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声楽の発表会を聴く

2016-11-27 17:16:12 | 歌、声楽
 声楽の発表会に、久しぶりに行ってきた。1年半ぶりだろうか。それ以前の4年間ぐらいは1時間ぐらいの範囲は出かけていたので、年間15回ぐらい足を運んでいた。初期の頃は、周辺で頻繁にやっていることを知らなかったので、1時間半ぐらいかけて上野まで行ったこともあった。聴いて自分の歌の向上の参考にしたいためだが、今思えば「熱中症」の性格であることに自嘲している。

 さて、今日の発表会の教室は、1昨年も聴いていたことを思い出した。女性ばかりで60代から70歳代と思われる人たちである。
 教室によって特徴があるのだが、無理なく声を出しているのに好感をもった。「無理なく」というのが重要である。力任せではなく声を出していたが、喉に負担をかけずに歌う人が多かった。
 とくに注目をしたのは息の使い方で、息に声をのせて出す、という感じである。大きく声を出すのはある程度できるものだが、大きくから小さくする、あるいは小さい声で表現をするというのはなかなかできない。小さく出しながら届く声にすることは難しい。自分の今の課題にてらして、その辺に注意をして聞いた。

 アリアを高音を大きく歌うため「キャー」という叫び声のようになっているのを聴くことは少なくない。ベルカントの発声で声をつくるのだが、その段階の課題に即した選曲でない場合に起きるのではないか。
 選曲を指導者がしているのか、当人の希望を踏まえられているのか、といったこと。この発表会では、歌曲とアリア1曲ずつ歌っていた。
 歌曲は日本歌曲とイタリア歌曲のどちらかを選んでいた。印象としては日本歌曲は親しんでいるせいか、歌いこなしているようだった。
 アリアも無理なく歌っていた。比較的知られているアリアで音域の広くないものを選んでいたようだ。こういったことは、歌うことに確信と達成感もてるために重要なこと、と考えさせられた。これらは当たり前のようでいて、往々にして挑戦的に高音を出さなければ歌えないような曲を歌っていることはめずらしくない。

 とても珍しい体験をした。主宰者の母親と娘がアリアの2重唱を歌ったが、音色、音質がほぼ同じのため、交互に歌うところの区別がつきにくかった。一人で歌っている感じといってもよいのだった。親子というのが似るものだと感心した。普通は同じソプラノでも音質が違うのでそれに即してキャラクターを区別して聞いているという平凡なことを改めて気づいたのだった。ちなみにその2重唱はそうとうな水準のものだった。


 


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