雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

グランズウェル

2014-02-23 20:51:10 | 面白い
2006年。
アメリカの大手独立系調査会社「フォレスター・リサーチ」社は
「ソーシャル・コンピューティング」と題された報告書を発表しました。
そこには

「人と人をつなぐツールが台頭し、企業のビジネスを脅かしつつある」

ということが書かれていました。
そんな調査書が指摘した流れは、その後もブログやYou Tubeは勿論、
twitterやfacebookに代表されるSNSの拡大成長などと一緒に加速度的に進み。
ネットワーク上での人々の「ふるまい」「行動」「価値観」の様なもの迄もが
根底から変わっていきました。

2008年。
フォレスターリサーチ社のマーケッターはこのネットワーク上における
人々の大きな動向を「Groundswell=グランズウェル」と呼び、
こんな本を著しました。



原題は「Groundswell: Winning in a World Transformed by Social Technologies」

「グランズウェル」とは「うねり」や「高まり」などといった意味の単語で、
この本の中ではソーシャル・テクノロジーが変えた人々の「価値観」や「社会動向」
といったモノを表す言葉として使われています。

大事なことはテクノロジーではなく、
ネット上での人々の行動が根底から変ろうとしていること。
ネットワークの波は「既に」世界を飲み込んでいるということ。
「グランズウェル」の世界では人々は欲しいモノや情報を
企業などの伝統的組織体からでは無く、
お互いから直接調達しているということ。
人々は自分のイメージでブランドを語り、発信、共有し、
企業が何十億、何十年とかけて築き、育て上げて来たブランドを再定義し、
再認識し始めているということ。
最早小売りも金融も流通を支配出来なくなり、
組織は利幅を食い尽くされ、
市場シェアを奪われ、長年築いて来た基盤を破壊される......



「グランズウェル」とは、つまり「地殻変動」のこと。



2014年の今。
ここに書かれていることはさらに大きな意味を持って響いて来ている様にも思えます。
それは、この本に出会った当時、僕の頭に鮮烈に記憶されたことでもあって。
そんな部分も含め、この本は、
個人的にはとても優れた「名著」の一つだとも思っています。
ココ一年ほどの間は、時折書棚から引っ張り出して、
僕の進めている幾つかのプロジェクト企画書の冒頭を飾る文になっていたりもして。
このブログを覗いてくれる幾人かの友人の中にも
このシートを見せられたような人がいるとも思いますが......

......最近、

それは「グランズウェル以降」の世界において......ということですが、
「マスメディアの在り方」に違和感を覚えるようなことが
とても多くなっている自分に気付いていたりします。
当然、昔からそんな違和感などが無かったなんてことは無いのですが、
ここ最近の違和感というのは、
ソーシャル化以前に感じていたそんな違和感などとは
マッタク次元が違うものであったりして。
そんな「違和感」というのはこの時の記事でも少し書いたかもしれませんが、
今回のソチ・オリンピックでも時たま強く感じていたりもしていて。

大雪被害の報道がオリンピックより優先されなかったような印象もそうですし。
特に、フィギュアスケートの浅田真央さんに関する報道の在り方などは、
観る人の期待感を人々の望む「値=あたい」以上に上げるだけ上げておいて。
煽るだけ煽っておいて。
ショートプログラムのミスの後には、ちょっとドン引き!?
する様なインタビューアーのインタビューが流れてきたり......

「そ、そこで、その質問、、、する!?( ̄◇ ̄;) 要る?」

加えて、更にドン引きする様な元首相のコメントが流れて来たり......

「こ、ここでそんな話し、、、する!?」

「こ、、この元首相のニュース、、要る!?(;゜0゜)」

「つーか山梨のブドウさんわ!?」

面白いのは、ソーシャル世界では、
そんなメディア報道とは別にマッタク違った物語が同時進行していて。
僕等はそんなマスメディアの手法や情報と、
ソーシャル世界に散らばる情報とを個人個人で思い思いに捉えて、組み立てて。
サッカーのワールドカップの時等でもやって来た様に、
ソレらをまたソレゾレが発信し、共有して......
気がつくとマス・メディアの論調や報道の仕方までも左右させているような、
そんな「力」を発生させていたことも手にとる様に見えていました。

真央ちゃんのショートプログラムの後に、
同じ競技者の先輩でもある高橋選手が涙ぐみながら
テレビカメラに向かって話したシーンは、
僕はリアルタイム中継では見ていなくて。
それをソーシャルメディアで見て、知って......
もし、高橋選手の言葉と涙を知らなかったとしたら、
僕の中では何が違っていたのだろうか?
彼女の実力を真に分かっている人というのは、
きっと同じステージに立つ競技者の仲間であって。
そんな同じ競技者である高橋選手の涙や言葉を、もし、
知っていなかったとしたら。
僕は最終日の真央ちゃんをどんなふうに見ていただろうか。
どんな物語でみていただろうか......

もし、ソーシャルがなかったら......
真央ちゃんのソチでの物語はこれほどまでに情緒的で、
かつ、「妥当性」のある評価に成っていただろうか。
その後の彼女の演技を僕等はあれほど感動的に見ることが出来ただろうか......

と。

自己ベストの得点をたたき出した真央ちゃんを見た後に、ホロリ......
と溢れ出る涙をコソコソっと拭いた後に、
僕はそんなことを思っていたりもしました。



新しいテクノロジーには常に表裏の事象や意味が含まれている様に思います。
人類が初めて「火」を手にした時から、そのことは自明だったのではないかと。
アインシュタイン原子力を力に変える方法を発見した時に、
それが広島や長崎に落とされることになるとは、
彼は夢にも思っていなかったでしょう。
石炭がエネルギーになることが分かった時に、
それが酷い大気汚染を導くことになるなどとは、
誰も夢にも思わなかったでしょう。
ライト兄弟は飛行機が殺戮の道具に成るなどとは思ってもいなかったでしょう。

IPS細胞には......どんなリスクが潜んでいるのだろうか?
そんなモノなど無いのだろうか?

地球の引力圏外に地球のモノや人を運び出していくことが、
コレから先どんな意味、現象と成って表れてくるのだろうか?
「質量保存の法則」などに対しても、何か影響とか?無いのだろうか?



ソーシャルは、
僕等にとってこれからどんな意味をもつのだろうか?
僕等はどんな道具に磨いていくべきなのだろうか。



マスメディアは、
きっとこのままの形で進むようなことはもう無いのではないか。
「1対1」で始まった「通信」は、
やがて「1対n」(n=natural number)の構造を持つ「放送」に成り、
それに対しソーシャルは「n対n」という構造を持っていて......
それはどんな意味を持つのか。
「n対n」の放送とは有り得るのか?どんな形なのだろうか?



グランズウェル以降の僕等のメディアの在り方とはどんな形なのだろうか?
マスメディアとソーシャルメディアの融合とはどんな形なのか。
融合など決してしない方が互いの価値の為にはよいのだろうか?



全ては、僕等一人一人の動向の先に、
塊となって表れてくることなのだろうな......と。
――――――GROUNDS WELL。


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