とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

藤沢市村岡 二伝寺 村岡城址 坂東平氏平良文流旧跡を歩く

2020-08-18 21:38:16 | 神奈川散歩


坂東平氏は高望王が平氏の姓を賜り、関東に赴任したのが始まりとされる。
坂東下向の際には、息子達やその家臣団も随行したので、関東移民団団長のような存在だった。息子世代までは、京で暮らしていた都会者ということになる。

長男の国香の息子は、将門を打った平貞盛で、子孫の一部は、後に京に返り咲いた。
栄華のピークが平清盛だ。
一方、国香の年下の兄弟であった平良文は、兄たちに遅れて関東にやってきた。
その子孫達は後に関東の一大勢力となる。
千葉氏、三浦氏、畠山氏、長尾氏、梶原氏、秩父氏、鎌倉氏、などだ。
関東においては、良文が大樹の家系となる。

鎮守府将軍も務めた名門の為、地元民は何かと因縁を付け、祖先にしてしまったのではないかと思う。私の姓もその枝葉に当たる。
はじめに鎌倉の北西(藤沢市村岡)に住んだので村岡良文(村岡五郎)とも言う。(埼玉の村岡が本拠だとの説も有力だが、いろいろ引っ越しをしているようだ)
平将門とも仲が良かったそうで、将門が打たれるとその息子をかくまい、身が立つようにめんどうを見てやるなど男気がある人物だったようだ。

若いころは、紅顔の美少年(優しい面立ち)であったそうで、源宛との一騎打ちの説話(今昔物語)なども伝わり、武勇に優れていたとされる。

一応高祖と伝わる人物なので、このくそ暑いのに藤沢市村岡の村岡城などを巡ってみた。




城址の碑文は東郷平八郎の書
やはりご先祖は平良文流秩父氏だそうだ。ということは、東郷平八郎と私は縁があるということになる。ばかばかしいような話だが、素朴に面白い。
一族が増えた要因というのは、こういう所にあるのだろう。









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