激化するウクライナ情勢。
日々流れてくるニュースを見ていると、
激しい怒りと困惑とに駆られ、そして、
新約聖書にある「ルカの福音書」が頭を巡ります。
僕は特段キリスト教徒でもなんでもないのですが、
ついつい考えてしまいます。
この福音書の中の何がロシアに当てはまるのか。
何がウクライナか。
誰がプーチンで、
どれがアメリカで、NATOで、国連で、
どれが日本なのか?
この人は、あの人か?
当てはまることなどないのか?
無意味なことか?
この福音書はなぜ?この時代まで読み継がれ、
世界に残っているのか。
なぜ、罪なき者が死なねばならぬのか。
なぜ、有罪が無罪を裁くのか。
罪とはなんだ。
なぜ、盲目的な民衆が生まれるのか。
イエスを殺したモノとは、本当は何であるのか。
何千年もの時を経ても、
人は同じ過ちを繰り返すのだろうか。
人である限り同じ過ちを繰り返すのだろうか。
なんと愚かなこと......
どれほどおろかなことなのか......
=============================
新約聖書より。
ルカによる福音書23章
群衆はみな立ちあがり、
イエスをピラトのところへ連れて行った。
そして、訴え出て言った。
「わたしたちは、この人が国民を惑わし、
貢をカイザルに納めることを禁じ、また、
自分こそ王なるキリストだと唱えているところを目撃しました」
ピラトはイエスに尋ねた。
「あなたがユダヤ人の王であるか」
イエスは「そのとおりである」とお答えになった。
そこでピラトは祭司長たちと群衆とにむかって言った。
「わたしはこの人になんの罪もみとめない」
ところが彼らは、
ますます言いつのってやまなかった。
「彼はガリラヤから始めて、この所まで、
ユダヤ全国にわたって教え、
民衆を煽動しているのです」
ピラトはこれを聞いて、
この人はガリラヤ人かと尋ね、
そして、ヘロデの支配下のものであることを確かめたので、
ちょうどこのころ、
ヘロデがエルサレムにいたのをさいわいに、
そちらへイエスを送りとどけた。
ヘロデはイエスを見て非常に喜んだ。
それは、かねてイエスのことを聞いていたので、
会ってみたいと長く思っていたうえ、
またイエスが何か奇跡を行うのを見たいと望んでいたからである。
それで、いろいろと質問を試みたが、
イエスは何もお答えにならなかった。
祭司長たちと律法学者たちとは立って、
激しい語調でイエスを訴えた。
またヘロデはその兵卒どもと一緒になって、
イエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、
はなやかな着物を着せてピラトへ送りかえした。
ヘロデとピラトとは以前は互に敵視していたが、
この日に親しい仲になった。
ピラトは祭司長たちと役人たちと民衆とを呼び集めて言った。
「おまえ達は、
この人を民衆を惑わすものとして私のところに連れてきたので、
おまえたちの面前で調べたが、
訴え出ているような罪はこの人に少しもみとめられなかった。
ヘロデもまたみとめなかった。
現に彼はイエスをわれわれに送りかえしてきた。
この人はなんら死に当るようなことはしていないのである。
だから、彼をムチ打ってから赦してやることにしよう」
祭ごとにピラトがひとりの囚人を赦してやることになっていた。
ところが、彼らはいっせいに叫んで言った。
「その人を殺せ。
バラバを赦してくれ」
このバラバは、
都で起った暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられていた者である。
ピラトはイエスを赦してやりたいと思い、
もう一度彼らに呼びかけた。
しかし彼らはわめきたてて
「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」
と言い続けた。
ピラトは三度目に彼らに向かって言った
「では、この人はいったいどんな悪事をしたのか。
彼には死に当る罪は全くみとめられなかった。
だから、ムチ打ってから彼をゆるしてやることにしよう」
ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り。
イエスを十字架につけるように要求した。
そして、その声が勝った。
ピラトはついに彼らの願いどおりにすることに決定した。
そして、暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられた者の方を、
彼らの要求に応じてゆるしてやり、
イエスの方は彼らに引き渡して、
その意のままにまかせた。
彼らがイエスをひいてゆく途中、
シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて、
十字架を負わせ、
それをになってイエスのあとから行かせた。
大勢の民衆と、
悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとがイエスに従って行った。
イエスは女たちの方に振りむいて言われた。
「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。
むしろ、あなたがた自身のため、
また、自分の子供たちのために泣くがよい。
『不妊の女と子を産まなかった胎と、
ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』
と言う日がいまに来る。
その時、人々は山に向かって、
我々の上に倒れかかれと言い、
また丘に向かって、
我々ににおおいかぶされと言い出すであろう。
もし、生木でさえもそうされるなら、
枯木はどうされることであろう」
さて、イエスと共に刑を受けるために、
他に二人の犯罪人も引かれていった。
されこうべと呼ばれている所に着くと、
人々はそこでイエスを十字架につけ、
犯罪人たちも、
ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
その時イエスは言われた。
「父(神)よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのかわからずにいるのです」
人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
民衆は立って見ていた。
役人たちもあざ笑って言った。
「彼は他人を救った。
もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、
自分自身を救うがよい」
兵卒どももイエスをののしり、
近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、
「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」
イエスの上には
「これはユダヤ人の王」
と書いた札がかけてあった。
十字架にかけられた犯罪人のひとりが
「あなたはキリストではないか。
それなら、自分を救い、また我々も救ってみよ」
と、イエスに悪口を言い続けた。
もう一人は、それをたしなめて言った。
「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。
お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、
こうなったのは当然だ。
しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」
そして言った。
「イエスよ、
あなたが御国の権威をもっておいでになる時には
私を思い出してください」
イエスは言われた。
「よく言っておくが、あなたは今日、
私と一緒にパラダイスにいるであろう」
時はもう昼の十二時ごろであったが、
太陽は光を失い、
全地は暗くなり、
三時に及んだ。
そして聖所の幕が真ん中から裂けた。
その時、イエスは声高く叫んで言われた。
「父(神)よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」
こう言ってついに息を引きとられた。
百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、
「ほんとうに、この人は正しい人であった」
と言った。
この光景を見に集まってきた群衆も、
これらの出来事を見て、
皆胸を打ちながら帰って行った。
すべてイエスを知っていた者や、
ガリラヤから従ってきた女達も、
遠い所に立ってこれらのことを見ていた。
ここにヨセフという議員がいたが、
善良で正しい人であった。
この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、
神の国を待ち望んでいた。
彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。
この人がピラトのところへ行って、
イエスのからだの引取り方を願い出て、
それを取りおろして亜麻布に包み、
まだだれも葬ったことのない、
岩を掘って造った墓に納めた。
この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。
イエスと一緒にガリラヤからきた女達は、
後についてきて、その墓を見て、
また、イエスの体が納められる様子を見届けた。
そして帰って、香料と香油とを用意した。
それから掟に従い安息日を休んだ。
=============================
—————彼らは、
何をしているのか分からずにいるのです—————
なんと、愚かな。
日々流れてくるニュースを見ていると、
激しい怒りと困惑とに駆られ、そして、
新約聖書にある「ルカの福音書」が頭を巡ります。
僕は特段キリスト教徒でもなんでもないのですが、
ついつい考えてしまいます。
この福音書の中の何がロシアに当てはまるのか。
何がウクライナか。
誰がプーチンで、
どれがアメリカで、NATOで、国連で、
どれが日本なのか?
この人は、あの人か?
当てはまることなどないのか?
無意味なことか?
この福音書はなぜ?この時代まで読み継がれ、
世界に残っているのか。
なぜ、罪なき者が死なねばならぬのか。
なぜ、有罪が無罪を裁くのか。
罪とはなんだ。
なぜ、盲目的な民衆が生まれるのか。
イエスを殺したモノとは、本当は何であるのか。
何千年もの時を経ても、
人は同じ過ちを繰り返すのだろうか。
人である限り同じ過ちを繰り返すのだろうか。
なんと愚かなこと......
どれほどおろかなことなのか......
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新約聖書より。
ルカによる福音書23章
群衆はみな立ちあがり、
イエスをピラトのところへ連れて行った。
そして、訴え出て言った。
「わたしたちは、この人が国民を惑わし、
貢をカイザルに納めることを禁じ、また、
自分こそ王なるキリストだと唱えているところを目撃しました」
ピラトはイエスに尋ねた。
「あなたがユダヤ人の王であるか」
イエスは「そのとおりである」とお答えになった。
そこでピラトは祭司長たちと群衆とにむかって言った。
「わたしはこの人になんの罪もみとめない」
ところが彼らは、
ますます言いつのってやまなかった。
「彼はガリラヤから始めて、この所まで、
ユダヤ全国にわたって教え、
民衆を煽動しているのです」
ピラトはこれを聞いて、
この人はガリラヤ人かと尋ね、
そして、ヘロデの支配下のものであることを確かめたので、
ちょうどこのころ、
ヘロデがエルサレムにいたのをさいわいに、
そちらへイエスを送りとどけた。
ヘロデはイエスを見て非常に喜んだ。
それは、かねてイエスのことを聞いていたので、
会ってみたいと長く思っていたうえ、
またイエスが何か奇跡を行うのを見たいと望んでいたからである。
それで、いろいろと質問を試みたが、
イエスは何もお答えにならなかった。
祭司長たちと律法学者たちとは立って、
激しい語調でイエスを訴えた。
またヘロデはその兵卒どもと一緒になって、
イエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、
はなやかな着物を着せてピラトへ送りかえした。
ヘロデとピラトとは以前は互に敵視していたが、
この日に親しい仲になった。
ピラトは祭司長たちと役人たちと民衆とを呼び集めて言った。
「おまえ達は、
この人を民衆を惑わすものとして私のところに連れてきたので、
おまえたちの面前で調べたが、
訴え出ているような罪はこの人に少しもみとめられなかった。
ヘロデもまたみとめなかった。
現に彼はイエスをわれわれに送りかえしてきた。
この人はなんら死に当るようなことはしていないのである。
だから、彼をムチ打ってから赦してやることにしよう」
祭ごとにピラトがひとりの囚人を赦してやることになっていた。
ところが、彼らはいっせいに叫んで言った。
「その人を殺せ。
バラバを赦してくれ」
このバラバは、
都で起った暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられていた者である。
ピラトはイエスを赦してやりたいと思い、
もう一度彼らに呼びかけた。
しかし彼らはわめきたてて
「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」
と言い続けた。
ピラトは三度目に彼らに向かって言った
「では、この人はいったいどんな悪事をしたのか。
彼には死に当る罪は全くみとめられなかった。
だから、ムチ打ってから彼をゆるしてやることにしよう」
ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り。
イエスを十字架につけるように要求した。
そして、その声が勝った。
ピラトはついに彼らの願いどおりにすることに決定した。
そして、暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられた者の方を、
彼らの要求に応じてゆるしてやり、
イエスの方は彼らに引き渡して、
その意のままにまかせた。
彼らがイエスをひいてゆく途中、
シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて、
十字架を負わせ、
それをになってイエスのあとから行かせた。
大勢の民衆と、
悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとがイエスに従って行った。
イエスは女たちの方に振りむいて言われた。
「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。
むしろ、あなたがた自身のため、
また、自分の子供たちのために泣くがよい。
『不妊の女と子を産まなかった胎と、
ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』
と言う日がいまに来る。
その時、人々は山に向かって、
我々の上に倒れかかれと言い、
また丘に向かって、
我々ににおおいかぶされと言い出すであろう。
もし、生木でさえもそうされるなら、
枯木はどうされることであろう」
さて、イエスと共に刑を受けるために、
他に二人の犯罪人も引かれていった。
されこうべと呼ばれている所に着くと、
人々はそこでイエスを十字架につけ、
犯罪人たちも、
ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
その時イエスは言われた。
「父(神)よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのかわからずにいるのです」
人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
民衆は立って見ていた。
役人たちもあざ笑って言った。
「彼は他人を救った。
もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、
自分自身を救うがよい」
兵卒どももイエスをののしり、
近寄ってきて酢いぶどう酒をさし出して言った、
「あなたがユダヤ人の王なら、自分を救いなさい」
イエスの上には
「これはユダヤ人の王」
と書いた札がかけてあった。
十字架にかけられた犯罪人のひとりが
「あなたはキリストではないか。
それなら、自分を救い、また我々も救ってみよ」
と、イエスに悪口を言い続けた。
もう一人は、それをたしなめて言った。
「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。
お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、
こうなったのは当然だ。
しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」
そして言った。
「イエスよ、
あなたが御国の権威をもっておいでになる時には
私を思い出してください」
イエスは言われた。
「よく言っておくが、あなたは今日、
私と一緒にパラダイスにいるであろう」
時はもう昼の十二時ごろであったが、
太陽は光を失い、
全地は暗くなり、
三時に及んだ。
そして聖所の幕が真ん中から裂けた。
その時、イエスは声高く叫んで言われた。
「父(神)よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」
こう言ってついに息を引きとられた。
百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、
「ほんとうに、この人は正しい人であった」
と言った。
この光景を見に集まってきた群衆も、
これらの出来事を見て、
皆胸を打ちながら帰って行った。
すべてイエスを知っていた者や、
ガリラヤから従ってきた女達も、
遠い所に立ってこれらのことを見ていた。
ここにヨセフという議員がいたが、
善良で正しい人であった。
この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、
神の国を待ち望んでいた。
彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。
この人がピラトのところへ行って、
イエスのからだの引取り方を願い出て、
それを取りおろして亜麻布に包み、
まだだれも葬ったことのない、
岩を掘って造った墓に納めた。
この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。
イエスと一緒にガリラヤからきた女達は、
後についてきて、その墓を見て、
また、イエスの体が納められる様子を見届けた。
そして帰って、香料と香油とを用意した。
それから掟に従い安息日を休んだ。
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—————彼らは、
何をしているのか分からずにいるのです—————
なんと、愚かな。
今日もブログをありがとうございます。
色々考えさせられます。
印象に残ったのは、群衆です。
イエスをピラトの所へ連れて行って、罰を与えるよう訴えたのは、群衆。
群衆は今までのやり方を変え、正しいことを行う者に敵意を持つ。
今までの慣習を変えたくない、自分たちの利権がなくなるのではないかと恐れる。
やり方を変えないと、ハーメルンの笛吹き男のネズミたちのように、自ら海に飛び込んで絶滅の道を歩むことになっちゃうよーと福音書は言っているのでしょうか。
読んでいただいてありがとうございます。感謝です。
深く読まれてますねぇ。。フム((¯ω¯*))フム
今は聖書の時…なのかもしれません
成長すれば、治れば、繰り返すこともなくなるのでしょうね。