私が中学生だった頃、
学校から生徒の誕生日に本のプレゼントがありました。
あらかじめ文庫本のリストの中から
自分で受け取る本を選んでおくのですが
私は徳冨蘆花の「自然と人生」を選びました。
2年生の時には、全員同じ本のプレゼントになってしまいましたが、
それは「ビルマの竪琴」でした。
はたまた音楽では
ダークダックスが学校の体育館にやってきました。
(本当はダークダックスであったか、ボギージャックスであったのか、あるいはデュークエイセスであったのかは、忘れてしまったのだが、いずれかのグループであったことは間違いない。)
まじかで歌う一流のプロのコーラスに鳥肌が立ちました。
企画してくれた方はどう思っていたのかは知りませんが
田舎者の私には大変ありがたい企画でした。
思うに、思春期に感動したことというのは、
その人の一生を通じて影響のあることだと思います。
趣味にしても
興味を持つ事柄ににしも
ほぼすべて、中学生までに自分が経験したことが下地になっています。
たとえば自然と人生という本では、
次の一節が特に私が好きなところなのですが・・・・
相模灘の落日
秋冬風まったく凪ぎ、天に一片の雲なき夕べ、立って伊豆の山に落ちつる日を望むに、
世にかかる平和のまた多かるべしとも思われず。
日の山に落ちかかりてより、そのまったく沈み終わるまで三分時を要す。
初め日の西に傾くや、富士を初め相伊の連山は煙のごとく薄し。日はいわゆる白日、白光爛々としてまぶしきに、山も目を細うせるにや。
日さらに傾くや、富士を初め相伊の連山しだいに紫になるなり。
日さらに傾くや、富士を初め相伊の連山紫の肌に金煙を帯ぶ。
この時浜に立って望めば、落日海に流れて、わが足もとにいたり、海上の船はみな金光を放ち、逗子の浜一帯、山といわず砂といわず、家といわず、松といわず、ころがりたる生簀の籠も、落ち散りたる藁屑も、赫焉として燃えざるはなし。
名調子ですね。一時は暗記したことすらありました。
このところ三浦半島を歩いていますが、相模湾を見ると
心のどこかで蘆花のこの文章の光景を思い浮かべているのです。
学校から生徒の誕生日に本のプレゼントがありました。
あらかじめ文庫本のリストの中から
自分で受け取る本を選んでおくのですが
私は徳冨蘆花の「自然と人生」を選びました。
2年生の時には、全員同じ本のプレゼントになってしまいましたが、
それは「ビルマの竪琴」でした。
はたまた音楽では
ダークダックスが学校の体育館にやってきました。
(本当はダークダックスであったか、ボギージャックスであったのか、あるいはデュークエイセスであったのかは、忘れてしまったのだが、いずれかのグループであったことは間違いない。)
まじかで歌う一流のプロのコーラスに鳥肌が立ちました。
企画してくれた方はどう思っていたのかは知りませんが
田舎者の私には大変ありがたい企画でした。
思うに、思春期に感動したことというのは、
その人の一生を通じて影響のあることだと思います。
趣味にしても
興味を持つ事柄ににしも
ほぼすべて、中学生までに自分が経験したことが下地になっています。
たとえば自然と人生という本では、
次の一節が特に私が好きなところなのですが・・・・
相模灘の落日
秋冬風まったく凪ぎ、天に一片の雲なき夕べ、立って伊豆の山に落ちつる日を望むに、
世にかかる平和のまた多かるべしとも思われず。
日の山に落ちかかりてより、そのまったく沈み終わるまで三分時を要す。
初め日の西に傾くや、富士を初め相伊の連山は煙のごとく薄し。日はいわゆる白日、白光爛々としてまぶしきに、山も目を細うせるにや。
日さらに傾くや、富士を初め相伊の連山しだいに紫になるなり。
日さらに傾くや、富士を初め相伊の連山紫の肌に金煙を帯ぶ。
この時浜に立って望めば、落日海に流れて、わが足もとにいたり、海上の船はみな金光を放ち、逗子の浜一帯、山といわず砂といわず、家といわず、松といわず、ころがりたる生簀の籠も、落ち散りたる藁屑も、赫焉として燃えざるはなし。
名調子ですね。一時は暗記したことすらありました。
このところ三浦半島を歩いていますが、相模湾を見ると
心のどこかで蘆花のこの文章の光景を思い浮かべているのです。