昭和の時代に育った人間としては、横山やすし・西川きよしといえば一世を風靡した漫才コンビとして印象深い。
海外のコメディでは見られない、とんねるずやダウンタウン、カミナリなどに継承されている相方の頭を叩く乱暴な芸風は、やすしきよしやツービートの頃に成立したものだろうか。
横山やすしの息子、木村一八も俳優として注目されていたけどトラブルが多く大ブレイクしなかった惜しい逸材だ。
その木村一八さんが、2018年に本を出した板。
『父・横山やすし伝説』。
序章の後に、構成・編集として「小林大作、前田直子」という名前がある。
彼らがインタビューして作成した本だろうか。
1969年生まれの木村一八さんは、身長183センチだという。
小柄だった横山やすしと20センチ以上の身長差があるけど、白髪が多くなった姿は、横山やすしを思い出させる。
横山やすしは、貧しい育ちではなかったらしい。お坊ちゃんだったとか。
お酒は弱く、タバコも吸わず、家庭では暴力的ではなかったそうだ。
木村一八さんも、自制できない暴力的な人というわけではないらしい。
しかし、ヤクザとかマフィアとか、ディープというかかなりあぶない世界にも詳しいようだ。
少年院に入ることになった事件の真相についても書かれていた。
Wikipediaには次のような記述があるが、実際は異なったのだろうか。
検索してみると、原田喧太さんの身長は自称172センチらしい。18~19の頃でも、170は超えていたのではないだろうか。
それでも「小さい」扱いされるのは、さすが180センチ以上ある人の視点だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E4%B8%80%E5%85%AB
>1988年11月、俳優として順風満帆だった19歳の時、遊び仲間と飲酒後、タクシー運転手に対し一方的に暴行を加え続け、傷害容疑で逮捕された。
遊び仲間と飲酒後、六本木の路上でタクシーを停めようとしたが、乗車を拒否されて立腹。直後に停車した別のタクシーに八つ当たりをし、車体を傷つけた。驚いて声をあげた運転手(先に乗車拒否した者とは別人)に因縁をつけ、路上に引き摺り出し暴行を加える。仲間が嘲笑しながら煽った言葉に高揚し、執拗なまでの暴行を加え続け、運転手を脳挫傷に至らしめた。一八は勝ち誇った表情で「こいつが死んだら俺がムショへ行ったらええんやろっ!大したことあらへん!」と叫び、仲間は歓喜の声を上げ、拍手までしていたとの目撃情報が多数あり、マスコミはそれを報じた。未成年者の一八が逮捕されたこの事件は、やすしや吉本興業をも巻き込むだけに留まらず、社会問題にまで発展した。
印象深かった部分をいくつか。
<本文から>
p43
親父はスーパーぼんぼんでもあった。飛行機をキャッシュで買ってしまうのも、それがなせる業(わざ)。親父の父親、僕のお祖父さんは堺市役所で、食堂のコックだった。
そして、親父の母親、僕のお祖母さんは遊郭の女将(おかみ)だった。だから、親父はお小遣いにはまったく困ったことがない。
(略)
お母さんの啓子さんもいいとこのお嬢さんだった。実家は代々続く由緒正しい神社で、そのころは鉄工所を経営していた。
p53-54
1992(平成4)年、親父は暴漢に襲われて長期入院したことがある。意識不明で病院に搬送されて、なんとか一命を取り留めたが、集中治療室で治療を受けた。(略)
僕には、親父にどうしても聞きたいことがあった。(略)僕も親父の愛人に会ったことがあったから、確かに、女がいることは知っていた。でも、人生でどれだけ体験しているんだろう。常々気になっていた。死ぬ前には聞いとかなきゃ。(略)
「親父、いままで何人の女とやった?」
(略)
「51人」
……。一瞬耳を疑った。51人。本当かよ。(略)
たった51人かあ。ぼくは少なくとも3桁、もしかすると4桁かと思っていた。51人じゃ、僕が中学を卒業したときに、すでに経験していた数より少ないやん。
p97-98
そもそも親父はギャンブルをほとんどしない人だった。ボートレースをしていたから、ギャンブル好きのように思われているが、全く違う。
親父が競艇の舟券を買うのは、選手へのご祝儀かせいぜい遊び。(略)
ちなみに、親父はギャンブルの他にタバコもだめだった。子どもにも女と酒は許すが、博打とタバコは厳禁。そもそも親父はタバコが大嫌いだった。
p98-99
(略)ボートレースの前はマラソンにはまっていたことはあまり知られていない。親父の著作でもマラソンのことが書かれているが、そのままマラソンにはまっていたら、好きでもないお酒を無理に飲むことはなかっただろうし、節制もしたと思う。
p106-107
寄り道だけど、ディープな場所へ行く方法を少しだけ教えよう。覚えておいて損はないだろう。
もし、ニューヨークに行ったとしたら、まず、英語のできる日本人の女の子を探す。パリなら、まず、フランス語のできる日本人の女の子を探す。
(略)
クラブで働いているくらいだから、夜の街を知っている。(略)そしていろいろなクラブに行って、その国のマフィアと友達になる。僕は一人で行動するから、比較的マフィアと友達になれる。その点親父もそうだった。一人で行動するジャパニーズは滅多にいないから、驚かれると同時に認めてくれるというわけだ。
p111-112
親父ルールその16「他人はどついても、身内はどつかん」。親父がテレビで冗談めかして言っていた言葉だ。確かにこのとおりだった。身内はどつかん。僕もどつかれたのは1回だけだったし、お母さんも1回だけだった。
(略)
「女は口が回る。男は口が回らないから手が出る。しかし、それは自分が負けということを認めたことや。だから、二度と手を出さん」と。
p138-139
親父の身長は、自称163センチ。しかし、僕が見たところ2センチはさば読んでいたと思う。そんなところでさば読まなくてもいいと思うが、身長161センチ、体重は47キロだったはず。(略)
読者も含めて多くの人が、芸人、横山やすしを破天荒、乱暴者で怖いと感じていたのも、間違いではないということだ。
矛盾していると思われるかもしれないが、芸人、横山やすしとしては、それは正しい。親父は芸人として、破天荒で乱暴な物言いを演じていた。いや、なりきっていた。それは素顔の木村雄二とは違う。「けんか早くない」と書きながら、手を出していた。
p180-183
事件のきっかけは、原田芳雄の息子の喧太だった。喧太とはそのときが初対面だったと思う。僕の幼馴染の相楽晴子に、彼氏ができたと紹介されたのが彼だった。相楽晴子から「喧太は、一八に憧れているんだって。一度会ってよ」と言われた。
そう言われれば悪い気はしない。晴子が紹介した喧太は、体も小さいし喧嘩ができるような男じゃない。だけど、荒れちゃってる。(略)
振り向いてみると、喧太がガタイのいい男とやりあっている。
理由は、喧太が、タクシーが拾えないことに腹を立てて、そのタクシーではなく、後から来たタクシーの車体を蹴ったことにあった。蹴られたタクシーの運転手が起こるのも無理はない。しかし、そのタクシーの運転手はでかかった。小さな喧太とは大人と子どもの差がある。かなう相手ではない。喧太がやられている。危ない!
僕は助けに入った。だけど、タクシーの運転手も喧嘩慣れはしていない。僕の回し蹴りが相手の頭に入ってしまった。後は書いたとおりだ。
その後、僕と喧太は麻布警察署に連れて行かれた。僕は警察に行くのは、何度も経験しているし、少年課の担当刑事もよく知っている。いつものことだ。しかし、喧太は違った。
僕の隣の取調室で、ピーピー泣いている。仕方ない。喧嘩なんかしたことないんだから。ちょっと僕を真似ようとしただけだから。それに、警察で取り調べされるのも初めてなんだから。
だから、僕が、少年課の担当刑事の鈴本さん(仮名)に頼んだ。この鈴本さんは、ずっと僕の担当刑事でもあった。この鈴本さんに、
「鈴本さんよ、帰してやれよ。ガキが、俺の真似して、不良ぶっただけなんだから。結果的に怪我を負わせたのは、俺なんだし、いきさつはどうでもいいから、あいつ帰してやれよ」って。
そうしたら、鈴本さんが「お前が全部かぶるの、おかしいだろう。きっかけ、全部、あいつなんだから。お前のこと、ずっとみているけど、お前は、喧嘩ばっかりしているけど、そんな“べらんめえ”なことしないんだから」と。「それに、話がおかしくなるぞ。助けたという話ができなくなるぞ」と。
それでも、僕は刑事さんに「あんな、ピーピーピーピーと、隣の部屋で泣かれたら、うるさいよ。帰してやれよ。全部、俺がやったことにすればいいじゃねーか」と強引に押し込んだ。
(略)
この原田健喧太とその父親の原田芳雄が、その後、僕のところにわびに来たことはない。一度だけ偶然、喧太に会ったことがある。しかし、彼は慣れ慣れしくしてきたけれど、そのときも、わびのひとつもなかった。それでも、あえて何も言わなかった。しかし、彼らはまったくの無視だ。いくらなんでも礼儀をわきまえてない。だから、本当のことを語る気になった。
(略)
喧太の彼女だった相楽晴子は、僕が少年院に入って、しばらくした後、喧太に怒ったらしい。僕に挨拶に行かない喧太に対して、「あんた! 誰のために、一八はすべてをかぶったのよ」って。それがきっかけで別れたらしい。とても男前の女だ。そのとき、喧太は「僕は関係ない、僕は何も覚えていない」と言ったという。
p185-186
僕は大義のない喧嘩をしたことはない。それがうちの教えだ。喧嘩にも大義、正義がなければならない。無作為に人を蹴っ飛ばすとか、殴るとか、そんなことは絶対に許されない。僕が起こした事件は、レイプされそうな女の子を、5人の男から助けて、3人を病院送りにしたとか、そういうことだ。だから、そういう事件を起こすと、担当の刑事は常に僕をかばった。ただ、やりすぎが問題だった。
(略)
僕は、常に大義をもって喧嘩をしていたが、大義という考え方も怖い。アメリカが言う大義と同じで、それはなんでも正当化してしまう。僕の場合もそうだった。人に文句を言われるような喧嘩をしていない。だけど、本当は暴れたかった。
p196-197
(略)明け方、玄関口から“ドンドンドン”と大きな音が聞こえる。なんだろうと思って、リビングとの境にあるふすまを開けると、ちゃぶ台の前で親父が倒れていた。顔が変形しており、すぐに、その異常さに気がついた。お母さんを起こしに2階へ上がった。(略)お母さんは親父の友人に電話し、親父をかかりつけである近くの摂津医誠会病院に運んだ。
(略)8月6日は広島に原爆が投下された日で平和記念日だった。(略)
その間、僕は日本中の知っているヤクザの親分たちに電話をしていた。犯人を教えてもらうためだ。片っ端から電話をした。そして、親父の犯人捜しを依頼した。
そして、2時間後、犯人の実像とその背景まで探り出した。誰が黒幕かもわかった。しかし、読者には申し訳ないが、一生、口外することはない。それは、親父との約束だ。もちろん、親父は誰が犯人か知っていた。そして、親父はその犯人の名前を一切口に出すことなく、3年半後に亡くなった。
(略)
親父がある程度、話せるようになってから、僕はこのことを打ち明けた。
「親父、犯人はつきとめた。俺、かたきとってくる」と。
うちは、家族のためなら殺人も許される家だ。しかし、親父に止められた。
「やめとけ、一八。お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。しかし相手は一人じゃない。全員殺せるか。報復されたらどうする。わしやお前はいいかもしれない。しかし、お母さんや妹はどうする。(略)
結局、襲撃事件は迷宮入りになった。傷害事件だから10年で時効になる。警察も本当は掴んではいたと思う。僕でさえ、日本中の親分に効いて2時間で真相がわかったのだから、警察がわからないわけがない。
(略)政治的配慮があったのかもしれない。そうであれば、親父は泣き寝入りだ。そう思うと、日本という国がわからなくなる。親父も僕も愛国者だ。親父は節税を一切やらなかった。親父から言わせれば、節税は脱税だからね。そんな親父が襲撃されたら、日本の警察は総力を挙げて、犯人を検挙すべきだと思う。
(略)でも、事件は迷宮入りになった。そこが大きなターニングポイントだったと思う。それまで、日本という国が大好きだったし、親父の愛国心もリスペクトしていた。しかし、そのときから日本という国を批判的に見るようになった。
p213
弔問客のなかには、全国の親分たちの使いで来た若い衆もたくさんいた。いまさらながらに親父には驚いた。対立する組の両方の親分とも付き合いがあった。下手すりゃ、裏切り者とか言われて殺されちまうぜ。親父の顔の広さと要領のよさは天性のもんや。
その親分たちは、みな香典がわりに親父の借金を帳消しにしてくれた。親父の借金の総額は17億円‼ この借金の額自体もビックリだったが、その証文を目の前で破ってくれたことにも驚いた。その気風(きっぷ)のよさに頭が下がった。
余談だが、一か所だけひっかかるところがあった。
「お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。」とあるけど、「かたき」は、「敵」。
「かたきをとる」≒「敵を討つ」と考えると、「相手のかたきをとる」≒「相手の敵を討つ」という意味になってしまう。
相手の敵は自分になってしまうのでは…
「お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。」ではなく、
「お前は強いから相手を討てるだろう。」
「お前は強いから親のかたきをとれるだろう。」
などと表現した方がいいのではないだろうか。
編集に関わっているとつい些末なところに目が行ってしまう。自分もつい変な表現をしてしまいがちだけど。
海外のコメディでは見られない、とんねるずやダウンタウン、カミナリなどに継承されている相方の頭を叩く乱暴な芸風は、やすしきよしやツービートの頃に成立したものだろうか。
横山やすしの息子、木村一八も俳優として注目されていたけどトラブルが多く大ブレイクしなかった惜しい逸材だ。
その木村一八さんが、2018年に本を出した板。
『父・横山やすし伝説』。
序章の後に、構成・編集として「小林大作、前田直子」という名前がある。
彼らがインタビューして作成した本だろうか。
1969年生まれの木村一八さんは、身長183センチだという。
小柄だった横山やすしと20センチ以上の身長差があるけど、白髪が多くなった姿は、横山やすしを思い出させる。
横山やすしは、貧しい育ちではなかったらしい。お坊ちゃんだったとか。
お酒は弱く、タバコも吸わず、家庭では暴力的ではなかったそうだ。
木村一八さんも、自制できない暴力的な人というわけではないらしい。
しかし、ヤクザとかマフィアとか、ディープというかかなりあぶない世界にも詳しいようだ。
少年院に入ることになった事件の真相についても書かれていた。
Wikipediaには次のような記述があるが、実際は異なったのだろうか。
検索してみると、原田喧太さんの身長は自称172センチらしい。18~19の頃でも、170は超えていたのではないだろうか。
それでも「小さい」扱いされるのは、さすが180センチ以上ある人の視点だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E4%B8%80%E5%85%AB
>1988年11月、俳優として順風満帆だった19歳の時、遊び仲間と飲酒後、タクシー運転手に対し一方的に暴行を加え続け、傷害容疑で逮捕された。
遊び仲間と飲酒後、六本木の路上でタクシーを停めようとしたが、乗車を拒否されて立腹。直後に停車した別のタクシーに八つ当たりをし、車体を傷つけた。驚いて声をあげた運転手(先に乗車拒否した者とは別人)に因縁をつけ、路上に引き摺り出し暴行を加える。仲間が嘲笑しながら煽った言葉に高揚し、執拗なまでの暴行を加え続け、運転手を脳挫傷に至らしめた。一八は勝ち誇った表情で「こいつが死んだら俺がムショへ行ったらええんやろっ!大したことあらへん!」と叫び、仲間は歓喜の声を上げ、拍手までしていたとの目撃情報が多数あり、マスコミはそれを報じた。未成年者の一八が逮捕されたこの事件は、やすしや吉本興業をも巻き込むだけに留まらず、社会問題にまで発展した。
印象深かった部分をいくつか。
<本文から>
p43
親父はスーパーぼんぼんでもあった。飛行機をキャッシュで買ってしまうのも、それがなせる業(わざ)。親父の父親、僕のお祖父さんは堺市役所で、食堂のコックだった。
そして、親父の母親、僕のお祖母さんは遊郭の女将(おかみ)だった。だから、親父はお小遣いにはまったく困ったことがない。
(略)
お母さんの啓子さんもいいとこのお嬢さんだった。実家は代々続く由緒正しい神社で、そのころは鉄工所を経営していた。
p53-54
1992(平成4)年、親父は暴漢に襲われて長期入院したことがある。意識不明で病院に搬送されて、なんとか一命を取り留めたが、集中治療室で治療を受けた。(略)
僕には、親父にどうしても聞きたいことがあった。(略)僕も親父の愛人に会ったことがあったから、確かに、女がいることは知っていた。でも、人生でどれだけ体験しているんだろう。常々気になっていた。死ぬ前には聞いとかなきゃ。(略)
「親父、いままで何人の女とやった?」
(略)
「51人」
……。一瞬耳を疑った。51人。本当かよ。(略)
たった51人かあ。ぼくは少なくとも3桁、もしかすると4桁かと思っていた。51人じゃ、僕が中学を卒業したときに、すでに経験していた数より少ないやん。
p97-98
そもそも親父はギャンブルをほとんどしない人だった。ボートレースをしていたから、ギャンブル好きのように思われているが、全く違う。
親父が競艇の舟券を買うのは、選手へのご祝儀かせいぜい遊び。(略)
ちなみに、親父はギャンブルの他にタバコもだめだった。子どもにも女と酒は許すが、博打とタバコは厳禁。そもそも親父はタバコが大嫌いだった。
p98-99
(略)ボートレースの前はマラソンにはまっていたことはあまり知られていない。親父の著作でもマラソンのことが書かれているが、そのままマラソンにはまっていたら、好きでもないお酒を無理に飲むことはなかっただろうし、節制もしたと思う。
p106-107
寄り道だけど、ディープな場所へ行く方法を少しだけ教えよう。覚えておいて損はないだろう。
もし、ニューヨークに行ったとしたら、まず、英語のできる日本人の女の子を探す。パリなら、まず、フランス語のできる日本人の女の子を探す。
(略)
クラブで働いているくらいだから、夜の街を知っている。(略)そしていろいろなクラブに行って、その国のマフィアと友達になる。僕は一人で行動するから、比較的マフィアと友達になれる。その点親父もそうだった。一人で行動するジャパニーズは滅多にいないから、驚かれると同時に認めてくれるというわけだ。
p111-112
親父ルールその16「他人はどついても、身内はどつかん」。親父がテレビで冗談めかして言っていた言葉だ。確かにこのとおりだった。身内はどつかん。僕もどつかれたのは1回だけだったし、お母さんも1回だけだった。
(略)
「女は口が回る。男は口が回らないから手が出る。しかし、それは自分が負けということを認めたことや。だから、二度と手を出さん」と。
p138-139
親父の身長は、自称163センチ。しかし、僕が見たところ2センチはさば読んでいたと思う。そんなところでさば読まなくてもいいと思うが、身長161センチ、体重は47キロだったはず。(略)
読者も含めて多くの人が、芸人、横山やすしを破天荒、乱暴者で怖いと感じていたのも、間違いではないということだ。
矛盾していると思われるかもしれないが、芸人、横山やすしとしては、それは正しい。親父は芸人として、破天荒で乱暴な物言いを演じていた。いや、なりきっていた。それは素顔の木村雄二とは違う。「けんか早くない」と書きながら、手を出していた。
p180-183
事件のきっかけは、原田芳雄の息子の喧太だった。喧太とはそのときが初対面だったと思う。僕の幼馴染の相楽晴子に、彼氏ができたと紹介されたのが彼だった。相楽晴子から「喧太は、一八に憧れているんだって。一度会ってよ」と言われた。
そう言われれば悪い気はしない。晴子が紹介した喧太は、体も小さいし喧嘩ができるような男じゃない。だけど、荒れちゃってる。(略)
振り向いてみると、喧太がガタイのいい男とやりあっている。
理由は、喧太が、タクシーが拾えないことに腹を立てて、そのタクシーではなく、後から来たタクシーの車体を蹴ったことにあった。蹴られたタクシーの運転手が起こるのも無理はない。しかし、そのタクシーの運転手はでかかった。小さな喧太とは大人と子どもの差がある。かなう相手ではない。喧太がやられている。危ない!
僕は助けに入った。だけど、タクシーの運転手も喧嘩慣れはしていない。僕の回し蹴りが相手の頭に入ってしまった。後は書いたとおりだ。
その後、僕と喧太は麻布警察署に連れて行かれた。僕は警察に行くのは、何度も経験しているし、少年課の担当刑事もよく知っている。いつものことだ。しかし、喧太は違った。
僕の隣の取調室で、ピーピー泣いている。仕方ない。喧嘩なんかしたことないんだから。ちょっと僕を真似ようとしただけだから。それに、警察で取り調べされるのも初めてなんだから。
だから、僕が、少年課の担当刑事の鈴本さん(仮名)に頼んだ。この鈴本さんは、ずっと僕の担当刑事でもあった。この鈴本さんに、
「鈴本さんよ、帰してやれよ。ガキが、俺の真似して、不良ぶっただけなんだから。結果的に怪我を負わせたのは、俺なんだし、いきさつはどうでもいいから、あいつ帰してやれよ」って。
そうしたら、鈴本さんが「お前が全部かぶるの、おかしいだろう。きっかけ、全部、あいつなんだから。お前のこと、ずっとみているけど、お前は、喧嘩ばっかりしているけど、そんな“べらんめえ”なことしないんだから」と。「それに、話がおかしくなるぞ。助けたという話ができなくなるぞ」と。
それでも、僕は刑事さんに「あんな、ピーピーピーピーと、隣の部屋で泣かれたら、うるさいよ。帰してやれよ。全部、俺がやったことにすればいいじゃねーか」と強引に押し込んだ。
(略)
この原田健喧太とその父親の原田芳雄が、その後、僕のところにわびに来たことはない。一度だけ偶然、喧太に会ったことがある。しかし、彼は慣れ慣れしくしてきたけれど、そのときも、わびのひとつもなかった。それでも、あえて何も言わなかった。しかし、彼らはまったくの無視だ。いくらなんでも礼儀をわきまえてない。だから、本当のことを語る気になった。
(略)
喧太の彼女だった相楽晴子は、僕が少年院に入って、しばらくした後、喧太に怒ったらしい。僕に挨拶に行かない喧太に対して、「あんた! 誰のために、一八はすべてをかぶったのよ」って。それがきっかけで別れたらしい。とても男前の女だ。そのとき、喧太は「僕は関係ない、僕は何も覚えていない」と言ったという。
p185-186
僕は大義のない喧嘩をしたことはない。それがうちの教えだ。喧嘩にも大義、正義がなければならない。無作為に人を蹴っ飛ばすとか、殴るとか、そんなことは絶対に許されない。僕が起こした事件は、レイプされそうな女の子を、5人の男から助けて、3人を病院送りにしたとか、そういうことだ。だから、そういう事件を起こすと、担当の刑事は常に僕をかばった。ただ、やりすぎが問題だった。
(略)
僕は、常に大義をもって喧嘩をしていたが、大義という考え方も怖い。アメリカが言う大義と同じで、それはなんでも正当化してしまう。僕の場合もそうだった。人に文句を言われるような喧嘩をしていない。だけど、本当は暴れたかった。
p196-197
(略)明け方、玄関口から“ドンドンドン”と大きな音が聞こえる。なんだろうと思って、リビングとの境にあるふすまを開けると、ちゃぶ台の前で親父が倒れていた。顔が変形しており、すぐに、その異常さに気がついた。お母さんを起こしに2階へ上がった。(略)お母さんは親父の友人に電話し、親父をかかりつけである近くの摂津医誠会病院に運んだ。
(略)8月6日は広島に原爆が投下された日で平和記念日だった。(略)
その間、僕は日本中の知っているヤクザの親分たちに電話をしていた。犯人を教えてもらうためだ。片っ端から電話をした。そして、親父の犯人捜しを依頼した。
そして、2時間後、犯人の実像とその背景まで探り出した。誰が黒幕かもわかった。しかし、読者には申し訳ないが、一生、口外することはない。それは、親父との約束だ。もちろん、親父は誰が犯人か知っていた。そして、親父はその犯人の名前を一切口に出すことなく、3年半後に亡くなった。
(略)
親父がある程度、話せるようになってから、僕はこのことを打ち明けた。
「親父、犯人はつきとめた。俺、かたきとってくる」と。
うちは、家族のためなら殺人も許される家だ。しかし、親父に止められた。
「やめとけ、一八。お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。しかし相手は一人じゃない。全員殺せるか。報復されたらどうする。わしやお前はいいかもしれない。しかし、お母さんや妹はどうする。(略)
結局、襲撃事件は迷宮入りになった。傷害事件だから10年で時効になる。警察も本当は掴んではいたと思う。僕でさえ、日本中の親分に効いて2時間で真相がわかったのだから、警察がわからないわけがない。
(略)政治的配慮があったのかもしれない。そうであれば、親父は泣き寝入りだ。そう思うと、日本という国がわからなくなる。親父も僕も愛国者だ。親父は節税を一切やらなかった。親父から言わせれば、節税は脱税だからね。そんな親父が襲撃されたら、日本の警察は総力を挙げて、犯人を検挙すべきだと思う。
(略)でも、事件は迷宮入りになった。そこが大きなターニングポイントだったと思う。それまで、日本という国が大好きだったし、親父の愛国心もリスペクトしていた。しかし、そのときから日本という国を批判的に見るようになった。
p213
弔問客のなかには、全国の親分たちの使いで来た若い衆もたくさんいた。いまさらながらに親父には驚いた。対立する組の両方の親分とも付き合いがあった。下手すりゃ、裏切り者とか言われて殺されちまうぜ。親父の顔の広さと要領のよさは天性のもんや。
その親分たちは、みな香典がわりに親父の借金を帳消しにしてくれた。親父の借金の総額は17億円‼ この借金の額自体もビックリだったが、その証文を目の前で破ってくれたことにも驚いた。その気風(きっぷ)のよさに頭が下がった。
余談だが、一か所だけひっかかるところがあった。
「お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。」とあるけど、「かたき」は、「敵」。
「かたきをとる」≒「敵を討つ」と考えると、「相手のかたきをとる」≒「相手の敵を討つ」という意味になってしまう。
相手の敵は自分になってしまうのでは…
「お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。」ではなく、
「お前は強いから相手を討てるだろう。」
「お前は強いから親のかたきをとれるだろう。」
などと表現した方がいいのではないだろうか。
編集に関わっているとつい些末なところに目が行ってしまう。自分もつい変な表現をしてしまいがちだけど。
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