競走部の江里口匡史選手(3年、熊本・鹿本高校)が、さる6月28日の男子100メートル走で、10秒07という日本歴代4位の好記録を出しました。
Numberにも記事が掲載され、日本短距離界における江里口くんへの期待はうなぎ登りです。
Number記事
さて、日本の伝説的な100メートル走者といえば、飯島秀雄選手(目黒高校‐早大‐茨城県庁‐ロッテオリオンズ)
飯島さんは、東京五輪のあった1964年(昭和39年)6月、手動計時で10秒1を出して、日本新記録樹立。その後は東京とメキシコで二回の五輪出場。
その10秒1という記録が現在も早稲田記録として残っています。
100メートル走の電気計時と手動計時は、平均して0.24秒、電気計時の方が遅く表示されると言われています。
この誤差は、計測担当者がスターターの号砲を耳で聞いてからストップウォッチの起動させるまでのタイム・ラグが原因とか。
なお、ゴール地点では、選手が走ってくる姿を目で追いながらストップウォッチを操作するので、殆ど誤差が生じないそうです。
上記の平均誤差を勘案して江里口くんの記録を手動計時に換算すると、何と9秒83!
45年前の世界記録は、「黒い弾丸」と呼ばれたヘイズ選手(アメリカ)が東京五輪で記録した9秒9。
江里口くんの今回の記録の凄さが分かるというものです。
一方、45年前のスパイクシューズや走路は、現在よりも記録が出にくいものだったはずですから、飯島さんが並外れた選手であったことも疑う余地はありません。
もし飯島さんが45年遅く生まれて、現在のスパイクシューズを履いて高速トラックを走ったら、どんな記録を出されたことでしょうか。
ちなみに現在の日本記録(電子計時)は、伊東浩司選手(報徳学園-東海大-富士通/早大大学院-甲南大学准教授)が1998年に記録した10秒00であり、10秒の壁は日本人選手の前に今もなお立ち塞がっています。
伸び盛りの江里口くんには、飯島さん、伊東さんも叶えることのできなかった夢の9秒台を、ぜひ叩き出してもらいたいものです。
Numberにも記事が掲載され、日本短距離界における江里口くんへの期待はうなぎ登りです。
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さて、日本の伝説的な100メートル走者といえば、飯島秀雄選手(目黒高校‐早大‐茨城県庁‐ロッテオリオンズ)
飯島さんは、東京五輪のあった1964年(昭和39年)6月、手動計時で10秒1を出して、日本新記録樹立。その後は東京とメキシコで二回の五輪出場。
その10秒1という記録が現在も早稲田記録として残っています。
100メートル走の電気計時と手動計時は、平均して0.24秒、電気計時の方が遅く表示されると言われています。
この誤差は、計測担当者がスターターの号砲を耳で聞いてからストップウォッチの起動させるまでのタイム・ラグが原因とか。
なお、ゴール地点では、選手が走ってくる姿を目で追いながらストップウォッチを操作するので、殆ど誤差が生じないそうです。
上記の平均誤差を勘案して江里口くんの記録を手動計時に換算すると、何と9秒83!
45年前の世界記録は、「黒い弾丸」と呼ばれたヘイズ選手(アメリカ)が東京五輪で記録した9秒9。
江里口くんの今回の記録の凄さが分かるというものです。
一方、45年前のスパイクシューズや走路は、現在よりも記録が出にくいものだったはずですから、飯島さんが並外れた選手であったことも疑う余地はありません。
もし飯島さんが45年遅く生まれて、現在のスパイクシューズを履いて高速トラックを走ったら、どんな記録を出されたことでしょうか。
ちなみに現在の日本記録(電子計時)は、伊東浩司選手(報徳学園-東海大-富士通/早大大学院-甲南大学准教授)が1998年に記録した10秒00であり、10秒の壁は日本人選手の前に今もなお立ち塞がっています。
伸び盛りの江里口くんには、飯島さん、伊東さんも叶えることのできなかった夢の9秒台を、ぜひ叩き出してもらいたいものです。