雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

小保方PP佐村河内

2014-04-20 00:14:20 | セツナイ
「真実に温度など無い」



映画「悪の法則」(原題=The Counselor)の中で
キャメロン・ディアスさんが扮する
「マルキナ」が言った印象的なセリフ。
今やノーベル文学賞候補でもある小説家、
コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)さんの脚本と、
巨匠リドリー・スコット(Ridley Scott)監督さんとの
タッグで描かれた作品。



最近、カフェでお茶などをしていると、
マッカーシーの小説が話題に上るようなことはナカナカありませんが、
このところこの国で続いているあまりに痛くて寂しいニュース......
小保方さん、笹井さん、佐村河内さん、森口さん......
のことが話題に上がることは結構あります。
そんな会話は互いの意見を聞いたり、聞かれたり、
という流れにもなりますし、
多くの人の色々な考え方やモノの見方を知るキッカケとして役立ったり!?
もして。
そういう意味ではカフェなどではとても有り難い

「沈黙への良薬」

的な働きをしてくれたりもします。
......ただ、僕個人としては、
この一連のニュースにはもう......
悲しい、腹立たしい......
的な感慨でイッパイイッパイという感じでしょうか。
話していても、その最中には何とも言えない

「嫌な気持ちになる」

ような話題でもあって......
どうして?
でしょうか。。(´・_・`)

そんな一連のニュース報道を見ている中で、
僕が関心を持っているコトというのは、実は、
報道の内容とは少し違う所にあって。
それが、自分がニュースを見ている時の姿勢とその変化。
そんな

「メディア報道に対する姿勢の変化とは何か?」

と言うと、それは、
どうも自分はニュースそのものを見ているのでは無く。

「この人は、
この番組は、
この局は、
このニュースをどう伝えているのだろうか?
伝える側のスタンスはどうなのか?」

などというような部分に注目してニュースを見ているようで。

「このキャスターは本音で語ってるのだろうか?」
「演技が入っているのだろうか?」
「いや、フラットさに注力しているのだろうか?」
「この番組の編集には何か意図が含まれているのだろうか?」
「スポンサーは何処だろうか?」
「あっ!(=゜ω゜) テレ東は!?今どんな番組をやっているんだろうか......」
「テレビ東京らしさを貫いているのだろうか......」

と、そんなトコロが
自分が本当に見ている部分だったりしています。

「細かいこと、知りたいコトは、
後でネットで調べればいいや」

と、そんなスタンス。
そして、それはこういうことかもしれません。



「ニュース番組とは、今や、いや、かなり前から、
情報だけでなく情報の伝え方も見られている」



カフェで交わす友人達との会話にしても

「ニュース見た?」
「見たお!」
「どう思う?」

なんていう、
ニュースそのものに対する会話というのは
ホンの挨拶程度で終わってしまい。
その後は

「どーなの!?あの番組。あの伝え方ってさ......」
「あのキャスターの言ってることってさ......」
「あのニュースって、本当のトコロはさ......」

などという話をすることの方が多くなって来ているような感じで。
まがりなりにも先進資本主義国と呼ばれる国で、
西暦2014年の春に、
全国ネットで放送されるキー局のプライムタイム報道番組で、
その番組のイメージや価値を大きく左右するであろう
メインのニュースキャスターが

「パワー・ポイント(PP)を知らない!」

などと、
大声で堂々と時間をタップリかけて話し出すということは

「どう捉えるべき?」

なんて。
そんな会話が多く交わされもする時代。
ニュースの直後には

「小保方会見ってソコから始める話じゃなくね!?」
「説明するにしても簡潔VTRでよくね?」
「◯◯の感覚が皆の感覚なわけ!?」
「パワーポイントとはこんなソフトウェアで......
っとだけ言っとけばよくね?」
「わざわざ冒頭に大きく言い出すって、
何か私的意図もあったりするのかな?」

と、そんな感じの会話がネットワークを通じて
視聴者間で交わされる様な時代。
最早、ニュースは

「伝えかたを中心に見られている」

ような気がするのです。



「1対1」で始まった通信から、
「1対n」形式で、
「n=自然数=一般大衆」に対し
強大な力を獲得していったメディアの時代へ。
そんな時代を経て「n対n」の構造を持つネットワークや
ソーシャルメディアが登場し。
今はそんな多種多様なメディアが共存、共立している時代。
そんなグランズウェル(groundswell=メディア論的地殻変動)の只中で、
ニュースそのものより

「ニュースを伝えるスタンスを見られている」

という現状が、
僕にはとても重大で大事な変化であるように思えるのです。

僕等は事実だけは様々な方法で手にすることが出来る様になりました。
ただ、真実は、
未だ万人が手にするコトはナカナカ出来ません。

それでも、
少なくともこの国は「事実」や「ニュースソース」は
ネットワークを通じて自在に手に出来る様になっているとも思います。
だから僕等がTVで見るべきは「ニュースそのもの」や
「情報そのもの」というより、
それを伝えるメディアがどんなネタを選んでいるのか。
それをどのような編集と方法、
感情や精神と立場でもって伝えているのか。
それが自らの内にあるものや考えと同じものなのか?
違うものなのか?
自分の考えと混じる余地があるものなのか?
無いものなのか?
そんなふうに、今や多くの人は
ニュースをただ見ているだけでは無い気もしているのです。
本来、フラットな感情で伝えるべきニュースの背後に、
見る者に何らかの感情を喚起させる「音楽」を流して伝えている
なんていうことの意味も、最早、皆分かってしまっています。
大事なニュースであるのにも関わらず

「ある、◯◯党幹部の発言......」

などと表してソース元の人や情報を隠した発言を流したり。
そんな真偽の確かめようが無いコメントを、
マッタクの別人であるプロ・ナレーターがご丁寧に!?
明確な方向性を持った感情までも込めた「アフレコ」までして。
それをまた普通にオンエアしちゃったり。
そんなニュース編集の意図や意味など、
皆、もはや分かってしまっていると思うのです。

このキャスターは大衆感情の最大公約数的な立場を意識した
表現や言葉を発しているのか?
それが儀礼的で薄っぺらいものであるのか?無いのか?
例え最大公約数的な意見と違っていたとしても、
自らの内に湧き上がる気持ちや言葉を発しているキャスターなのか?
どうか。

「ニュースは徹底したシンプルさとフラットさでもって伝えるべきもの」

なんていうことを意識して言葉を紡いでいるキャスターなのか?
どうか。
最早、皆わかってしまっていると思います。
多くの人がそんなニュアンス迄もキチンと感じ取れてしまう時代。
言葉さえ間違えなければ、
どんなスタンスであれ、
多くの人が思いもよらぬ味方になってくれる時代でもあって。
そこに誠実さと真実と熱度が在りさえすれば、
どんな意見であれ、
擁護する者が沢山現れるようなこともある時代でもあり。
番外地!とまで言われたTV東京の特異な編成方針!?も、
多くの喝采と共に注目されてしまう様な時代でもあります。
最早、報道には大衆迎合的、
三文芝居ニュアンスは必要無いのかもしれません。
ショウ的なディスカッションをするばかりで、
実社会に何の実変化を及ぼすコトがない討論番組の在りようなども
もう変化する必要があるのかもしれません。



「真実に温度など無い」



ニュースは、
メディアは、
今、新たに「覚悟」が必要なのではないかと思います。



その使命をなんと心得ているのか?



それを今一度、



定義し直して欲しいようにも思います。



切に思います。



小保方さんの会見は、
芯の部分はどんな意図を持って行われていたのか?
佐村河内氏の会見と何か違っていることはあったのか?
同じようなものだったのでは無いのか?
科学者の会見とは、
本質的にはどのような形であるべきなのか?
小保方さんの行った会見は、
多分に法的で権力闘争的で自己保身的な会見ではなかったのか?
それは、
人類の進化を促す様な偉大な科学者リーダーたる者に
そぐう会見だったのか?
いや、それより、
彼や彼女が会見を開くに至った経緯に
マスメディアの影響というのはどれほどあったのか?
スター人物的な報道から詐欺師的報道に至るまで、
その大きな落差や流れやウネリは、
本当のところ何によってもたらされていたのか?
「必要以上のウネリ」は創作されていたのか?
いなかったのか?
僕等は必要以上な何かを意識付けさせられたりは
していなかったのだろうか?
僕等の日常に潜むリスクにはどんなモノが在るのか?
ニュースを見ながら自らの内にわき上がる、
この気持ちや考えは正しいのか?
間違っているのか。
この考え方は社会的にはどのあたりに位置する考え方なのか?
......ネット情報とも比べて見極めてみようか。
小保方さん。佐村河内さん。
このままでいいのでしょうか?
......と、伝えるメディアさん達もこのままでいいのだろうか?
彼等の伝える情報をそのまま鵜呑みにしていいのだろうか?
この報道の仕方には何か意図や裏は......あるのか?
ないのか?
......それも見極めてみようか。



冒頭に記した映画「悪の法則」。
流石に哲学的なマッカーシーさんの脚本に
唸ってしまうようなシーンが数多くあるのですが......
もう1つ、僕に強い印象を残したセリフというのがあって。
それは、
とある格式高い名門宝石商が客と商談をしている最中に、
特注カットされたダイヤモンドの検定をしながら話していたセリフ。
それは「輝き」の中に僅かに黄色い光が混じるダイヤの品質と
グレードに関しての説明————————



「——————通常、
ダイヤを評価する場合 “欠点” が基本になります。
完璧なダイヤというのは無色の光だけです————————」



最近DVDも発売されたようで。
店頭にも並んでますのぉ。
「黒幕は誰だ」ですか......
そうでやんすかぁ......ふむふむ......
「黒幕は何だ」なんつって。ね。ええ。( ̄ー ̄)


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