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絵本と児童文学

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トランプショック

2016-11-11 11:30:14 | 当世世間事情
■立って拍手を贈る
 昨日も寒かったが遠くの公民館であった「成人学級」の一般公開に行ってきた。地域で長い活動歴のある読み聞かせサークルの実際をやった。やさしく語り掛けるような「読み語り」などは共感ができたし、得るものがあった。
 終了時に語った8人ほどが前に並んだら、司会である館長が「立って拍手を」と言ったので、聴いた人が一斉に立って拍手した。ぼくはこの種の催し物で話す立場だったり聞く経験が多いほうだが、この行動は初めての体験だった。
 この頃の作法なっているのか、最大の敬意の表現なのかわからない。自転車で帰路につきながら工事現場等でやる作業確認等の一斉行動に似ているのかな、そう言えば国会でも立って拍手をしたし、といったことがずっと考え続けたのだった。

■トランプショックのアメリカ
 トランプ大統領で国際社会での反応は憂えたり戸惑いが大きい。アメリカは反トランプのデモが幾つかの週で起きているとのことだ。NHK「ニュースウオッチナイン」ではトランプのまき散らした人種差別発言が、移民や子どもの世界に深刻な問題を引き起こしているとの報道をしていた。すでに学校現場に人種差別が持ち込まれている。この報道は他局の解説や観測とちがって光っていた。 メディアがトランプのまき散らしていることの現実に目を向けること重要で、大統領になったら軌道修正するだろうなのといった願望や観測報道は情報の垂れ流しで視聴者を惑わすだけなのだ。
 アメリカに内在している格差、差別といった問題拡大するようにトランプは火をつけたのだ。この火が燃え盛るか下火になるかじっと関心を持っていきたい。改善しないと打ち上げたトランプは、もはや覆い隠せないだろう。クリントンの寛容さと社会保障(オバマケア)を取り下げ、自己責任と排外主義社会が一層すすむ。亀裂も・・・。

■ふるさと納税
 家族が一時期ふるさと納税の返礼の「特産物」に関心を持った。ぼくも年金生活でなければ故郷に納税したかもしれない。しかし税というのは住んでいるところで社会保障あるいは住民としての得る公共サービスを得るための再配分なので、この制度には接近していない。
 わが市ではふるさと納税で6千万ぐらい入って、2億円あまり出て行ったとのことだ。住民が2億円ほど市財政の恩恵を受けられないということだ。これでは住民としては不利益をこうむっているということではないか。
 地方の税収の少ない自治体がほとんどである。この制度は、ふるさと納税の返礼のための特産づくりや物流関係が少しは潤うだろうが、どう見てもぼくにはおかしな政策だと思っている。

 次元の違う話だが、かつて消費者金融の最大手の会社がシンガポールに居住を認められ日本に高額の納税をしなかった。この会社は始めたときも怪しいと思っていたが業績が良いうちにやめて税も逃れた。法的には問題がなくとも企業倫理としてはどうかと思う。と書いてみたが、この事例はふるさと納税と異質だな・・・。

 *市の税額は、新聞報道の記憶によるもの。

エンブレムは「組市松紋」に

2016-04-26 17:11:49 | 当世世間事情
 エンブレムはA案の「組市松紋」に決まった。取り止めたエンブレム発表のような演出がなく、落ち着いた記者会見のようだった。取り止めたものに1億1千万円、今回のものに8千万円かかったということだ。
 さて、「組市松紋」は、ぼくの見立てでは、競技種目でいえば剣道というイメージではりつめた感じがする。違う視点で見るとシンプルのようだが他と交わらない独立性とオリジナリティがある。どこへ表示されても孤高で耐えられる、といった感じだ。
 ぼくが良いと思ったC案は競技種目でいえば水球、サッカー、陸上競技といったイメージだ。明るくてラテンアメリカ的なのかもしれなく、軽い感じに思う人が多いのだろう。
 国際的には今の日本に接近するポップカルチャー風なのだ。ドラマ性漫画、アニメ、あるいは最近巨大な五百羅漢が話題になっている村上隆、奈良美智の作品であり、海外での注目度が高いことなど連想した。
 C案は不人気だったが、昨日ラジオの文化放送の番組で吉田照美アナが、この案が良いとかねてから主張していたということだった。彼は個展をたびたび開いている絵は専門家なのだ。
 エンブレムは、これから街頭やテレビなどメディアに使われ続ける。その際「組市松紋」は他と交わらなく孤高であり続けるので、色彩にあふれている環境にあっては目立つのではないだろうか。オリンピックスポンサーがエンブレムの使用権をえて今後メディア等で使う。IOC,JOCは、これが主要な財源で3千億円近いだろうということだ。エンブレムは重要な財源なのである。



「わたしはだまされない」-詐欺電話

2015-01-16 13:05:36 | 当世世間事情
 NHKテレビの平日18時10からは、その地域の報道番組である。ぼくは旅行の際にはホテルでこの時間帯の放送を見るように心がけている。その地域のニュースで地域性を垣間見る思いで興味がそそられるからだ。

 現在の住まいでは「首都圏ネット」というタイトルである。その番組前の17時台が各地の四方山話ふうの内容のためか、首都圏地域のニュースが多い。夕食等でリビングにいる時間が多いので何気なくテレビに目をやる。
 その番組の最後の時間帯に「わたしはだまされない」というタイトルのコーナーがある。詐欺にあわないため注意喚起する内容である。女性アナウンサーが被害事例を紹介し最後にキーワードを添える。アナウンサーが懸命に訴える様子が印象的である。
 ところで「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」という言葉ではくくれないような多様な方法が展開するようになった。カネを渡す方法は、振込みでなく手渡しや郵便等も使うようになった。カネを求めるのも息子ではなく公的機関等の人を装う場合があり、「還付金がある」「宝くじ番号知らせる」等といったものもあり、手口が多様になっている。
 どうやら1月からは「詐欺電話」という言葉を使うようになった。それに「電話でお金を請求することは絶対ありません」と言葉を繰り返して強調している。
 「詐欺電話」「電話でカネを請求することはない」ということは、シンプルに整理されていて、分かりやすい。

*関連するコラムを「電話で詐欺」というタイトルで、14年11月28日に書いている。

トイレのペーパーホルダー

2014-12-25 18:17:50 | 当世世間事情
 たまたま24日少しだけ「ナニコレ珍百景」(テレビ朝日系)を見たら、トイレのペーパーホルダーが使用した後紙が自動的に3角になって出てくる商品を長野県の会社が販売していると紹介していた。次の人が使いやすいために製作されたもので、1つ6万円とのこと。開発費や製品価値からしたら妥当な値段なのだろう。一般家庭では手軽に設置できないだろうが、ホテル等の需要を見込んでいるということだ。

 じつはぼくは、次の人がすぐ紙を取り出しやすいホルダーを考えていた。動機は薄い普通の紙の場合、ロールに巻きついたままで取り出し箇所をつかむのが難儀であること。それに使った後3角に折るというのもしっくりしないからであった。
 そもそも3角折を始めたのは、消防署の職員である。一刻も争う出動の際スムースに利用するために考え、それが一般にも普及したのだ。このことは90年前後に放送されたNHKのクイズ番組「日本人の質問」でやっていた。

 この3角折が、4月に行ったハノイ、ビェンチャン、バンコックのぼくが利用したホテルが全てやっていて驚いた。日本式のわずかな工夫が客へのもてなしとして標準化しされているのだった。
 さてぼくは、現在のものを少し改良したものを3つ考えた。使用のため切ると5センチぐらいロールから離れて垂れ、次の使用がすぐ手に取られる構造である。3つにゆきつくまでは2年ぐらいの期間を経た。そして去年の夏頃、大手メーカーTOTOにメールで提案をした。ぼくのおせっかい心からである。
 そうしたらしかるべき部署の人からメールが届いた。内容は、そのようなことは発想もしたことはなかった、と丁寧な返信だった。ぼくの商品アイディアについてはまったく触れていなかった。商品開発は会社の威信にかかわることであり、その後の特許等のこともあるだろうから、外部に人とは関係持たないだろうことがわかった。

 ぼくの仕事の場合、商品とは限らないがこれまで様々なアイディアは広めようとしてきた。
 50年ぐらい前に、ライン引く石灰を黄色等の色のものを作ったらどうかと雑誌に書いたことがあった。そのことと関係はないだろうが、今は商品としてある。サッカーの組み立て式の移動可能なゴールのことも考えて使用していた。子どもの上履き靴を5ミリ刻みの大きさにするようメーカーに提案したら製造するようになった。いくつかの遊具のことも思い出した。
 その他特許や商品とは無縁のものもはたくさん。このコラムで様々書くのではなく、本にすべきだと言われたこともある。その通りだよな・・・。いや断片では本にならないし・・。
 先日少し驚いたのは、ネットを検索していたら、このコラムの絵本のことを資料に使って学習会をしているグループがあった。まったく知らない人たちが活用していることに不思議さを感じた。気持ちが少し和んだのだった。

覆面姿でのテニス

2014-11-21 11:09:21 | 当世世間事情
 頭はサンバイザーで顔はサングラスとフェーガード、さらに上下とも黒の運動着の人が、ぼくがやっているグループに臨時で加わった。曇りなので日焼けを避けるという感じではないと思うが。
 一緒のグループの人が「覆面だ!よくわからいね」と口にしていた。以前から奇異ないでたちにぼくは疑問を持っていたが、その人とラリーを交わしたりした。

 たしかに全面黒で顔を覆うと表情がまったくわからない。大きめのサングラスの人でも、眉と目の表情は読み取りにくい。しかし唇の動きで表情の一部がわかる。かねがね考えている唇から感情を読み取ることが可能、ということを実感していた。
 「覆面の人」とは、反応がわからないので交わすという感覚がなく、ぼくは気後れしたようだ。練習だから普通は攻撃的にショットをしないような配慮をするが、その辺の感覚をどうするか戸惑った。
 一方「覆面の人」はビシビシ打っていた。巨大な自己に変身してテニスをする装置なのか。「戦隊モノ」のようなものをまとって変身しているのかもしれない。ちょっと考え過ぎではないのと、もう一人の自分がつぶやいた。もし素顔なら相手のことを少しは配慮をするのかな、と思ってもみた。
 テニスはメンタル的側面が強いスポーツなので、相手の弱点をついたりする攻撃的プレーをする素顔の自分にためらいがあるのか。
 水を飲む時には、フェースガードをしたまま飲めるような仕様になっていた。テニスが終わってもコート内では「覆面」を取らなかった。

 人は自分の素性知られたくない時、顔を隠すものだ。強盗や昔の学生運動のデモなど。マスクを自分をあいまいにしたい時に使う人もいる。自分を知られたくない社会の反映なのだろうか。

 イスラム社会では、女性がこのような服装なのだから、ややこしいだろうな。いや幼いときから見慣れたらなんでもないのだろう。男性が優位で従うという文化を前提にしている、といったことをいつの間にかぼくは考えていた。

いつでもフェースガードを装着

2014-10-02 15:41:00 | 当世世間事情
 テニススクールで、去年の夏ぐらいから顔の全面を覆う人が増えている。女性が日焼け防止のためにするのだろう。商品名を聞いたら「ヤケーヌ」ということだった。
 ところが日焼け止めがきっかけであっても、装着が通常になって目的が変化している人もいるようだ。夏だけでなく1年中で、しかも曇りや小雨等の日も装着する。大勢が顔を隠しているとぼくにはなじまない風景となる。なかには黒のユニホーム黒のフェースガードとなると、不気味な感じにも見える。
 デーモンのように正体を隠している姿を自分という人がいる。しかも芸名に高位な人の尊称である「閣下」をつけて、「閣下」と呼ばせている。芸名であってもぼくは胡散臭く思っている。このところ相撲解説で威勢がよいが。

 ところでテニスはレベルが高くなると、ゲームの組み立て、つまり戦術という内容になるが、ラリーが余り続かないようだと「いじわる」をすると言った内容を持っている。
 スポーツは勝利という結果を求める場合、相手の弱点をつき長所を消すといったことになる。テニスはミスをすると相手の得点になる。メンタル面が微妙なスポーツである。
 そういった心理戦のような状況の際に自分を隠し、テニスの自分をつくるというところだろうか。スクールで時におこなう試合を中心にした催し物の時、いつもと違って帽子をかぶりサングラスをして「変装」をしている男性もいるのも、そんな心理なのだろうか。

ケータイの充電をどこでする

2013-12-18 18:19:43 | 当世世間事情
 ある保育園の新任者へのガイダンスを読んでいたら、ケータイの充電を職場でしないこととあった。なるほど充電を自宅以外でやるのが一般化しているのかと、事態の進行が早すぎることに感心したのだった。
 6年ぐらい前だろうか、ゼミのたびごとにケータイの充電をする学生がいて、ぼくはその行為に時代の変化の兆しを感じ取った。しかし充電をするのはその学生だけで、他の学生とぼくはその行為をいぶかしく思っていた。つまり充電は、公共の場を利用しないという規範が、ぼくだけでなく学生たちも合意できていた。

 ところで聞くところによると、いまや学生が教室のコンセントで充電するのをためらいなくするのが、一般的とのことだ。なかには街の食堂など所かまわずコンセントを探して充電をする人もいるという。
 保育園のガイダンスで充電を職場でしないこと、取り上げる理由がわかるというもの。保育園では、充電は公共の場を利用しないという規範を維持しようとしているわけだ。
 大学によっては、教室等で充電をしないこと、と掲示で注意をうながしているところもあるという。
 公共からの充電を電力の窃盗とは言わないだろうが、公共の規範と個人の利益の問題のせめぎあいになってきているようだ。公民館等公共施設あるいは会社等はどのようになっているのだろうか。

敬老という時代があった

2013-09-16 14:57:24 | 当世世間事情
 敬老の日である。わが町内会では、かつて70歳以上を敬老対象者としてプレゼントをしていた。今は75歳以上になったとのことだ。70歳以上だとプレゼントをもらう会員が多いようだ。そのうち80歳以上になるかもしれない。
 
 老人といえば介護、医療、終末期をどのようにおくるか、といったこと。あるいは孤独死やエンディングノートで葬儀、墓地、財産分与など書き記すこともあろう。
 テレビでは、敬老の日は年齢の割には元気な活力あふれる老人が紹介される。平凡な暮らしではテーマと内容を作るのが難しいので、話題性が高いことを番組にするのは当然のこと。

 さて、ぼくの住んでいる都市住宅地での老人の風景で思いつくことを上げてみよう。
 市の防災放送で、時々「行方がわからなくなっております」と不明者を捜す放送が流れる。認知症による徘徊と思われるが、発見されると「無事保護されました」となる。状態としては保護かもしれないが、老人への尊厳からすると「自宅へ戻りました」といったらどうかと、気になっている。「保護」だと、老人のことを知らない子どもや青年に誤った老人像が作られてしまうのではないか、と思うのである。事実を覆い隠すということではない。

 ところで平日の図書館は、老人男性が多い。市の公的施設で様々の集まりがあるが、将棋のサークルも男性ばかり。ロビーで本を読んでいるのも男性。
 ウォーキングは、土日以外は老人が多い。犬の散歩の人もいるが。
 クラッシックのコンサートも老人が多い。平日の昼に多いのはわかるが、夜や土日でも老人が多い。クラッシック音楽が廃れてしまうのでは、というのは杞憂であればよいが。
 コーラスの発表会を聞きに行くと、聴衆に老人が多いが、構成員の70~80%が70歳代ではないか、と思うほどだ。
 ぼくの住んでいる近くにあるクリニックは、診察開始1時間ぐらいから行列ができる。ぼくがそのクリニックを利用する時は、昼ごろにして待たずに診察できる。並ぶ気持ちはわかりそうで、不思議に思っている。
 それからテニスではスクールの平日は女性が多く、老人は少ない。ところが会員制のテニスクラブは老人が多く、70代はおろか80代の人もいる。
 テレビ番組で農業や漁業は、仕事を継承する家族が映し出されることが多い。その風景には敬老という言葉が似合うようだ。 

 日本の高齢社会は、数字で示されると様々考えさせられる。
 日本の人口は、1億2639万3679人(前年比26万6004人減)

65歳以上 3186万人(人口比25%)
 内訳 75歳以上  1560万人
     80歳以上   930万人
    100歳以上     5万1376人(前年比3620増)

 百歳以上が5万人を超えると、10年ぐらい前にあった「百歳万歳」といって長寿者紹介番組のインパクトがなくなるというものだ。

*このコラムは、18日(水)に書き換えたものです。

サンマ280円

2013-09-09 14:37:29 | 当世世間事情
 26日(月)に北見市でサンマの刺身を食べた。水揚げ港である根室市に近いが、198円と例年になく高額だった。
 自宅に戻ってサンマが食べたくなり例年100円台なのを、280円のものを買って焼いて食べた。数日後に刺身を買ったら380円だった。昨日は2匹で380円だが、やはり高い。
 海水温が高いため、サンマの水揚げが少なくイワシがかかるからだという。安くておいしいサンマに口がなじんでいるので食べるが、今年は今のところ高い。値段は親しみにくくなっているが、味わいたさとのジレンマのサンマである。

竜巻の臨場映像

2013-09-03 07:24:28 | 当世世間事情
 竜巻と思われる気象災害は、昨年のつくば市であったが日本では多くない。予報が難しいようだし、一瞬のうちに通り過ぎて被害をもたらすので、恐ろしい。
 昨日の越谷市、松伏町、野田市では、多くの家屋が損壊し、電気などのライフラインの復旧は容易ではなさそうである。
 災害の実際が被害当事者によって撮影され、その映像が多くテレビで流されている。東日本大震災でもそうだったが、被害地域当事者によってケータイ等で撮影された映像が相当数あった。これは災害史上からして、災害の記録上新しい時代に入ったということではないか。
 たくさんの映像によって、事実そのものを多くの人が知ることになるだけではなく、気象関係者や研究者にとっては貴重な映像になる。
 災害の臨場映像が多く記録される国はそんなに多くはないだろうが、われわれは写真を撮ることが習慣化しているように、映像で記録する文化を持ちえている数少ない国かもしれない、と考えてみた。