Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

船で天津へ行くー1-

2007-06-03 21:54:11 | Weblog
船で天津へー1-               2007年5月31日

私の家は横浜市なのだが、根岸線で横浜に出るより大船へ出る方が
早い。それで大阪行きの夜行寝台急行「銀河」に乗るには、当然の
ことながら横浜へ戻らずに大船へ出て乗る。こんな長距離列車が大
船に止まってくれるのが有難い。5月31日、23時42分が定刻なのだが
早めに着いて、10数分間、何本か電車の到着を待つようなことにな
った。こんな遅い時間なのに、東京から来る電車は殆ど満員で、皆
勤め帰りで疲れた感じで眠りこけてる人も多く、グリーン車までも
人で満ち溢れていた。こんな中で、ジーンズにスニーカーで大きな
旅行荷物を持って立っている自分が、まるで場違いの人間に思えた。

定刻より5分ほど遅れて「銀河」がやってきた。今までに入ってきた
通勤列車と違い、車両の中はもう寝台がセットされていて、殆どの
座席がカーテンですっぽりと包まれ、降りる人は無く、乗る人も、
私が乗る2号車では2人だった。2号車はB寝台で、下段は満席、上段
は2/3が埋っている。私の席も上段で、ほかの人を起こさないように
静かに上がって、すぐに寝た。

大抵の人がそうらしいが、夜行列車と言うのは、走っている間は
寝ていて、止まると起きる。私も浅い眠りの中で何回か、今汽車が
止まったなーと言う記憶がある。ここは何処だ?と考えると、その
まま目が覚めてしまうが、それを考える前に汽車が動いてくれると
また次の眠りに落ちる。4時半頃だったろうか、長い停車時間に目が
覚め、駅名を確かめたらまだ米原だった。またうとうとして、今度は
「次は大津です」と一言だけ車内放送があった。この頃から起きて
顔を洗ったり歯を磨く人が現れた。

こう書いてると言うことは、私も起きてしまっていた。通路側の窓
のカーテンは上げられ壁にはめ込まれた椅子を直角に降ろして、座
って外を見ていた。京都が近づいてくると、車内放送は、皆様お早う
御座いますから始まり丁寧に何回も繰り返され、新大阪や大阪への
到着予定時刻も告げられ、乗客も完全に下車準備態勢になる。

私の関心は、通勤ラッシュの電車に、この大きな荷物を持って、どう
やってお邪魔にならないように乗るかであった。いろいろ考えて、
大阪乗り換えはまずいだろう、新大阪で神戸方面に行く電車に乗る
方が問題が少ないだろうと考え、そうした。7時25分に新大阪駅に
着いた。降りたホームの真向かいに網干に行く快速電車が来る。満員
である。私はなんとか乗れそうな入り口を見つけ、乗り込んだ。幸い
なことに大阪では乗り込んだ反対側が開き、多くの人が降りて、私は
座ることができ、荷物は棚に上げることができた。重かったが。

阪急のガード下なら、暖かい味噌汁で朝食が食える筈との考えが、
頭をよぎったが、安全策でコンビニおにぎりとお茶を買い、ポート
ライナーでフェリーターミナルに向かった。そこにも食堂が有って、
暖かい朝食が食えるだろう。乗船時間までたっぷり有るからそこで
ゆっくりできる。と、考えたが、私は甘かった。こんな時間、天津
行きの客のためだけに食堂は開いてなかった。安全策のおにぎりが
役に立った。悪い予感はしていた。満員のポートライナーから、8時
15分、ポートターミナル駅で降りた乗客は私一人だったのである。

エッそうなの、と思いながら駅の改札を出ると、目の前がフェリー
ターミナル。だがお客さんは居ない。早すぎるのは判っていたが、
広いホールの中を歩きながら、パンフレットを集める。上海航路も
あるが毎週火曜日だ。松山航路は毎日あるが夕方だ。四国への橋は
いくつもできたが、航路も残っていたんだ。そのうちに、自分が居る
所は3階で天津航路のチェックインは1階でやると言う事が、書いて
ある案内板を見つけた。1階に下りて見ると何人も座って待っていた。
やれやれ一安心。