Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

船で天津へー5-

2007-06-08 21:32:40 | Weblog
船で天津へ-5-             2007年6月3日→5日

ホテルの部屋からnet接続して間もなく、webが表示できなくなり
メッセージの書き込みができない。昼寝をしてからやってみたが
同じことであった。夕食も兼ねて外へ出ることにした。net bar
に入ってaccessを試みる。なんとか繋がるが、今度は日本語入力
が大変だ。暫くやってみて、Delight barに行ってみた。宵の口で
客は居なかった。バーテンの一人が私に気が付いて、好久不見
(お久しぶり)と声をかけてくれた。すると、どこかに居たのだ
ろう、飲み物の注文を聞いたりそれをテーブルに届けてくれる
ジェニーが飛び出てきてAruiと声をかけてくれる。彼女を最初に
見たのはもう4年前か、あの頃は少女だったが今は綺麗な女になっ
ている。

やがて、チーフバーテンのJackが現れた、彼はこの店を辞めて、
別のbarに行って責任者をしていたが、barの乱立で潰れて、ここ
へ舞い戻ってきたのだそうだ。Aruiどうしたの?もう仕事無しで
遊びに来たよ。そう会えて良かった。私は赤のワインと食事を
頼んだ。

翌朝、私は前に働いていた会社に出かけた。懐かしい人々が迎え
てくれる。現在の副総経理が、私が昔住んで居た部屋が空いてる
から使いなさいと言ってくれた。有り難い。internet回線もその
まま残っている。勿論誰かが時々使用しているのだろう。

早速、中国の列車案内に接続して調べてみる。今回行きたいのは
四川省の成都か雲南省の昆明なのだが、判ったことは、汽車で行く
のは、近い方の成都でも30時間かかる。今回の予定では無理だ。
その上、汽車は、飛行機と違って切符が買えるかどうかが、直ぐ
には判らない。中国国鉄の独占事行のためだからであろう、切符
の販売が恐ろしく閉鎖的である。

飛行機ならどっちも可能。それで選んだのは成都だ。理由は
三国志。劉備玄徳、諸葛孔明が都と定めた蜀の地である。一昨年、
山東省の片田舎にある諸葛孔明の生家跡に建てられた博物館を訪ね
ているが、彼が治めた地は一度も見ていない。会社の出張を手配
する係りの女性が航空券を買う手配をしてくれる。大助かりだ。
往復で1340元(約2万円)で午後に届いた。定価の半額くらいに
なっているが、ルート変更、日時変更不可である。e-ticketに
なっており、天津→成都→天津の飛行スケジュール1枚が往復の
ticketになる。便利になったもんだ。

6月5日、会社の前から少し歩いてtaxiを拾い、空港へ。高速料金
10元と合計で110元。事前交渉なら60元で行く筈だが、まいいか。
順調に搭乗手続きをして成都へ、2時間の飛行だ。「地球の歩き方
成都・九塞溝・麗江」を参考に訪問予定をたてる。成都国際空港に
着いた。JALもANAも来ている、ヨーロッパ、アメリカ便もある。
バスで市内へ、10元。

そこからtaxiでホテルへ。その前にお金が少し足りないから両替
をしよう。都合よく中国銀行がある。入り口で番号札を取る、番
が来て窓口へ、日本円を出して外貨交換を頼む。長いことかかって
ようやく中国元を入手。中国銀行以外の銀行ではダメとのこと。
私が天津に居た時は農業銀行でも中国工商銀行でもOKだったが、
あれは経済開発区だからなんだろうか。成都だけが、外貨交換の
できる銀行は、中国銀行だけと言うことは無い筈だから、地方都市
では外貨交換は不便だと思う。まさか北京オリンピックでもそう
なんだろうか?

ホテルの予約はnetですぐできる(日本語で)。そして中国の携帯
電話を持っていると、予約OKの結果がmailで入ってくるので、ホテ
ルでそれを見せれば良く、便利。日本のyahooなどのホテル予約は
どうも使い勝手が悪い。

ホテルにcheckinして一休みして文殊院と言うお寺を訪ねた。幸い
にも、歩いて行ける所に有った。文化大革命の時に、多くの寺が
破壊され消失したが、あの嵐を免れてよくぞ生き残ったものだ。
http://wing.zero.ad.jp/temasek/monjuin.htm
このwebで、入場料1元とありますが、5元になっていました。
帰りに地元の料理を食べる。辛さは半端じゃない。汗みどろに
なって、ホテルに戻った。

船で天津へー4-

2007-06-08 17:54:49 | Weblog
船で天津へー4-                2007年6月3日

今日は天津上陸の日だが、外はまだ一面の大海原で何も見えない。
時々漁船とおぼしき船と遭遇するので、中国は近いのかなと思う。
今朝は無料の朝食を食べた。一口大の万頭が2個。1個は中身無し。
1個は中に白い餡が入って居たが正体不明。それに根菜の角切りの
漬物、ソーセージ(ウインナーよりやや大きい)1本、それにあわ
(粟)粥と西瓜一切れだ。粟粥は天津で仕事をしていた時、寮の
小母さんが毎朝作ってくれた懐かしい味だ。

昼と夜の食事の時に、日本定食と言うのがある。飯1椀、スープ
1椀、おかず2品と缶ビール1本付いて850円である。そしてその
おかずがメインがトンカツであったり、コロッケであったりで、
サブが中華の小品の中から日本人に会うようなのが1品となって
いる。これが日本定食?って感じだが、船の調理室でできる、
中国人コックにもできるからでしょうか。ただ、私の見た限り、
それを食べてる人は、私も含めて誰も居なかった。

昼飯が終わると船の中全体がそわそわしてくる。皆が下船を待ち
兼ねて居るのが判る。だが船はゆっくり走る。なんでこんなに
ゆっくりなの?と言うくらいに遅い。港が見えてきてからも、か
なりの距離を走る。午後1時半を過ぎたころ、お忘れ物の無いよう
下船の準備をしてくださいの放送があった。へー、定刻より早い
んだなと思いつつ出てみると、港はまだだいぶ先だ。

騙された、と言うのではなく、彼らは部屋の清掃と、明日天津
から乗るお客さんのためにセットアップしなくてはいけない。
だから仕方が無いのだろう。だがここからが長い。椅子は数が
限られているから、立って待つのだ。全員が荷物を持って出て
きているから、様子が判る。それで気が付いたのだが、船を利用
する人の理由はさまざまだ。私のように、時間を使う楽しみも
ある。いろんな人々との交流を楽しむのも有る。大部屋に居る
日本人同士、船を下りるまでに仲良しになっている。運賃が安い
のも大きな理由だろう。もう一つ大きな荷物を持ち帰ると言う
のが有った。

手荷物で、事務所で使うようなプリンター(hp製)を持ってる人
が居る。楽器のアルトサックス(ヤマハ製)の箱を持ってる人が
居る。そしてその他に持ち込み荷物の大きな、重いものを積める。
殆ど料金はかからないらしい。飛行機だと高い超過料金を払わな
ければならない(これの差は大きい)。なるほど納得。

結局下船を開始したのは14時40分。ほぼ定刻どおり。その前に
検疫官が数名乗り込んできた。もし誰かが下痢嘔吐高熱を発症
してたら下船指し止めになるのだろうか。船側からわずかな距離
だがバスで通関所に向かう。私は入国管理官にNo VISA?と聞か
れた。No VISA,I will stay only one week.と答えて,通過した。
その後、X線での荷物のチェックがあって、無事、外へ出た。

今度はお迎え車の歓迎だ。最前列は遠くに連れて行きたいtaxiら
しい。どこへ行く?開発区だ。無言なので通過。開発区と天津市
中心部では、60kmほど差がある。運転手もそっちから来てる
だろうから、私はお呼びでない。2-3人それを繰り返すと一人の
運転手が、後ろに向かって、オーイ開発区だーと叫ぶ。すると
後方に立っていた運転手がこっちに向かって手を振っている。
そこまで行って、開発区と叫ぶとトランクルームを開けてくれる。
荷物をそこに入れて、助手席に座る(これがここでのやりかた)。

車は懐かしい新港路を通って、開発区に向かう。デジタルのメー
ターが付いていて、領収書がプリントアウトされる仕組みの車だ。
これだと値段の交渉は無くなったのかな。黄海路、第三大街を右へ
と指示する。運転手はOKと答えた。やっぱり外国人と思われてる。
今日は会社に寄らずにホテルに入って、ゆっくり寝たい。それに
昔一緒に仕事をしていた製造部長は、新しくできた南の工場に常
駐してる。現在の責任者は、今日は出張で、夜まで戻ってこない。
部屋でインターネットができるホテル(以前に確認済み)にcheck
in した。