Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

船で天津へー8-

2007-06-10 13:20:46 | Weblog
船で天津へ-8-                2007年6月8日

この安くて綺麗なホテルには食事の施設が無いので朝飯も外へ。
駅前に並んだ食堂で、暖かい豆乳と包子(パオズ)を注文、6元。
成都に着いた時は、バス303番は高速経由で10元だったが、今回
駅前から乗るのは300番で停車駅名が沢山書いてある。昨日のこと
があるので、乗車時間は2時間を見込んで早めに乗るつもりで居た。
ホテルをcheckoutしようとするとコンピューターシステムが不調
らしく、何時まで経っても精算ができない。200-97=103で百三元
返してくれれば良いだけなのに。ようやく精算できて外へ出る。

昨日確認済みのバスターミナルに行き、300番のバスに乗る。すぐ
発車。来た時のノンストップバスは10元だったが今回は6元。やは
り2時間覚悟か。結果的には1時間45分で到着。旅行客用と言うよ
りは空港に勤める人の通勤用と言った感じのバスであった。

飛行機へのcheckinも搭乗手続きも実にスムースに行って、順調に
天津へ。到着間際に、天津の気温が34度と聞く、ウワーかなわん。
往きの時にも感じたが、国内線飛行機の利用者が急増しており、
空港は人がいっぱいだ。昔の天津空港を知るものとして、今昔の
感に堪えない。空港ロビーを出て、taxi乗り場に。最初にある大型
を通り越して、小型車の方へ行く。軽軌電車の駅へと頼むと、近い
ので20元くれるか?と言う。いいよと言って乗り込む。電車で開発
区駅まで4元、開発区駅からtaxiで10元、往きの3分の1で来れた。

寮に着いて、シャワーを浴びて、パソコンを開いて、船で天津への
文章を何回分か作ってupして昼寝をして、またパソコンを続けて
いたら、晩御飯の時間になった。小母ちゃんから吃飯と電話が入る。
下に降りて、出張でここに来ている台湾人幹部と一緒に食事をした。
私が知らない若い人が4人も居た。

夜9時半になった。Delight barの音楽が始まる時間だ。寮を抜け出す。
守衛のお兄ちゃんが心配そうにしている。2時間で帰ると言って外に
出た。taxiでデラ酒吧と告げるとOKと走り出す。やがて着いてデラの
入り口に立つと、ドア係りのお兄ちゃんがニッコリ笑って開けてくれ
た。だが中に入った私は愕然とした。客が居ないのである。カウンター
は誰も居ないので、いつもの場所に座る。音楽は始まっていて、フィ
リピンの男女2ペアのバンドがやっているが客が少ないから乗ってこ
ない。

どうしちゃったの?2年前のDelightの金曜日のこの時間、うかうかす
ると入れない位に混んでいた。注文取りのジェニーが来た。どうして
こんななの?私は聞いた。彼女は判らないけど最近はいつもこうなの
と答える。紅葡萄酒と注文する。目が慣れてきて椅子席の方も見える。
3卓くらいに2-3人ずつ座ってはいるが寂しいかぎりだ。2年前の大
盛況時には、外国人客よりも中国人の若者が多かった。若者に混じって
壮年達も随分来ていた。彼等はどうしちゃったの?あの頃は、私が来る
時は彼等はいつも居たのに。人が多く集まるってことは女性が多く集
まることを意味する。良いとこのお嬢さんや奥様も来ていた。怪しげな
姉ちゃんも来ていた。今は誰も居ない。

私は赤ワインを1杯だけ飲んで、40元払って外に出た。taxiを捕まえ、
マンダラクラブと告げた。マンダラクラブも流行っていたbarだった。
入り口に立つとドア係りのお姉ちゃんは見覚えがあり、彼女もにっこり
笑って中へ入れてくれた。Delightよりは客は入っていたが、外国人は
一人だけで、あとは中国人の若者が多い。バーテンもカウンターの中の
姉ちゃんも、バンドも知らない人たちばかりだ。当たり前なのだが。
ウイスキーをone shotやって外へ出た。昔歩いたクラブやbarのある
通りを風に吹かれながら歩く。Wei Hua Pubでは外国人客がかなり入って
いるのが、外からでも判る。次のSomewhere・elsもそこそこ入って居る。

バンドが入って居ないところが客が多いんだ。飲み物単価が安いからで
あろうか。ま、私が1回、すーっと回っただけで結論は早いが、中国の
若者達は、フィリピンバンドに飽きてしまったのか。次のBritneyの前
までやってきた。ownerママがテラスで喋ってる。暫く見ていると、気が
ついて、好久不見と叫ぶ。どうしたの?日本へ帰ったんでしょ?うん、
遊びで天津へ来たよ。そう、懐かしいわね。中へ入ってカウンターに
座る。息子がバーテンをしている。ウイスキーと言うとWild Turkeyを
出してこれで良いか?覚えていたな。ここはバンドが中国人だった。でも
1曲目がYesterday oncemoreだった。

暫く居て、taxiで帰ってきた。車の中で考えた、まさかこれは熱狂的に
発展してきた中国経済の終焉を予感させる現象なのだろうかと。守衛の
兄ちゃんに、腕時計を指して、両個小時(2時間)と言うと、好的と
笑って鉄の扉を開けてくれた。


船で天津へー7-

2007-06-10 06:59:58 | Weblog
船で天津へ-7-                2007年6月7日

今日はちょっと遠出をして見たい所として選んだ都江堰へ出かけ
ます。要は堰(せき)なんですが、紀元前270年代からの工事で、
完成までに数百年を要した。その結果岷江と言う暴れ川が治水さ
れ、水は水路を通って成都の農地を潤し、天府と呼ばれる沃野が
生まれた。しかもそれが営営と現代に引き継がれ、今の農民も
その恩恵に浴しているとのこと。

判り易い写真の豊富なweb:
http://wing.zero.ad.jp/temasek/tokoen
都江堰建設のことに詳しいweb:
http://www.tf-travel.com/guanguang/dj-yan.html

都江堰へ行くにはガイドブックによれば、茶店子バスターミナル
から直行バスが出てると書かれている。ホテルの前からtaxiを
拾い、行き先を書いたメモを見せる。成都の地理は、東西と南北
の幹線道路が交わったところが市政府の建物でそこが中心となり
同心円の環状道路が3本有る。内側から環状1号線、2号線、3号線
となり、3号線の外側は、市の中心からは8~10km外側になる。
そしてこの茶店子ターミナルは3号線の西の外側なのだ。

私が乗ったtaxiの運転手君、走り出してすぐに、あのー、済みま
せんが他のtaxiに替わってもらえないですか?と言う。私そこへ
行くと不便なんです、とのこと。しょうがないので、良いよと言
うと、空車のtaxiの脇に着けて、運転手に茶店子に行くか?と
聞いている。先方が行くと答えたので、私は移動した。バスター
ミナルは公交站と呼ばれたり客運站と呼ばれたりする。道路標識
にも両方が出てくる。私が買った地図には公交站と書かれている。
公共交通自動車が略されて公交になる訳だ。初めてやってきた
旅人にとっては、両方の呼び名が有ると言うのは、実は、不安な
のだ。同じ所のことだろうとは思うが、行ってみて、もし違って
いたら?と言う不安が常に付き纏う。

茶店子公交站に着いて、都江堰の切符を買う。行き先を書いたメモ
を見せる。15元だ。都江堰・高と書いてあったが、それが高速道路
経由だと後で知った。バスは満席に近く、私が乗ると程なく出発
した。公交站を出ると間もなく高速道路に乗る。都江堰まで48km
の標識が見えた。途中も停車無しで、1時間かからずに到着した。

岷江の流れは、水量も多く、水流の激しさに驚かされる。これを
治めた紀元前の技術に敬服する。今のように鉄筋も無ければセメ
ントも無かった時に、たいしたもんだ。都江堰の先端(魚嘴)で
水を6:4に分け、4を灌漑に回すとのことだ。2000年の技術も凄いが
行く先々でお金はしっかり徴収された。

帰りは、成都駅行きのバスにした。12元で安いなと思ったらオンボロ
バスでおまけに各駅停車。各駅停車と言うことは高速に乗らずに下の
道をとことこ行く。2時間かかったが、田舎町を見れて、結構楽し
かった。着いた所は、火車北站公交站。つまり列車の成都北駅のバス
の駅と言うことになる。そこで降りて、周りを歩く。今朝、昨日まで
宿泊していたホテルをcheckoutしてきたので、今日のホテルを探す。
すぐ目の前に北斗星Top Starと言う名の真新しいホテルがある。開業
特別価格で97元と看板が出てる。

有没有空房?有と言うことで200元前払いして部屋に入る。何もかも
新しい。ADSLの線も来てる。この97元(1500円)は言う事無しである。
一休みしてから、空港行きのバス探し。さっき到着した火車北站公交
站には無いことは確かめてきた。ホテルの受付で聞いてみた。駅の
東側に別の公交站があり、そこから出てると言う。

こういう見知らぬ土地でのバスの出発場所は、絶対に、バスが客を乗
せて、動き出すところを確認しておくと言うのが私の鉄則だ。どうせ
時間はある。駅前探索を兼ねて出発。東広場公交站と言うのがあり、
そこから空港行きのバスが出ていた。

その近くを歩いて、本格的四川料理の店に入る。辛い辛い火鍋を汗を
流しながら食べる。90元。実を言うと、時間的にはもう一箇所くらい
見学できるのだが、もういいやと辞めてしまった。見学するとすれば、
青羊宮、杜甫草堂、永陵博物館、望江楼公園のどれかと言うことに
なろう。