の我が家に何度も遊びにやってきました。

私が高校受験を目前にしていた時、早大商学部一年生のみっちゃんが私の勉強部屋にやってきて、机の上の高校受験の問題集をパラパラめくりながら、「ふーん、灘や開成の入試問題も、大学受験よりはやっぱり易しいね」と現役大学生の貫禄と余裕を見せつけ私を悔しがらせたり。
そして私が高校に入った後に、やはり私の勉強部屋に入ってきて、「ねえ、ひょっとしてタバコ持ってない? 持ってたら一本ちょうだい」と貧乏学生の正体を見せたりと、4歳違いといっても幼なじみはいいものです。

野球ファンが魚津高校と聞けば、まず思い浮かべるのは1958年(昭和33年)の夏の甲子園準決勝。
魚津高校・村椿輝雄、徳島商業の坂東英二の両投手の投げ合いによる延長18回引分け再試合の激闘でしょう。

余談になりますが、同じ年の春の四国大会で、坂東投手は二日連続の延長戦で合計40イニングを1人で投げ切りました。

この力投があまりに選手に過酷なのではないかということになり、高野連は延長は18回までという規定を新設。

その規定が初めて適用されたのが、またしても坂東投手の投げる魚津高校との試合であったということですから、運命の巡り合わせとは面白いものです。


さて、そんな球史に残る名試合だったわけですが、当時2歳だった私には、残念ながら試合の記憶は全くありません。

恐らく滑川市内でも、魚津高校の大健闘に熱狂していたはずなのですが。

したがって、私が「魚津高校」と聞いて最初に思い浮かべるのは、薄暗い森に探検に行ったり、線路端の土手にツクシ採りに行ったり、稲刈り後の田んぼで三角ベースをやったり、雪の積もった川沿いの斜面でスキージャンプの真似事をやったりして遊んでくれた、そして早稲田の先輩でもある、優しいみっちゃんです。

みっちゃんは、今は富山に戻られて、宇奈月に住んでいらっしゃいます。
みっちゃんも、あと数年で還暦です。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする