外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

全早慶戦のスタメン

2009-08-22 17:40:08 | 大学野球
DH生島
5宇高
9土生
7山田
3原
2杉山
4松永
8小島
6後藤
P日野

4漆畑
7山本
8伊藤
5梶本
DH今福
3高尾
9小山
2伊場
6渕上
P田中
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済美高校

2009-08-22 15:52:33 | 大学野球
今治から松山にトンボ返りして、次に済美高校を訪問いたしました。

松山市の中心部に位置する済美高校。
でも、グラウンドは校舎から10キロ余り離れたところにあり、下級生は自転車で毎日移動。三年生だけは監督が運転するバスに乗ることができると、タクシーの運転手さんが話してくれました。

元々は女子校で野球部の歴史は長くはないのですが、名門・宇和島東高校を長年指導された名将・上甲監督が移られてから、あれよあれよというまに強豪校の仲間入りを果たし、エース福井(早大3年)、斬込隊長・甘井(早大卒)、四番・鵜久森(プロ)という強力チームで選抜優勝、夏準優勝という偉業を成し遂げました。

宇和島東で一年生の時に上甲監督から指導を受けた田中幸長くんに、かつて「上甲さんは、どんな監督さんだったの?」と尋ねたところ、「早稲田の野村さんの10倍ぐらい怖い」との返答。
同じ質問を甘井くんにしたら「怖くて、怖くて、何を言われても、ハイ、ハイと答えることしか出来ませんでした」ということでしたから、短期間のうちにチームを全国の頂点へと導く監督さんの物凄さ、厳しさが私にも分かりました。

済美高校HP
今日は、済美と岩国高校との練習試合が行なわれていました。(写真)。
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松山商業

2009-08-22 15:47:35 | 大学野球
愛媛県の、というよりも、日本の野球の歴史に輝かしい数々の記録を残してきた松山商業。
野球殿堂入りをされている名将・名選手の人数で、全国の高校で堂々の第一位という、名門中の名門です。

早稲田関係では、何といっても名将の誉れ高い森茂雄さん。

1930年度の早大主将で何と監督も代行。
終戦直後の1946年には東京帝大の監督となって、東大をリーグ二位へと導き、翌1947年から1957年まで早稲田の監督を務められて、9回のリーグ優勝を達成されました。

早稲田では、荒川博さん、広岡達朗さんらのサムライを育て、プロでも阪神や大洋で監督を務められた方です。


最近の松山商業出身者では、早稲田の主将で近鉄でも活躍した水口選手。
松山商業でも主将であった彼は、夏の甲子園でチームを準優勝へと導き、個人でも、今も破られていない甲子園最多安打の記録を残しました。
早稲田には、人間科学部一期生として入学。
当時、低迷していた早稲田スポーツに喝を入れてくれた大功労者の一人でして、人間科学部の同期には、ラグビー部の堀越・今泉、バレーボール部の堀江陽子(ヨーコ・ゼッターランド)がいました。

松山商業HP


松山商業のグラウンドに行きましたが、残念ながら今日の練習は終わっていました。(写真)
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今治西高校

2009-08-22 13:35:39 | 大学野球
松山駅から在来線の特急しおかぜに飛び乗って今治駅に移動しました。

「瀬戸の花嫁」のオルゴールが流れる松山駅を発ち、「新来島どっく」「ポンジュース」の工場など、いかにも愛媛らしい風景を眺めながら、35分余りで到着する距離です。

久しぶりに、単線の特急列車に乗りました。
左右から建物や電柱が迫ってくる狭い間を、それも海岸線の連続カーブを結構な速度で走り抜けるので、かなりスピード感があります。
江ノ電とは大違い
(;^_^A


今治駅に着いて、さっそく向かったのは今治西高校。

今治西といえば、私の先輩では矢野投手、一学年下に宇佐美二塁手、その後は三谷投手、藤井投手、そして現役には宇高くんが卒業している、早稲田の野球部とも深い縁のある伝統校です。

最も多くの思い出があるのは、後に今治西の監督も務めた宇佐美二塁手ですね。
早稲田では、元阪神の岡田彰布が主将。岡田、有賀、島貫と三人プロ入りした強力な学年の一員。
ちなみに、その学年の学生コーチで鬼の新人監督だったのが、現在は福岡大大濠高校監督の中野さん。現役の大石くんの恩師です。

宇佐美さんは学生時代にはガリガリの細身でしたが、テレビなどで最近見ると、随分と恰幅が良くなりましたね。
今夜の早慶戦にも、お見えになるでしょうか。

さて、今治西の正門に実際に立ってみると、野球部やボート部など、運動各部の輝かしい戦歴を刻んだ石碑があり、さすがの風格が漂っていましたよ。

校舎の向こうから響いてくる球音に誘われて野球グラウンドに行ったら、今治西と松山北の練習試合が行なわれていました。

そして、ダッグアウトの裏に金色のプレートが。
「寄贈 昭和49年2月」と記されたプレートには、寄贈者として、昭和48年度の野球部員の氏名(その中には、上記の宇佐美秀文さん、そして宇高くんのお父上・隆さんのお名前も)
そして「早稲田大学投手 矢野暢生」と、矢野さんのお名前も並んで刻まれていました。
今治まで足を運んだ甲斐がありました。

今治西高校HP

そして、ちょうどお昼時だったので、地元で評判のうどん屋さん「かま福」で食事しました。

四国はうどんの本場。
決して、お隣・香川県の讃岐うどんばかりではなく、今治のうどんもレベルが高い。

おでんを食べながらビールを一杯飲んで、汗が引いてきた頃に、このお店には今治西の野球部員も来るんですかと、ご主人に聞きました。すると、

「学年によって違うけれど、最近では宇高くんの学年が良く来てくれたよ」
「最近の学年では、宇高くんは飛び抜けて優れた主将だった」
私が早稲田OBだと自己紹介すると、
「私らは、宇高くんは早稲田でも主将になるんじゃないかと噂してます」
「次に宇高くんに会ったら、絶対に主将になれよと、うどん屋のオヤジが言っていたと伝えてください。」
藤井投手の話題も出てきました。

こんな会話を楽しみながら食べた「おろしふっかけうどん」。
美味しいに決まっていますね!
食べログ_かま福_携帯用

食べログ_かま福_パソコン用
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