イタリアより

滞在日記

カルチェリの庵(アッシジ)

2012年01月18日 | アッシジ

私を待っていてくれるタクシーと運転手さん


アッシジには二日間滞在したので、聖フランチェスコ聖堂を初めとする主立った見どころは結構ゆっくりと見て回ることが出来ました。

聖人フランチェスコについては、大金持ちの子として生まれながら、全てを捨てて神の道に入ったというくらいの浅薄な知識しかありませんでしたが、こうして現地に立ち、一つ一つ足跡をたどれば彼の目指した境地が当時のローマ教会といかに異なるものであったか、何故こんなにまで多くの人々に受け入れられたか、その生涯に圧倒されながらも、少しづつ分かる気がしてきます。

アッシジは、世界中のクリスチャンが巡礼する場所ですが、中でも、旧市街地から離れた「カルチェリの庵」は、フランチェスコやその仲間達(キリスト教では“兄弟”と呼びます)が瞑想に日々を送った聖地として、今も静謐な佇まいを残します。旧市街の町の中はあちこち訪ね歩いたものの、この「カルチェリの庵」だけが行けないまま、出立する朝を迎えたのでした。


僧院中庭/奇跡の井戸


今日は、朝10時過ぎにホテルを出て移動の予定です。しかし、どこか後ろ髪が引かれる思いがして、やはり「カルチェリの庵」へ行こうと思い直しました。実はこの場所は、私の居る旧市街から4~5㎞離れた標高800mの山の中腹にあります。徒歩で行けば、私の足なら1時間以上かかるでしょう。季節の良い時は、沢山の人が歩いて行くのだそうですが、この冬の時期ではそうそう歩いて上る人も居ないだろうし、迷子になる可能性だって私にはあるのです(自信あり)。行くにはタクシーしか選択肢はありませんでした。


Piazza Unita Del Italia(バスのロータリー/ウニタ・ディターリア広場)


チェックアウト後、スーツケースはホテルに預かって貰って、バスのロータリーまで行きました。客待ちのタクシーが止まっているはず…。と思いましたが、何台もタクシーは駐車しているのに、どのタクシーも運転手さんがいないのです。困ったなぁ~と、ウロウロしていると、一台だけ助手席に人が乗っているタクシーがあって、声を掛けました。その男性は、車の留守番をしているようで、彼が携帯電話を掛けると、ローターリーの前のお店から当の運転手さんが出て来ました。

成る程~客待ちタクシーなのに誰も乗っていない車は近くのバールにその運転手さんが居るってことなのね。これは一ついい勉強になったと変なことに感心ながらタクシーに乗り込みました。


フランチェスコの森へ


アッシジの街は、ビール瓶を横にしたような形だと誰かが言っていましたが、「カルチェリの庵」には、そのビール瓶の口に当たる位置から瓶の底を抜け出て、更に山を上って行きます。車の中にいても坂道の傾斜が充分に分かる、これはタクシーを使って正解でした。春や秋なら、ハイキング気分でウンブリアの平原を楽しみながら歩けるだろうけどなぁ…と思っていると、まるで私の心を見透かしたように、ハイキング禁止!の立て看板が目の前を過ぎました。

そっか…ここは楽しむ所ではない、巡礼の地なのだと、改めて自分が行こうとしている場所の重みを知らされた気分でした。タクシーはこうして20分ほど走って、カルチェリの庵へ着きました。運転手さんには待っていてくれるように頼んで外へ出ましたが、思った通り訪問者は私一人だけです。杉木立や鬱蒼とした森に囲まれた聖地は何とも寂しい…フランチェスコが聞いたという小鳥のさえずりさえもしません。


青銅のフランチェスコ


僧院から道を下っていくと、光の輪をしょった彼が迎えてくれましたが、周辺は雪がうっすら積もっていて静寂な空気に包まれています。夏は涼しくて静かでいい所に違いないでしょうが、冬は厳しいなぁ。でも、ここにフランチェスコを初め、彼を生涯支え続けたベルナルドやローマ教皇謁見の際に尽力したパオロ、フランチェスコのみならず聖キアラの最期までも看取ったアンジェロたち兄弟が庵を結び、瞑想の場として折々に過ごした場所なのだと思うと、やはり姿勢を正して歩みを進めるようになりました。雪の降る中、裸足で教会の再建のために石を積む彼らの姿が脳裏に浮かびましたが、クリスチャンでもない俗物の私には、ただただ身震いをして彼らの強い魂に頭(こうべ)を下げるだけでした。


うっすらと雪の積もるフランチェスコの森の中

この辺り一帯は、フランチェスコの森として巡礼者の聖地ですが、歴史をひもとくと戦いにまみれた場所でもありました。アッシジは隣国のペルージャやスポレートと争っていたし、スペインやフランス初め、ヨーロッパ各地から侵略もありました。聖地といえども、戦争は森を焼き山を崩して容赦なく人々を混乱に陥れる、いつの時代も人間は残酷ですね。


木立の中から僧院の入り口で待つタクシーを確認する(笑)


タクシーの運転手さんには30分程待ってください、と伝えましたが、気が付くと一時間は過ぎていて私は焦りました。木立の中をもしや聖キアラが剃髪した川が向こうに流れているのではないかと、そんな錯覚にとらわれて、森の中に入り込み過ぎていたのです。帰りを迷わないように、角ごとに大きめの石を置いて道を進めていたので迷子にはならずに済みましたが、運転手さんが帰ってしまっていたらどうしようかと一瞬怖くなりました。でも、料金はまだ支払ってないしな~と意識はすぐ現実に戻ったのは幸いでした。

運転手さんは、イタリア人にしては寡黙な人だと思っていましたが、私が遅くなったことを詫びると、「イタリア語が話せるるんだねぇ」と言って急におしゃべりになりました。「いえ、ほんの少ししか分かりません」と返しながら、イタリア人はこうでなくっちゃ~とまでは思いませんでしたが(笑)、「日本は行ったことがないけど、いいところなのだね。友達がそう言っていたよ」と故郷を褒められるとやはり嬉しくなるのは否めませんでした(*^_^*)。

そして、これは運転手さんのサービスでしょうか。往復、違う道を通ってそれぞれ分かりやすく言葉を選んで案内してくれながら、坂道を本当に丁寧に走ってくれました。料金は往復で36.5ユーロでしたが、私は40ユーロを渡して心からお礼を言いました。日本の観光客にはイマイチ不評のイタリアのタクシーですが、こんな良いタクシーも中にはあるのですね。

こうしてカルチェリの庵がアッシジ最後の良い思い出になって、この地を後にすることが出来たのでした。

【余談】

この聖(サン)フランチェスコが活動した時代は13世紀。その約300年後、「1549年(いごよく広まると年号を覚えました(^^))」フランシスコ・ザビエルが日本にやって来てキリスト教が伝来します。アッシジは、そういう意味で日本とも関わり合いがあるのですね。なお、ザビエルの名前、アッシジの聖人フランチェスコが冠ってフランシスコとなっています。アメリカのサンフランシスコも名前の由来は同様です。

そして私個人にもほんの少し関わり合いが^^;…昔々のお話ですが、私の通った幼稚園はカトリック教会が運営していました。園長先生は牧師さんでイギリス人。立派な体格で、私達にはとてもとても恐い人に思えました。それでも私は無事に通園しましたが、妹は、ついに途中で幼稚園をやめました。ハイ、幼稚園中退です(^^)。小鳥や小動物にも優しかったフランチェスコの教えは、何百年も時を経ると変わるものなのですね。といっても、それこそもうとっくに時効のお話ですが…^^;
コメント (8)
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