波打ち際の考察

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波屋山人

トークイベントをはしご(中沢新一、楳図かずお)

2009-09-20 04:36:05 | Weblog
そういえば先週の土日にトークイベントをはしごしていたことをメモしていなかった。
9/12土は「中沢新一の東京アートダイバー第2回ゲスト佐野史郎」。
9/13日は「大・楳図カーニバル09★スペシャルトークショー」

中沢新一の本は、20年くらい前から読んでいる。
15年くらい前に読んだ「悪党的思考」はぼくにとって重要な本だ。
その本を読んだからこそ、芸能民とか被差別民とか、社会組織とその外側の関係などに興味を持ってしまったのかもしれない。

はじめて間近にみる中沢新一さんは、思っていたよりちょっとあごのラインに肉がついて、お腹も肉がついていた。もうちょっと絞ればもっとかっこいいと思う。
目や声は、思っていた通り。
おしゃれ度、男性度、純朴度、かっこつけ度、親しみやすさ度、全部いい感じだ。
やはりこのスタイルには共感する。圧力やわずらわしさを感じない。軽やかだ。

1980年くらいからゴールデン街で知り合っていたという佐野史郎さんとの話は、演技の話から、佐野さんが育った出雲の話、ゴジラの話、チェコの映画の話など、多岐に渡った。

こんな話もあった。
「人間の外の世界の声を生身の体を通して現すのが能のテーマ。死者が出てきて思いを語っていく。死者は世界の外の存在」
「現代は、人間が人間を作り、人間が何よりも大事で、命は何より大事。外界がなくなっている。かつては外界の声を内に響かせていた」
「世界になりやすいのはひとつになるとき。外のものが敵になるから」
「かつて殲滅戦争や大戦争はなかった。外界にあるものを内側に取り込むものとしてとらえていた」
「近代は自家中毒を起こしている。空間を初心に返らせたい」
ちょっと断片的過ぎるメモでよくわからない。。。

どちらにしても、とても興味深い話で、一般人にもよくわかる話だったから、一切難しい本を読まない彼女も興味深く聞き入っていた。
次回の中沢新一と細野晴臣のトークイベントも、先行予約を受け付けていたから申し込んでおいた。

翌日は楳図かずお先生の誕生日イベント。
こっちは彼女の趣味だ。ぼくは数冊しか読んだことはないけど、それでもこの先生が天才的な芸術家であるということは知っている。
73歳になられたけど、歌って踊ってとても爽快な笑顔。
とても細身なので、あごのラインはそのまま骨の形に見えた。

恐怖感覚を呼び起こすマンガを描かれた楳図かずお先生もきっと、社会組織の内部と外部、見えるものと見えないもの、形になっているものとなっていないもの、などについて意識しているのではないだろうか。

言葉にできることとできないことの間でもどかしい思いをしているぼくは、うっすら感じていることをすでに言語化、視覚化している人を見ると尊敬する。すごいヒントをくれる、ありがたい存在だ。

世の中には、上昇志向の人もいれば、そういった価値観に疑問をいだいて佇んでしまう人もいる。
経済とか政治とか金融とか、社会の内部で組織化を強め、富や力を蓄積することを重視するのもいいけど、それだけだといつかその価値観に疑問を抱いてしまうかもしれない。
お金をためても、使い方が下手な人は多いし。

なんのために稼いでいるのだろう、なんのために権力を得ているのだろう、などと疑いを持ってしまうと、立ち直れない人だっているだろう。

そうかと思えば、社会的に評価されることを早々に視野の外に置き、閉じてしまっているひきこもりの人もいる。

だけど、世の中には極端ではない、絶妙に軽やかで魅力的な立ち位置もあるはずだ。

組織の内部と外部を自由に行き来し、社会的善悪をうまくすりぬけて、社会的価値観にとらわれない芸術的価値を堪能し、豊かな生活を送る人もいる。

上昇志向の人も芸術に親しめば、さまざまなものに価値を見出すことができ、組織の外部のパワーを吸収することによって、組織の強化につなげることもできるかもしれない。
芸術は、ひきこもりの人にもビジネスマンにも農家の人にもヒントとなる、興味深い教養だと思う。


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