とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

満蒙開拓団 ある女性教師の死

2019-08-15 20:27:30 | 日記
終戦記念日のこの日
身近で戦火に倒れた人の記録は後世に残していく必要があるだろう。
以下は、実際に私が見聞きしたことではないので、資料としてしか記録することはできないが、伯母から引継がれたものである。

伯母が高等小学校の時担当だった教師は、師範学校を出たばかりの新米女性教師であった。伯母達と歳が近いこともあり、先生も初めて担当したクラスであったことから伯母達との関係も深かったそうだ。卒業してからも繋がりが続き、先生との手紙のやり取りも続いていた。私はその手紙を譲り受けた。
その後先生は満蒙開拓団のリーダーであった青年と結婚することになる。
当時、満蒙開拓団に入ることには、周りから強く反対されたそうだが、それでも結婚相手の青年を信頼し先生は満州へ渡る。
別れの日、伯母は横浜港へ先生を見送りに行った。
以下は満州へ着いた先生から伯母宛てに届いたはがきの文面である。


お元気なやさしいお便り有難う。
出郷の日は遠いところわざわざお送り下され有難うございました。
色々忙しく、よくお話し出来なかったこと残念でなりませんが、必ず再会の日がある事と思います故、その日を楽しみに致して居ります。
私どもは十七日に無事当地に到着致しました。その頃はまだまだ冬景色でしたが、日一日と春が訪れて参り長い間の荒涼たる北満の冬も何處となく春を迎える喜びに躍動して居る様です。こんな土地でも日本人が元気に祖国の為働いて居る姿を見るに付、私も怠けては居られなく存じて居ります。皆さんがとても御親切にして下さいますので淋しいことなどなく毎日朗らかに例の調子で唄って笑って居ります故、ご安心下さい。
学芸会の写真是非送って下さい、楽しみにして居ります。
××の人は本校に来ると淋しいだろうと私も何時も心配して居りますが、私の居た時と変わらず、元気に新しい時代の日本の女子青年として活躍して下さる様お願い致します。
ではまたお便りします。さよなら

5月12日

(9年5月13日の郵便局の消印あり)
注:9年とは満州国の元号で康徳9年のこと=昭和17年5月13日

その後、先生のいた満蒙開拓団もソ連軍の侵攻を受けることになる。
その時悲劇が先生を襲った。
先生は、満蒙開拓団のリーダー的存在だとして、夫婦ともにソ連兵により銃殺にされてしまったそうだ。(ソ連軍は日本人の組織的抵抗が出来なくなるように、リーダーであった先生夫妻を処刑したらしい)

この時夫妻には赤ちゃんがいた。赤ん坊だけは戦後、仲間の満蒙開拓団の人達に守られ帰国することが出来たそうだ。

妙蓮寺で行われた先生の葬儀(遺骨はなかったそうだが)には、伯母も参列した。


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