軸装 山の辺の道 歌碑
拓本 川端康成
「大和は 国のまほろば たたなづく 青かき 山ごもれる 大和し 美し」(倭建命)
大和の国は国々のなかで最も優れた国だ。重なり合う青々とした垣のように国を囲む山々。
その山々に囲まれた大和は美しい。
この碑の文字は川端氏が依頼を受けながら約束を果たせず他界されたので、奥様が生前の氏の肉筆の原稿から一字一字
選び集められたとのこと。毛筆でなく、ペン字の筆跡が刻まれていて言いようのない風格があり魅かれます。
この碑は山の辺の道の桧原神社から少し西に下った井寺池畔に建っていました。
川端氏が「遠足に来た子供たちが腰かけて弁当を食べてくれるような形の碑にしたい」
と希望されていたため池の畔の低い位置に建てられたとのことですが、碑の背後は急斜面で腰かけたら危ない
感じがしました。
この拓本は横長で大きいため掛軸にするには私なりの工夫を試みました。
本紙に自分で描いた大和柿の絵を貼りつけ、横幅がある中廻しには筋七子のテープを入れ、また軸棒にも同じ
赤金のテープを入れてアクセントをつけて見ました。
拓本 川端康成
「大和は 国のまほろば たたなづく 青かき 山ごもれる 大和し 美し」(倭建命)
大和の国は国々のなかで最も優れた国だ。重なり合う青々とした垣のように国を囲む山々。
その山々に囲まれた大和は美しい。
この碑の文字は川端氏が依頼を受けながら約束を果たせず他界されたので、奥様が生前の氏の肉筆の原稿から一字一字
選び集められたとのこと。毛筆でなく、ペン字の筆跡が刻まれていて言いようのない風格があり魅かれます。
この碑は山の辺の道の桧原神社から少し西に下った井寺池畔に建っていました。
川端氏が「遠足に来た子供たちが腰かけて弁当を食べてくれるような形の碑にしたい」
と希望されていたため池の畔の低い位置に建てられたとのことですが、碑の背後は急斜面で腰かけたら危ない
感じがしました。
この拓本は横長で大きいため掛軸にするには私なりの工夫を試みました。
本紙に自分で描いた大和柿の絵を貼りつけ、横幅がある中廻しには筋七子のテープを入れ、また軸棒にも同じ
赤金のテープを入れてアクセントをつけて見ました。