Camera d'Oro“黄金の寝室”の丸天井
この部屋には一面に
二人の愛の物語が綴られています
二人の愛の物語が綴られています
勿論、ピエールとその愛人ビアンカのお話です
妄想ストーリーは続きます。
こうしてピエールは宮殿のパーティへ出かけますが、その会場で出会った女性と恋に落ちました。その人こそが、トレッキアーラ城建設のきっかけになり、後世そのお城で生涯を共にすることになるビアンカ・ペッレグリーニBianca Pellegriniでした。
イタリア版ウィキペディアによると、ビアンカ・ペッレグリーニを、Era probabilmente la dama di compagnia della duchessa Milano Bianca Visconti と紹介しているので、彼女はミラノ公国のビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ伯爵夫人の付き人をしていたようで、更には、moglie del cavaliere Melchiorre di Arluno つまり、騎士であったメルヒオール・アルルーノの妻、そうなると彼女も又既婚者だったということになります。
お城の壁に描かれたピエール(左)と花嫁姿らしいビアンカ(右)
P:おっーなんとお美しい! 輝く星のようだ!わたしの太陽だ!
(星か太陽かどっちやねん、あっ妄想です)
P:sei bella bella! molto carina!
B:あーなんて素敵な殿方なんでしょう。わたしの好みだわ~♪
(そんなはしたないことは言わないと思います。妄想です)
B:E`magnifico!
お互いこうして惹かれあった訳ですが、今風に言うと、ダブル不倫になって、当時も口さがない人々の噂話の的になったことだと思います。それでも、彼女は、パルマに帰還する彼に付いて行ったというから、きっと現状の結婚生活には満足してなくて、それ故にピエールの情熱溢れる口説き文句にはひとたまりもなかったでしょう。彼も又然り、働き盛りとはいえ、周辺諸国との争いに疲労やストレスも貯まっていただろうし、そんな中で出会った、若く美しい女性に心を奪われてしまったのは、むしろ自然な成り行きだったかも知れません。ちなみに、この時、ピエールは27歳、ビアンカは23歳、正妻のアントニアは34歳でした。時は、15世紀半ば、北は、レオナルド.ダ.ビンチが描いた幻の壁画のモデルになったあのアンギアーリの戦いが、フィレンツェとミラノの間で勃発し、南ではアラゴン王がナポリを征服しようと触手を伸ばしていた、そんな混沌とした時代でした。
ビアンカに剣を差し出し、忠誠と深い敬愛の情を捧げるピエール・・・多分
こうして、ピエールとビアンカは、その後も愛を育むことになるのですが、ゴタゴタが起こらないように、ピエールは彼女の夫にはなにがしかの報償を与え、もしビアンカに子供がいたならば、彼らにもそれなりの保障は約束した・・・そのくらいの配慮と度量は、マニーフィコ(立派な)と呼ばれたピエール・マリーア・ロッシにはきっと備わっていたことと思います(妄想です)
王冠を被せピエールの労をねぎらい、その功績を称えるビアンカ・・・多分
そんな彼女との愛を全うすべく、夏の居城として造ったのが、トレッキアーラ城でした。そうなると、愛人を連れ帰った夫を前にして、妻の立場はどうなるのか、そりゃもう怒り心頭に発する境地だったに違いないと、勝手な妄想ストーリーは更に広がりますが、続きは又にして、お城への行き方を記しておきたいと思います。(行き方の説明はそっちのけで、ちょっとちょっと奥さんと、井戸端会議になってますよねぇ)
■2018年12月28日
パルマの鉄道駅は縦構造になっています。電車を降りたらエスカレーターやエレベーターで一番下の階まで行きます。構内にタバッキがあるので、バスの切符はそこで往復買いました。『トレッキアーラに行きたい』と言えば、通じます。ちなみに切符の種類は、EXTRAURBANO、VALE3ZONE です。
エレベータやエスカレーターで一番下の階へ行く
両サイドの扉から外へ出ると行き先に応じたバス停が並んでいます
私は、何も考えずに外へ出たら、該当する乗り場がなくて、慌てました。バス会社の公式サイトからダウンロードして印刷した時刻表を手にしていましたが、パルマ駅発トレッキアーラへ行くバスがどこにも停車する気配がない、バス乗り場がないのです。発車時間は迫ってくるし、このバスに乗らないと、午前のお城の見学はできません。右往左往していると見かねたのでしょうね。近くの人が何人も寄ってきて、一緒にバス停を探してくれましたが、その中の一人の黒人さんが、トレッキアーラに行くのか?自分もそのバスに乗るよ、と言って、反対側のドアを指さしました。そっか~両方のドアのどちら側に出てもバス停はあるんだ・・・
お城へ行くには12番の乗り場から『CAPOPONTE』行きのバスに乗ります
それにしても、パルマの人達は、皆親切でした。最後まで心配してくれたこの黒人さん初め、車中で隣り合わせた老婦人も、帰りのバスに乗り遅れた私を寒いからここで待ってなさいと言ってくれたバールの女主人も、そればかりかトイレの番をしていたお兄さんだって、あの時、私を騙そうと思えば、いくらでも騙せたのに、みんなみんないい人達ばかりでした。
午前11時21分発のバスに乗車しましたが
バスは時刻通りに、やって来ました
バスは時刻通りに、やって来ました
‐続く‐
それにしても、やっかいなお城を訪ねたなぁとつくづく思います。次から次から興味がわいてきて、ビアンカさんではないですが、ロッシさんの足跡をたどってみたくなりました。今回バス待ちに入ったバールでは、そのお店主催で夏にお城で夕食会を開くそうで、来て欲しいと言われ、申込先のアドレスを貰いました。なんかむずむずしてきます(^^)
中世のそんな物語の登場人物は、皆若いですよね。なんてオマセさん!なんて思っちゃうけど、そうでもない?笑
そして、親切なパルマの人達物語には目がウルっとしちゃいましたよ〜〜
kazu さんのいい人オーラはイタリアの人にも伝わるんですよ。そんな風に迷っている外国人が居たら、誰だって人を選びます。怖そうだったり嫌な感じの人に親切はしません。
その様な経験で又パルマに行きたくなっちゃいますね(´∀`=)
そんな風に言って下さってありがとうございます。迷える平たい顔族に、パルマの人たちは手をさしのべてくれました。町の印象は、こんな人の親切で大きく評価が高まりますよね。ほんと再訪したいです。