Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

天津13

2005-02-23 17:28:28 | Weblog
天津13                    2002-12-22

通りの名前2

中国語は発音が難しい、四声を間違えると通じないと、
日本に居る時から、教えられては居ましたが、本当に
通じませんね。いやになります。会社ではアシスタントの助けを
借りて、なんとか話をつうじさせていますが、一歩外へ出ると、
なんとしてでも、自分で通じるように努力しなければ、なりません。

天津12に書いたように、私の住んで居る所は、黄海路と
洞庭路(現代標記は同庭とか書きます)を繋ぐ黄海一街にあり
ますが、タクシーに乗るときに、私が言う黄海路(フアンハイルー)が
通じません。開発区(カイファッチュー)、黄海路と叫んで、一発で
通じたことがありません。今日は買い物に出た帰りに、開発区、
同庭路(トンティンルー)と言うと、すぐ通じました。これからは、
このルート専門になりそう。私が発音するフアンハイルーがどうも
怪しいんでしょうね。それに引き換え、トンティンルーは響きよく、
トンティンと聞こえるのかな。

買い物は、靴とセーターを買いました。
208元と140元でした。(15倍で日本円)サイズはセーターの
場合は、コートを脱いで背中を向けると、合わせてくれてOK!
寮に帰ってきて着てみても、ばっちしです。靴は、26.5cmと
言うと換算で43とかで、履いてみるとキツイ。44は?無い。
44の別のやつを履いてみたら、OK。それにしました。靴が福建省、
セーターが広東省で、良い品質です。買い物は、買うと決めたら、
店の子が売上伝票を3枚書く、それを持って集中Cashierの所へ
行って金を払う。支払済みの証明のある2枚の伝票を持って売り場に
戻ると、商品は包まれていて、それを貰って帰る・・・仕組みです。
ズボンの裾合わせはその場で10分でやてくれます。




天津12

2005-02-23 17:11:31 | Weblog
天津12                    2002-12-21

通りの名前

私が住んでいるところの住所は、天津経済開発区黄海一街18号です。
1年前までは第九大街18号でした。つまり第九大街を黄海一街にした訳です。
京都ふうに言えば、黄海路、黄海一街西入ル・・・・・となります。

この開発区は南北方向の
幹線道路が4本に西から東に向かって、渤海路、同庭路、黄海路、
南海路と走っています。東西方向に走る道路が、南から北へ第一
大街⇒第八大街とあって、わが社のところが、第九大街だった訳です。
ちなみに、北のはずれ第十大街より北は荒地で、何も有りません。
何年か前は、わが社より北には何も無かったのです。
そして次に新しく東西方向に道路ができました。普通ならこれを
第十大街する筈です。そうすれば良かったのです。ところが、何を
血迷ったのか、新しい道路を第九大街とし、今までの第九大街を
黄海一街と命名してしまったのです。だから、タクシーの運ちゃんも
判らない、黄海路と黄海一街とごっちゃになるし、困ったもんです。
会社は住所を変えるのに余分な出費もかかるしで、良いこと
一つも有りません。タクシーに乗った時は、黄海路、第八大街と
正確に言い(フアンハイルー、デイーパーダージェ)、第八大街まで
来たら、前進(ジェンチン)、加油站(チャーヨーツアン・・ガソリン
スタンド)、左折(ツオーガイ)と叫びます。すると会社のまん前に
着ます。フーッ

今日、天津から開発区へ帰ってくるのに、バスに乗りました。
いつものバスとは番号が違っていたけど、行き先が塘沽→開発区と
なっていたので、乗りました。開発区なら、どこに行っても知れてると、
思ったのです。ところが、間違っていました。途中はいつものコースなので
安心して眠りました。塘沽の駅を通過して、開発区に入り、降りる
人が出てきます。どこでも降りられます。黄海路、第三大街まで
来たので、もうこっちのもんだ、あとは、まっすぐ北上すれば、わが社の
近くのバス停だと、思ったら右折して東に向かいました。あ、そうか
ジグザグに走るんだなと思っていたら、そのまま天津新港まで行って
しまいました。ちょうど、行ってみたかったので、良かった(負け惜しみ)。
終点で降りる時に、バスの行き先表示を良く見たら、塘沽→開発区→保税区
になっていました。そう、ここは保税区なのです。


天津11

2005-02-23 17:02:46 | Weblog
天津11               2002-12-18
どうでもいい事いくつか:


私の食と住については書いたが、衣について。スーツケース
一個の衣類では、すぐ着るものが底をつく。ファッションの
先端を行く衣料品はデパートで買える。困ったのは、ももひき。
お前のそんな薄いももひきでは一ヵ月後には使えないと、
脅かされて、未だ買ってない。デパートに行っても下着売り場が
どこにあるのか判らない。未だ聞くことが出来ない。売り場の
お姉ちゃんにももひき見せて、これはどこ?って聞くかな。
洗濯は、寮の小母ちゃんに一ヶ月150元(15倍で日本円)で、
洗ってもらえる。

スープ(広い意味の汁もの)の順番
食事の時、日本では、ご飯と味噌汁またはおすましとおかず・・
で構成されている。こちらでは、まず料理そしてご飯、最後に
スープが出てくる。食事が終わって、デザートの前にスープを
飲む、食べるのだ。私がご飯と同時に、スープを貰ってから、
小母ちゃんは、必ず、私にだけはスープを先に出してくれる。
有り難い。


毎日のことなので、枕は自分の好みにあったものでないと
辛い。寮の枕はウレタンゴム製のふわふわ。これでは、ダメで
枕を買うのに頭を痛めていた。言葉で説明できない。枕は
中国語も枕なのだが、硬いのをくれといって、木の枕が出て
きたらどうしようとか、悩んでいた(んな訳ないだろうに)。
そしたら、我が寮から一番近い商店のあるところで売っていた。
多分そばがらの入った枕で、棚晒しで薄汚いのが一個だけ
あった。4元だって。枕カバーは無いのでそれも買う。とにかく
枕とサイズが合わないといけないので、そう言うのを探したら、
リスの赤ちゃんが、人間の子供のように赤い服を着て海岸で
遊んでいる絵柄のものがぴったり。それにした。自分で噴出
してしまった。そのカバーも4元、両方で120円で買えた訳だ。
包装も何も無し、枕を剥きだしで、小脇に抱えて帰るはめに。
そして会社に戻ると、守衛の兄ちゃんは、直立不動で敬礼、
私も敬礼を返す。小脇にりすの枕を抱えて。ようやるわ。

天津10

2005-02-23 16:24:49 | Weblog
天津10                   2002-12-16

昨日、天津市へ行ってきました。私には寒くて,空は曇っていました。
歩いて15分の開発区中心からバスが出ています。始発と終発が
決まった時刻に発車する以外は、客が貯まると出て行くような感じ
です。台湾の人達は、taxiで行った方が良いよと言ってくれましたが、
時間潰しに行く訳ですから、いくら長くかかろうと構いません。バスなら
いろんな所を見れますから。1時間半かかって途中も止まって、超
満員(但し立ち客はいません、補助席も全部使って座る)で走ります。
天津駅に近づくと、ぽろぽろ降りはじめて、駅で大半が降ります。
バスはその先の広場まで行って終点です。これで5元(15倍して
日本円)です。私はtaxiを拾って海光寺へ。知人から頼まれた、
その人が生まれた家を探しに行きました。その寺が基点で、昔の
日本人租界の跡を訪ねたのですが、結果的に、私は大きな間違いを
してしまい、全然違う場所を彷徨い歩いていました。間違いの基は、
戦前の地図では両側に水路がある太くは無い道が、今は水路を
潰して大きな道になっており、それを戦前の地図にある、太い道と
信じ込んで歩き出しましたので、完全に1ブロック隣りを探して
いたのです。おまけに、そのあたりは再開発されて巨大ビルと昔の
レンガ作りの今にも崩れ落ちそうな建物が混在して、どっちもが
日本人租界のあったことを否定しているかのように見えました。

午後から冷え込んできて、雪も降ってきました。道端で、お好み
焼きをホットケーキ状にして売っていました。それを買い(1元)
歩きながら食べました。もうこれまでと、諦めて、taxiを拾い、駅に
行きました。駅は人で溢れており、私が帰る方向の汽車は、1時間
以上も後です。切符を買おうにも、どの窓口に並べば良いのか
判りません。私はスプリングバインダーのメモ帳に、自分の乗りたい
列車の番号、行き先、発車時刻、プラットホームNo.を大きめに
書いて、並んでる人に見せて、ここか?と身振りで訪ねます。
片っ端から(それ程切符売り場があります)聞いて行くうちに取っ組み
合いの喧嘩をしている所に遭遇しました。切符を買う列の喧嘩なので、
皆がそっちに気を取られ、列が開いたすきに、メモを切符窓口の駅員に
見せると上に行けと教えてくれました。上に行くと商店街があり、
いろいろ売っています。時刻表や地図・雑誌の売り場で、天津の
詳細地図を買い、インスタントラーメンとオレンジを買い、自分が
乗るプラットホームの階段の所に行くと、駅員が切符を売っていました。
ローカル電車ですから、これで良いんですね。会社の人から、汽車に
乗るのはよせと言われていましたが、もう大丈夫、次回もこれにします。
汽車は定刻どんぴしゃに発車して40分で塘沽駅に到着しました。
ここから開発区までの道はもう大丈夫覚えました。汽車賃が4.8元、
バスも考えているんですね。私が租界探しの間違いに気づいたのは、
寮に帰って、じっくりと、買ってきた地図と、戦前の地図を、見比べた
時でした。もう一度あそこに行かなくっちゃ。

天津9

2005-02-23 16:15:40 | Weblog
天津9                2002-12-13

「さー、それでは、今日は最近この近くに出来た、海鮮
レストランで食事にしましょう」との、総経理の言葉で
我に返り、外へ出た。それほど寒くない。外環状と
津塘公路が交差する立交橋(これ中国の言葉ですが、
良く判りますよね)から東麗経済開発区に入ったところに
ある海鮮レストランなのだが、その広さと言ったら、信じられ
ないくらいに広い。バスケットのコートが2面は取れる広さで
2階建て、下は食材展示場と調理場で、上がレストラン。
回の字状に生簀が作られている。店に入ると女の子が
スーパーマーケットにある買い物用のカートを持って(押して
あるいは引いて)、いらっしゃいませ(と言っているに違いない)
と近寄ってくる。

客は、回の字の、つまり建物の壁の方と
中心の方の生簀を見ながら食材の魚や貝、蛸、蟹、えび
を選びながら、調理方法を指定して行く。勿論、野菜も
展示されている。調理方法は、お薦めの方法が2-3
書いてあるので、言葉が出来なくても、指で指し示せば
なんとかなる。彼女は、携帯端末に、私たちが買った食材の
数量をinputしながら、買い物籠に入れて行く。すると
お兄ちゃんが飛んできて、それを調理場に持って行く、その
時に、彼女が調理方法を言う。バスケットコート2面程もあるから、
種類の多さは、驚くばかり。蟹だけで、10種類くらい、
ロブスターで5種類ほど、えびも6-7種類、魚に至っては、
どれくらいあるのか見当もつかない。鶏も生きたまま、
5種類ほど、種類ごとに小屋に入っている。
いつ喰われるか判らないのに、餌をついばんでいるのは、
見なければ良かった。なんと孔雀が一羽、窮屈そうに、
小屋に入れられている。おいおい、こんなもん食うの?

私たちは、きのこ、スープに、野菜(つまみ菜みたいなもの1品)、
あぶら炒め、えび、茹でる、小斑魚(くえみたいな魚)、蒸しもの、
渡り蟹、茹でる、白魚、フライ(これ絶品)等と指示しながら
(私は見てただけ)最後のコーナーに来た。ぎょっ、ワニが首を
切られて台の上に、それでもしっかりと手足を踏ん張って乗って
いるではないか。ごめん、パスだ。食材選びが終わると、彼女は
端末を見ながら、選ばれた食材と調理方法を復唱する。そして
端末から磁気カードを抜いて、我々に渡してくれる。それを
持って食卓のある部屋に入ると、部屋係りのお姉さん達(皆、
若くて数が多い、客は少なかったが大丈夫かな、あれで)が
飲み物を聞いてくれて、食事が始る。ざっとこんな具合だ。

料理は美味しかった。ダイナステイワインの白を飲み、仕上げに
白酒バイジュウ(透明の蒸留酒で、この時のものは40度、
60度のものもある)を飲んだ。実に楽しい食事となった。

天津8

2005-02-23 16:08:41 | Weblog
天津8               2002-12-13

今日は、天津に来て2度目の金曜日。あっと言う間の
1週間であった。午後から、自分が現役の時に、会社に
具申して、建設した工場を訪ねる約束になっていた。
董事・総経理(取締役社長)は私より若いが以前の仕事仲間である。
私の訪問を喜んでくれた。工場は盛業で、来年春には、倍の
広さになる。既に鉄骨が立ち上がって、床のコンクリートが
打たれていた。何か、自分のことのように嬉しく誇らしい。
私が車を降りると、中国人の製造の責任者が、懐かし
そうに握手を求めて来る。日本での研修の時から、ずーっと
居てくれた、有り難い人材だ。中に入ると、営業の担当者が
こちらを見てニコニコ笑っている。彼も残ってくれていた。
若い総経理、副総経理に奥に招かれて、挨拶と最近の
情報交換、私が天津にくるようになった経緯等を話し合った。

工場を見せて貰う。昔と変わらないが、使用材料・資材が
殆ど中国製に変わっていた。新工場が出来れば、海外
向けの製品は、殆どここで作られることになる。そして、
そのうちに、日本の工場は、不要になるのか・・・・・

天津7

2005-02-23 16:04:20 | Weblog
天津7                  2002-12-12

社員食堂と小母さん:私が住んでる寮は、入り口を入ると
いきなり社員食堂になっていて、円卓に椅子のセットが10組
ほどある。厨房に一番近い卓には回転盤が乗っていて、幹部
用の卓になっている。朝は6時半から食事ができる。全員
揃えば5人で食事になる。部屋はいっぱいあるので、ISOの
auditorが泊まったりする。夜も同様で6時に供される。
ところが昼は、社員食堂となるので、全卓が満員になる。但し
従業員、作業員の食事は、自分持ちである。殆どが弁当を
持ってきている。食堂の片隅には、蒸気を利用した大型の
蒸し器が2台あり、弁当はそこで温められている。中国人は
冷や飯を食わないと書いたが、そこで、暖かいご飯にしている。
・・・・と、思っていたのだが、昨日良く見たら、ご飯を炊いて
いるのだ。米を洗って、水をいれ、蒸し器にセットしているでは
ないか。さすが中国と思ったが、何故、さすがなのか、自分でも
よく判らない。勿論ご飯を温めてる人も居ます。蒸し器の
外側に置いて。

私たち寮の住人の食事は、賄いの小母さんが作ってくれる
のだが、この味付けがすこぶる良い。基本的に料理が上手
なのである。毎食のことなので、非常に有り難い。極普通の
食材を普通に煮たり油で炒めたりの料理なので、天津版
おふくろの味なのだろう。食材:野菜はほれん草に似てる
菜っ葉、しめじ、もやし、キャベツ、白菜。肉:豚の骨付き
バラ肉、牛の同じ物、焼牛(私が勝手につけた名前、牛を
チャーシューにしたもの)、鳩、鶏。魚:舌ヒラメ、太刀魚、
小さな川魚(魚は、少ない)、ほかに昆布、豆腐、海苔。
粟のおかゆ、小豆のおかゆ、大根のスープ等々である。

天津6

2005-02-23 15:59:51 | Weblog
天津6              2002-12-11
私がお世話になってる会社は台湾の100%出資の会社で
ここ天津の幹部も全員台湾人です。寮の中のTVもケーブル
TVで台湾の放送が30chほど入っています。中にはアメリカや
日本から買った番組もありますが、日本の番組には、
たいして面白いものはありません。
そろそろ買い物をしなければいけない状態なので、最初に
台湾人の女性にどんな所があるか聞きましたら、この近く
には、買い物ができるようなところは無いとのこと。ところが、
地元の女性に聞いたら、塘沽(タンクー)地区にデパートが
一つに、スーパーマーケットが3つもあるとのこと。
ここは天津市内から、高速道路を1時間もぶっ飛ばして
くる程離れている、経済開発区で、天津市街とは別の
町なのだが、情報はその源を間違えると、手に入らない
ことがよく判りました。因みに、経済開発区は、横浜市中区
と同じように、地名になっていますが、行政区域としては塘沽区に含まれます。
北を漢沽区、西を東麗区、東を海に囲まれています。東西
約5km、南北約10kmで天津新港に接していて便利な
開発区です。敷地も充分空いてますので、皆様よろしかったら
どうぞお出で下さい。天津新港は北京の港と言っても良い
中国の玄関で、北京に出入りする貨物はここを通って行きます。
天津の旧港は、河を遡った市街地にあったとのことで、今や、
中国の数ある国際港の中でも新港(シンガン)と言えば天津
新港のことです。天津にも空港があって、国際線は、日本(関空、
名古屋)、韓国、香港等があるが、便数も旅客数も少なく、
北京空港を使うことが多いです。北京空港から天津までは車で
2-3時間、道路の混み具合と、天津のどこかで、大きく
違ってきます。
 
今週末には、町に出かけたいですね。

天津5

2005-02-23 15:48:50 | Weblog
天津5            2002-12-09
今日は初めての月曜日、朝はー1~2度、横浜から来た
人間には寒いです。6時半に下へ降りて行くと私1人。
それでも小母さんは食事を作ってくれる。そのうちに、3人
になり。話も弾む。部屋に戻ってゆっくりと準備、8時に
出勤。と言っても、歩いて1分だから、緊張感無いなー。
土日にPCがnetに繋がらなかったので、朝一番にコンピュ
ーター室のお兄ちゃんが来てくれる。日本語は全く出来ない
けど、私のノートPCをドンドン作動させている。内蔵モデム
と、天津の回線が合わないと言って、外付けのモデムを
繋いでみる、さすが一発で繋がった。但し、その動きは遅い。
一応ADSLですいすいやってきた自分としては、イライラ
する。コミュにメッセージを入れるのに、普段の3-4倍の
時間を費やす。つまり、会社の仕事は全然していない。
このように遅いと、hotmailより、outlook expressの
方が早いことが判った。off lineで文章作って流す方が
on lineでしか作動しないhotmailより早いのだ。今週中に
早い回線が入る筈とのこと。楽しみに待とう。
寮に帰ってきて、pcをnetに繋いでみて判ったのだが、寮の
個室の電話は、5分で切れるようになっていて、使えない。
この回線も変えてくれるとのことだが、何時になるのか
判らない。ここは中国、慌ててもしょうが無い。

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2002/12/11         [掲示板]
皆様、おはよう御座います。

天津滞在記読んでもらえて、嬉しいです。あれにも書きましたが、
こうやってon lineで書くよりも、off lineで書いたやつを流す
ほうが、早くて楽です。これで、滞在記も追いつきましたので、
これからは、ボチボチ行きます。

天津4

2005-02-23 15:36:11 | Weblog
天津4日目               2002-12-08
さー、今日は日曜日、それでも6時半に降りてゆくと(実は
日曜の食事時間を聞いて無かったので、日本から持って
きたインスタント味噌汁を飲みたくて、こっそり降りてきた
つもり)、小母さんがカフェー?と聞くので、トイ(はい)と
答えた。それ以外の返事は出来ない。で、仕方無しに
朝食になって、私はインスタント味噌汁を小母さんの目の
前で作るはめになり、小母さんも興味深々で見ている。
お湯をそそいで暫らくすると味噌汁になると、納得していた。
こんなに早く朝食が済んでしまったので、8時には、出かける
体制が出来、気温ー1度の中、私は完全装備で外出
しました。地図も無いので、あてずっぽうで歩くことにしました。
お金とボールペン(これは失敗でした、寒さでインクの出が
悪くなる)メモ帖と名刺(車で帰って来れるように)は絶対に
必要です。遠くの方に高層ビルが幾つか見えて、その中に
丸いドームが屋上にあるものが見えました。そちらを目指す
ことにしました。15分くらい歩いても工場を3つくらい通り
越した程度です。30分程歩くとバス停があって屋台で
何か食べ物を作って売っています。食事の席があるような
屋台ではなくリヤカーの上で作っているような程度です。
45分歩くとようやく丸いドームの高層ビルに近づきました。
それが開発区の中心のホテルでTEDA CENTRAL HOTEL
でした。そこに入り、Coffee Shopで紅茶を頼みました。
何杯も注いでくれるので、喜んで飲みました。21元(320円)
で暖かい思いをして、hotelのgift shopで開発区の
地図を買い(英語が通じるので助かる)ショッピングセンターか
スーパーマケットは無いか聞きました。だいぶ遠いので、今回は
諦めて、帰りはタクシーで帰ってきました。名刺を見せたら
一発でOKOKと英語で答えてくれました。会社の前で降りると
守衛のお兄ちゃんが、軍隊式敬礼で迎えてくれます。私も
敬礼を返し、ニーシンクーラ(御疲れさん)と言うとニッコリ笑って
いました。