波打ち際の考察

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波屋山人

ミクロネシアの大統領はモリさん

2008-11-12 00:09:47 | Weblog
日本人の子孫の大統領といえば、ペルーのアルベルト・ケンヤ・フジモリさんとかパラオのクニオ・ナカムラさんが有名だった。
ところが2007年の5月に、ミクロネシア連邦の大統領にイマニュアエル“マニー”モリさんが就任していたらしい。
そういえばなんとなく顔立ちもちょっと日本人に似ているかも。

ミクロネシア連邦はサイパンやグアムの南東、フィリピンの東、パプアニューギニアの北に位置する。アメリカの信託統治領から独立したのが1986年。
第一次世界大戦が終わってから、第二次世界大戦の終わりまではミクロネシアやパラオなどの地域は日本の統治下にあった。
国連で認められた委任統治領として、1922(大正11年)年には南洋庁が設置され、サイパン・パラオ・ヤップ・トラック・ポナペ・ヤルートの6支庁が設置されていた。

しかしそれよりもはるか前、1869年(明治2年)に生まれた森小弁は、1892年(明治25年)にミクロネシアのチューク島に到達し、壮絶な日々を送っていたらしい。

現地の女性と結婚して11人の子どもをもうけ、孫やひ孫がなんと1千人余り。
国民11万人の1%って、相当多いですよ。
人口10万人の市に1千人の一族がいたらけっこう影響力あるかも。

さっき高知新聞社編の本、「夢は赤道に-南洋に雄飛した土佐の男の物語」をアマゾンで注文してしまった。
届くのが楽しみ。
所属していた組織から飛び出して広い世界で縦横無尽に活躍する話を読むと、感情移入してとても楽しく感じるぼくはなぜか引きこもり気味~。


<参考>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081111-00000293-mailo-l39
■ミクロネシア大統領:知事表敬 日本で最初に移住、高知市出身の森小弁のひ孫 /高知
11月11日17時4分配信 毎日新聞
◇「交流を深めたい」
 南太平洋の島しょ国・ミクロネシア連邦のエマニュエル・モリ大統領(59)が10日、県庁の尾崎正直知事を表敬訪問。モリ大統領は、日本で最初にミクロネシアに移住した高知市出身の森小弁(こべん)(1869~1945年)のひ孫にあたり、2人は「交流を深めたい」と意気投合した。
 森小弁は1891年日本を出発し、翌年にはミクロネシアのトラック諸島に上陸。現地で結婚し、輸出などで得た資金で学校建設などに力を入れた。森小弁の子孫たちは「森ファミリー」と呼ばれ、現地の発展に貢献しているという。
 現在のミクロネシア連邦は人口約11万人でモリ大統領は銀行の役員や連邦議員などを経て、昨年5月に7代目の大統領に就任。8日に初めて来県し、祖先の墓参りなどをした。
 高知の印象を聞かれたモリ大統領は「東京のような都会を想像していたが、県民があたたかく、ゆっくりとできるところだ」と笑顔。「高知とは100年以上の関係があり、子孫として帰って来られて光栄。これからも人と人とのつながりを深めていきたい」と話していた。【服部陽】
11月11日朝刊
最終更新:11月11日19時0分

<参考>
http://en.wikipedia.org/wiki/Manny_Mori
■Emanuel "Manny" Mori
Emanuel "Manny" Mori (born December 25, 1948) is the current President of the Federated States of Micronesia. He was elected by the nation's Congress on May 11, 2007 and sworn in the same day.

<参考>
http://www.kochi-sk.co.jp/book/zin_rekisi/sekido/top.htm
■夢は赤道に-南洋に雄飛した土佐の男の物語
(高知新聞社編・B6判・1998年3月刊・定価2,100円)
 明治の中期、ミクロネシアに渡り、初の日本人定住者となった高知市出身の森小弁(もり・こべん、1869-1945年)とその子孫たちの百年の歩みを体系的に描いた本。
 森小弁は、自由民権運動にかかわるが、やがて政治に失望。南洋貿易に夢を抱いて、明治24(1891)年、帆船で横浜を出港、翌年二月、たった一人でトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク州)に上陸する。
 一時期、南の島支配の野望を抱いたが、酋長(しゅうちょう)の娘、イサベルと結婚し現地に同化。貿易で得た利益で、学校を建てるなど島の民生向上に尽くし、南洋開発に貢献した。
 子供は六男五女の十一人。四世、五世まで加えると、現在、森ファミリーは千人以上に達し、チューク州の各界で活躍中。
 戦国大名だった森家のルーツや戦前の人気漫画「冒険ダン吉」、流行歌「酋長の娘」と小弁モデル説との関係などについても考察。興味深い本となっている。

<参考>楽園からのらくがき(末永卓幸)
http://www.gokaiclub.com/suenaga/0412.html
(略)チュークに上陸した7年後、小弁は現地人の娘・イザベルをめとった。男6人、女5人、日本人の血を引く11人の男と女、小弁が血を分けた子供達である。その最後の子供が、冒頭の老人・森 六郎である。小弁の死から60年、六郎の死をもって小弁の血を継ぐ直属の者達は、このチューク諸島から姿を消した。しかし、小弁の血を引く11人の子供達から派出していったこの一族は、今では優に3,000人を超える。直属の父系一族だけでもすでに1,000人を超えている。現在ではすでに3世~6世の時代を迎えており、この森ファミリーを抜きにして、現在のチュークの社会は語れない。(略)

<参考>
http://www.jaipas.or.jp/130/130_1.html
■再びFSMに日系大統領が誕生   
小林泉(大阪学院大学教授)
 去る7月16日、ミクロネシア連邦の首都ポンペイ州パリキールで、正副大統領の就任式があった。近隣諸国の要人はもちろん、日本からも沢山の関係者らが参列した。
2007年5月11日の第15期国会で7代目の大統領に選出されたのは、チューク州のイマニュエル・モリ(Emanuel Mori)氏である。その名前から推察できるように、ミクロネシア連邦では初代のナカヤマ氏に次ぐ二人目の日系大統領であり、あの森小弁から数えて直系の4代目にあたる。日・ミ関係史に多少とも関心のある人ならば、森小弁の名には幾度となく出会っているだろう。土佐出身のいごっそう、1892年に百トン足らずの汽帆船天祐丸でトラック諸島(現チューク)に渡ってそのまま帰国することなく、地元で一大ファミリーを築いた南進のパイオニアだ。もう一人、南進パイオニアの子孫である初代大統領のナカヤマ氏が、この3月に75歳でその生涯を閉じた。そしてその直後に、同じチューク州出身の日系大統領が誕生したのは、なにかの因縁だろうか。
  少しでも日本人の血が入った者を日系人とするならば、日本が統治したミクロネシア地域には2割程度の日系人がいる、これが私の調査結果である。それからすれば、7人出た大統領のうちの2人が日系であるのは、順当な出現率と言っていい。さらに、マーシャル諸島のケサイ・ノート、パラオのトーマス・レメンゲソウの両大統領も母方の祖父が日本人だと本人が言っていたから、ほんとうならばミクロネシア三国の現職大統領すべてが日系人となる。過去に遡れば、マーシャルのカブア初代大統領、パラオのナカムラ前大統領も日系だったことが思い出される。それらを思うとモリ大統領の誕生は、まさに日本とミクロネシアとの歴史的関係の大きさを、あらためて想起させる出来事になったといえるだろう。(略)

<参考>ミクロネシア、チューク島出身のプロ野球選手「相沢進」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%B2%A2%E9%80%B2

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