何度もお邪魔している昭和新撰江戸三十三観音霊場巡り第21番三縁山広度院増上寺ですが、徳川将軍家墓地に参拝するのは初めてです。
増上寺のHPから引用させて頂きます。
徳川将軍家墓所~徳川家霊廟~
戦災にて焼失した旧徳川家霊廟は、現在の大殿南北(左右)に建ち並ぶ壮麗なものであったと伝えられています。昭和33年夏、文化財保護委員会が中心となって、発掘された土葬の遺体は、綿密な調査が行われた後、東京・桐ヶ谷にて荼毘にふされ現墓所に改葬されました。
当山に埋葬されているのは、二代秀忠、五代将軍兄弟の綱重、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍の他、女性では将軍正室として二代秀忠夫人崇源院、六代家宣夫人天英院、十一代家斉夫人広大院、十三代家定夫人天親院、十四代家茂夫人静寛院の5人、将軍の側室としては三代家光の桂昌院、六代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人です。
正面右側に二代秀忠公の墓所があります。焼失前の宝塔は霊廟室内に祀られ、大変大きなものでありました。しかし、惜しくも木造のため、戦災で焼失。現在は、内室崇源院と共に合祀されています。
静寛院宮の宝塔は当時のもので、実際、家茂公と並んで祀られていました。
宝塔の形は御夫婦同じ物でありましたが、家茂の石塔に対して青銅製です。明治になってから造られた墓は、将軍の墓に対し、すべての点において荒削り、不揃いであることからこんなところにも時代の変遷を感じることができるでしょう。
特徴として菊の御紋章が掘り出されています。
今回は山門(国道1号)側から入らず裏に当たる明徳幼稚園を通り東京プリンスホテル側から入りました。
その為に徳川将軍家墓地に近い事もあり御朱印を頂いてから入る事にした次第です。
正面は勿論東京タワーで右側は東京プリンスホテルで左手が増上寺側です。
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徳川将軍家墓地内からの東京タワーです。
コラボして見えるので結構良いです。
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皇女和宮様のお墓です。
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増上寺のHPから引用させて頂きます。
徳川将軍家墓所~徳川家霊廟~
戦災にて焼失した旧徳川家霊廟は、現在の大殿南北(左右)に建ち並ぶ壮麗なものであったと伝えられています。昭和33年夏、文化財保護委員会が中心となって、発掘された土葬の遺体は、綿密な調査が行われた後、東京・桐ヶ谷にて荼毘にふされ現墓所に改葬されました。
当山に埋葬されているのは、二代秀忠、五代将軍兄弟の綱重、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍の他、女性では将軍正室として二代秀忠夫人崇源院、六代家宣夫人天英院、十一代家斉夫人広大院、十三代家定夫人天親院、十四代家茂夫人静寛院の5人、将軍の側室としては三代家光の桂昌院、六代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人です。
正面右側に二代秀忠公の墓所があります。焼失前の宝塔は霊廟室内に祀られ、大変大きなものでありました。しかし、惜しくも木造のため、戦災で焼失。現在は、内室崇源院と共に合祀されています。
静寛院宮の宝塔は当時のもので、実際、家茂公と並んで祀られていました。
宝塔の形は御夫婦同じ物でありましたが、家茂の石塔に対して青銅製です。明治になってから造られた墓は、将軍の墓に対し、すべての点において荒削り、不揃いであることからこんなところにも時代の変遷を感じることができるでしょう。
特徴として菊の御紋章が掘り出されています。
今回は山門(国道1号)側から入らず裏に当たる明徳幼稚園を通り東京プリンスホテル側から入りました。
その為に徳川将軍家墓地に近い事もあり御朱印を頂いてから入る事にした次第です。
正面は勿論東京タワーで右側は東京プリンスホテルで左手が増上寺側です。
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徳川将軍家墓地内からの東京タワーです。
コラボして見えるので結構良いです。
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皇女和宮様のお墓です。
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出かけていませんが 出来たはじめのころには 赤い醜悪ないろの タワーだと 思いましたけど
いまは 『昭和」の 香りがする
かわいい?? タワーのように
かんじます〜
フランスのエッフェル塔のように
だんだん 『思い出」も 加味された
味わいになるのですね〜
東京タワーは風雪を重ねるに付けヤッパリ東京のシンボルだと感じます。
高さは譲りましたが、戦後の東京の復興と発展を共に歩んで来たのかもと思ってしまいます。
いつでも上れると思いつつ、時ばかりが過ぎ去りました。
平成元年には登る積りでおります。
エッフェル塔も二度ほど近くまで行きましたが昇っておりません。
○○と煙は高い所が好きと言いますから、昇ってしかりなんですが。
チャンスは意思、意欲が無いと果たせないと痛切にかんじます。
ノートルダム大聖堂も地下鉄で前まで行ったのに時間が無くなり入らずに戻ってきてしまいました。
いつでもとの気持ちでは、チャンスを逃すと感じる最近です。
東京タワー鉄骨の細さに驚きました。
いつもコメントありがとうございます。
あはは〜 😄
ほんと 思った時が その時ですね〜
ノートルダムは 入り
凱旋門はのぼりましたが
エッフェル塔は上っていないです〜
自分で書いて自分で笑うのもおかしな話ですが、最初に読ませえ頂いた時は分かりませんでした。
令和元年と書いた積りでしたから。
平成中に行くのはちょっと無理かと思い令和元年と書いた積りでした。
免許返納しないといけない程度かもです。
前のコメントは訂正せずに残しますが勿論ご指摘の通りです。ありがとうございます。