波打ち際の考察

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波屋山人

佐野眞一の新刊、「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を読んだ

2008-11-29 17:03:01 | Weblog
先日本屋で分厚い新刊を見つけた。
厚さ4センチくらいあるのではないかと思われるその本は意外に軽く、表紙の少女の写真も印象的で、1995円という値段も厚さのわりに安く感じられた。

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

「東電OL殺人事件」(2000年、新潮社)、「だれが『本』を殺すのか」(2001年、プレジデント社)などで知られる佐野眞一さん(1947年生まれ)は私の最も信頼するノンフィクション作家の1人だ。

何より文章が読みやすい。構成もしっかりしていて混乱がない。
中学生でも苦もなく読み通せるのではないだろうか。
それでいて奥は深い。

飲み口のいい日本酒が奥行きも感じさせるように、
わかりやすい映画が高度なことも語っているように、
使いやすい家具がデザイン性も高いように、
佐野眞一さんの文章はすばらしい。

この本が多くの人に読まれることを望む。
沖縄好きの人、経済に関心がある人、アンダーグラウンドな世界に興味がある人、
さまざまな人にとって興味をそそられる内容が満載の、興味深い良書である。


<参考>
「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」佐野眞一著
2008年9月30日 集英社インターナショナル発行より

p4-5
 沖縄本を覆う違和感とは何か。大江健三郎の『沖縄ノート』に象徴される「本土から沖縄に怒られに行く」「戦争の被害をすべて引き受けた沖縄に謝りに行く」という姿勢である。
 渡嘉敷島の集団自決問題の論争で、大江をエキセントリックに攻撃する漫画家の小林よしのりを擁護する気は毛頭ない。
 だが、大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、そうした中で自分だけは疚(やま)しさをもつ善良な日本人だと宣言し、ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。
 沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄(ぐろう)することとほぼ同義だと私は考えている。(略)

p59
―(略)ところで革マル派の拠点校は琉大だったんですか。
「それと沖縄国際大学が革マルでした。中核の拠点校は沖大」
―マスコミにも随分左翼勢力が入っていた。
「沖縄タイムスは民青、琉球新報は革マルと中核派でした。(略)

p175-176
―(略)でも媚薬って何ですか。
「ヤギのタネ付け用に使う催淫剤です」
―えっ、ヤギですか。
「その催淫剤に覚醒剤を混ぜる。で、(那覇市内の)松山のクラブに行って、女が便所に行っているスキに、女のグラスにそれを一、二滴垂らす。それを知らずに飲むと、女はもう黙っておられんわけですよ。
―はぁ?
「どんな女でも豹変します。もうやりたくてやりたくて、尻をむずむずさせる。(略)」

p246-247
 僕も奄美出身だということがすぐわかる恵という苗字で、随分いじめられました。僕は不動産関係の仕事をやっていたからわかりますが、復帰前も復帰後も『奄美と宮古はお断り』と言われて、奄美出身者はアパートにも入れなかったんです。
 奄美の女性は沖縄人と結婚するとき、みんな出身地を隠したんです。亡くなる前に『実は自分は奄美人だった』と告白する人が、いまでも沢山います」
 本土から差別された沖縄人が、奄美人を差別する。やりきれない話である。さらに神経をささくれさせるのは、沖縄の新聞がそのことを問題視しないどころか、むしろ奄美差別の風潮に加担するような論調を展開していることである。

p415
 (略)川平朝清は戦後沖縄初のアナウンサーとして知られている。(略)
川平朝清の名前は知らずとも、ディスクジョッキーのジョン・カビラ、その弟で、独特の節回しのサッカー中継で人気のあるタレントの川平慈英の父親だと言えば、大部分の人がわかるだろう。(略)
 川平家は沖縄で屈指の名門の家系である。川平の祖父、父、兄弟の名前にはすべて朝の文字が使われている。これは琉球王朝の尚王家につながる人々だけに許される名前である。

p529
 初代「ミス沖縄」を母に持つ雑誌モデルの山田優は、沖縄本島北部の恩納村の生まれ、同じく雑誌モデル出身の黒木メイサは、いま基地移転問題で揺れる名護市辺野古生まれで、二人とも後述する沖縄アクターズスクールの出身である。
 また、〇六年のミスユニバースの第二位に輝き、いまテレビレポーターとして活躍する知花くららは那覇の生まれで、やはり沖縄出身のお笑いタレントのガレッジセールのゴリとは父親が従兄同士のはとこの関係になる。ちなみに華麗なパフォーマンスで人気のあるりんけんバンドの照屋林賢は叔父、“ワタブー(太っちょ)ショー”で一世を風靡した漫談師の照屋林助は大叔父にあたる。

p535
―話は変わりますが、一説には、大正区に居住する沖縄出身者は大正区の人口(約七万二千人)の三分の一を占めているといいますね。
「大正区には沖縄出身者が二万二千人くらい住んでいますから、それくらいの割合になりますかね。大阪全体では沖縄出身者は約七万人います。大正区は同じ沖縄でも本島北部の国頭出身者が多いんです」

p596
 沖縄を最大のタレント供給源としているバーニンググループの沖縄の責任者は、ライジング沖縄の社長で、〇七年三月まで琉球ゴルフ倶楽部の社長でもあった周防の腹心の仲島辰彦である。その仲島に丁寧な取材申込書を出し、その後も頻繁に連絡したが、いつまでたっても梨の礫だった。琉球ゴルフ倶楽部や那覇市内のライジング沖縄、仲島が個人的に経営している豊見城市のディスプレイ制作会社や自宅も訪ねたが、何かやましいことでもあるのか、いつも留守だった。
 その後、周防本人から、仲島を追いかけ回すのはもういいかげんにやめてくれ、という哀訴のメッセージがある人物を介して入ってきた。事実上の取材拒否である。私に直接連絡できなかったところから考えて、周防は「日本芸能界のドン」という異名から想像される強持ての人物というよりは、たいへん小心な人物のように思えた。
 沖縄の芸能人と本土の芸能界の関係を語るうえでは周防なり仲島なりを取材することは欠かせない。私としては、いつでも取材する用意があることをあらためて周防に伝えておきたい。

p612-613(1995年、小六の少女が三人の海兵隊にレイプされた事件に関連して)
 この事件当時、沖縄県知事だった大田昌秀は「一人の少女の安全も守れず、行政の長として深くお詫びしたい」と県民にまず陳謝し、これまでこの種の事件が起きたとき米軍側に抗議に行っていた慣例を破り、米軍の責任者を知事室に呼びつけて謝罪させた。
 大田はこのとき米軍の蛮行を激しく憎む一方、アメリカ人の誠実さにもふれて感動を覚えたという。
「事件直後、アメリカの精神病理学者から百ドルとか二百ドルとかの小切手を同封した手紙が、私宛に六通ぐらい届いたんです。そこには、ほかの傷は時間がたてば治っていくが、この種の傷は時間がたてばたつほど深くなっていく、特にあの子はまだ幼いから心配だ、もし家族と県知事が許してくれるなら、自分は自費で沖縄に行き、三年間そばについて治療のお手伝いをしたい、という意味のことが書いてありました。ところが、地元の沖縄や本土からはそうした手紙が一通もこなかった。なんでこんなに対応が違うのかと思いましたね」

p622
 佐藤の接待・利権疑惑について国会で最初に口火を切った照屋寛徳は、いまだ憤懣やるかたなげな表情である。独特の節回しで佐藤問題を語る照屋の口調は、浪花節でも聴くようで耳に心地よい。だが、そのゆったりとしたエロキューションからは、却って佐藤への怒りが効果的に伝わってきた。
「米軍基地の事件事故が発生するたびに、私たちは那覇防衛施設局に抗議に行くわけです。すると佐藤勉は、三階の倉庫だか物置だかわからない所に通して相対するわけです。ところが、松山の女性に対してはフリーパスで局長室まで入れていた。その女性たちには公費で発給するタクシーチケットも私的に流用していた。はっきり言うと、あげちゃったわけですな。私が佐藤勉に一番怒っているのは、〇六年夏にパトリオットミサイルが那覇軍港から陸揚げされ深夜に嘉手納基地に運ばれたとき、佐藤が沿道で松山のホステスとお手々つないで、それを見物しておったことです。それを地元の記者から聞いたときには、本当に腹が立ちました。この男は絶対許せんと思いました」
 私が最後の沖縄入りをしたのは、〇八年の二月下旬である。このとき佐藤は知り合いの女性記者の結婚式に出るとかで、偶然那覇に来ていた。このときは妻を連れていたため、さすがにクラブ「銀座」に来て愛人のホステスに会っていない。佐藤とすれば、きっと「宴会に弁当」を持ってきたような悔しい気持ちだったのだろう。妻の目を盗んで、クラブ「銀座」の入り口まで来てボーイに挨拶だけはしている。これはもう救いようのないバカである。

p624-625
(略)二十九歳以下の完全失業率は十三パーセントにも達しています。これが七・四パーセントという全国一高い失業率をつくっている大きな原因です。一方、昨年の沖縄県内勤労者の平均月給は二十二万七千四百円と、全国最低でした。慢性的な低賃金が、沖縄の若者の働く意欲を殺(そ)いでいるのです」
 彼はそう前置きして、日銀那覇支店が調査した沖縄の〇七年における売上高人件費率と、売上高経常利益率の対全国比グラフを見せた。売上高に占める人件費の比率は、全国の一三・五一パーセントに対し、九・五六パーセントと売上高の一割にも届いていない。
 一方、売上高に占める経常利益の比率は、全国の二・七二パーセントに対し、四・五六パーセントと七割近く多い。
「この数字から言えることは、沖縄の企業が人件費を極端に抑え、企業に残す利益が極端に高いことです。簡単に言えば、沖縄の企業はぼろ儲けなんです。なぜこういうことが起きるかというと、民間の労働組合がないことが大きな原因になっていると思います。本土で労働環境と賃上げ体制をつくってきたのは鉄道労組とJC(金属労協)です。沖縄には、労働運動を引っ張ってきたその二つの牽引車がない。沖縄の労組といえば、自治労と沖教祖です。完全に官優位の世界で、県庁の職員は日本一いばって、日本一働かない。そういう沖縄独特の構造があるんです」



<参考>
沖縄から戦後日本を照射する……佐野眞一出版記念講演会(JanJanニュース)
http://www.news.janjan.jp/area/0810/0810180682/1.php


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2 コメント

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ふざけるなー!!琉球人ども (奄美2,5世)
2009-04-21 15:35:44
私の父は瀬戸内町出身で戦後コザで働いていましたが琉球人の賃金の半額しか貰えなかったそうです、しかし父は死ぬまで恨み言一つ言わず亡くなりました、大島どっこい、大島パンパンと蔑みの言葉を投げつけられた同郷の恨みをここで晴らさせていただきます

ふざけるなー!!!琉球人、偽善者ども
ふざけるなー!!!琉球人、偽善者ども
ふざけるなー!!!琉球人、偽善者ども

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美文 (Unknown)
2009-05-20 17:25:25
web徘徊(※)、偶然目にしたブログ記事。
一目で打たれました。

即ブックマークに。

(※経路):Yahooポータルトップに堂々「川村明宏」詐欺商法への誘導リンク。

誰?川村明宏って?
こんな稚拙商法の目玉になるほどの人物?ってググったら検索トップにこのブログ。
そして「佐野眞一」紹介。
氏の「読みやすい文」を感想強調しているだけに、このブログ筆者の文章も簡潔で美しい。

ナニカ書くと駄文ばかりの私、いいお手本をあらためて感じました。
痛感。
ブロガーとはすなわち名文家の代名詞?かとも。


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