京都に到着してそじ坊で昼食を摂って向かった先は大本山相国寺です。
相国寺に入ったのは西門からで、承天閣美術館に入館して境内を出たのは一番南の総門からです。本来ならば勅使門脇の総門から入り総門から出るのが良いのかもしれませんが、地下鉄駅からの関係で同志社大学脇を通り西門へ。
臨済宗相国寺派の大本山
相国寺は、京都五山第二位に列せられる名刹です。正式名称は萬年山相國承天禅寺。
十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建されました。幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しましたが、現存する法堂は日本最古の法堂建築として一六〇五年に再建された物を今に伝えています。
夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約百四十四万坪の壮大な敷地に五十あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。(HPから引用です。)
その前に
1 地下鉄烏丸線今出川駅で降りて相国寺の西門に向かいました。レンガ造りの素敵な同志社大学です。
2 薩摩藩邸跡の石柱がありましたので撮影してきました。
3 二本松屋敷の高札が建っていました。
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5 今出川通を通れば総門へ、私達は烏丸通を通って西門に向かいました。前回30連泊の旅で訪れた時と風景が異なっていたので、何かおかしいと思いつつ境内へ。
6 こちらも道路の反対側に同志社大学の施設が。
7 西門に到着です。
相国寺の名前の由来
「相」は「しょう」と読みます。顔の相、人相など、形を意味するときは「そう」と発音しますが、宰相、首相等という時は「しょう」と発音します。「相国」とは国をたすける、治めるという意味です。中国からきた名称ですが日本でも左大臣の位を相国と呼んでいました。
相国寺を創建した義満は左大臣であり、相国であることから、義満のお寺は相国寺と名付けられました。また義満の時代は中国では明の時代でしたが、このとき、中国の開封に大相国寺という中国における五山制度の始まりのお寺がありました。この大相国寺の寺号を頂いて「相国寺」と名付けられたのです。
中国、開封市の「大相国寺」は現在も存在しており、相国寺とは友好寺院の締結をしています。両寺院には友好の碑があります。
8 大本山相国寺全景です。こちらの全体図は帰る時に総門脇で撮影した物です。
9 西門から入った撮影順にアップします。
10 境外塔頭の金閣寺に何処か似た所を感じる宝塔です。(金閣寺の正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。)HPからの引用です。
12 相国寺承天閣美術館に向かっています。数多くに若冲などの絵を所有していた相国寺ですが。
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14 勅使門から天界橋を渡り今は無き仏殿跡を通り一直線に法堂に向かいます。
15 鳥居の建つ弁天社と宗旦稲荷の間に大きな鐘楼が鎮座しています。
16 後ろを振り返り撮影したもので、遠くに見えるのが総門です。
17 再掲の鐘楼です。
18 多分、檜皮葺の弁天社です。
19 法堂です。
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22 宗務本所です。
23 こちらに秋の特別拝観が終了した旨と春の特別拝観開始の案内がありました。我が家はその狭間におちてしまいました。
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24 勿論、観る事は叶いません。
25 承天閣美術館を見学して総門に向かい帰路についている所です。中央の石橋が天界橋です。
26 金網に囲まれている勅使門です。
27 総門の外から撮影しています。向かって左側に勅使門があります。
過去のアーカイブとして、相国寺の参拝を許された時のスレッドをこちらにアップします。
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