波が引いたあと、累々たる児童たちの死体に住民らは
息を呑む。言葉が出がない。散乱するランドセル、教室
の机など・・・
高くなっている橋へ移動しようとグラウンドから歩き出し
た全学童へどす黒い大津波が襲った。
校庭の横には逃げようと思えば、はいあがることの出来る
低い山がある。
そこへ何故走らなかったか。
山と堤防にさえぎられ、波を確認することが出来なかったの
だ。津波は湾に集中してきた海水が狭い通路状になった北
上川を逆のぼる。波はいきなり校舎の上からやって来た。
もうひとつ重大な見落としを行政も地域住民までもしていた。
学校がなにかあった時の避難所になっていた。
これまでの津波に影響がなかったからだ。
地元新聞の報道によると、県も「大丈夫」だといっていた。
郵便局も警察、駐在所も流された。住民の犠牲者は地区の
4割に当たる74人に及ぶ。
学校にいて児童の世話をしていた先生は11人中9人が亡く
なった。
これだけの犠牲を払ったのだから、後の人達に確実に伝えな
ければなんとする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます